パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

本日は前々回予告した東映のお二人のことをご紹介します。

前々回は東映の元常務取締役、矢澤昭夫さんのお話でした。今回のお二人は、矢澤さんが人事担当役員だったころからの部下、磯辺さんと矢津田さんです。

たぶん矢澤さんは、二人のことを息子のように可愛がっていたんじゃないかなあと思います。

なので、僕が矢澤さんに出資のお願いをしに行った際に、「おーい、磯辺くん、矢津田くん。釘さんが会社作るらしいから、キミらも出資しなさい!」と、無茶ぶりとも思える声掛けをしたのではないかと。

出資しろと言われて「うわ、これは困ったことになったぞ…」という表情をした二人の顔がいまだに忘れられません(笑)。

この磯辺さんと矢津田さん、結局はパフに出資することになり、創業株主になってくれたのでした。

でもそのおかげもあって、このお二人とは個人的に長くお付き合いすることになりました。

僕が10数年前から始めた音楽ライブにもいつも参加してくれています。たぶん皆勤賞ではなかったかと思います。

新潟の笹神村(現 阿賀野市)で開催した50歳ライブにも、わざわざ東京から足を運んでくれたほどです。

ライブ翌日、笹神を散策したときの写真👆僕の右が磯辺さん、左が矢津田さん

 

パフとの仕事上の取引も細々と続くことになりますが、その取引額が矢澤さん+磯辺さん+矢津田さんの出資額を上回ることは一度もありませんでした。まあ、それはご愛嬌ということで(苦笑)。

磯辺さんは僕よりも3歳年上、矢津田さんは僕よりもひとつ年下。年が近いせいか好きな歌やドラマやマンガや映画など共通項が多く、飲みに行くといつも盛り上がっていました。

磯辺さんと矢津田さんは、漫才コンビのようで、僕から見れば仲のいい兄弟みたいでもありました。

一度だけ、お二人のことをこの釘さん日記にも書いたことがあります。

定年退職と監査役就任を記念しての飲み会(2017年7月28日の日記)

こちら👇そのときのお二人の写真です。

奥にいるのが矢津田さん、手前が磯辺さんです

この日の日記にも書いていますが、磯辺さんは3年前に定年を迎え、その後は嘱託として東映での仕事を続けることになりました。矢津田さんは東映人事部を離れ、東映アニメーションの監査役に就任しました。

実は矢津田さん、この日の飲み会の1年半ほど前に肺ガンの病に侵されていました。僕の55歳ライブに参加して会場で元気に飲んで騒いだ直後のことでした。

その後、闘病生活が続きましたが、持ち前の明るさとバイタリティとで、上の写真のように一緒に飲めるくらいまで回復しました。

大きかった癌も、治療の成果で消え去り、ほぼ完治したかのようでした。昨年(2019年2月)開催した僕の「春よ来いライブ2019」にも参加してくれましたし。

今年2月の「春よ来いライブ2020」にも真っ先に申し込んでくれました。

こちら、予約申し込みをしてくれた直後のメールやり取りです。その一部をコピペします。


矢津田佳広<toei-anim> 2019/12/16 14:25

釘崎さん、磯辺さん

チケットは案内メールが届いたその日に申し込みました。

2 月のライブではまた新たな挑戦を楽しみにしています。

ところで中野飲みオッケッケーです!12 月は無理そうなので年明け 1 月で日程調整しましょう。体調を整えて頑張ります。

ところで、わたしの現況ですが、今年は 5 月下旬頃から放射線治療・抗がん剤点滴・レントゲン/CT/MRI 検査などを繰り返していました。

今も 4 週間(1 週治療+3 週休養)サイクルの治療&各検査を 6,7 ヶ月継続しているところです。その間、山下達郎ライブや舞台「めんたいぴりり」に行ったりもしました。

月に 4,5 回の会議を中心に出社もしています。磯辺さんとは 20 日の東映グループ監査役会で一緒になりますね。そこで軽く打ち合わせしましょう。

今回は治療前に喉(声帯)を痛めて美声をお聞かせできないのが残念です。常に裏返っている状態なんです。アース・ウィンド・アンド・ファイアか森山直太朗か!?(笑)

1 月の日程(注:飲み会のこと)は改めて調整しましょう。

釘崎さんの引退&フォークソング居酒屋開業の話しもたっぷり聞かせてください。


 

しかし、今年の2月21日、ライブ会場に姿を現したのは磯辺さんだけでした。

実はこの数日前から容態が急変していたのだそうです。磯辺さんはこの日、矢津田さんが入院している病院に見舞った後、ライブ会場に直行したのでした。

そしてライブが終わったあと、磯辺さんからこう告げられました。

「矢津田なんだけど、実はもうダメなんです。でも釘崎さんが今夜歌ってくれた曲、とくにラストの3曲は矢津田も大好きで、いつもカラオケで歌ってた曲なんですよ。きっと矢津田のところにも届いたんじゃないかな…」

矢津田さんはこの翌朝、奥様に看取られながら静かに息を引き取ったそうです。

ほんとうに本当に、残念でした。もっとたくさん飲んで、もっとたくさん歌いたかったなと。

亡くなられてもう半年になりますが、まだ名古屋にある矢津田さんのご自宅に伺うこともできていません。そろそろ世の中も落ち着いてきたころなので、磯辺さんと一緒に、手を合わせに行きたいと思います。

ちょっと湿っぽくなってしまいましたが、矢津田さんは僕と同じ熊本出身。肥後もっこすで酒好きの明るく豪放磊落な性格です。「釘さん、湿っぽく扱うのは好かん、勘弁してくれ!」と言ってるような気がします。

最後は、10年前の新潟笹神村に向かうバスの中で熱唱していた、磯辺さんと矢津田さんの写真で締めくくることにしましょう。

 

磯辺さんの熱唱

 

矢津田さんの熱唱

 

そういえば矢津田さんが亡くなられたあと、こっそり磯辺さんと(本当は矢津田さんも誘って一緒に行くはずだった)中野のディープなお店で「矢津田さんを偲ぶ会」というのを催しました。ぜんぜん湿っぽい会ではなく、大笑いの連続でした。

矢津田さんにはやっぱり、酒と笑いと昔のフォークソングが似合います。

矢津田さん、いつか僕も天国に行ったら、また一緒に飲んで歌って騒ぎましょうね(@^^)/~~~

ということで今回は、東映の兄弟のような人事マン、磯辺さんと矢津田さんのお話でした。

さて、大昔の写真を漁りながら書いていたらすっかり遅くなってしまいました。今日はこのあと会計士との打ち合わせ、さっそく準備します!

<追記>

実は本日の日記を書くにあたって、磯辺さんと電話で数カ月ぶりに話をしました。実名で日記に書くことを快諾してもらったのはもちろんですが、日記に出ることをとても喜んでくれたことが、僕にとってもとても嬉しいことでした。