パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

逆社長訪問された日

2013年12月5日 (木曜日)

10月末から始めている「社長単独訪問」。少しペースは落ちたものの現在も続いている。

昨日も1社、K社の人事責任者の方(Tさん)との面談。

最初にお会いしたのは今から3年前。昔から細々とした取引はあったのだが、その後少しして本格的なお付き合いが始まった会社だ。

数週間前、K社のTさんにアポのお電話をしたところ、「社長に来ていただくのは恐縮なので私がうかがいますよ」と言われてしまった。そこで、「じゃ、久々にお会いすることですし、夜一献傾けながらにしましょうか?」ということにさせてもらったのだ。

昨日は夜7時まで、キャリぷら東京「うまれよ未来塾」を行なっていたので、Tさんには19時半ころ、わざわざ御茶ノ水のキャリぷら東京までお越しいただいた。

ひと通り見学していただいたのち、坂を下りて神保町方面へ。ライブの練習を行なっていたスタジオのすぐ近くにある日本酒と魚の美味しい「魚百」という居酒屋での会談とあいなった。

Tさんと二人だけで食事をするのは初めてのこと。公私にわたって、いろんなことをお聞きした。会社の応接室での面談では絶対に聞かせていただけないであろうお話も飛び出した。「そうかー、なるほど、そうだったのかー」ということだらけ。

そして盛り上がってきたころ、「流し」のお兄さんまで飛び出した。河島英五の「時代おくれ」や、BEGINの「島人ぬ宝」を歌ってもらった。

nagashi

 

こんな感じの「逆社長訪問&居酒屋面談」だったわけだが、応接室を飛び出しての面談というのは実にいい。でも、1日1件に限られてしまうというのが欠点。しかも年内はほぼ全日予約済み。「居酒屋面談」のための時間確保は、来年の重要課題のひとつだな(笑)。

さて、フルマラソンまであと3日。ライバルは禁酒しているらしいが僕は今夜も酒席かな?では本日も、せめてものウォーキングで行ってきます!

団塊の世代はスゴイ!

2013年12月4日 (水曜日)

先日、桜田淳子が復活ライブを開催していたのだけれど、今度はザ・タイガースが完全復活ライブを開催したそうだ。

以下は、今朝のYOMIURI ONLINEの掲載記事。

1960年代のグループサウンズブームを先導した人気バンド、ザ・タイガースが3日、結成時のメンバーによる44年ぶりのコンサートを東京・日本武道館で開き、多くの女性ファンを魅了した。

 沢田研二さん(65)、岸部一徳さん(66)、森本太郎さん(67)、瞳みのるさん(67)、加橋かつみさん(65)という結成時の5人が同じ舞台に立つのは、1969年に加橋さんが脱退して以来となる。前半は、洋楽曲のカバーを披露し、沢田さんが「ついにこの日がやって来ました。5人でザ・タイガースです」と宣言。その後、全員が交互にリードボーカルを務め、それぞれ緊張気味にあいさつを行った。

 会場からは、沢田さんに「ジュリー」、岸部さんに「サリー」などメンバーの愛称を叫ぶ声が飛んでいた。高校教師を長年務めた瞳さんが、楽曲の背景を学校の講義のように解説する一幕もあった。

(2013年12月3日23時45分  読売新聞)

僕は、タイガース(というかグループサウンズ全体)が全盛のころ、小学校低学年だったのだが、そのカッコよさはよく覚えている。いまのSMAPや嵐どころではない人気だった。

僕より一回り上の世代。いわゆる「団塊の世代」と呼ばれている先輩方だ。

この世代の年間出生数は250万人を上回っている。現在の年間出生数は100万人ちょっとだから、いまと比べると2.5倍の同級生がいたわけだ。賑やかな一方で、生きていくうえで激しい競争があっただろう。また、この世代が日本の高度成長を牽引したということも事実である。

国外に目を向けると、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスタ・スタローンもこの世代。ちょっと上だけど先日、来日したポール・マッカートニーとか。

もうみんな、ビックリするくらい元気。

この世代がずっと元気に活躍してくれているというのは、僕らにとっての希望だ。高齢化社会、何するものぞ。僕らもあとに続こうっていう気持ちになる。団塊の世代、これからもがんばってください!

さて、本日は早朝会議なので、そろそろ行ってきます!

 

電卓さん、30年間ありがとう!

2013年12月3日 (火曜日)

僕が昔SEだったことを知っている人は、いまはもう少なくなってしまった。

が、20代のときは(信じてもらえないかもしれないが)かなりイケてるエンジニアだった。難しいプログラムもビシバシ組んでいた。

で、昔のSEにとって必携だった武器が、16進数や8進数や2進数を扱える電卓。そして、僕は計測制御系のシステムを組むことが多かったので、三角関数や対数を扱える電卓も必要だった。

いまから30年前の話である。

そのような機能をもった電卓は、かなり高価だった(といっても、2万円前後だったと思うけど)。

仕事に必要なものなのだが、そんな高価なものを買ってもらえるほど会社も裕福ではなかった。というか、先輩エンジニアのみなさんは全員自腹で買っていたので、自分だけ会社に買ってもらうのも気が引けた。

大学を卒業して、システムの仕事を始めて、半年ほど経った頃だったと思う。寸志程度の賞与(2~3万円くらいだったと記憶している)をもらった。

その賞与のほぼすべてをはたいて買った電卓がコレ。

 

dentaku

 

すごいっしょ。

BIN(2進変換)、OCT(8進変換)、HEX(16進変換)、DEC(10進変換)は当然として、三角関数、(逆)双曲線、常用対数、自然対数、(使ったことはないけど)複素数計算までできてしまうのだ。

23~24歳のころ、なけなしのお金をはたいて買ったこの電卓が、昨日、ついに壊れた。

電源を入れても液晶に数字が表示されなくなってしまった。

数日前から表示が薄くなってきたなあと思っていたのだが、本日ついに逝ってしまったのだ。

辛いときも悲しいときも。そして、嬉しいときも楽しいときも。30年間ずーっと苦楽をともにしてくれた電卓。

この20年間くらいは、三角関数のボタンや対数のボタンはもちろんのこと、16進数のボタンさえも押すことはなかったのだが……。

たかが電卓、されど電卓。

僕の若い時の仕事を、コンマひとつの計算間違いをすることもなく(あたりまえか?)サポートしてくれた電卓に、最大限の感謝をしよう。

電卓さん、30年間ありがとう!

<追記>

いまこの日記をプレビューしてビックリしたのだが、なんと上の電卓の写真、消えていたはずの液晶に「0」の数字が浮かんでいる(゚д゚)!

でも、手元にある電卓はやっぱり表示されないまま。

写真を撮った瞬間、電卓さんが最後の力を振り絞ったのだろうか。不思議な現象。オカルトというかファンタジーですね、これは(;^ω^)。

 

フルマラソンまであと一週間

2013年12月2日 (月曜日)

土壇場にならないと本気になれないのは僕の悪い癖だ。

静岡県袋井市で開催されるクラウンメロンマラソンまで、あと一週間となった。

が、明らかに練習不足。

本番前一ヶ月のちょうどいい練習のつもりでエントリーしていたいびがわマラソン(ハーフ)は、大雨のため1mも走らないうちに棄権してしまったし。その後も週末には走っていたものの、たいした距離を走っていない。夜の付き合いは相変わらずで腹回りの肉はぜんぜん落ちていない。

これはマズイということで、土曜日は30km走るつもりで皇居に向かった。皇居までの往復で10km。皇居を4周走って20km。合計30kmという計算だ。

しかし!

皇居を2周走ったところで足が重くなり足裏が痛くなってしまった。

無理をして足を痛めてしまっては元も子もない。自宅に戻ることにした。自宅までの5kmは走り続けることができず半分は歩いてしまった。

一週間後には42.195kmを走らなければならないのに、その半分にも満たない20kmでこの始末。

さすがに焦ってきた。なにか早急にイノベーションを起こさなければ。

ということで、昨日買ったのがこれ。

shoes

そう、ランニングシューズだ。

かなり奮発した。

一昨日は僕の53歳の誕生日だったので、自分自身へのプレゼントだ。

試しに昨夜このシューズでちょっとだけ(2kmくらい)走ってみた。

うん、なかなかだ。気のせいかもしれないが足が軽くなった気がする。体が自然と前に進む。

クラウンメロンマラソンは、制限時間が6時間。

ちなみに昨年出場した富士山マラソンは5時間50分かけて完走した。

今回もなんとか制限時間内での完走を目指したい。

fukuroi

ゼッケンは4417。「よよっ!いいなー」である。

では、新しい週の始まり。一年最後の月の最初の会社。一週間後の本大会の練習兼ねて、元気なウォーキングで行ってきます!