パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

そして走った朝

2011年7月4日 (月曜日)

早朝ランニングを再開するぞ!と、宣言したのが昨夜10時半。そして現在、朝の6時半。ランニング後、風呂に入り、髭を剃り、ウーロン茶を飲み、やれやれとノートPCを開いたところだ。

朝5時に起き、5時15分には走り始めた。いやー、重い重い。走るというより、地べたをずりずりと這っているような感じだった。

iPhoneのスポーツ時計アプリで計測したところによると、「走行距離2.59Km、平均ペース9.32/km」だって。歩くのとあまり変わらないペースだな(苦笑)。ハーフマラソンを2時間で走るためには、平均ペース6.00/Km以上で走る必要があるのだが……。ま、あまり無理せず、徐々にペースを上げていくかな。

まずは昨夜の宣言通り、走れたことだけでも良しとしよう。

さて、本日は月曜日。新しい期の、新しい週の始まりだ。いろんなことがカタチになっていくには、まだ少し時間がかかりそうだが、こちらも無理せず、徐々にペースを上げていくことが肝要だ。

では、新聞を読んで、テレビを見て、朝食をしっかり食べて、行って来ます!

生まれて初めてのマラソン大会(ハーフ)に参加したのが今年の2月6日。50歳にして初めて挑戦する21Kmのランニングは、過酷でもあり、エキサイティングでもあり、そして(いまにして思えば)、無謀でもあった。

昨年の秋頃から、「朝日を拝んで運を付けること」を目的に始めた早朝ウォーキングだったのだが、人間ドックの医師のひとことで、早朝ランニングに変わり、僕が早朝ランニングをやっていると知った経営者仲間が、誕生日にウィンドブレーカーをプレゼントしてくれ、それが、マラソン大会への出場へとつながっていった。

しかし、2月6日のマラソン本番を終え、達成感を味わったのはいいのだけれど、すっかり早朝ランニングの習慣がなくなってしまった。

いや、何度か復活の兆しはあったのだけれど、震災があったり、仕事がハンパなく詰まったりで、復活が習慣になるまえに、挫折してしまっていた。

そのせいか、最近とてもカラダが重い。重いというか、だるいというか、あきらかに腹周りの肉がだぶついており、反面、全身の筋肉が劣化しているのが自分でもよく分かり、これはやばいと焦っている。

ということで、明日から再開する。

早朝ランニングをだ。

相当なブランクがあるため、早朝に起きて家を飛び出せるかどうか自信がない。

飛び出しても走れるかどうか自信がない。

走っても、この暑さの中、ぶっ倒れるのではないかと、ちょいと不安でもある。

だから日記に宣言してみる。自分で自分を追い詰めてみる。

といっても元来ストイックな性格ではないので、「やっぱりできませんでした、エヘっ^^;」と、明日の日記に書くかもしれないが(苦笑)。

11月に開催される岐阜県の揖斐川マラソンにも勢いで申し込んじゃったし(名古屋の同業、名大社の山田社長にエントリーをお願いしたのだ)。

さあ、真夏の早朝ランニング、いつまで続くかな。明日から自分で自分を試してみるのだ。

さあ、新しいスタートだ

2011年7月1日 (金曜日)

昨日でパフの第15期が終了。本日から第16期がスタートする。

あっというまの一年だったが、ジェットコースターのような上り下りで、外の景色も大きく変わっていった一年だった。

新卒者の就職と採用に対する見当外れの批判や見当外れの議論が起きて、経済団体や業界団体が場当たり的な施策を打ち出すなど、「就職活断層」がより酷くなった一年だった。

3月の大震災では、多くの人命が奪われ、人々の価値観が大きく転換した。リーダーのあり方、政治のあり方、ビジネスのあり方、教育のあり方、幸せのあり方などなど、さまざまなところで議論が沸き起こった。

パフ創業時は弱冠37歳だった僕も、昨年の11月に50歳を迎えてしまった。当時幼稚園児だった娘は先日、成人を迎えた。

そして、身近な人たち、同年代の人たちにも、節目だなあ…と感じられるような出来事が続いた一年だった。

 

さて、そんな大きな変化の中でのパフの第16期。われわれ自身も、大きな舵取りで変化していくことを決めている。いままで捨てられずにいた「しがらみ」を断ち切るとともに、新しい枠組みを創りだしていく。

これから本格的な改革が始まる。まさにこれからの一年は、大変革の一年となりそうだ。

7月1日。

さあ、新しいスタートだ。

これからこの「日記」でも、その新しいカタチを、徐々に明らかにしていくことにしよう。

 

熱帯夜は、もっと、ねたいや。

2011年6月30日 (木曜日)

暑さのあまり、おやじギャグを日記のタイトルにしてしまった(苦笑)。

昨日は日中も暑かったなあ。特に午後2時ころ外を15分ほど歩いたのだが、吐きそうになるくらい辛かった。夕方は地下鉄に乗ったのだが、駅構内も電車の中も冷房は弱め。なかなかの試練だった。

夜の11時ころ帰宅したのだが、帰り道も家に着いてからも、汗がダクダク流れていた。

今年初のクーラーをつけようかなあ…と思ったのであるが、「いやいやこのくらいで負けてはなるまい」と、我慢。

深夜1時過ぎに床についたのだが、やっぱりまだ暑い。暑さで朝の4時過ぎにいちど目覚めてしまった。その後は、うとうと布団の上でまどろむだけ。

で、日記のタイトルが浮かんできたわけだ。もっと、ねたいや! (笑)

さて、冗談はともかく、本日は我がパフの第15期締め日。ある意味、記念すべき締めの日である。

パフのみんな、やり残したことのないようにガンバロウ!

同世代の仲間たち

2011年6月29日 (水曜日)

僕は昭和35年(1960年)生まれ。同い年の日本人は150万人ほどいる。昔はあまり意識したことがなかったのだが、最近は、同い年の人たちが頑張っているのをみると嬉しくなってくる。

昨日、震災で被害を受けた東北に本社があるS社のS社長から、うちの社員たちに素敵なプレゼントが届いた。2カ月ほど前、S社長を励ますために、社員たちが寄せ書きを送ったことがあったのだが、そのお返しとして、S社長からうちの社員たち一人ひとりに向けてのメッセージを書いたシートが送られてきたのだ。

うちの社員たちが送ったメッセージは、S社長一人に向けたものだったので、時間にすれば10分程度で書けたであろう。しかし、S社長のお返しのメッセージは、20名近くいる社員たち一人ひとりに向けたもの。たくさんの漫画やイラストまで書いてあり、相当な時間を費やして書いてくださったのがわかる。感激である。事実、社員たちは大歓声をあげていた。S社長、すごい!

このS社長も僕と同い年。困難などものともせずに頑張っている、元気ハツラツの50歳だ。

 

もうひとつ。

先週末デビュー36周年のLIVEを行なっていた双子のアイドル歌手、ザ・リリーズ(Lilies)。一昨日の日記でも、写真を載せたりして紹介したのだが、なんと、昨日その日記に、次のような素敵なコメントをいただいた。

釘崎さま
先日はライブにお越し頂いてありがとうございました!50代になって更に「今」という瞬間瞬間を、精一杯生きることの大切さを感じています。
私達世代が、何時までも夢を持ち続けて情熱を傾けて生きることの必要性も感じています。
LILIESはこれからも新しい挑戦を続けていきます!
釘崎さんも頑張って下さい!また同世代の仲間達と私達のライブに是非、お越し下さいね!
LILIES mayumi

mayumi(真由美)さんというのは妹さんのほう。いつも向かって右側で歌っている。5月14日に僕らが行ったチャリティーライブがきっかけで親しくなったのだが、ホントに可愛くて素敵。

リリーズも、僕と同い年の50歳。「私達世代が、何時までも夢を持ち続けて情熱を傾けて生きることの必要性も感じています」という言葉には、自分たちのことがどうのこうのではなく、後に続く世代のために、自分たちこそがキチンとした後ろ姿をみせていかなければならないのだ、という清々しい使命感のようなものを感じる。

S社長とmayumiさん。似ても似つかぬ(笑)二人であるが、まぎれもなく同世代の仲間たち。昨日は、この二人に大きな勇気と元気をもらったのであった。

さて、きょうは朝から暑いな。元気を出し過ぎて熱中症でバッタリ倒れるわけにもいかない。水分補給をしながら、そろそろ行って来ます!

水天宮で取締役会を開いた日

2011年6月28日 (火曜日)

昨夜は水天宮の某所でパフの取締役会。

パフには現在、僕以外に二人の取締役がいる。二人とも非常勤なので、ふだんはパフの事務所にはいない。だから重要事項を決定する際は、社外で話し合うことが多い。三人が同じ場所で同じ時間に集まることも難しいので、僕がそれぞれの取締役にその都度議案を持ちこんで承認を得るスタイルだ。

先週、創業時からの取締役であり大株主でもある金澤さんに承認をもらった議案。きょうはもう一人の取締役である國さんに持ちこんだ。

國さんに取締役を引き受けてもらったのは二年前だが、この二年間で我々人材ビジネス関連事業者を取り巻く環境は大きく変化した。

昨夜は、そんな環境変化に対応するための、今後のパフのシナリオ作りについて話し合ったのだ。

國さんは、財務三表に関するヒット作(書籍等)を連発する一方で、ドラッカーの大家としても知られる。ドラッカーの原書を隅から隅まで読み込んでおり、ドラッカー思想の根本を会得している人でもある。

昨夜のミーティングでも、ドラッカーが語る経営の要諦がふんだんに出てきた。

いやー、ドラッカーは深い。でも(大企業であっても、パフのような零細企業であっても)経営者にとっては痛いほど理解できる。本質論で完膚無きまでに打ちのめしてくれる。グーの根も出ない。

最近はドラッカーがブームのようになっており(もしドラの影響?)、いろんな書籍が出ているが、ドラッカーの本質を理解したうえで書かれているものは、どれほどあるんだろうか。

昨夜は、ドラッカーの根本思想といくつかの言葉(たぶん日本のどの訳書にも今までなかったようなコトバ)を國さんに教えてもらいながら、これからの会社のあり方に思いを馳せたのだった。

ところで、昨夜の議案は、もちろんすべて承認可決。新しいものを生みだすことを決めた場所が(安産の神様がいる)水天宮だというのも縁起が良い。あとは実行するのみである。本日から、いよいよ秒読み態勢だ。

では、安産に向けて、本日も行って来ます!

不易流行

2011年6月27日 (月曜日)

ふと、「不易流行」という言葉が浮かんできた。

goo辞書から不易流行の意味をコピペしてみる。

  • 不易流行 意味
    いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧しょうふうはいかいの理念の一つ。解釈には諸説ある。▽「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」は時代々々に応じて変化すること。
  • 世の中の経営者は「変化」という言葉が好きだ。変化を恐れていては、会社や組織を永続させることなどできないと思っている。僕もその一人だ。

    しかし、なんでもかんでも変化すればいいっていう話でもない。

    変えてはならない本質。回帰しなければならない原点といったものもある。いままで大切にしてきたこと。そして、これからも大切にすべきこと。

    だからこそ、捨てなければ(止めなければ)ならないこと。改めなければならないこと。新しく生み出さなければならないことがある。

    このバランス(絶妙な匙加減のとりかた)によって、それぞれの組織の価値観や文化といったものが醸成されていくんだろうな。

     

    この数週間、複数の金融機関の担当者と難しい話をする機会が多かったのだが、同じ目的で同じテーマについて話し合っているにもかかわらず、それぞれの金融機関で対応がまったく異なる。それぞれの金融機関の担当者に対して、がっかりすること、頭にくること、呆れることは確かに多いのだが(あれ?なぜかネガティブな感情ばかりだな、笑)、そのポイントがまったく違うのだ。同じ金融業界であっても、こうも違うというのは、「担当者の個性」というレベルの問題ではあるまい。おそらく個々の企業文化・価値観の違いであろう。

    金融機関がどんな価値観や文化を持っていようと、そんなの普段は知ったことではないのだが、いざ相手にリスクを伴う判断を求めるような交渉をすると、その根底にある考え方(価値観や文化)がオモテに出てくるから面白い。

    よく経営者仲間で、「○○銀行は、○○の血をひいていてエゲツナイから気をつけろ」なんて囁かれることが多いのだが、まんざら根も葉もないことではないと思えてくる。

     

    おっと、少し脱線してしまったが、「不易流行」の話である。

    ちょっと前にも書いた、「中庸」の考え方にも通じるような気がする。普遍(不変)なものと変えるべきこととのバランスが崩れると、世の中に不徳をもたらす存在となってしまう。

    「会社の仕事は慈善活動(世のため人のため)ではない」と言いきる人にも強い違和感をもつ。慈善でも偽善でもよいのだが、会社の仕事のベクトルが、世の中に向かなくなることの罪の大きさを考える必要がある。近江商人の「三方よし」の商売の原点を取り戻す必要がある。さしづめ我々の商売における三方は、「学生(学校)」「企業」「世の中」だな。

     

    土曜日に、かつてのアイドル歌手ザ・リリーズ(現在はLiliesと改名)のデビュー36周年記念ライブに招待されて行ってきたのだが、まさに「不易流行」。15歳のころの可愛らしさや清純さは、50歳を迎えたいまでも変わっていない。しかし、円熟した大人の女性としての(かつてはあるはずもなかった)魅力が今はある。36年間の人生を経て、変わったもの、捨てたもの、築いたものが、存分に感じられたのだ。

     

    ・・・とりとめもなく、そして脈絡もなく、ぐだぐだと書いてしまった。

    あ、そうだ。お口直しに、そのLiliesさんのライブで撮った写真を貼り付けておきましょう。

    Lilies 
     

    さて、いよいよ、今期最後の週である。

    「不易流行」と「中庸」を念頭に、新しい期へのバトンを渡していこうと思う。