パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ということを、あらためて思った日だった。

僕が直接学生たちと深く広く交流していたのが、パフ創業期の2000年前後。いろんな学生たちと、ホンネでぶつかり合うような付き合い方をしていた。

なかでもパフの仕事を手伝ってもらっていたアルバイトやインターン生たちとは、仲間・同志といった付き合いだった。

当時の学生たちも、いまでは皆30代半ば。バリバリの社会人として各方面で活躍している。

いまでも付き合いのある連中も多い。同業者として、お取引先として、お世話になっている連中もいる。

昨日は、そんな「元学生」が主役を務める会社説明会を2件、ハシゴで見学させてもらった。

 

一件目は浜松町。

パフの大手クライアントが開催するイベント(技術者と理系学生との座談会)。この進行役を務めていたのが、西暦2000年当時学生団体の幹部だったクマだ。

クマは現在、学生向けキャリア教育の支援をする会社(キャリアフラッグ株式会社)の代表者。昔から暑苦しいほどに熱いのが玉に瑕の男なのだが、イベントの仕切りは天下一品。本当はこの仕事、パフの社員が行う予定だった。しかし、パフは折からの人手不足。そこで信頼できる助っ人として、急きょクマの会社に引き受けてもらうことになった。そして昨日のイベントでは、代表のクマ自身が進行役を引き受けてくれたのだった。

クマにお願いしてよかった。さすがキャリア教育のプロ。ひとつのコトバや小さな動作にも深い意味と目的があったのだ。とても勉強になった。

 

二件目はキャリぷら東京のセミナールーム。

今シーズンから職サークルとキャリぷらの協賛企業になってくださった株式会社AZ(アーズ)の会社説明会。AZはモバイルツールを開発するIT企業で設立6年目の若い会社なのだが、新卒者を来春から初めて採用することになった。

この会社を創業したのが、10年前までパフの仕事を手伝ってくれていた元学生の奥山くん。奥山くんは当時から、仕事に向き合う姿勢がほかの学生とは全く異なっていた。甘えたところが一切ない。愚痴や文句や弱音などまったく吐かない。「プロ意識」というものを持っていた。

当時からいずれ起業したいといっていた奥山くん。いまではパフをはるか凌ぐ売り上げを有する会社の経営者だ。新卒一期生を採用することになって、真っ先にパフに問い合わせの電話をくれた。嬉しいじゃあないですか。

 

あ、想いで迷子になっていたら、そろそろ出かける時間になってしまった。

本日は、実はクマの助っ人として名古屋に出かける。

クマの会社にお願いした一連の仕事なのだが、本日だけはどうしてもスケジュール調整ができずに、僕がクマからバトンを受けて代役を務めることになった。クマほどのパフォーマンスを発揮できる自信はないが、50代のオッサンならではの進行を心掛けようと思う。

ではでは、大量の資料をゴロゴロ引っ張りながら東京駅まで行ってきます!

「昔のコラムをコピペしてるだけ。そんなの単なる手抜きじゃん!」という誹(そし)りなどまったく気にせず(笑)、3回シリーズの最終回をコピペします。

ちなみに第一回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(1)

第二回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(2)

を、それぞれご参照ください。

(このコラムは、2005年10月に執筆したものです。文中の年数や役職などは、すべて当時の内容です)

  <第48話> 「M井ミツルとの運命の出会い (後編) 」  2005/10/24  

「なんだクギサキ。じゃぁおまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」

M井さんからいきなり出てきた言葉だった。

会社を創る……。出来ることならいつかは独立したい。いつもぼんやりと考えていたことだった。

このとき、突然この言葉を目のあたりにし、僕は自分の気持ちが抑えられず、次第に高揚していくのがわかった。

それから一時間くらいの時間だったろうか。M井さんは、僕の背中をこれでもかというくらい押しまくってくれた。

「クギサキ、お前は今までの人生を振り返って、『結果オーライ』でたまたまうまくやってこれたって言ってたけど、そうじゃない」

「お前が自分で、すべての結果をオーライにしてきたんだ。お前は結果をオーライにできる奴なんだよ」

「やってみろよ。これから起こることを、いままでみたいにオーライにしてみろよ」

何かが僕のなかで吹っ切れた瞬間だった。

結局僕は、翌日から会社設立に向けて、信じられないくらいのスピードとパワーで動き出すことになったのだ。

この日のM井さんとの酒席がなければ、僕が会社設立に向けて動き出すことはなかったかもしれない。

M井さんはふだん茫洋としているようで、その実、人間の器の大きさを感じさせる人物だ。難しいことを喋るわけではない。偉そうなことを言うわけでもない。むしろ僕らが日ごろ難しく考えがちなことを、ひたすら単純化しながら話してくれる。

世の中、なんにも難しいことはないんだ。難しくしているのは、自分の視野の狭さだったり、気の弱さだったり、プライドだったり……。そんな、ちっぽけでくだらないことが原因なんだって、M井さんと会って話をするたびに気付く。

何度も繰り返すが、23年前のこの出会いがなければ、間違いなくいまの僕とパフはなかった。「いまの僕とパフがない」ということは、パフの社員たちの人生もまったく違うものになっていたということだ。パフを使って進路を決めてくれた数多くの(元)学生たちも、まったく違う人生の選択をしたはずだ。

つくづく人の縁の不思議さと偉大さを感じる。

ちなみに、このM井さん。今はなんと、リクルートグループの中核某社の社長を務めている。23年前の、売れない屁こきの新人営業マンだったあの日がウソのようだ。

ということで、3話連続でご紹介した今回の出会いは、僕の100の出会いの中でも五本指に入るくらいの大きな出会い。M井さんとの出会いの話でした。

ムライミツルという人物がいなければ、パフという会社が生まれることはなかった。これだけは誰が何といおうと、間違いのない事実だ。

同様に、「ムライミツルという人物がいなければ、日本のサッカーがこれほどまでに発展することはなかった」と、10年後20年後の人々に言わせたい。

ムライさん、がんばってね。僕もこれから贔屓のチームを無理にでもつくって、スタジアムまで観戦しに行こうと思います。

さて、本日は昨日と打って変わって寒いらしい。雪の予報も出ている。

マフラーをぐるぐる巻いて、行ってきます!

密度が濃かった2014年1月

2014年2月3日 (月曜日)

気が付けば先週末で2014年の1月が終わっていた。

早いといえば早いのだが、ボリューム満点の(とてもたくさんの出来事のあった)一ヶ月だったという印象だ。

まずは正月。今年はカレンダーの関係でいつもより長めの正月休み。1月5日までは自宅で過ごしていた。休みではあるのだけれど、なかなかに密度は濃かった。

仕事が始まると、第一週目からイベントがあったり、出張があったり、宴会があったり。

それから鹿児島県指宿市での「いぶすき菜の花マラソン」。2泊3日の珍道中だったのだが、なんだかもうずいぶん昔の出来事のようだ。

その後、怒涛のイベントシリーズ。複数のイベントと掛け持ちの日もあったり。

そして思い出すのも忌まわしい、胃腸炎(ノロウィルス疑惑)と尿管結石の波状攻撃にさらされたのも、まだ1週間前の出来事だ。

先週は、火、水、木、金と、4日連続の宴席。病み上がりだったので、アルコールは控えめにしていた(アルコールと同量の水を同時に飲んでいた)のだが、なかなかハードな毎日だった。あ、木曜の夜は仙台で4軒もハシゴしたんだった。愚か者だな(汗)。

と、まあ、これらのことが1か月の間に凝縮されていたわけだが、最近物忘れがひどいので、こうやって日記に記録しておくのは案外役に立つ。「なんの?」って聞かれても困るのだが(苦笑)。

さて、2月も1月に負けないくらい、公私ともにいろんなことが詰まり気味だ。土日含めて自分の自由になる日がほとんどない。今月こそは病気できない。インフルエンザに襲われないように気を付けなきゃ。

と、自分のスケジュール表を眺めながらの内容のない日記で失礼しました。

さて、本日の夜は2月度のキックオフミーティング(全社会議)。いよいよ新卒採用も佳境を迎える。

では、きょうはいつもより少し早目に行ってきます!