パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

僕がまだサラリーマンだった頃から(ということはもう20年くらい前から)ずっと通い続けている床屋さん。この日記でも5年ほど前に書いたことがある。(これですね。⇒ 床屋のマスターを紹介する日 )

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この床屋さんが今月末で廃業するのだという。

ショックもショック、大ショック(;´Д`)。

マスターは現在、70歳過ぎ。

でも僕がこのお店に通い始めたときは、マスターはいまの僕と同い年くらい。あのころ僕は30代半ば。まだ髪の毛もたくさんあったころだ(苦笑)。

毎月必ず1回は通っていた。

起業したばかりの頃は、髪の毛のことだけじゃなく、僕の体調のことをすごく気遣ってくれた。

頭を刈った後は、いつも必ずデザートを用意してくれる。パイナップルや柿などのフルーツを、マスターなりにひと手間かけて美味しく仕立ててくれているのだ。

そんな行きつけの床屋さんがなくなってしまう。とても寂しく悲しい。

マスターは70歳を超えたとはいえ、まだまだお元気。なぜ辞めてしまうのか。でも、理由を聞いて「それはしょうがないですねえ……」と、あきらめざるを得なかった。

昔、(以前の日記にも書いているが)こんなことをマスターに訊ねたことがあった。

「マスターは、なぜずっと床屋をやりつづけてこられたんですか?」

するとマスターは、なんの迷いもなく、こう答えた。

「そりゃあ、クギサキさん、喜んでくれるお客さんがいるからだよ。オレが働く理由なんて、それしかないよ」

まさにプロだ。プロ中のプロだ。

店仕舞は今月の27日。

会社の仕事を休んででも、宴席をドタキャンしてでも、最後にもう一回行かなきゃな。記念に五分刈りにでもしてもらおうかな……。

マスター、50年以上にわたる長い長い間のお仕事、本当にお疲れ様でした。

あと2週間を切ってしまいましたが、「喜んでくれるお客さん」のために、最後の最後までマスターらしく頑張ってくださいね!

 

さて、本日は夕方から大阪に出張だ。そろそろ準備しなきゃな。では朝食後、出張カバンをゴロゴロしながら行ってきます!

がんばれ新聞少年!

2014年2月14日 (金曜日)

昔、山田太郎という歌手がいたのだが、その代表曲が「新聞少年」。僕がまだ小学校に入学する前だったと思うから50年近く前のヒット曲だ。

 

僕のアダナを知ってるかい

朝刊太郎というんだぜ

新聞配ってもう三月

雨や嵐にゃ慣れたけど

やっぱり夜明けは眠たいなあ

 

という歌詞の唄である。

昔は家計を助けるために、新聞配達や牛乳配達をする若者たちが大勢いた。

うっかり「昔は」と書いてしまったが、もちろん今でも新聞配達をしている若者たちはいる。その貴重な労働力のおかげで日本の新聞事業は成り立っているといっても過言ではない。

新聞各社には育英奨学会(新聞奨学生)の制度がある。奨学生には学費や生活費の(ほぼ)すべてが支給される。食事や寮(または借り上げアパートなど)も用意されている。親に一切の経済的負担をかけることなく学校に通い卒業することができるのだ。

しかし、その仕事はとってもハードだ。山田太郎の唄のごとく、雨の日も嵐の日も新聞を配らなければならない。先日のような大雪の日の配達は、想像を絶する辛さだったろうと思う。

そして(月に1回程度の新聞休刊日以外は)休みがない。毎朝、夜明け前(だいたい午前3時ころ)から新聞を配り始めて、朝の7時くらいには自分が受け持っているすべての家庭に配り終えなければならない。もちろん配達は朝だけではない。だいたいの新聞は夕刊もセットになっているので、午後3時にはまた配達を行なう。夕刊が休みなのは日曜日と祝日だけ。「風邪を引いた」とか「お腹が痛い」なんていって仕事に穴を空けるわけにはいかない。そんじょそこらの甘ちゃん社会人なんかの何倍もの自己管理が必要な仕事なのだ。

昨日は、この過酷な新聞配達の仕事を大学1年生のときからずっとやり続けている就活生(大学3年生)向けの就職相談会を行なった。スポンサーは新聞社の育英奨学会だ。新聞社にとっても、彼らの就職活動が円滑に行えるような環境をいかに作っていくかということは、重要な課題なのだ。

彼らにとって悩ましいのは、企業の説明会や選考に出席するための時間がなかなか確保できないということ。配達時間にぶつからない日時で開催されている説明会や選考会にしか参加できない。あるいは応募先の人事担当者に交渉して、参加する説明会や選考会の時間を調整してもらわなければならない。融通を利かせてくれる場合もあるのだが、(特に多くの応募者が集まるような企業の場合は)「残念ながら個別の事情に合わせることは出来かねます」という冷たい対応をされることも多い。

それから、これは質問されて意外だったのだが、「新聞配達なんて企業には評価してもらえないのではないでしょうか?」という疑問や不安を彼らは抱いている。人事担当者に限らず、普通のサラリーマンには新聞配達の仕事を経験したことのある人は殆どいない。だから、この仕事の辛さや大変さなんて理解できっこないと思っているのだ。

僕はそれを聞いて、「そんなことは絶対ない。少なくとも俺はよく知ってるぞ」と答えた。1週間や2週間ならいざ知らず(卒業まで通算すると)4年間も新聞配達をやり続けるなんて、それだけで多くの企業の採用基準を(全部ではないが)クリアしている。ビジネスパーソンに必要な、忍耐力や継続性を有していることは間違いないことだ。

僕は、勤労学生に対しては人一倍思い入れがある。ぜひ、あきらめることなく有意義な就職活動をしてほしい。

今後も継続的に、彼らを集めての相談会を行なう予定だ。個別に企業を紹介することも考えている。

キミたちなら絶対大丈夫。がんばれ新聞少年!

さて、本日は早くも金曜日。なんだか雪がたくさん降ってきたようだ。(新聞配達が困らないように)あまり積もらないことを祈りながら行ってきます!

31年前のちょうど今頃。僕は22歳の大学3年生。いろんなところで書いていることだが、リクルートの神田営業所で新卒就職情報誌の広告営業を、学生の分際で(でも入社2年目の社員だと偽って)行っていた。

神田界隈の中小企業に対して来る日も来る日もドブ板営業を行なっていたのだが、「あなたのキャリアの原点は?」と問われれば、僕は間違いなく、「リクルート神田営業所で過ごした日々です」と答える。

昨日は、この神田営業所で働き始めた1983年1月下旬から3月下旬までの2か月間だけ一緒に働いたことのある当時の大学4年生から連絡をもらった。

名前をTさんという。実に31年ぶり。Facebook経由でもらったメッセージは以下のようなもの(個人名や社名の箇所など一部修正しました)。

釘崎さん こんにちは Tと申します。

釘崎さんとは、リクルート神田営業所でA職として2カ月程一緒だったんですが覚えていらっしゃいますでしょうか? 当時のA職メンバーは、●●さんと我々2人の他に●●氏(中略)などが居たと記憶しています。

私は、その後、リクルート神田営業所の客先だったS社に就職して現在に至っています。 今は、S社が全額出資した、上海にある中国現地法人、S有限公司という会社の総経理を仰せつかり、只今、上海からアクセスしています。

昨日の事、当時リクルート神田営業所の所長だったWさんが弊社にお越しになったそうです。

(中略)

弊社社長が、私宛にMAILをくれたのですが、Wさんとの会話の中で、釘崎さんのブログの事が話題になり、当時の神田営業所の事が書かれていると聞き、早速、WEBを検索して、『創業物語』を拝見し、何とか釘崎さんと連絡を取る方法はなものかと探しまくってfacebookに辿りついたという次第です。

(後略)

いやあ、びっくりしたけど、とても嬉しかった。

なんたって31年ぶりである。しかも一緒に働いた期間は2か月間だけ。

S社に就職したことは知っていたけれど、その後、互いに連絡を取り合うことはなかった。

でも、このメッセージをもらって、Tさんの顔も声も見事に思い出した。

右も左も分からない、この先どうなるかもさっぱり分からない、キャリアの第一歩を踏み出したばかりのあの頃を共に過ごした同志である。

ちなみにTさんが就職したS社というのは、当時、秋葉原にあった小さな電子部品商社。15年ほど前に株式を上場するまでになり、いまではTさんのメッセージにもあるように海外にも進出する中堅商社となっている。そしてTさんは現地法人の総経理(つまり社長)だというからスゴイことだ。

昨日は、しばしメッセージのやりとりをしていたのだが、次回帰国の際には久々に神田で飯を食べようということになった。

31年ぶりの再会。いまからとても楽しみなのだ。

仕事って、いや人生って、こんなことがたまに(しかも突然)起きるから面白い。ここからまた新しいことが生まれたりするのかも……。

 

さて、本日は(31年前の僕のように)働きながら大学に通っている大学3年生を集めた進路相談会を行なうことになっている。「苦学生」というコトバは死語になりつつあるが、どんな勤労学生たちが集まるのか楽しみにしたい。

ではそろそろ行ってきます!

 

あいうえお作文

2014年2月12日 (水曜日)

パフでは全社員が参加する定例会議が二つある。

ひとつは、月初めに行われる月次キックオフミーティング。各グループの前月の業績と仕事を振り返り、グループ間で共有し、当月の計画をあらためて全社員に発表する。

もうひとつは、週初め(通常は月曜日)の朝イチで行われる会議。毎日行っている朝礼の拡大版のようなものだ。報連相の他には、ドラッカーの解説書(以前、パフの社外役員を務めていた国貞克則さんの著書)を読んで、自分や自分の会社と照らし合わせて意見を述べ合ったりしている。

で、月次キックオフでも週初めの会議でも共通で行なわれているのが、今月(今週)の宣言。

今月は(今週は)何をどう頑張るのかということを全社員が一人ひとり発表するのだが、それを以前までは、五七五(七七)の俳句や川柳にしていた。

これがなかなか難しい。

僕などは、一回も字数内に収まったことがない。中身もスベリまくりだった。

この俳句や川柳は難易度が高いからなのか、飽きたからなのか、今月からは、「あいうえお作文」で発表することになった。

自分の名前(姓でも名でも)を使って宣言文を作るのだ。

仮に「山田」という名前だったら、

や やってやる
ま 負けてたまるか
だ ダイエット競争

てな感じ(実在の人物とは関係ありませんw)。

で、僕が発表した今月の宣言。姓の「釘崎」で考えてみた。

く 苦しくったって、悲しくったって 
ぎ ぎっしりスケジュールが詰まってたって
さ さほどのことでもないと涼しげに
き きらめくような業績向上に向けて、みんながんばろう!

そして今週の宣言。こちらは名の「清秀」で考えてみた。

き 君が代を聴くことできるかソチ五輪
よ 酔わずに済むか今週の宴席
ひ 広めることができるか職サークル
で でかい気持ちで仕事をしましょう

うーん。やっぱりイマイチだな(苦笑)。

この宣言の冒頭がよくなかったのか、高梨沙羅選手は残念だった。表彰台の君が代は、4年後の楽しみにとっておくとしよう。

さて、本日は早朝会議。なんだか月曜日のような雰囲気だが水曜日だ。ささっと朝食を済ませて行ってきます!

金曜日は、顧客のセミナーコーディネートを行なうために午後から大阪に入った。

東京も寒かったのだが、大阪もたいへんな寒さ。前々日の名古屋も寒かったし。日本列島はすっぽり寒波に包まれた先週後半だった。

土曜日は、同業でありふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)加盟企業でもあるOVOさんのイベントの見学。内定直結型「真剣合説」~就職ベストマッチング交流会~と題されたイベントなのだが、これがすごい。13社の企業と(午前午後合わせて)約250名の学生とのマッチング交流会。10年間やり続けているとのことなのだが随所に工夫がある。企業にも学生にも、とても有意義なイベントだと思った。来シーズンはぜひジョイントしてみたい。

このイベントの見学を終えて東京に帰るために新大阪へ。予想はしていたが、新幹線のダイヤは雪のため乱れており、ほぼすべての列車が遅れての出発。予約をしていた新幹線も30分近く遅れていたので、駅構内で串カツと生ビールで時間を過ごす。

この生ビールが効いたのか、新幹線に乗った途端に熟睡モード。目が覚めたらもうビックリ。外は雪国だった。

この雪は東京が近づくにつれてひどくなる。約40分の遅れで東京駅に着いたのだが、外は猛吹雪だった。こんな猛吹雪、東京に来て35年になるが、見たことない。

どうにかこうにか自宅までたどり着いたのだが、全身が真っ白になってしまった。

そして昨日の日曜日。出場を予定していた東京・赤羽ハーフマラソン大会は開催が中止されてしまった。残念というか、ホッとしたというか(‘◇’)ゞ。

ということで、昨日はテレビでオリンピック観戦。上村愛子は惜しかったなあ。彼女のことを初めて知ったのは16年前の長野オリンピックのとき。パフの創業時のおんぼろ事務所で(シゴトがほとんどなかったので)昼間からテレビ観戦していたのだった。当時18歳だった少女が、いまでは34歳の大ベテラン。月日の流れの速さを感じるなあ。

と、とりとめのないことばかり書いてしまったが、冬季オリンピック開催に合わせたかのような週末の大寒波と大雪。雰囲気があって、まあよいではないか。肝心の開催地ソチが温かくて雪不足というのは皮肉だけど…。

さて、ではそろそろ出かけるか。通勤路にはまだ雪が残っているのだろうか。転ばぬように気を付けて行ってきます!

 

ゴーストライターは辛いよね

2014年2月7日 (金曜日)

「ゴーストライター」という(本来であれば裏方の)仕事が、連日の報道によって脚光を浴びてしまっている。

今回、世間を騒がせている作曲家のことはさて置おき。

僕も実は30年近く前、ゴーストライターの仕事をしたことがある。とあるPCソフトウェアパッケージの解説書を、コンピュータに詳しくなかった筆者(コピーライター)の依頼で代わりに執筆したのだが、かなりシンドイ仕事だった。締め切りに追われながら、1週間くらい徹夜してやっと書き上げた。

その本は、2か月後くらいにめでたく書店に並んだ。

が、もちろん僕の名前は一切出てこない。背表紙には、僕に執筆を依頼したコピーライターの名前が「著者」として大きく載っていた。

ゴーストライターなので名前が出なくて当たり前なのだが、あれだけ苦労したんだから、せめて協力者として名前を載せてほしかったなと寂しく思ったり…。しかも、土壇場になってギャラを値切られたうえに危うく踏み倒されそうになったり…。

ゴーストライターの切なさ、悲しさ、虚しさを味わった、僕の貴重な経験なのだ。

いままで封印してきたことなのだけど、今回の作曲家の報道を目にして、僕も思わず告白してみた。

まあ、僕の場合は、告白しても(ほとんど売れなかった本と著者なので)社会的影響はまったくないと思うけど(苦笑)。

あ、そういえば、あまちゃんの天野春子(小泉今日子)も、同じ思いだったのかなあ。影武者はやっぱり辛いよね。

このところ連日、お客様のイベントやセミナーで、学生の前に立つ現場の仕事を行なっている。本日もこれから大阪だ。こちらは幸いゴーストライターではなく「パフの釘崎」という実名で行なえている。ありがたいことですよね(笑)。

では、そろそろ出張の準備をして、行ってきます!

 

寒いっ!

2014年2月6日 (木曜日)

いやー、ほんと寒い。

僕のこの日記は、書きはじめるその瞬間まで何を書くか決まっていない。そのとき感じたこと。前日の出来事で印象的だったこと、記録にとどめておきたいことを短時間で書きなぐっているわけだが、本日の書きはじめは「寒いっ!」ということ。

どうやら日本全国寒いようだ。昨日の名古屋も寒かったし、夜東京に戻ってきたらさらに寒くてビックリ。トシをとってくると寒さは身に染みるのだ。

さて、これ以上書いても発展することのない本日の日記なので、手抜きの非難覚悟で終わりにしよう。

寒い日らしく、ソチ冬季オリンピックのニュースでも読んでから行ってきます!