幼いころを思い出してみる(6)
2014年11月5日 (水曜日)
先々週の木曜日からふと思い立って書き始めたこのシリーズ。小学生時代の思い出をいくつか書いたところで終わりにしようかと思っていたら、昨夜、中学時代の悪友から、「ここまで来たら俺のことを登場させろ!」という投稿がFacebook経由であった。
しょうがない。もう少しだけ書き続けることにしよう(´・_・`)。
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1969年7月。
僕ら世代にとっては忘れられない出来事があった。
そう、アポロ11号だ。人類が初めて月面に降り立ったのだ。
興奮しながらテレビにかじりついていた。「月にウサギはいるのだろうか…」と、本気で考えていた。なんて純粋でかわいい子供だったのだろう(笑)。
その翌年の1970年。
これまた僕ら世代にとって忘れることのできない大きなイベントが開催された。
大阪万国博覧会だ。
アポロ11号が持って帰ってきた「月の石」がアメリカ館に展示されており、大きな話題を集めていた。
大阪万博には輝ける未来があった。ドキドキわくわくの世界があった。新聞、雑誌、テレビ、ラジオでは、連日のように万博の賑わいを伝えていた。
行きたくて行きたくて仕方なかった。
兄は、中学校の修学旅行で万博に行けることになった。
うらやましくてうらやましくて仕方なかった。
ある日、「一学期の成績が良かったら連れて行ってやる」と、母親から言われたことがある。
勉強は嫌いだったが、一学期の通知表はそこそこ良かった。
しかし、一向に連れて行ってもらえる気配もないままに、夏休みが終わろうとしていた。
意を決して母親に聞いてみた。
「あ、あのー、万博にはいつ行けるとね?」
「あんた、なんばふざけたこつ言いよるとね。万博やら行けるわけなかろがね。どこにそぎゃんお金があっとね?」
ショックだった。
カラーテレビはおろか、冷蔵庫も洗濯機も、電話すらなかった貧乏な我が家である。大阪万博に連れて行ってもらう経済的余裕など、考えてみたらどこにもなかったのだ。
期待した自分が馬鹿だった。
悔しくて悔しくて、こっそり一人で泣いたことを今でもよく覚えている。
(ちょっと一休みしようかな。続く)