パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

7月19日(木)

帯広のビジネスホテルで朝食を済ませたあと向かったのはここ。

 

 

 

そう、帯広競馬場である。またの名を「ばんえい十勝」。世界で唯一、ばんえい競馬を行っている競馬場だ。

ばんえい競馬についてWikipediaから引用してみる。

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ばんえい競走では一般的な平地競走で使用されているサラブレッド系種などの「軽種馬」や北海道和種の「どさんこ」は使われず、古くから主に農耕馬などとして利用されてきた体重約800-1200kg前後の「ばんえい馬(重種馬。「ばん馬」ともいう)」が、騎手と重量物を積載した鉄製のそりを曳き、2箇所の障害(台形状の小さな山)が設置された直線200メートルのセパレートコースで力と速さ、および持久力や騎手のテクニックを競う[1]

(中略)

ばんえい競馬の起源は木材を運び出していた馬の力比べとされており、北海道開拓期より各地で余興や催事として行われていた。当初は2頭の馬に丸太を結びつけ、互いに引っ張りあっていたという。

明治時代末期頃から荷物を載せたそりを曳かせる現行の競走方式が登場したとされ、確認できる最古の競走は1915年大正4年)9月16日函館区外で十郡畜産共進会の余興として行われた「挽馬実力競争」である。競馬場内の広場に長さ40間(約73m)の平坦コースを設け、雪ゾリに一俵16貫(60kg)の土俵(つちだわら)を3-14俵集め、これを重しとして競走を行っていた[24]。その後も大正時代末期に亀田八幡宮渡島国亀田郡亀田村)の境内や五稜郭公園の敷地内で行われたのをはじめ、全道各地で同様の競走が行われていた。

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なるほどね。勉強になりますね。wikipediaさん、ありがとう。

「ばんえい」は漢字では「輓曳」と表記される。「北の国から」でも、正吉のおじいさん(杵次:大友柳太朗)の愛馬のエピソードが出てきたが、北海道開拓において馬はなくてはならない存在だった。

で、帯広競馬場。

レースを開催しているのは、土・日・月だけで、残念ながら競走馬を見ることはできなかったのだが、「ふれあい動物園」では馬を間近に見ることができたし、資料館ではばんえい競馬の歴史を興味深く勉強することができた。

 

馬って本当に気は優しくて力持ち。人間のよきパートナーなのですね。

 

帯広でぶらぶらできたのはこの帯広競馬場だけ。すぐに駅に引き返し特急に飛び乗った。

夕方までに、洞爺湖まで行かねばならなかったのだが、帯広から洞爺湖ってむちゃくちゃ遠かったのだ。地図で見るとこんな感じ。

 

 

たいへんな移動距離だ。特急を乗り継いで4時間以上もかかった。

洞爺駅からさらに車で約30分。やっと予約していた洞爺湖畔の旅館に着いた。

 

 

 

 

残念ながら濃い霧で、湖の全景を見ることができなかったのだが、温泉にゆっくり浸かって、食事をし、夜は湖で打ち上げられた花火を見学するなどして、のんびりと北海道最後の夜を過ごすことができた。

 

 

 

 

 

さー、いよいよ明日は最終地の室蘭だ。オオノは元気かな?

(つづく)