パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

今年の2月上旬、こんな日記を書いた。⇒ 31年前の仕事仲間から突然連絡をもらった日

ちょっと抜粋してみよう。

31年前のちょうど今頃。僕は22歳の大学3年生。いろんなところで書いていることだが、リクルートの神田営業所で新卒就職情報誌の広告営業を、学生の分際で(でも入社2年目の社員だと偽って)行っていた。

神田界隈の中小企業に対して来る日も来る日もドブ板営業を行なっていたのだが、「あなたのキャリアの原点は?」と問われれば、僕は間違いなく、「リクルート神田営業所で過ごした日々です」と答える。

昨日は、この神田営業所で働き始めた1983年1月下旬から3月下旬までの2か月間だけ一緒に働いたことのある当時の大学4年生から連絡をもらった。

名前をTさんという。実に31年ぶり。Facebook経由でもらったメッセージは以下のようなもの(個人名や社名の箇所など一部修正しました)。

釘崎さん こんにちは Tと申します。

釘崎さんとは、リクルート神田営業所でA職として2カ月程一緒だったんですが覚えていらっしゃいますでしょうか? 当時のA職メンバーは、●●さんと我々2人の他に●●氏(中略)などが居たと記憶しています。

私は、その後、リクルート神田営業所の客先だったS社に就職して現在に至っています。 今は、S社が全額出資した、上海にある中国現地法人、S有限公司という会社の総経理を仰せつかり、只今、上海からアクセスしています。

昨日の事、当時リクルート神田営業所の所長だったWさんが弊社にお越しになったそうです。

(中略)

弊社社長が、私宛にMAILをくれたのですが、Wさんとの会話の中で、釘崎さんのブログの事が話題になり、当時の神田営業所の事が書かれていると聞き、早速、WEBを検索して、『創業物語』を拝見し、何とか釘崎さんと連絡を取る方法はなものかと探しまくってfacebookに辿りついたという次第です。

(後略)

いやあ、びっくりしたけど、とても嬉しかった。

なんたって31年ぶりである。しかも一緒に働いた期間は2か月間だけ。

S社に就職したことは知っていたけれど、その後、互いに連絡を取り合うことはなかった。

でも、このメッセージをもらって、Tさんの顔も声も見事に思い出した。

右も左も分からない、この先どうなるかもさっぱり分からない、キャリアの第一歩を踏み出したばかりのあの頃を共に過ごした同志である。

ちなみにTさんが就職したS社というのは、当時、秋葉原にあった小さな電子部品商社。15年ほど前に株式を上場するまでになり、いまではTさんのメッセージにもあるように海外にも進出する中堅商社となっている。そしてTさんは現地法人の総経理(つまり社長)だというからスゴイことだ。

昨日は、しばしメッセージのやりとりをしていたのだが、次回帰国の際には久々に神田で飯を食べようということになった。

31年ぶりの再会。いまからとても楽しみなのだ。

仕事って、いや人生って、こんなことがたまに(しかも突然)起きるから面白い。ここからまた新しいことが生まれたりするのかも……。

ずいぶんと長く抜粋してしまった(^^ゞ

で、このTさんが先日上海から一時帰国した。で、「次回帰国の際には久々に神田で飯を食べようということになった。」と書いた通り、神田で再会を果たすことになったのだ。

さらにサプライズで、当時の神田営業所長のWさんと先輩(当時入社1年目)のNさんも合流してくれた。

場所は、かつて神田営業所があった神田多町。

WさんとNさんとは、最近(ムライさんのチェアマン就任がきっかけで)お会いしていたのだが、Tさんとはまるまる31年ぶりの再会。いやあ懐かしかったなあ。

当然、話題は31年前の出来事。Tさんと過ごしたのは、わずか2ヶ月間だけだったのに、いろんなエピソードが飛び出した。僕らにとっての(実質的に社会人としてデビューした)最初の2か月。強烈なインパクトを僕らに残したんだなあと、あらためて思う。

kanda20140603-1

昨夜は楽しすぎて、ついつい飲み過ぎてしまった(4人でビール大瓶3本と焼酎のボトル2本!)。

31年たったいまでも、最初の上司と最初の同僚といっしょに飲めるなんて、とても幸せなこと。40年たっても50年たっても、こうやって飲むことができたらなあ…。そのためにも健康には気を付けなければね(^^;。

kanda20140603-2

最初の上司Wさん、最初の先輩Nさん、そして最初の同僚(上海帰りの)Tさん、昨夜は実に楽しかったです。ありがとうございました!

 

さて、今夜は急きょ、とある地方企業の社長(いや本部長?)の接待を行なうことになった。今夜こそは飲み過ぎに気を付けよう。

では朝食&花子後、行ってきます!