新・パフの創業物語<第24話>「釘ちゃん、SEやってくんないか?」
2020年7月30日 (木曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第24話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1984年4月。
大学を卒業したボクは、S社の正式な新入社員、しかもその会社にとっての新卒1号社員として迎えられました。
ボクのその会社での一番のミッションは、優秀な人材を新卒、中途を問わず採用すること。これは、リクルートでの経験もあり、ほどほどの自信(自惚れ)がありました。
しかし、二番目のミッション。これによって、ボクはそれまで体験したことのなかった、恐怖、数々の絶体絶命状態を味わうことになるのでした。
それは入社直前の時期に交わした、S社の社長との会話から始まったのであります。
社長 : 「釘ちゃんさ、もちろん採用の仕事は、釘ちゃんが専門家だから、これから全部、釘ちゃんにまかすよ」
ボク : 「はい、まっかせてください!エッヘン!」
社長 : 「でもね、釘ちゃん。うちの会社ってコンピュータの会社なんだよね」
ボク : 「そんなの知ってますよ、なーに今ごろ言ってんすか。ハハハ」
社長 : 「うん。採用の仕事っていうのも大事なんだけど、忙しいのはごく一時期だけでしょ?」
ボク : 「は?はぁ…」
社長 : 「今ね、うちはとっても人手不足でね、SEが一人でも欲しいのよ」
ボク : 「ちょ、ちょっと…。ま、まさか…」
社長 : 「釘ちゃん!釘ちゃんもSEやってくんない?頼むよ!」
ボク : 「え゛ーーーーーーー!!!!そ・そんな!どっひゃー!!!」
・・・とまぁ、面白く脚色するとこんな感じのやりとりがありまして、うすうす分かってはいたのですが、コンピュータなどとは全く無縁であったボクがSEへの道を歩まざるをえないことになったのでした。
しかし!
ボクは高校2年までは理系進学コースだったものの、あまりの数学と物理の成績の悪さに、担任教師から文系コースに変更させられたほどの筋金入りの文系人間。
しかも!
ボクは機械音痴、文明音痴の、超ぶっ器用人間であり、パソコンやワープロすらなかった時代に「コンピュータ」なんぞ絶対関わりになるはずはない!と思っていたほどなのです。
ところが、入社後はSEになるための勉強をやらねばならぬ。
4月の入社直後から、bit(ビット)だのbyte(バイト)だのhexa(16進数)だのフローチャートだのアセンブラだのコボルだのフォートランだのレジスタだのメモリだの……。まったく訳の分からない言葉と闘うことに。
当時はマイクロソフトの「MS-DOS」のマニュアルも英文のものしかなく、その翻訳までやることに。
毎日、脂汗が吹き出る始末でした。
しかし、そんな泣きゴトを言っている場合ではない状況がすぐに訪れたのでした。
社長 : 「釘ちゃんさ、こんど人の紹介で新しく取り引きしてもらえる会社ができたんだ。上場している大手計測制御メーカーで、C社っていうんだ」
ボク : 「おー、よかったですねー。おめでとうございます!」
社長 : 「うん、それでね、すぐにパソコンを使った制御プログラムの開発の仕事をやって欲しいって言われてるんだけど…。ほら、いまみんな他の仕事が火の車で誰もいないでしょ……」
ボク : (不吉な予感を体一杯に感じながら)
社長 : 「釘ちゃん、明日先方の技術者と打ち合わせしてきてくんない?」
ボク : 「ま・ま・ま・まじですか!?」
この日を境に、ボクは、対外的には、入社2年目のプログラマーということに……。
リクルート時代に続いて、2年連続の経歴詐称を行うことになったのでした。
(このうそつき!・・・つづく)
パフの社訓になっている「うまれよ」の「う」は、「うそをつくな」なんですが、22~23歳のころの僕は、嘘にまみれた仕事をしていたわけで、その報いをこのあとすぐに受けることになります(苦笑)。
さて、きょうは久々にパフの本社事務所に行って仕事をせねばなりません。
社長の椅子と机は、執務室のレイアウト変更とともに返上したのですが、はたして僕が仕事をする場所は残っているのでしょうか(‘_’)。
では、朝食&エール再放送後、行ってきます!