新・パフの創業物語<第28話>「悶絶・苦悩・絶体絶命の日々~3~」
2020年8月5日 (水曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第28話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
「む、むちゃくちゃですね。2ヶ月間かけて、これですか……」
ボクが生まれて初めて作ったパソコンのプログラム。それはそれは、ひどいモノでした。
悪いことに、このシステムのエンドユーザー(最終納品先)はC社の大得意さんで、国内最大手コンピューターメーカーであるF社だったのですが、その納期(エンドユーザーの立ち会い検査日)まで、実はあと1週間しかなかったのです。
普段は飄々としている技術者E本さんも、この無茶苦茶なプログラムを目の当たりにして、さすがに言葉を失った様子でした。
しかし、しばらくして…
「釘崎さん、どんなことをしてでも、あと1週間で完成させますからね。明日からは、この技術センターに缶詰になっていただきます。一緒にプログラムを完成させましょう」
「は、はい」としか答えることの出来なかったボクは、翌日からまさに一睡もできない状況下におかれ、日々プログラムの修復(というかほとんど作り直し)に追われる毎日でした。
もっとも、ほとんどのプログラムを作ってくれたのは担当のE本さんであり、ボクはその助手みたいな感じで、E本さんの鮮やかなプログラミング技術に感心しながら、次第次第に出来上がっていくシステムに感動を覚えたものでした。
そして1週間後、無茶苦茶だったプログラムは見事生まれ変わったのでした。
「釘崎さーん、なんとか間に合いましたね。ほら、ちゃんと仕様通りに作動してますよ。やりましたねー。これで我々クビにならずに済みますよ。やれやれ(笑)」
このE本さんの、納期までにシステムをキチンと完成させるという執念。休むことなく、寝ることなく、黙々とシステム作りを行う集中力、精神力。
そして、ほんとうに納期通り完成させてしまった凄い技術力。おそらくE本さんは、この1週間ほとんど寝ていないはずで……。
社会人(というかプロのエンジニア)というのは、かくもスゴイものかと思い知らされた1週間でした。
それにしても、どうしようもないまったくのド素人である外注のボクを見捨てるどころか、一緒に最後までつきあってくださたE本さん、未だに感謝しています。ボクの大恩人のひとりです。
このシステム案件がきっかけで、以降たくさんの仕事をボクご指名でいただくことになり、ボクのシステム技術者としての社会人生活が本格的にスタートすることになったのでした。
そして5年後、社会人としての岐路がまた訪れることになるのです。
(いきなり5年後?ずいぶん端折るねー。…つづく)
このE本さん、20年近く前に再会した(先輩格のエンジニアで子会社の社長になっていた)S藤さんに「実は昨年ご病気で亡くなられたんですよ」とお聞きしました。たいへんショックを受けたものです。
どうしようもなかった素人のボクが、いっぱしのプログラムを組めるようになったのはE本さんのおかげなのです。
上の物語の数年後だったでしょうか。「釘崎さん、今度のシステム、すごくいいプログラムを書きましたね!そのモジュール(部品)、私のシステムでも使わせてもらっていいですか?」と、褒められたことがありました。とても嬉しかったことを覚えています。
現地調整作業のときなどは終電や終バスを逃すことも多かったのですが、僕の住むアパートまでクルマで送ってもらうこともしばしばでした。
天国のE本さん、その後のボクはE本さんに教えてもらったプログラミング技術や知識を応用しながら、あるいは執念やマインドを見習いながら、コンピュータ関連の世界でどうにかこうにか生きることができました。いまさらですが、本当にありがとうございましたm(__)m。
さて、本日の午前中は第25期8月度のキックオフミーティング。次期社長率いる初めての月次業績はどうだったんでしょうか。僕はwebで参加することにしましょう。
午後は銀行とのリアル会議なので出社しますけどね。
では、朝食&エール再放送後、まずは家からキックオフミーティングに参加します!