暑い日
2010年7月21日 (水曜日)
そのまんまやんけー、という突っ込みをもらいそうな日記のタイトルである。
でも、ここ数日の話題の筆頭は、やっぱりこの連日の猛暑だな。
パフの事務所は、レイアウトと空調の折り合いが悪く、暑い場所と寒い場所が極端なのだ。
僕が仮の住まいとして席を置いているサーバールームなど、その最たるものだ。
三畳間ほどの狭いスペースなのだが、天井に大きな空調がひとつ据え付けられている。
いったん空調のスイッチを入れると猛烈に冷える。かといってスイッチを切るとサーバーの熱もあり、室温がぐんぐん上昇する。なので僕は席にいるときは、空調のスイッチのオンオフを繰り返すことになる。体温も上昇したり下降したりで、部屋にいるだけで体力を奪われる。試練の部屋なのだ。
パフのエントランスなどは、もっと試練のスペースだ。
セキュリティの関係で、エントランスと執務室の間は、ドアと壁で遮られている。そして、エントランススペースの天井には空調がない。ぐんぐん気温が上昇していく。蒸し風呂の状態なのだ。体感温度40度くらいあるんじゃないかな。来訪者は、エレベーターを降りたとたん、思わずひき返したくなってしまうのではないかと心配になるくらいだ。
いやー、暑いのは苦手だなあ。
少なくとも週末まで、この猛暑は続くという。
しばし試練の日も続くのである…。
ささかみの写真集
2010年7月19日 (月曜日)
いやー、暑い。たまりませんね。
こういう暑い夜は、涼しい写真を載せることにしましょう。
ささかみのロケに同行してくださった第二カメラマン(ほんとうはピアニスト)の荒木さんから写真が送られてきたので、自分の記録のためにも本日の日記に載せておきます。
やっぱり自然がたっぷりある田舎はいいよなぁ~。
カメラマンの神津さんが、撮影開始。
五頭山(ごずさん)に登ったとたんに厚い雲に覆われた。
下山したらまた天気が回復。カメラマンの神津さん活躍中。
ブルーベリーです。
ライブ会場のピアノ。
石塚さんちの有機の田んぼで草取り。膝まで埋もれています。
石塚さん宅(農家民宿)で弾き語り開始。
ミニコンサート。ガンちゃん盛り上がる。
タマは、冷やかな目でオヤジたちを眺めている。
神津さんが写真を撮ってます。石塚さんは早朝から田んぼのシゴトで不在。
ちなみに、以下、11月13日(土)のライブの案内文です。この自然に触れてみたい方はぜひお申し込みください。
☆☆☆ 釘さん50歳記念ライブin新潟ささかみ ☆☆☆
●日時:11月13日(土)夕方くらいから夜中まで(途中、食事タイムあり)
●場所:ペンションぽっぽ五頭(新潟県阿賀野市畑江33)
http://business3.plala.or.jp/poppo/index.htm
※JR新潟駅より白新線に乗り換え豊栄駅下車。そこからタクシー
で20分程度。新潟市内から車で45分低度。
⇒ http://business3.plala.or.jp/poppo/access.htm
●参加費:ライブ参加は無料ですが、ペンション宿泊費と食費をご負担いただ
きます。(一泊2食の場合、おひとり1万円程度)
●定 員:100名程度
※ペンションが満室になった場合は近くの旅館をご紹介します。
●お申込:以下のURLからお願いいたします。
https://www.puff.co.jp/application_form/default.htm
※個別に先行予約された方も、たいへん恐縮ですが、再度のお申し
込み手続きをお願いいたします。
●その他:
当日は、アコースティックギターとアコースティックピアノでの弾き語り
が中心となります。
楽曲は、1960年代後半から1980年代前半の日本のフォークソングが中心。
でも、多少は最近の唄を歌うかもしれません。
リクエスト曲などありましたら、ぜひお申込み画面からご記入ください。
「俺にも歌わせろ!」という方は、その旨もご記入ください。でもご希望
に添えない可能性が高いので、あらかじめご了承ください(笑)。
プロモビデオのロケに行った日
2010年7月18日 (日曜日)
土曜日の早朝から本日にかけて、ささかみ(新潟県阿賀野市)に僕はいた。
この日記でも何回か触れている「50歳記念ライブinささかみ」。
その下見に行っていたのだ。
今回のライブの仕掛け人である岩元さん(通称ガンちゃん)が、すべてを段取りしてくれた。
交通手段は新幹線ではなく、ホンダのステップワゴン。下見に同行していただくことになったカメラマン所有のクルマに乗せてもらったのだった。
ん? カメラマン??
実は今回の下見というのは、プロモーションビデオの制作を兼ねていたのだった。
ん? プロモーションビデオ??
以前、ガンちゃんと食事をした時、「プロモーションビデオでも作りましょうよ」と言っていたのは確かに覚えているのだが、まさか本気だとは思わなかった。
ビデオをCDにたくさん焼いて、ささかみの方々に配り、「東京から有名な歌手がやってくる」と宣伝するのだそうだ。
僕は、「え、マジっすか?」という感じだけど(笑)。
土曜日の関越道は大渋滞。
約7時間かけて、やっと新潟県ささかみに到着した。
現地でお世話役をしてくださったのは、JAささかみの職員の方。
なんだか11月のライブは、JAまでをも巻き込んでのスゴイ話になっているようだ。
ささかみの名所と呼ばれるところを何カ所か尋ね歩きながら、ビデオの収録は始まった。
五頭山にも登った。
最後は半ズボンをはかされて、裸足になって、田んぼの中にずぼっと入り、草むしりをやったりもした。もう膝まで泥だらけ。でも、とっても気持ち良かったな。
↓ ここがライブ会場のレストラン。ピアノが置いてあるところに特設のステージを設営するのだそうだ。
窓から見える風景がまたキレイなのだ。
収録をすべて終えて、夜はスタッフの皆さんと農家民宿での酒を飲みながらの語らい。
そうそう、途中で蛍を見に行ったりもした。
街灯もなければ家もない。農道をまっすぐ歩いていくと、道の両側に蛍がいっぱい。
自然の蛍を見るのって、ひょっとしたら小学生のころ以来ではないだろうか。
しばし幻想的な世界に浸った。
蛍見物から帰ってきたら、今度はミニコンサート。ギターとピアノとでの70年代フォークの大合唱だ。
スタッフはみんな50歳前後の年代なのだが、全員が10代のころに戻ったような感覚だった。
写真を撮っておけばよかったなあ…。
でも、カメラマンさんがたしか撮ってくれていたような気がするな。
プロモビデオは一ヶ月くらいで出来上がるという。
出来上がったら、Youtubeにアップしようと思うので、読者の皆さんにはぜひそのビデオをご覧いただけたらと思う。
いやあ、それにしても大自然の中でリフレッシュした二日間だった。
ぜひ11月13日のライブには、大勢のみなさんにお越しいただけたらと思う。
突然の三九会だった日
2010年7月16日 (金曜日)
昨夜はひさびさの「三九会」。福岡出身のヤナさんと鹿児島出身のシモさんと大分出身の僕との定期的な会合。
でもいろんなことがあって、この数カ月は開催されていなかった。
あれ?ひょっとしたら、今年初めての開催かもしれない。
昨夜もじつは突然開催が決定したわけで、僕が夕方の外出&打ち合わせを終えた18時半に招集されたのだった。
ヤナさんが福岡から出張で来ていたのだ。シモさんも夜、空いていた。僕も予定されていた打ち合わせが別の日になったため空いていた。
ということで、急きょの開催となったのだった。
「友あり。遠方より来たる。また楽しからずや」
いろんなことが起きている僕たちの周囲。気持ちを許して語り合える友の存在はありがたいものだ。
お帰りなさいの会だった日
2010年7月15日 (木曜日)
胃腸炎もすっかり回復した。朝も、昼も、晩も、普通の食事をとれるようになった。美味しいものを(いや、普通のものであっても)美味しく食べられることに感謝である。
ということで昨夜は、さっそく会食が行われた。
「お帰りなさい」の会だ。
パフを創業して初の営業シーズンだった1998年夏。知名度も実績も体力もゼロだったパフと、なぜか本格的な契約を結んでくれた某総合商社の、かつての若手採用担当者Sさんとの会食だったのだ。
Sさんをはじめとする、この某総合商社の皆さんのおかげで、パフは創業時の危機を乗り切れたといっても過言ではない。パフのことをいろんな大学に宣伝してくださったり、パフ主催のイベントでは、まるでパフのスタッフであるかのように、表からも裏からも手伝ってくださっていた。
その中心にいたSさんなのだが、西暦2004年4月に、東京本社からアメリカ(ニューヨーク)に転勤となってしまった。
僕もその年の6月、Sさんを追いかけるようにニューヨークに出張した。このとき、Sさんは僕を(まるでVIPであるかのように)毎日付きっきりでもてなしてくださった。3年前、ロサンゼルスに出張した際も、わざわざニューヨークから駆け付けてくださり、特大ステーキをご馳走になったりした。ホントに何から何までお世話になりっぱなしの方だったのだ。
そのSさんがこのたび、東京本社の人事部に帰って来た。
いやー、うれしいな。
ということで昨夜は、このSさんを囲んでの「お帰りなさい」の会を催したというわけだ。
いやー、楽しかったな。
昔懐かしい話、縁ある岩崎弥太郎の話、そして仕事の真面目な話から軽ーい話まで。
最初に出会った12年前は入社4年目の「若造」だったSさんも、いまや人事部のとあるセクションのボス。さっそく今年の9月には、パフといっしょに仕事をすることが決まっている。帰任後はじめてのジョインだ。
今後ますます接点が増えていきそうで楽しみなのである。
こうやって、ずーっと大切にしあえる関係って(我がことながら)素敵なことだと思う。そこには、単なるビジネスの取引関係を越えた「人間として」の、尊敬・尊重し合える関係がベースにあるんだよね。
Sさん、昨夜はどうもありがとうございました。これから、またいっしょにがんばりましょう!
40年前の叶えられなかった夢が、叶うかもしれないと感じられた日
2010年7月14日 (水曜日)
40年前、僕は小学校4年生だった。
1970年、高度経済成長真っ盛りの時代だ。
世の中の景気をよそに、我が家は相変わらず貧乏だった。
贅沢はいまだに敵だった。冷蔵庫も、洗濯機も、カラーテレビも、電話すら我が家にはなかった。
このとき僕には密かな夢があった。ワクワクドキドキの夢があった。
しかし、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋の声が聞こえた時、その夢は現実の厚い壁の前で儚く散った。
とても悲しかった。とても悔しかった。
その夢が40年の歳月を経て、今年叶うことが本日決まった。
その夢とは……。
いや、やっぱり言うのはやめよう。
明らかにしたとたん、40年前の夢のように儚く散ってしまうのが怖いから。
その夢が叶う「XDAY」は、9月下旬の予定である。
夢が叶ったその時にこそ、この夢の正体を、日記読者の皆さんに明かしたいと思う。
すべてを肯定的にとらえることは大事なことなのだ
2010年7月13日 (火曜日)
50歳を迎える今年になって、「釘さん日記」での怪我や病気に関する話題がとても増えたような気がする。いや、気がするじゃなくて、確かに増えた。
今年に入っての釘さん三大疾病。
1.扁桃炎
2.足指の骨折
3.急性胃腸炎
である。
しかも、かなり間抜けなタイミングで罹ってしまっている。
こりゃいかん。普通のひとから見れば、「釘さん、ついてないねぇ。日頃の行いが悪いんじゃないの?」ということになるのだろう。
でも、僕にお見舞いのメッセージをくださる方々はことごとく、「休めってことだよ。神の思し召しさ(笑)」とか、「大事になるまえにカラダがシグナル出して守ってくれている。これは運がいい!!」とか、「これで全部(悪いことは)出つくしたので、これから先はいいことだらけだよ」とか、基本的に前向きな(ノー天気な)人たちばかりだ。
たしかに、楽観的かつ肯定的にものごとを考えるのはとても大事なこと。僕もいつも、そのように心がけている。
そうそう。病気をしたおかげで、きょうなどは方々からお見舞いをいただいたりもした。
わざわざ会社まで僕を訪ねてくださった方(しかも僕より上の年代の重鎮)もいた。※Oさん、本当にありがとうございました。
これぞまさに怪我の功名。
悪いことの後には、たくさんの良いことが訪れるのだ。
ポジティブシンキングが大事だ。
ということで、やっぱり僕は、世界中でいちばん運のいい男なのだ。
・・・と、そこまでいうのは、やっぱり相当無理がありますかね(苦笑)。