床屋で石原裕次郎の似顔絵を見た日
2008年7月5日 (土曜日)
今朝は土曜日なのに早起き。所用で、朝7時には(なぜか?)羽田空港にいた。
空港ビルの食堂(パン屋兼コーヒーSHOP)で、ゆったりとした朝食を済ませたのち、京急線で田町に向かった。
僕の行きつけの床屋さんが田町にある。通い始めて10年以上になる。
ここのマスターとのおしゃべりで「赤坂」の話題が出てきた。マスターの知人が赤坂に住んでおり、自転車で先日遊びに行ったという。
「赤坂といえば、『力道山』ですよねぇ」という僕の何気ない振りで、マスターは、「え、知ってるの?ちょっと待ってて」と、とある雑誌や書籍を持ってきてくれた。
そこからしばし、昭和30年代の力道山が大活躍していたころの話で盛り上がった。力道山の出生の秘密や刺されて亡くなった時の秘密なども聞いた。
この床屋のマスターは、推定60代半ばと思われる(聞いてもはっきりと教えてくれないのだが…)。とても不思議な人で、おしゃべりをしていると、とてつもない人脈を有していることがわかる。今回の「赤坂の知人」も、知ってる人が聞くと、どうやらビックリするような人のようだ。
で、その流れで見せてもらった本が、石原裕次郎の似顔絵や、昭和30年代の裕次郎のポスターや、レコードのジャケットや、週刊誌(特に週刊平凡)の表紙やグラビアが収録された本である。
石原裕次郎は、かつて毎晩のように赤坂の高級クラブに出入りしていたのは有名な話である。
その高級クラブで用心棒を務めていた人(実は当時まだ大学生。力道山とも深い関わりを持ち、のちの格闘技界を支えたひとり)が、裕次郎を「アニキ」として崇め、まとめ上げた貴重な本だ。
読ませてもらって、ぐんぐんと引き込まれた。昭和30年代という時代の明と暗が、ひしひしと伝わってきた。
力道山も石原裕次郎も、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で、時代を象徴する人物として描写されていたのだが、僕が生まれる寸前の時代なので、僕は本や映画でしかこの時代を知ることができない。
床屋で約一時間、昭和30年代にタイムスリップしたのであるが、できることならこの時代に、裕次郎と同年代の若者として参加したいなぁ…と思った僕だった。