僕がメルマガを書かなくなったワケ
2014年6月18日 (水曜日)
一昨日の日記では、「父の日」にちなんで昔のメルマガのコラムを転載してみた。毎朝、短時間で書いているこの日記とは違い、昔のメルマガは、うんうん唸って時間をかけて書いていたことを思い出した。
考えてみれば僕は、パフを創業した直後からメルマガを発行してきた。今でこそ巷に氾濫しているメルマガだが、当時は(特に就職情報会社がコラムを中心としたメルマガを発行するスタイルは)とても珍しかった。ある意味、最先端を行っていたのかもしれない。
社員を採用し始めてからも、しばらくは僕自身がメルマガの発行人であり編集者であり執筆者だった。
編集長の座を社員に譲ったのは10年ほど前だったのだが、それでもコラムの執筆だけは、しばらくのあいだ引き受けていた。
が、いまから丸2年前、そのコラムの執筆も完全に引退することにした。いま書いているのは、この緊張感のない日記のみ(笑)。
ではなぜ、メルマガの執筆を辞めたのか。
辞めた日のことを綴ったメルマガのバックナンバーがあったので、先日に続いて転載してみよう。
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パフのメルマガの歴史は創業時に遡ります。
最初の配信は1998年夏。会社を立ち上げて半年が経過したころだったと記憶しています。
学生向けのメルマガよりも先に、社会人向けのメルマガを書きはじめたのでした。
最初のころの社会人向けメルマガは、メールだけではなくFAXの一斉同報システムも使っていました。
まだ電子メールが企業に浸透していない時代。電話回線にモデムをつないで、ピーピー・ガーガーしながらネット接続していた時代でした。
当時は個人情報保護法などなく、企業の採用担当者名や電話番号、FAX番号(まれにメールアドレス)が収録された名簿が公然と売買されていました。
私も販売促進のためにその名簿を入手し、企業の採用担当者に対して、いろんなFAXDMやメールDMを送りつけていました。
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しかし、反応はいまひとつ。というか、まったく来ず。
であれば、『メルマガ』という形式で、
・自分がなぜ、パフという会社を創業したのか。
・就職と採用の業界の中で、どんな仕事をしていきたいのか。
・いまの業界をどう変えていきたいのか。
・企業の人事担当者にはどうあってほしいのか。
・就職活動を行う学生にはどうあってほしいのか。
といった、(会社や商品の宣伝ではなく)自社や自分の想いだけを書き綴ったものを送ってみようと思ったのです。
現在のような定期配信ではありません。
書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書いて送っていました。
企業の採用姿勢に憤りを感じた時や、学生の就職相談をしていて自分の無力さや非力さを感じた時などは、よく書いていました。きっと自分の想いを書くことで自分を励ましていたのでしょう。
いまはもう手元に残っていないのですが、とても青臭いことを書いていた記憶があります。
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不思議なものです。
販促のDMではまったく反応してくれなかった企業の人事担当者の方々から、感想が届くようになったのでした。
このころの『青臭いメルマガ』がきっかけで、後々取引が始まった企業が何社もあります。
13年間『職サークル』への協賛を継続してくださっている講談社さんも、最初のきっかけは、この『青臭いメルマガ』でした。
ですから私にとって社会人向けのメルマガとは、単なる販促ツールではなく、会社の理念や想いを伝えるための、大切な『メッセージの代弁者』とも言える大事なものなのです。
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一方、学生向けメルマガを本格的に定期配信するようになったのは、1998年の暮れからでした。2000年4月の就職を目指している学生向けに、毎週一回必ず配信していました。
ここでも私は、単なる就職情報の配信ではなく、「僕」という人間が「あなた」という個人に、一般論ではなく「僕はこう思うよ」ということを伝えることに努めていました。
企業を紹介するときも必ず、「この会社がパフと付き合ってくれているのはこういう理由があるからだよ」とか、「この会社の採用担当者の○○さんは、
僕にとってはこんな人で、こういうところが僕は好きなんだ」ということを書くようにしていました。
その翌年からは、その「僕」の生い立ちから起業までを綴った「パフの創業物語」の連載も開始しました。
こだわったのは、ネットであれ何であれ「顔が見える」ということ。
俺は、こんな奴だ。だから俺は、こう思うんだ。お前は、それについて、どう考えるんだ?
という、ある種の「人間臭い交流」を志向していたのだと思います。
手前味噌になりますが、このスタンスで送り続けていた学生向けのメルマガの影響はとても大きく、2001年のプロ野球オールスター戦のファン投票で、それまで3位だったある知り合いの選手を、いきなり1位に押し上げたりしたこともありました。批判もたくさんいただきましたが(苦笑)。
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今回、社会人向けメルマガの「Face to Face」を最終回にする(釘崎はメルマガを書かない)と決めたのは、先週の広報戦略会議でのことでした。
わりとあっさり決まりました。
というのも、パフが配信するメルマガが(販促やセミナー告知のようなメールなども含めると)乱立する傾向にあり、整理する必要を皆が感じていたからです。
メルマガだけでなく、ホームページやブログ(社員が交替で書いているブログや私が個人的に書いている“日記”)も、いまいちど見直す時期なのではないかというのが皆の意見でした。
そして私も、(私自身も含めて)執筆者が惰性や義務感で書いている状態を変えなければ、と思っていたのでした。
(以降、省略)
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あれから2年が経った。
果たして変化することができたのだろうか。退化、劣化はしていないだろうか……。
と、問題提起をしつつ、本日は早朝会議なので、花子抜きで行ってきます!