南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。
南こうせつ氏の存在は、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局で、たまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。
それが大きく一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。
その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。
僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。
僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。
と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。
こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。
数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。
そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。
「人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね」
南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。