母校発祥の地を見つけた日
2008年10月5日 (日曜日)
きょうは日曜日だけど、会社じゃないとやれないことがチョロチョロとあったので、築地の事務所に出社した。
いつもは勝鬨橋をわたって、築地市場を左に見ながら会社に向かうのだが、きょうは佃大橋を渡っていくことにした。
月島や佃島は、まさに「島」なので海に浮かんでいる。ひょっこりひょうたん島みたいなものだ(わかんないかな、笑)。
昔の住人は、舟を使って、築地や銀座や八丁堀に渡っていた。『佃の渡し』、『月島の渡し』、『勝鬨の渡し』と呼ばれているものだ。
昔といっても、そんなに昔でもない。佃の渡しは、昭和39年まで運航されていたというから、月島界隈に昔から住んでいた僕と同年齢くらいのおじさんやおばさんたちは、みんな使っていたのだろう。
その『佃の渡し』に代わって、住民を陸に運んでくれているのが、僕がきょう渡った『佃大橋』なのだ。
勝どき・月島・佃島と陸を結ぶ橋は、他にも毎日僕が通勤で渡っている『勝鬨橋』と最近(といっても15年まえに)出来た『中央大橋』がある。
僕は、この三つの橋の中では、佃大橋がいちばん気に入っている。橋そのものではなく、橋から見える風景や、橋を横切る空気が好きなのだ。特に晴れた日の朝は、なんだかこう、澄んだ気持ちになれるのだ。
と、前置きが長くなったが本題。
佃大橋を渡って、聖路加病院(住所は明石町)に向かう途中の道端に、ひっそりとした碑がある。
我が母校、『明治学院発祥の地』の碑である。
この碑は、ずっと前にも見た記憶はあった。でも、「考えてみたら、自宅と会社との、ちょうど中間点にあるんだよなあ」と思って、きょう初めて、じっくりと眺めた。
明治学院は、現在は港区白金にあるのだが、もともとは、佃の渡しを降りてすぐのところにあったのだ。Wikipediaを見てみると、こう書いてある。
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明治学院の起源は1863年にジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いた「ヘボン塾」である。ヘボン塾は1880年に築地へと移転し、 「築地大学校」と改称されてカレッジ・コースが設置された。
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これはきょう初めて知った。そうかあ、我が母校は、「築地大学校」だったのかあ。
こうして考えると、明治学院出身の僕が、この築地界隈(創業時は新富、次の移転先は佃、そして今はまさに築地)で会社を営んでいるというのも、なんだか深い縁を感じる。
我がパフも、 「築地大会社」とでも改称してみるかな。
そして100年後、 「パフ発祥の地」 なんていう碑が建立されたら申し分ないな♪