パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

30年前の大晦日を思い出す日

2009年12月31日 (木曜日)

2009年も、いよいよ残すところあとわずか。

僕はこの最後の日を、ひとり自宅で過ごしている(カミさんと娘は、大晦日と元日の2日間を、カミさんの長野の実家でお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと一緒に過ごすことになったのだ)。

きょうのお昼前に、娘らを見送り、ひとり散歩に出かけた。

歩きながらふと、「あ、そういえば…」と思ったのだが、僕は東京に出てきて、今年でちょうど30年だったのだ。

今夜の紅白歌合戦は60周年だということなので、その半分の時間を、僕は東京で過ごしていることになる。

なにも紅白と比べることはないか(苦笑)。

ともかくも、僕の人生の60%は、東京で過ごしていることになる。とても長い年月だ。

 

1979年3月。九州・大分の高校を卒業した僕は、単身東京に出てきて、東京都文京区根津のオンボロアパートで暮らし始めた。

家賃は1万円ちょっとで安かったものの、昼でも真っ暗で、もちろん風呂やシャワーなどなく、トイレ共同、下水の匂いがひどい四畳半一間の部屋だった。

高校時代、劣等生で大学受験からも逃げていた僕だったのだが、なぜか卒業間際に進学への意欲がわき、こともあろうに東京の私学に入学したいと思った。

当然浪人突入である。貧乏だった我が家に金銭的な迷惑をかけたくない。東京で暮らし始めてすぐ、予備校に通う傍らアルバイトに精を出した。

もちろん勉強も、かなり真面目にやった。おかげで夏休み前には、公開模試で全国で4位という驚異的な成績を修めるに至った。

これでどこの大学にも合格できると勘違いした僕は、夏休み以降、さらにアルバイトに精を出すことになる。

土曜も日曜も朝も夜も関係なく働いた。いくつかの大学を受験するための受験料と入学金の半分くらいを貯めることが出来た。しかし、それとは引き換えに、公開模試の成績はガタ落ち。どこの大学にも受かるはずの偏差値は、二桁以上の急降下となった。

これはヤバイと思い、10月にはすべてのアルバイトを辞め、再度受験勉強に専念することにした。

しかし、アルバイトを辞める=生活費を稼げない、ということである。夏に蓄えたおカネは、大学の受験料と入学金のためにとっておきたい。どんなにひもじくても、手を出したくない。

 

1979年10月。ここから僕の東京での超赤貧生活が始まったのだった。爪に火を点す以上の暮らしである。

食事は朝と夜の2回だった。朝は7枚切りのトースト1枚だ。食パン一袋で一週間もっていた(冷凍しておけば一週間たっても不味くなかった)。夜は自分でご飯を炊いて(古米は安かった)、モヤシ炒めをおかずに食べることが多かった。土・日は(予備校もなく)体を動かさないので、1日1食だけで済ますこともあった。

風呂は、銭湯のおカネを浮かすために、3日に1回と決めていた(寒かったので、あまり臭くならなかったのだ)。

この赤貧生活の最高潮だったのが、ちょうど30年前のきょう。1979年の大晦日である。あの日のことはいまでもよく覚えている。

大学受験が目前に迫っていたので(旅費がもったいないことのほうが理由としては大きかったかな)、実家には帰らなかった。

でも大晦日。少しは正月らしいものを食べたいと思った。とはいえ、お金がない。翌月から始まる大学受験のための受験料をさっぴくと、ほとんど手元にお金は残っていなかった。

お金がかからずに、でも正月らしい食事……。そうだ!年越しそばだ!!

当時、日清食品の「どんべえ(たぬき)」が出たばかりのころだった。しかも安い。

よし、奮発して生卵も買って、月見そばにしよう!!

そう考えた。

夜9時過ぎ、映りの悪いテレビで紅白歌合戦を見ながらお湯を沸かし、どんべえを作った。3分経って、卵を割って入れた。

卵をかき混ぜて、すすって食べた。あっという間に食べ終わった。とても美味しかった。

でも、なぜか涙がこぼれてきた。

なぜ俺はここで、もうすぐ正月だっていうのに、ひとりで“どんべえ”をすすって食べてるんだろう……。ブラウン管の向こう側では歌手たちが晴れやかな顔で歌っているし、観客はあでやかな振り袖姿だし、家族団らんのお茶の間の風景が映し出されているし……。

とても惨めで悲しい気持ちだった。

いま思い出しても、切なくなる。

 

あれから、はや30年。当時19歳だった少年は、もう来年、50歳になる。

どんべえをすすって泣いていた19歳の少年は、無事数ヵ月後には大学に入れた。大学卒業後は、仕事にも就けた。28歳で結婚もしたし、31歳で子供もできた。37歳で会社までつくってしまった。

途中、たいへんなことや苦しいこと、辛いことはたくさんあったけど、基本的には幸せな30年だった。

 

30年前の、どんべえをすすりながら涙を流していた19歳の少年に、こう伝えてあげたい。

「おまえさんの未来は輝いているぞ。いいことばかりじゃないけど、楽しいことやワクワクすることがきっと待ってるぞ。かけがえのない出会いもたくさんあるぞ。だから泣いてなんかないで、来月から始まる大学受験をまずは頑張れ!」

不思議なものだ。30年前の少年が、にっこり頷いてくれたような気がする。