パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

この数週間は、パフの株主の方々と会ってお話をすることが多い。

きょうも午前中におひとり。そして夜、もうひとり。計二人の株主の方とお話をした。

午前中の株主さんはSさん。パフを作って丸二年が経った頃(1999年末)に知り合った方だ。Sさんは当時、愛知県の某大学の助教授をされており、学生の就職指導官も兼務されていた(ちなみに現在は、神奈川県の某大学の教授)。

当時は『超就職氷河期』。新卒者の求人倍率が一倍を割り込んでいたときで、有名(高偏差値)校の学生といえども、なかなか就職先が見つからないという時代だった。

Sさんはネットで学生のためになる情報はないかと検索していたそうだ。そのとき見つけたのが、「パフの就職相談室」という掲示板式のQ&A(いまは「職相談部屋」という名称になっている)。学生から毎日のようにたくさんの相談の書き込みがあり、僕やボランティアの社会人の方々がその相談に対して親身な回答を行っていた。

Sさんはこれを見て、いたく感動したそうだ。こんなことをやっている会社があるなんて……と。

そして、僕の名前とプロフィールが書かれていた会社概要のページを見たSさんは、さらに驚く。僕はSさんの出身の大学(明治学院大学)の2年先輩だったのだ。

さらにパフは未上場の会社ながらも、外部の投資家が出資できる制度をもった会社であるということを知る。

このときSさんは、「パフのような会社にこそ大きく成長してもらいたい」と思ったそうだ。そして、「株主としてパフを応援させてほしい」という連絡を、Sさんのほうから頂戴したのだった。

きょうSさんと久々にお会いし、その頃の昔話をして、とても懐かしくなった。まだ正社員が誰もいなかった時代だ。資金繰りもままならず途方に暮れていたときだ。超狭いオンボロ事務所で10数万円程度の家賃すら負担に感じていたときだ。Sさんからの出資の申し出が、どれほどありがたかったことか……。Sさんと久々に話をしていて、このときの感謝の気持ちがリアルに蘇ってきた。

 

夜は埼玉県在住の株主さんのところに伺った。この方は、パフの株式を市場を通じて、少しずつ少しずつ買い足していき、いまでは上位10番以内に入るほどの大株主になった方だ。お名前はMさん。

Mさんは、働き始めた18歳のころに職場の先輩の勧めで株式投資を始めたとのこと。日本経済がバブルに向かっている頃で、かなりの利益が生まれたという。しかし、1991年、バブルが崩壊。株式市場の怖さを身をもって体験したのだという。

だがMさんは、その後も細々と投資活動は行っており、パフのことを市場で見つけてくださった。そしてパフの株式が市場で売りに出される度に、買ってくださったというわけだ。パフの株式は、(本来、経営者である僕がいう話ではないのだが)実力以上に高騰していたことがあった。そのときもMさんは、「パフは絶対大きくなる会社だから、この値段でも安いはずだ」と思って買ってくださったという。

Mさんは他にも未上場の会社を中心に投資活動を行っているのだが、倒産してしまった会社も多いという。「いまは圧倒的に損失のほうが大きいですよ」と笑って仰っていた。

「僕らは投資するだけだからいいけど、経営者は大変ですよね。自分で借金して、社員を養って、赤字になるといろんな人から文句を言われ……。でもまあ、パフさんもいまは大変な時期でしょうけど、頑張ってくださいね。何年後かには期待してますよ!」

Mさんはそう言って、僕を励ましてくださった。

 

いやあ、パフって本当に恵まれた会社である。このような温かい株主の方々が支えてくださっているわけだから。来週も何人かの株主の方とお会いするのだが、このような方々を絶対に裏切るわけにはいかないと、あらためて心に誓った日だった。