時間とカラダは有限なりと実感した日
2009年10月19日 (月曜日)
最近、読みたいと思って買った本がたくさんある。しかし、買うペースのほうが読むペースを大幅に上回っており、なかなか追いつかない。
一方で、観たいと思って録画したテレビ番組もたくさんある。こちらもやはり観るのが追い付かず、HDDの容量の限界もあり、ついぞ一度も再生されることなく消去の憂き目にあった番組もたくさんある。
観に行きたい映画もたくさんある。「そのうち行こう」と思っていたら、上映期間を過ぎてしまった映画もある。
たまには飲みに行って旧交を温めたい仲間もたくさんいる。でも、なかなかタイミングが合わずにいる。どうしても仕事関係の付き合いが優先される。
・・・・・最近、このようなジレンマをよく感じるのである。
時間とカラダは有限。寝なくて済むものなら寝る時間を読書に充てたい。カラダがふたつあるのなら、ひとつはあっちの飲み会、もうひとつはこっちの飲み会に出席できる。
僕程度の人間でもこのように感じるわけなのだから、激務をこなす政治家や官僚は、いったいどうやって日々の仕事をマネジメントしているのだろうか。
僕も、まだまだ精進が必要なのだ。
これまでに頂いたコメント
2件コメントがあります
- ミナさん
- くぎさんさん
ミナさん、スケールの大きなコメントをありがとうございます。時間は偉大ですね[E:happy01]。
釘崎さん、こんにちは。
やりたいことがたくさんあると言うことは、それだけ後の楽しみが多いということではないでしょうか。あるいは少し時間ができたら、少しだけ手をつけてみてもいいと思います。私も読みたい本が何冊かあって積んでいる状態ですが、暇な時間があったら少しでも読み進めていくようにしています。(主に授業関係の本ですが…)
また「時間とカラダは有限」とありましたが、私は時間そのものは無限だと考えています。正確には、「一人ひとりが消費できる時間」に限りがあるだけ。だからご飯を食べたり眠ったりして、カラダを健康に保ちながら時間を使っていくのだと思うのです。時間自体は目に見えないけど、宇宙がなくなっても存在し続けるのではないでしょうか…。
長文失礼いたしました。