今週は会食ウィークなのです
2016年2月18日 (木曜日)
今週は月曜日から金曜日まで、平日はすべて会食の予定で埋まっている。いや正確には今週だけじゃなく、今年に入ってから(腰痛がひどかった数日間を除いて)は、ほぼ毎日埋まっていた。土曜日も(仕事には直接関係のない会食が多いんだけど)かなりの高頻度で埋まっている。
「社長は毎晩、飲んでばかりでいいなあ~」と思っている輩もいると思うが、これはこれで大変なのだ。楽しいのは間違いないけれど(笑)。
かのシンクタンク・ソフィアバンク代表の藤沢久美さんは、著書「最高のリーダーは何もしない」(ダイヤモンド社)のなかで次のように述べている。
あなたの知っているリーダーは、飲みに行ったり、会食に行ったり、仲間と趣味を楽しんでいたり、新聞や雑誌を読んでいたり……と、いつもなんとなく遊んでいるように見えるかもしれません。しかし本当に考え続けているリーダーにとっては、そうした時間すらもヒントとチャンスを与えてくれる情報源になっているのです。(ダイヤモンド社書籍オンラインより引用)
そう、そうなのですよ。
いつも嬉しそうに夜の街に繰り出して遊んでいるように見えるかもしれないけれど、そこは貴重な情報源の場だったり、難しい交渉の場だったり、新たなビジネスやキーマンとの出会いのきっかけの場だったりするのだ。
まあ、飲みすぎて、何を話したのか(何を聞いたのか)忘れてしまうことがたまにあったり、深夜の帰り道に(無意識のうちに)ラーメン屋や寿司屋のカウンターに座ってしまっているのはご愛嬌ということで(#^.^#)。
ということで、今宵もまた会食なのだが、今夜の会食では今後のビジネスに影響を与える大事な情報がいくつか交換されそうな気がする。そして新たなビジネスの芽が生み出されるような気がしている。
では、昨夜のアルコールをウォーキングで放出しながら行ってきます!
B級グルメを楽しむオヤジの会
2016年2月17日 (水曜日)
昨日はワリと(?)忙しかった。
午前中は茅場町のパフ本社での経営会議。
2017年の新卒採用シーズンも近づき、社内のさまざまな課題について打ち手を討議。週に一度の定例会議だけど、大事なことはほぼここで決まる。
午後は大手町でのお客様との対談イベント。
お客様というのは、今年でお付き合いが16年目を迎えた古参の職サークル協賛企業、三菱電機ビルテクノサービスさんだ。「対談」というのは同社の採用責任者であるフタバさんと僕との対談。「良い会社とは?」ということをテーマに、お互い好き勝手に持論を展開したり、学生の質問を受け付けたりした。
来週は大阪でも同様のイベントが開催される。関西方面の学生で参加したい人がいたら、同社のエントリー者向けマイページからまだ受け付けているので(自分で言うのもなんだが役に立つと思うので)どうぞお申し込みください。
夕方は100×10チャレンジ冬クール火曜日クラスの見学。九段下の職サークルセミナールームに移動した。
見学だけのつもりだったのだが、急きょ学生たちの質問を受け付けることに。
時間の関係で一問一答だけだったのだけど、10人以上の学生の質問に回答することができた。お昼のイベントでも感じたが、「今」の学生のことを知るには学生とのナマのコミュニケーションを持つのがイチバン。それを抜きにして「最近の学生は…」などと語ってはいけない。
そして夜。これが昨日のメインイベント(?)。「B級グルメを楽しむオヤジの会」というコミュニティの定例会が銀座で開催された。
「単なるオッサンたちの飲み会でしょ?」などと言ってはいけない。結成されてすでに10年近くになるのだが、年に2回は定例会が催されるマジメな会で、ここから生み出された新たな出会いも数多い。
昨夜はコアメンバーである6名が集まり、今年の会の運営方針についてマジメに討議したのだった(ホントかな?)。
下は討議がひと段落した後の記念写真。それまでのマジメな表情をわざと崩したヘンな顔で撮ろうということになったのだが、ちょっと中途半端なヘンガオになってしまった(笑)。
さて、腰痛もほぼ治まってきた。コルセットももう必要ないかな。では朝食&あさ後、ゆったりとしたウォーキングで行ってきます!
【再掲】僕がメルマガを書かなくなったワケ
2016年2月16日 (火曜日)
今朝は約2年前に書いたこの日記を再掲しようと思う。
最後のところで、
「あれから2年が経った。果たして変化することができたのだろうか。退化、劣化はしていないだろうか……。」
と意味深なことを書いている。
あれからすでに4年が経っているのだけれど……。
では以下、修正なしの再掲です。
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一昨日の日記では、「父の日」にちなんで昔のメルマガのコラムを転載してみた。毎朝、短時間で書いているこの日記とは違い、昔のメルマガは、うんうん唸って時間をかけて書いていたことを思い出した。
考えてみれば僕は、パフを創業した直後からメルマガを発行してきた。今でこそ巷に氾濫しているメルマガだが、当時は(特に就職情報会社がコラムを中心としたメルマガを発行するスタイルは)とても珍しかった。ある意味、最先端を行っていたのかもしれない。
社員を採用し始めてからも、しばらくは僕自身がメルマガの発行人であり編集者であり執筆者だった。
編集長の座を社員に譲ったのは10年ほど前だったのだが、それでもコラムの執筆だけは、しばらくのあいだ引き受けていた。
が、いまから丸2年前、そのコラムの執筆も完全に引退することにした。いま書いているのは、この緊張感のない日記のみ(笑)。
ではなぜ、メルマガの執筆を辞めたのか。
辞めた日のことを綴ったメルマガのバックナンバーがあったので、先日に続いて転載してみよう。
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パフのメルマガの歴史は創業時に遡ります。
最初の配信は1998年夏。会社を立ち上げて半年が経過したころだったと記憶しています。
学生向けのメルマガよりも先に、社会人向けのメルマガを書きはじめたのでした。
最初のころの社会人向けメルマガは、メールだけではなくFAXの一斉同報システムも使っていました。
まだ電子メールが企業に浸透していない時代。電話回線にモデムをつないで、ピーピー・ガーガーしながらネット接続していた時代でした。
当時は個人情報保護法などなく、企業の採用担当者名や電話番号、FAX番号(まれにメールアドレス)が収録された名簿が公然と売買されていました。
私も販売促進のためにその名簿を入手し、企業の採用担当者に対して、いろんなFAXDMやメールDMを送りつけていました。
☆☆☆
しかし、反応はいまひとつ。というか、まったく来ず。
であれば、『メルマガ』という形式で、
・自分がなぜ、パフという会社を創業したのか。
・就職と採用の業界の中で、どんな仕事をしていきたいのか。
・いまの業界をどう変えていきたいのか。
・企業の人事担当者にはどうあってほしいのか。
・就職活動を行う学生にはどうあってほしいのか。
といった、(会社や商品の宣伝ではなく)自社や自分の想いだけを書き綴ったものを送ってみようと思ったのです。
現在のような定期配信ではありません。
書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書いて送っていました。
企業の採用姿勢に憤りを感じた時や、学生の就職相談をしていて自分の無力さや非力さを感じた時などは、よく書いていました。きっと自分の想いを書くことで自分を励ましていたのでしょう。
いまはもう手元に残っていないのですが、とても青臭いことを書いていた記憶があります。
☆☆☆
不思議なものです。
販促のDMではまったく反応してくれなかった企業の人事担当者の方々から、感想が届くようになったのでした。
このころの『青臭いメルマガ』がきっかけで、後々取引が始まった企業が何社もあります。
13年間『職サークル』への協賛を継続してくださっている講談社さんも、最初のきっかけは、この『青臭いメルマガ』でした。
ですから私にとって社会人向けのメルマガとは、単なる販促ツールではなく、会社の理念や想いを伝えるための、大切な『メッセージの代弁者』とも言える大事なものなのです。
☆☆☆
一方、学生向けメルマガを本格的に定期配信するようになったのは、1998年の暮れからでした。2000年4月の就職を目指している学生向けに、毎週一回必ず配信していました。
ここでも私は、単なる就職情報の配信ではなく、「僕」という人間が「あなた」という個人に、一般論ではなく「僕はこう思うよ」ということを伝えることに努めていました。
企業を紹介するときも必ず、「この会社がパフと付き合ってくれているのはこういう理由があるからだよ」とか、「この会社の採用担当者の○○さんは、
僕にとってはこんな人で、こういうところが僕は好きなんだ」ということを書くようにしていました。
その翌年からは、その「僕」の生い立ちから起業までを綴った「パフの創業物語」の連載も開始しました。
こだわったのは、ネットであれ何であれ「顔が見える」ということ。
俺は、こんな奴だ。だから俺は、こう思うんだ。お前は、それについて、どう考えるんだ?
という、ある種の「人間臭い交流」を志向していたのだと思います。
手前味噌になりますが、このスタンスで送り続けていた学生向けのメルマガの影響はとても大きく、2001年のプロ野球オールスター戦のファン投票で、それまで3位だったある知り合いの選手を、いきなり1位に押し上げたりしたこともありました。批判もたくさんいただきましたが(苦笑)。
☆☆☆
今回、社会人向けメルマガの「Face to Face」を最終回にする(釘崎はメルマガを書かない)と決めたのは、先週の広報戦略会議でのことでした。
わりとあっさり決まりました。
というのも、パフが配信するメルマガが(販促やセミナー告知のようなメールなども含めると)乱立する傾向にあり、整理する必要を皆が感じていたからです。
メルマガだけでなく、ホームページやブログ(社員が交替で書いているブログや私が個人的に書いている“日記”)も、いまいちど見直す時期なのではないかというのが皆の意見でした。
そして私も、(私自身も含めて)執筆者が惰性や義務感で書いている状態を変えなければ、と思っていたのでした。
(以降、省略)
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あれから2年が経った。
果たして変化することができたのだろうか。退化、劣化はしていないだろうか……。
と、問題提起をしつつ、本日は早朝会議なので、花子抜きで行ってきます!
================(以上、2014年6月18日の釘さん日記より)
以上、再掲の中にも再掲があったりで、ちょっとややこしいけれど、今後メルマガを執筆したり取りまとめたりする社員のための再掲でした。
さて、本日は午後から古参の協賛企業人事・採用責任者との対談イベントがある。噛まないようにガンバロウ。
そして夕方からは、大詰めとなった100×10チャレンジ冬クールのホームルーム見学。その後は銀座に移動して、半年に一度の某定例会に参加する。こちらはあんまり頑張りすぎないようにしよう(笑)。
では、治りかけた腰を刺激しないように静かなウォーキングで行ってきます!
学生時代の友は永遠の友
2016年2月15日 (月曜日)
先日、次のような日記を書いた。
30年ぶりに聴いた人形劇のカセットテープ
一昨日の土曜日、この「人形劇」をともに創りあげ演じていた仲間たちとの同窓会が催された。
言い出しっぺは僕より一学年下のオカハシという男。
小田原高校野球部出身で、いまは地元で学校の教師を務めている。
彼が昨年の僕の55歳ライブを聴きに来てくれた際に他の仲間たちと再会し、昔話に花が咲いて「同窓会をやろう!」ということになったらしい。
そんなわけで一昨日の同窓会には、彼らが中心メンバーとして活躍していた大学3年生のときの先輩(大学4年生だった僕らですね)と、後輩(当時の大学1,2年生)たちが集まった。
かつて18歳だった(僕が4年生のときに1年生だった)後輩たちも、いまや51歳。ワオ!という感じだが、でもみんな昔とほとんど変わらない。
30数年前と同じように、みんなでワイワイガヤガヤ飲み、食べ、歌った。
昔は、朝まで飲むことが多かった。ギターと一升瓶を抱えて深夜の公園に行って騒いでいたら、お巡りさんがやってきて怒られる……なんてこともあった(笑)。
さすがに今回は朝まで飲んだり公園で騒いだりすることもなく解散したのだが、それでも終電がなくなるギリギリの時間まで昔を懐かしみながら楽しく過ごした。
毎日のように酒を飲み、議論し、喧嘩をし、共に泣き、共に笑い、共に喜びながら過ごした仲間たち。
60歳になっても70歳になっても、この仲間たちとは一生付き合っていきたい。
学生時代の友は永遠の友なのだ。
あれから33年経った。現在の仲間たちも、もちろん一生モノだ。仲間たちだけでなく、組織そのものを永遠の価値ある存在にしていかなきゃね。
では、そろそろ朝食&あさ後、行ってきます!
就職情報業界のレジェンドに講話していただきました
2016年2月12日 (金曜日)
リクルートが就職情報事業者として誕生したのが今から56年前(1960年)。奇しくも僕と同い年なのだが、同社はその後、日本の高度成長の波にうまく乗って急成長を遂げていき、「就職情報業界」の礎を創り上げた。
この礎を創るために日夜奮闘努力した方々の多くはすでに現役を引退しているのだが、いまでも(フィールドを関連する他の場所にシフトさせながらも)活躍してらっしゃる方々もいる。
一昨日はその代表格であり、1970年代に大ブレークしたリクルートブックの企画や就職ジャーナルの編集長を長らく務めておられた赤羽良剛さんに茅場町のパフまでお越しいただき、社員たちへのミニ講話を行っていただいた。
僕は赤羽さんにお会いしたことは、これまで一度しかなかった(顧問を務めておられる金沢工業大学虎ノ門大学院でお辞儀したくらいだった)のだが、赤羽さんはパフのことを以前から注目しておられたのだという。Facebookでの僕の愚かな投稿やブログ記事に「いいね!」やコメントをいただくこともしばしばあった。
が、僕からすれば雲の上の存在のような方である。それ以上のお付き合いはなかった。
それが今年の年始メッセージの交換の際、ひょんなことから「茅場町の焼き鳥でも食べに行きましょう」ということになった。
「せっかく茅場町までお越しいただけるんだったら、焼鳥屋に行く前にパフにお寄りいただき、若い社員たちに何かお話しいただけないですか?」と、図々しいお願いをしたのが、一昨日の講話のきっかけだったのだ。
いやあ、楽しかったし面白かったし為になった。
60分間でお話しいただくはずが、90分を超える大講演。予約をしていた焼鳥屋さんからは「まだですか?」という催促の電話がかかってきたり(^^ゞ。
講話の締めくくりでは、これからの就職&採用事業者が進むべき道筋を示してくださった。そして、「それをやっていけるのはパフだけだ」なんていう嬉しい激励のお言葉もいただいた。
そして講演後の焼き鳥。レバーや軟骨をつまみながら、業界草創期の裏話をたくさん聞かせていただいた。いまの学生たちには教科書のなかの出来事でしかない「リクルート事件」の裏側の話なども教えていただいたり。いやあ生々しかった……。
赤羽さんが翌日、以下のような投稿をFacebookにしてくださっていた。
人材情報系企業のなかで、20年の社歴を持ち、ユニークなサービスを提供しているP社に呼ばれた。
こちらの都合で、営業中の時間であったがスタッフに集まっていただきレクチャーさせていただく。
予定時間を大幅に超えて迷惑?をかけたが、熱心に聴いてもらい感謝…
人材情報会社にとって、日々サービス商品の革新が続くなかで、何より失ってはいけない基軸とは、求職者一人ひとりの事情に「寄り添う」姿勢、である。
テクノロジーの進化は、そこから相反して行きがちだ。
P社は、技術に頼りすぎない、ヒューマンタッチなサービスを中心に業績を積み重ねている。
若い人達の熱心な表情を見て、さらなる飛躍へ、と期待したくなった。
業界のレジェンドからの身に余るメッセージ。この期待を裏切らぬように、これからも「求職者一人ひとりの事情に「寄り添う」姿勢」を失わぬように事業を発展させていきたい。
赤羽さん、一昨日は本当にありがとうございました!
さて、腰痛もかなり治まってきた。今週はずっとタクシー通勤だったのだけど、そろそろ歩いていけるかな?
では、朝食&あさ後、そろーっと行ってきます!
4人のしくじり先生が登場した学生向けセミナー
2016年2月10日 (水曜日)
昨夜は、おもしろいセミナーを見学させていただいた。
主催は、一昨年より職サークルの協賛企業となっていただいているコガソフトウェア株式会社。上野広小路駅のすぐそばにある同社のイベントスペースまでお邪魔した。
このセミナーの存在を知ったのは、パフの新入社員ヨコヤマの日報を閲覧したとき。半月ほど前のある日の日報だった(パフでは、すべての社員が毎日Webで日報を提出しており、それを全社員が所属や立場を超えて自分のPCやスマホから読んだりコメントを投稿したりすることができるようになっている)。
以下、その日の日報の抜粋。
———
活動内容
2月9日10日に実施するコガソフトセミナー「しくじり先生」の内容詰め
目的 1.社会人は優秀ではないことを知り、距離感が近くなるようにする
イントロ
私の自己紹介
パフから見たコガソフトウェア
アイス・ブレーク
しくじり体験(100×10チャレンジに関連した or 以外でも)
第一部 ヒト
・しくじり先生
しくじり授業
○○さんの数字
失敗
教訓
MC質問(さっきの授業のエピソードから深堀り)
———(以下省略)
と、意味不明なセミナー企画概要が延々と書かれてあった。
「しくじり先生」…?なにそれ???
日ごろNHK以外のテレビを観ない僕は、「しくじり先生」というのがテレビ番組のパクリだということを知らなかったのだが、なんだかこの意味不明だけど「しくじり」という哀愁を帯びたフレーズに興味を抱き、「面白そうだね。見学に行ってもいい?」と、ヨコヤマの日報にコメントを残した。
生真面目なヨコヤマは、
ありがとうございます!
見学可能ですのでぜひお越しください。
■日程
2016年2月 9日(火)18:00~20:30
2016年2月10日(水)18:00~20:30
■会場 コガソフトウェア 上野本社7F イベントスペース
という返事を、すぐに返してくれたのだった。
で、昨日のセミナー。ほぼ定員通りの約20名の学生が来場していた。
対象は、職サークルの100×10チャレンジの学生たち。顔見知りの学生も何人かおり、「なぜパフの社長がいるんだ?」と不思議そうな顔をしていた(^.^)。
なかにはリラックスしきってピースのポーズをする学生もいたり(笑)。
で、セミナーは期待通りのユニークで面白いもの。
現場社員4名の「しくじり先生」による「授業」を通して、同社の飾らぬ素の姿を存分に見せていただいた。
自慢話やキレイごとで塗り固められたセミナーよりも、こういう失敗談で構成されたセミナーは、身を乗り出して聴きたくなる。「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったもので、人は人の可哀そうな話ほど、共感できるものなのだ。
事実、参加した学生にも大いにウケていたようだ。
いや、ウケていただけではなく、コガソフトウェアさんの社風、現場社員の人柄に存分に触れることができたのではないだろうか。
実は本日も同じコンテンツのセミナーが開催されることになっており「ネタバレ禁止」とのことなので、この日記に書くのもこのくらいにしておこう。
セミナーのMCを担当した新人ヨコヤマと、この新人に思い切って仕事を任せてくださったコガソフトウェア採用担当者のタカハシさん、昨夜はお招きくださいまして、ありがとうございました。今夜も引き続き、がんばってください(^_^)/
ところで、本日は夕方から偉大なお客様、いわば新卒採用業界のレジェンド(?)が茅場町のパフ本社にお見えになる。
ひょんなことから茅場町の焼鳥を食べに行くことになったのだが、そのついでにパフの社員たちにも一時間ほど勉強会を実施していただけることになった。
詳しくは明日の朝の日記に書こうと思うけど、楽しみなのだ。
では、朝食&あさ後、治まりつつある腰痛を刺激しないように、そーっと歩いて行ってきます!
30年ぶりに聴いた人形劇のカセットテープ
2016年2月9日 (火曜日)
腰痛がひどくなって以来、行動範囲が急速に狭まり日記ネタも少なくなってしまった。
昨日のイチバンの日記ネタは、銀座の病院ネタなのだが、あんまり腰痛のことばかり書くのも憚れる。
ということで、本日はコレをご紹介しよう。
1982年に収録された一本のカセットテープである。年末の大掃除で、ひょっこり出てきた。
当時、僕は大学3年生。
所属していた人形劇団の公演の模様を収録したカセットテープなのだ。
収録されている劇は「ピーターパン」。脚本は当時の大学2年生の後輩が担当していた。
このテープ。年末に見つけはしたものの、懐かしすぎて聴くのが怖かった。
いや、聴きたくてもカセットレコーダーがなくて聴けなかったのだが(苦笑)。
でも、身動きが出来ず退屈だった日曜日に、意を決して娘のカセットレコーダーを借りて聴いてみた。
うわっ懐かしい。聴くのは30年ぶりだったかな?
僕は演出兼音楽担当で、主題歌や挿入歌の作詞作曲や劇中にはギター弾いたり歌を唄ったりしている。
びっくりしたのが、劇の完成度がむちゃくちゃ高いこと。とてもアマチュア劇団の公演だとは思えない。
なかでも僕が作った歌が、素晴らしすぎて(自画自賛でスミマセンw)涙が出てきた。
川崎市の小学校の体育館で低学年生(たぶん1年生から3年生まで)数百名向けに演じたものだと思われるが、子供たちも集中して懸命に観劇している様子が伝わってくる。
当時は録画機材などなかったので、手元に残っているのはこのカセットテープと数枚の写真だけなのだが、34年前の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
当時の劇団員はみんな20歳前後の大学生たち。ハッキリ言ってすごい。一発で内定を出したいくらい(笑)。
実はこの劇を演じた当時の大学生たちが今度の週末30数年ぶりに集まることになっている。卒業以来、まったく会えていなかった後輩たちも来るのだという。
このピーターパンのカセットテープも持っていくことにしようかな。
週末が楽しみだ。早く腰痛治さなきゃ(^_^;)。
さて、では本日も大事をとって朝食&あさ後、タクシーで行ってきます!