復帰直後の重要会議だった日
2010年2月21日 (日曜日)
昨日の夜、東京に戻ってきた。
水・木・金・土と、4日連続で東京を留守にしていた。
きょうは(日曜日だけど)、この留守の間に起きたこと(いわゆるミスやトラブルなどのイレギュラーな出来事)の報告を受けたり、今後の対策を講じたりするための会議を、朝から会社の主要メンバーを集めて行った。
もちろん留守の間であっても、逐次これらの報告は(電話やメールで)受け取っていたし、僕抜きでも対策は進んでいたわけであるが、本日あらためて主要メンバー同士が顔を合わせ、情報を持ち寄り、事実の確認から原因分析や今後の体制作りを含めた対策まで話し合えたことは、とても良かった。
何が良かったのか。
もちろん今後の対策がきっちりと決められたことや、予見される様々な事象に対する先回りの打ち手が講じられたことが良かったわけであるが、それ以上に(僕が個人的、いや経営者的に)良かったと感じられたことがある。
それは、会社の事業を牽引している主要メンバーたちの当事者意識や危機意識の高さが、僕が期待するレベルであったこと。全体を俯瞰する力、問題を把握・整理する力が、とても優れていたということ。そしてそれらを、僕があらためて確認できたということが、良かったと感じたことなのである。
あんまり僕が安心してはいけないのかもしれないが、上に立つメンバーの成長を実感できて、ちょっと嬉しかったのである。
会社(組織)っていうのは(どんなに優良企業と呼ばれている会社であっても)、必ず日々なんらかの問題が発生しているものである。
しかし、優良企業(組織)とそうでない企業(組織)には、あきらかなる違いがある。
ひとつは、起きている問題に蓋をして、見てみぬ振りをしている(あるいは純粋に問題に気づいていない)会社。
もうひとつは、些細な問題であっても日々目を向けて(日々問題が明らかにされ、誰もが目を向けられる仕組みが用意されていて)、大きなトラブルに発展する前に対処できる会社である。
もちろん前者がダメな会社(組織)で、後者が優良な会社(組織)である。
優良な会社は、組織を構成するメンバー一人ひとりが、常に謙虚で前向きな姿勢を有している。メンバーは、(自分の役割や担当の垣根を越えた)周囲のすべての事象に対する当事者意識と問題意識を有している。組織を構成するメンバーには、意見(文句や傍観者的セリフ)を言うだけの批評家や評論家は一人もいない。誰もが(自分の担当外であっても)自分の手足を動かして仲間を助ける姿勢を有している。
パフはもちろん優良な企業(組織)を目指しているわけだが、まだまだだなあと反省することしきりである。
でも、本日の会議を終えて思ったことだが、パフは優良な方向に向かっているということは事実であり、その点に於いては素直に喜びたいのである。
休養宣言をする日
2010年2月16日 (火曜日)
昨日の日記で、すでにバラしてしまったのだが、明日から九州の実家に帰ることになった。
会社の業務が立て込んでいるシーズンではあるのだが、何事も起こらないことを祈りつつ、しばらく会社を留守にする。
で、この「釘さん日記」も帰省のあいだ、思い切って断筆しようと思う。
たまの断食は健康の為に良いと聞いたことがある。
断筆も同じようなものだと思うのだ。
まあ、書きたいと思ったことがあれば、とっさにこの日記に書き留めるかもしれないが。
あ、そうそう。僕は勝手に断筆するわけなのですが、読者の皆さんが断筆する必要はありません。
僕が不在の間、過去の日記を読んでいただいての、ご意見・ご感想・励ましの言葉など(下のコメント欄に)書き込んでいただけたら嬉しいです!
昭和初期の歌手のカセットテープを買った日
2010年2月15日 (月曜日)
私ごとだが(そもそも日記なので、書いていることのほとんどは私ごとなのだが)、明後日より九州の実家(母親が一人暮らしをしている湯布院)に家族を連れて帰省する。いままでも年に1、2回、福岡出張のついでに湯布院を経由することはあったのだが、帰省することだけを目的に湯布院に帰るのはとても珍しいことだ。しかも家族を連れていくのは、実は娘が生まれて以来初めてのことなのだ。
母親は今年で87歳と、かなりの高齢である。お世話になっている介護士の方や事務所の方々にもご挨拶をせねばならない。
母親とは週に一回は電話で話をするのだが、耳が限りなく遠くなっているため、こちらが話すことの1割も伝わらない。しかし、今週帰省することだけはなんとか伝わっている。で、その際、土産として買って来いとねだられたものがある。
なんと昭和10年~20年代の歌謡曲の「カセットテープ」である。CDでは駄目なのだ。あくまでカセットテープなのだ。「いまどきカセットテープなんて売ってるところは少ないし、CDプレーヤーもいっしょに買っていくからCDにしよう」と言っても頑として受け付けない。カセットじゃないと駄目らしいのだ。単にCDのことを知らないだけなのだと思うが、言いだしたら聞かないので仕方ない。
昭和10年代~20年代の歌謡曲を収録したカセットテープ。
そんなの売ってるところあるの? と、思う人も多いだろうが、そこは花の都、東京・銀座。ちゃんとあるのだ。
昭和の雰囲気をぷんぷん漂わせたレコード屋さん。築地方面からだと三原橋の交差点を渡って、三越に行く途中の道の右側にある。
実は母親からの懐メロテープのオーダーは過去にも何度かあり、その都度、この店で買っていたのだ。
本日、外出のついでに立ち寄った。あれこれ懐メロのカセットテープがずらっと並んでいる。前回は確か、美空ひばりを買っていったと記憶している。
今回は何にしようか、ちょっと悩んだ。
そして決めた。
2本購入した。
藤山一郎全曲集と渡辺はま子全曲集である。まさに昭和初期から昭和20年代を飾る国民的歌手である。うちの母親が10代から20代のころ(そんな頃があったとは信じられないが)の流行歌手。暗い時代を明るく照らしてくれたスターなのである。
きっといまの若い人たちでも、「支那の夜」(渡辺はま子)や、「青い山脈」(藤山一郎)くらいは知っているんじゃないかな。
僕が子供のころの懐メロのテレビ番組には、必ず、この二人が登場していた。リアルタイムではないものの、僕にとっても懐かしい歌手だ。
二本合わせて約5千円。希少価値なのか、CDよりも高い値付けだ。
早速、家に帰って試聴しようと思ったのだが、家にはカセットテープレコーダーが無いことに気がついた。あちゃー。
ネルソン・マンデラと龍馬の父と
2010年2月14日 (日曜日)
ひっさびさに映画を観に行った。
いくつか観たい映画があったのだが、本日選んだ映画はこれ。
ネルソン・マンデラ大統領の凄さ、大きさを、あらためて知った。(自分を30年近くも牢獄へ追いやった白人たちへの)私怨を一切捨て去り、一国の大統領としての信念を貫いた。モーガン・フリーマンが、リアルにマンデラ大統領を演じていた。最後のラグビーワールドカップの決勝シーンは、結果が分かっているのに思わず興奮し、最後は涙が出てきた。
事実は小説より奇なり。
しかし、南アフリカの現実はまだまだ(凶悪犯罪の多さなどは特に)厳しいものがある。この映画が、マンデラの後を継いだ南アの指導者や国民にとっての大きな励ましになることを願う。
夜は龍馬伝。
龍馬のお父さん(八平=児玉清)が亡くなった。でも臨終のシーンがあったわけではない。「それから間もなく息を引き取った」とだけナレーションが流れたのみ。それがかえってよかった。台本の妙である。
息を引き取る数日前のシーンが実質的な臨終のシーンだったのである。坂本一家(7人くらいかな?)そろって海岸(桂浜かな?)に出かける。そこで龍馬が、家族皆で、自分が造った黒船に乗り込んで世界旅行に出かける夢を語る。その話を聞いている八平(児玉清)の嬉しそうな顔。実にいいシーンだった。
やっぱり龍馬伝の序盤戦は、家族の愛が重要なテーマとして描かれているようだ。家族の愛があったからこそ、後世に名を残す坂本龍馬が育まれたのだな、きっと。
あ、そうそう。河田小龍(リリー・フランキー)が今回初登場だったんだけど、これまた殊勲賞だ。ベストな配役だ。リリー・フランキーの力の抜けた演技。芸術家の河田小龍にぴったりだ。考えてみれば、龍馬に海外のことや交易の重要性を最初に教えたのは河田小龍であり、その河田小龍が海外のことを学ぶきかっけとなったのは、(土佐出身の漁師)ジョン万次郎だったのだ。こういう縁があって龍馬は坂本龍馬になる。まさに「事実は小説より奇なり」なのだ。でも、こうやって(分かりやすく演出しながら)伝えてくれる映画やドラマがあってこその「事実」だったりする。
いやー、良作の映画やドラマって、ほんっとーにいいもんですね。
大学一年生と社会人一年生
2010年2月13日 (土曜日)
昨日はめまぐるしく一日が過ぎていった。
朝いちで「見込み客リスト」に関する打ち合わせ。顔の見えない(パフの担当者がきちんと情報を押さえていない)見込み客がちょっと多すぎるな。こりゃ営業効率が悪いわけだ。
その後、社員との評価面談が2連荘。うむ。うむ。
面談が終わるや否や来客。
都内の大学1年生(19歳)である。
今コラボを模索している某社社長の姪っ子さん。名まえをRさんという。
Rさんは将来の職業について、すでにいろいろと考えているらしく、(某社社長の紹介で)僕のところに相談に来たのだった。
大学一年生で、自分の職業のことを真剣に考えているなんて、たいしたものである。しかも(叔父さんの紹介とはいえ)、見ず知らずの僕のところに相談に来るとは、たいした行動力である。
お昼ごはんを食べながら、一時間半ほど、いろんな話をした。
企業の採用の裏話をしてあげたら、とても興味を抱いてくれた。学生にとって企業というのは、ホントに遠い存在で、とても怖い存在にうつるようだ。リアル感がないのだ。
僕だって昔はそうだった。たまたま僕は大学3年生の終わりから、企業の人事部向けに(就職情報誌の)営業に携わったおかげで、ほかの学生よりは早めに企業の実態を知ることができたが(その結果、多くの企業に幻滅してしまったのだが…)、その前までは、やっぱり企業は雲の上の存在だった。
大学一年生のRさんと話をしていて、企業やビジネスマンの素の顔を(凄いところも脆いところも)、もっと学生に分かりやすく伝える手段はないものかと考えた次第だ。
まあ、実際に働いてみないと、なかなか本当のところは分からないんだけどね。
その後、協賛企業のS社に移動。パフから徒歩1~2分のところにある(パフにとっては)好都合な会社だ。
この4月から社会人一年生になる内定者たちに、「うまれよ塾S社特別編」を講義するために伺ったのだ。もう今年で3年目になる。
なんと嬉しいことに、昨年「うまれよ塾」を聴いてくれたかつてのS社内定者(現在1年目社員)が2名も人事部に配属になっており、2年連続で、僕の講義を聴いてくれた。ひとりの社員(女性)は始まる前に「いまでもクギサキさんの講義内容、よく覚えてます」と言ってくださり、もうひとりの社員(男性)は講義後、「あらためていまこの立場で聴いたことで、とても新鮮な気持ちになりました」と言ってくださった。二人とも社会人になってまだたったの10ヶ月とは思えないくらい、たくましく立派に成長していた。目がいい。凛々しく清々しい。落ち着きもある。今年の内定者たちも、一年後、きっと大きく成長してくれることだろう。「うまれよ」のことを、ぜひずっと覚えていて欲しいと思う。
帰社後、また社員の面談。営業会議。さらにまた面談と続く。うむ、うむ、うーむだ。
そして本日のとどめは、本日起きたトラブル報告と、その対策。
あの世界のトヨタだって、トラブル対策をひとつ間違うと、大きくぐらついてしまう。トラブルへの対策を後手後手にしたことで消滅してしまった大企業もたくさんある。いわんや、パフのような小企業においてをや、である。社員ひとりひとりの「当事者意識」や「危機意識」を、もっと高めていかないと……。
企業の人材は、意識の持ちようひとつで「人罪」になりかねない。
こういう企業の恥ずかしい側面も、学生にもっと見せていくことが必要なのかもしれないな。
応募書類と格闘した日
2010年2月12日 (金曜日)
ついに採用シーズンに突入した。
パフの主要事業のひとつに採用アウトソーシング(採用業務の代行)事業がある。
顧客企業に成り代わって、バックオフィス業務を行うのだ。
この事業は12年前の創業当初から行っている。当時は僕が先頭になって、奥さんをはじめとするパートの方々と一緒に現場作業を行っていた。
エントリーしてくれた学生に会社案内を郵送するために、台車をつかって日に何度も郵便局と事務所のあいだを往復したこともある。応募書類を仕分けしたり、説明会への出欠確認の電話をしたり、選考の合否の連絡をしたり、学生の問い合わせを受け付けたり、迷子になった学生の道案内をしたり……。およそ採用業務に関わることはなんでもやった。
国内有数の人気企業の採用業務を請け負ったときには、まともにやったらパンクしてしまうので、詳細な業務フローを設計しなおしたり、IT化を推し進めたりしながら、万のオーダーの応募を少数のメンバーで回せるような工夫をしたりもした。
社員を採用し始めても、その後、3年間くらいは実務をやっていたと思う。
でもさすがに、ここ最近は(もう7年くらいになるかな)、よっぽどイレギュラーなとき以外は現場の仕事には手を出さなくなった。
が、本日。ついに手を出した。
現場がまさに猫の手でも借りたい状態だったのだ。
夜、会議がすべて終了し、自分のパソコンの前で、ちょっとボケッとしていたら、
「ちょっとクギサキさんも手伝ってくださいよ! この応募書類、受験番号順に並べ替えてください! それが終わったら読み合わせしますからね!」
っていう感じで、拒否できそうもないスピード感で仕事を命じられたのだった。
まあ、老化した社長でも猫よりはマシだということだろう。
いやあ、たいへんだけど懐かしかった。
採用の仕事の最前線。採用担当者としての基礎の仕事である。
こういう基礎の仕事をないがしろにしてはいけない。採用の世界を肌で感じるために絶対不可欠な仕事なのである。この仕事を知らずして、顧客のコンサルなんてできるはずがない。しかも確実に、お金をいただける(会社を経営する視点から見ても)ありがたーい仕事なのである。
4月下旬くらいまで、この採用業務の忙しい日々が続く。
きょうだって、祝日であるにもかかわらず、学生からの問い合わせ電話が結構かかってきたしなぁ……。企業に応募する学生にとっては、土日だろうが祝日だろうが、そんなの関係ないわけだ。
最前線で働くスタッフのみなさん。これからのますます多忙な業務、どうか頑張ってください!!
昔取った杵柄。僕もみなさんが大変なときには、邪魔にならない程度に手伝いますよ。
若者は貧乏であるべし!
2010年2月11日 (木曜日)
読売新聞が以下のニュースを配信していた。
自宅外から通う学生への仕送り額が25年前の水準になったんですと。
平均で7万4060円。
なんだよ。 もらいすぎだよ。 甘えるなよ。
大学生たるもの親に頼るな。自立せよ!と言いたい。
ギリギリの貧乏暮らしをするからこそ人生勉強ができる。親の苦労やお金の有り難味もわかるってものだ。
貧乏万歳じゃないか。僕の学生時代よりも安い値段で牛丼が食える世の中だ。1日8時間(東京都の最低賃金で)アルバイトをすれば、20食以上も牛丼を食えるんだぞ。贅沢じゃないか。
風呂付のアパートなんかに住もうと思うんじゃない。研究室に寝泊りしたっていい。シャワーを浴びたいときには自宅の友達の家に転がり込めばいい。そうやって生活の知恵がつき、生き延びる力がつくのだ。
お金が欲しいなら働け!とくに都会ならば不況といえども、仕事や待遇さえ選ばなければ働き口はいくらでもある。
働いて働いて働きぬいて、休みたいとか遊びたいとか思ったら、そんときゃあ(武田鉄也のお母さん風に)死ね。
そして働いて得たお金は自分の贅沢のためではなく、大学まで行かせてくれた親に逆仕送りせよ。大学の授業料は自分で払え。それから、できる限りの本を(ブックオフなどの古本屋で構わないから)買って読め。自己投資せよ。大事な金を携帯やゲームなどで費やしてしまってはダメだ。ただし、仲間と語り合うために必要な安酒くらいは買ってよし。
おっと。ついつい熱くなって脱線してしまいました。
とにかく若者は貧乏であるべし!
大学生への仕送り額ダウン、25年前の水準に
2月10日22時21分配信 読売新聞
調査は全国31大学の学生を対象に昨年10~11月に実施し、9660人から回答があった。
マンションやアパートなど自宅外(寮を除く)から通う大学生への仕送り額は月7万4060円(前年比3520円減)で、月7万4240円だった1984年並みに下がった。仕送りゼロと回答した学生は全体の10・2%(同1・9ポイント増)に上り、70年以降で初めて1割を突破した。
不況の影響からアルバイト収入も減少し、月2万2370円(同2230円減)となった。奨学金は前年比2100円増の月2万6430円で、仕送りなどの減収分を補っている様子がうかがえる。
一方、支出を切り詰める傾向も続き、住居費以外の支出はすべて減少。特に食費は月2万3350円(同1080円減)で、1976年以降で最低の金額になった。
大学生協連では「08年秋のリーマンショック以降、親の生活が厳しくなり、仕送りが減っている。アルバイトにも頼れず、弁当を持参したり、研究室に炊飯器を持ち込んでご飯を炊いたりといった食費節約の努力をする学生が目立つ」と話している。
最終更新:2月10日22時21分