パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

日本列島ジグザグの日

2008年1月19日 (土曜日)

木曜の夜から土曜の夜にかけて(17日から19日)、あっちいったり、こっちいったりの日々を過ごした。

17日の夜、新幹線で神戸まで。一昨年から引き受けている神戸芸術工科大学でのキャリアデザインの講義を翌日行うためだ。

18日、講義は無事終了。睡眠学生ゼロを目指したが、達成ならず。朝1限ということもあり、最初から熟睡している学生も。なかなか手強かった。今年度の授業は今回で終了となるのだが、次年度こそは、睡眠学生ゼロの目標を達成したい。

講義が終了し、夕方、東京に戻る。会社で雑務を行った後、品川へ。場所は、品川プリンスボウル。創業時からの協賛企業D社の専務を筆頭とした社員の皆さんとのボウリング大会に参加するためだ。

D社とパフとのボウリング大会は、これで4回目となる。毎回、会社対抗で競い合っている。1回目(たしか4~5年前?)はパフが惨敗したのだが、その後の2回はパフが連勝している。

僕は会社の勝ち負けは別にどうでもよくて、個人での優勝を密かに狙っていた。

が、見るも無残な結果。優勝どころか、ガタガタの成績で終わってしまった。パフの新入社員のイワサキに個人優勝をさらわれてしまったのが、悔しさに拍車をかけた。1ゲーム目は、もうひとりの新入社員キムラにも負けてしまった。

ああ、悔しい。D社のS専務も、同様に絶不調。ふたりで優勝を競い合ったのは今は昔。もうあのころの輝きは、ふたりには戻ってこないのだろうか(涙)。あ、ちなみに団体戦はパフの勝利。まあ、個人が散々だったので、嬉しさもあまりないんですけどね(苦笑)

ビールと焼肉で打ち上げ(残念会?)を行った後、帰宅。

数時間の睡眠後、朝5時半に起床し、羽田空港へ。熊本に行くためだ。

熊本到着後、地場の同業者であるT社の部長と打ち合わせ。その後、コンサル先のK社に入り、4時間連続の打ち合わせ。

この日は宿泊せずに、東京にとんぼ帰りした。慌しい1日だったのだが、空港で熊本ラーメンを食べられたのは嬉しかった。なかなか美味しかったのだ。

と、この3日間は、あっちいったりこっちいったり、日本列島をジグザグ・うろちょろしてしまった。

また一週間を振り返ると、今週は毎日、朝から晩まで(夜の付き合いも含めて)よく働いたと自己評価。

明日の日曜日は、ちょっとゆっくりさせてもらおうかな。あ、でもジムに行って、脂肪だけは燃焼させなければ!

評価会議を行った日

2008年1月18日 (金曜日)

この日記でも何回か触れてきたが、パフは昨年の7月1日(今期スタートの日)を境に、理念/ミッション/ビジョンを再定義し、組織も一新し、人事制度の改革も行った。

その新しい人事制度に基づいた人事評価が始まった。

メンバーは、自分で立てた目標や行動に対する自己評価を、シートに書き込む。そしてそのシートに対し、上司であるグループ長は、コメントと上司評価を書き込む。

この本人と上司の評価が書き込まれたシートをすべて持ち込んで、本日、「評価会議」を行った。

この評価会議の目的は、単純に昇格や昇給を決めればいい、ということではない。主眼は、ひとりひとりの社員の強みや弱みを明らかにし、どのように育成指導していったらよいかを、皆で話し合うことにある。

パフには現在、3人のグループ長がいる。この3人プラス社長である僕。そして、今回の人事制度構築のコンサルを引き受けてくださったマングローブ社の今野社長にオブザーバー(というよりアドバイザー)として加わっていただいた。

午後1時から始まった会議が終了したのは午後5時半。延々4時間半かけて、皆で真剣に討議した。途中休んだのは5分間のアイスクリームタイムと、4分間のトイレタイムだけである。

この会議を通じて、僕は感心を通り越して、感動してしまった。

我がグループ長に対してである。メンバーひとりひとりに対する深い愛情を感じたのだ。

彼らは真剣にメンバーの育成のことを考えている。他のグループ長や周りの意見に左右されず、きちんと自分の軸を持ちながらメンバーの評価をしていた。厳しい目と、温かい目と、公平な目と、おとなの目で、自分のグループのメンバーだけでなく、すべての社員のことを、自分のことのように真剣に考えていたのだ。

まだ30歳にも満たない連中ではあるのだが(ひとりはちょうど30歳だが)、きっとよその会社の名マネージャーと呼ばれる人たちと比べても、(少なくとも意識面においては)負けていないと思う。オブザーバーの今野さんも、会議が終わったあと、感心しきりであった。数多くの会社の評価会議に出席している今野さんからみても、彼らの「目」や「考え方」や「姿勢」には、抜きん出るものがあったという。

最初から、このようなものの見方が出来ていたかというと、決してそうではない。成長したのは、この半年間ほどではないだろうか。いや、この数ヶ月かもしれない。20歳近くも年上の(しかも社長である)僕よりも、高い視点での、冷静でぶれないものの見方をしてくれる。

とても嬉しくなるとともに安心した。彼らが合議して決めたことがらであれば、間違った方向に進むことは絶対無いと確信した。

僕には珍しくちょっと褒めすぎてしまったが、それだけ感心・感動したということだ。この感覚を忘れないうちに、この日記に残そうと思ったわけである。

<追伸>

マングローブの今野社長は、『月刊パフ The Movie』の1月号にもゲスト出演しています。

パフの強みを紡ぎだした日

2008年1月17日 (木曜日)

本日(16日)の午後、3時間ほどかけてパフの強みをベテラン社員(ベテランといっても最年長で30歳だが…)5名プラス國さんと僕とで議論した。今後の商品企画に向けての欠かせないプロセスのひとつである。

いやあ、出た出た。他の会社じゃ絶対出ないようなパフの強みが。しかも、全員コトバや表現方法は違っても、ほぼ共通の強みが出てきたのだ。

でも最大の強みは、社長も社員も、根っこのところで感じている自社への思いが共通しているっていうことだろうな。

夜、創業時からの協賛企業であるKD社の元人材開発部長(教育と採用の責任者)Mさんと、このKD社を担当していたパフ歴代営業マン3名との飲み会があった。

Mさんが年末、歴代の3名の営業マン(マンといっても2名は女性だが)に、「行こうよ」と声をかけてくださり実現した飲み会だ。

僕も急きょ、二次会から合流することになった。

ここでも、パフの強みが話題になっていた。

KD社のMさんが、すでに一次会の場でパフの強みとして3つを挙げてくださっていたのだが、その3つとは……。

1.不器用さ
2.粘り強さ
3.温かさ

ということであった。

なーるほど。長年パフといっしょに採用の仕事をやってきた重鎮からみると、パフの強みってそうなんだな。午後の会議ではいずれも出てこなかったコトバではあるが、いずれも納得できるキーワードである。

やはり自社の強みを考えるには、内と外、両面から眺めてみる必要がある。

それにしてもMさん、ホントにありがたい。採用の現場を離れて、もう2年ほどになるが、ずっとパフの社員たちを心配してくださり、こうやって時折声をかけてくださる。心の名誉顧問である。

折りしもMさんの先輩であるMさんの一代まえの人材開発部長Oさん(いまは某財団の常務理事)からも、この日、久々にお電話をいただいた(ぜんぜん別件だったのだが、やはりパフのことを気にしていただいて)。

Oさんも現場を離れてすでに6年くらいになるのだが、こうやっていまだに気にかけてくださっている。あぁ、ありがたや。

ところであすは、夕方から久々の神戸に行かねばならぬ。大学での後期最後の授業なのだ。お、じゅ、準備が間に合わない……。本日は、ここまで!!

連休明けは慌しいぞ…の日

2008年1月16日 (水曜日)

このブログシステムは、どうやら日付の自由が利かないようだ。僕が家に帰宅して、そろそろ日記でも書いて寝ようかな、と思う時間というのは、だいたい深夜1時から2時くらい。日付は翌日に切り替わっている。すると、きょうの日記が翌日の日記として掲載されてしまうのだ。

たとえば今日の日記。僕は15日(火)のできごとを書きたいのだが、すでに正確な時刻は午前0時を回っているため、16日(水)の日付の日記になってしまうのだ。

ちょっと気持ち悪いのだが、システムに逆らうわけにもいかない。

ということで、基本的にこのブログは、オモテの日付の前日のことが書いてあると思ってください>親愛なる読者の皆様へ

さてさて。きょうは3連休明けの火曜日だった。僕は前日までの3日間、あえて会社には行かなかった。年末年始の6連休でさえ、ほぼ毎日会社に足を運んでいたのだが、この3日間に限っては、強い意志を持って(?)、会社に行くのを我慢した。

じゃあ何をやっていたかというと、ひたすらジムで(エアロバイクで)汗を流しながらの読書と筋肉トレーニングを行っていたのだが、この話はまた別の機会に^^;。

で、3日も完全に仕事をしないでいると、休み明けの仕事はたいへん慌しいことになる。特に先週末は出張もあったため、受信メールへの返信だけでも、相当な仕事だった(返事を要するメールだけでも50通前後溜まってしまっていた)。

パフは毎週最初の営業日に、全社朝ミーティングを、早朝8時から行うことにしている。毎週1回は、全員が顔を揃えて、ホウ・レン・ソウをやりましょうという趣旨だ。

そしてその後、ミーティングのオンパレードとなる。僕は出来る限り、現場の打ち合わせに顔を出そうと思っているので、ほぼぎっしり、分刻みなのだ。

しかも本日は、法務局で資本金変更(昨年末増資をした)の登記日。会議の合間に慣れない書類を短時間で作成して、九段下にある法務局のお役人さんに申請しに行って来た(次の会議まで時間がなかったので、往復を走ってしまったのだが、それはそれでジムに通わずして、安上がりで脂肪を燃やしたことになる)。

さらに加えて本日の夜は、「うまれよ塾」の日。僕は、いつも塾が始まる前まではテンションが低いのだが、いざ始まってしまうと熱が高まる体質だ。18時~21時過ぎまで、みっちりと学生と一緒に過ごした。

で、席に戻ったのは21時半。そこからさらに、頭を使う仕事、頭の痛い仕事に集中。しかし残りの仕事は、「あしたのほうが絶対集中できる」と、割り切って帰宅。時刻は23時30分だった。

と、まあ、終わってみたら、慌しい1日だったわけだ。明日からは仕事に追いかけられずに済むようにしたいものだ。

さ、ということで、そろそろ寝よう。

#「日記を毎日書く」と宣言したものの、こりゃなかなかシンドイ。明日からは3行日記にしてみるかな……。

日記の画面が新しくなった日

2008年1月15日 (火曜日)

今日から、この日記の画面が新しくなった。

今までは、パフの社内で開発された「日記」のシステムを使って書いていたのだが、世の中の「ブログ」のシステムを使ったほうが、コスト的にも、SEO(要するに検索されやすいっていうこと)的にも、好ましいのではないかということで、乗り換えることになった。

いま、そのブログの管理画面に向かって書いているのだが、本当に書けているのかどうか、不安である。書いて「保存」のボタンを押したとたんフリーズしたらどうしよう、とか、ドキドキしながら書いている。

思えば僕がWebで日記を書き始めたのは、いまから6年ほど前。まだ世の中に「ブログ」というコトバさえなかった頃だ。これだけは本当に自慢なのだが、たぶん日本でブログを書き始めた先駆者ではないかと自負している。

、「だからどうした?」と言われればそれまでなので、これ以上は、いつも自慢できないでいるのであるが(苦笑)。

・・・と、どうでもいい、くだらないことを書くのが、僕の日記の6年前からの悪い癖である。かといって、その悪い癖を直す気もさらさらない(苦笑)。

ところで、日記のシステムが新しくなったことで、パフの社員に約束させられたことがひとつある。

それは、「毎日、日記を書くこと」。

ちょっと前までは、ほぼ毎日書いていたのだが、システムセキュリティが厳しくなり、会社以外の場所から日記のシステムにアクセスすることができなくなった。

かといって、日記なんつーものを、会社で書くなんて、自分の時間の使い方の価値観から遠く外れたことだ。なので、日曜の夜に、一週間分をまとめ書きしたものを今までは載せていた。

が、外部のシステムを使うことになったので、自宅からでも、出張先からも、ネットにつながる環境さえあれば、日記を書くことができるようになった。

で、

社員:「毎日書いてくださいね」

釘 :「はい、わかりました」 (実際には、 「えっ! マジ? しょうがねぇなあ。分ったよ、ったく…」

ということになったわけだ。

ということで、明日から、「ほぼ毎日」書くことになる日記。どうぞ、お楽しみに!

ただいまの時刻、2008年1月1日15時55分。正真正銘の元旦です。

そしていま、築地にあるパフの事務所(ミレニアム築地9F)で、この日記を書いています。

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昨年はパフにとっていろいろあった年だった。その「いろいろ」を書くのさえはばかられることもたくさんあった年だった。

半年前より、『原点回帰』『パフ復活』を目指しての組織改革・制度改革を行なってきた。いっぺんにすべてが良くなるわけではないが、徐々にその効果が表れてきた一年の後半だった。

・・・

そして12月には、パフの創業10周年を迎えた。

この日記にも書いたが、社員一同、気持ちをひとつにして、10周年イベントに取り組んだ。多くの方々に感謝の気持ちをお伝えすることができた。もちろん我々も、とても幸せな気持ちになることができたイベントだった。

・・・

12月28日の仕事納めの日。

当初立てた目標に及ばないまま迎えた営業最終日。我が社員たちは、早朝から目の色を変えて、お客様への最後のお願いに奔走した。

そして、おそらくパフ史上最高ではないかと思われるくらいにたくさんの申込書(「発注します」という約定書)をいただいてきた。10分に1枚の頻度で、僕と経理担当者のところに申込書が回ってきていた。おそるべし、パフの若者営業マンたちである。

この日の午後は、今年最後の締め会。12月度の締めであり、第二Qの締めであると同時に、上半期終了の締めでもあった。

締め会では、たくさんの表彰を行なった。

・月間MVP
・プロジェクトMVP
・委員会MVP
・オリジナルサービス創造賞(金賞、銀賞、銅賞)
・P1グランプリ(グランプリ、準グランプリ、敢闘賞)

などなどだ。

それぞれに、納得のいくメンバーが選出された。でも、惜しくも選出されなかったメンバーも、みな素晴らしい成果をあげた数ヶ月だった。

・・・

その後、場所を築地の料理屋の2階広間に移しての納会。

ここでは僕が個人として、4名を表彰した。

・最優秀主演男優賞→タカタダイスケ
・優秀助演男優賞 →タシロアキヒサ
・優秀助演女優賞 →ヒラハラヨウコ
・最優秀舞台監督賞→ヨシカワアユ

である。12月7日に開催した10周年記念式典で、みごとな演技と舞台監督を務めた面々である。前夜に完成したばかりの脚本で、よくぞあれだけの舞台を務めたものだ。

「釘さんが個人で特別に表彰してやってくださいよ!」と、特別友情出演してくださったS社のS社長のひとことで実現した表彰だった。

会社のお金を使うわけにはいかないので、銀行から個人でおろしてきたばかりの1万円札と5千円札をハダカで授与した。ハダカ銭が舞う、品のない表彰式だったが、これで僕の気が済んだ。

その後、年末で会社を卒業することになったキミワダとウメキの卒業式モードに切り替わった。長年功労してくれたふたりへの、全メンバーからの感謝の言葉が3時間以上続いた。なかなかの感動モノだった。

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こんな感じでハッピーに終わった2007年。明けたときにはどうなることかと思われた年だったが、終わりよければすべてよし。2008年にぶじ繋げることができた。

さあ、そして2008年。実は、今年は僕の干支(ねずみ)の年。ばりばりの『トシオトコ』なのだ。

オリンピックイヤーでもある今年、パフもますます発展させていきたいと思う。皆々様、どうぞ本年も、よろしくお願いいたします!!

<追伸>

下の写真は、僕の(パフ社長としての)今年の年賀状です。年末にどうしても書くことができず、元日のきょう、朝から作成しておりました。なにを隠そう本日の元日出社は、「京橋郵便局に年賀状を出すため」なのでした。じゃんじゃん(笑)。

Pce888

ねずみの絵(クゼさん作。KUGI MOUSE)、なかなかいいでしょ?