パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

12月1日。企業の2013年採用に向けての広報活動解禁の日。あわせて就職ナビが一斉にオープン。

ナビの広告が見開きぶち抜きで新聞に掲載されたり、合同説明会の模様がニュースでも大々的に報道されたり、各社のナビがアクセスの集中で一斉にダウンしたり、説明会の予約ができない学生がパソコンの前で固まったり、その様子がまたニュースになったり……。なんというか、まあ、一種のお祭り騒ぎのような日であった。

学生にとっては、社会に巣立つための、はじめの一歩の日なのに。

思うことは、もっと自由に、かろやかに、楽しめるような就職活動にできないか、ということ。企業も大学も就職情報会社も経済団体もマスコミも、日本人として、大人として、親として、社会共通の財産である若者たちのことを真剣に考えた仕組みやルールや行動規範を作れないか、ということ。

 

まあ、いろいろと言いたいことはあるが、ちょっと後日まとめてメルマガのコラムにでも書いてみようかな。

なにしろいま必要なことは、学生と企業のあいだに横たわる溝を埋め、お互いが信頼できる関係を作りだすことだ。

職サークルでも、各種イベントが1月まで目白押し。

特に12月20日のイベント(築地の朝日ホールで開催)には、学生諸君も、企業の皆さんも、ぜひ来場してほしいな。本質的な就職活動、採用活動のあり方を考えるきっかけになるはずだ。

 

良くも悪くも、賽は投げられた。

お互いが信頼しあえる関係を作りだすために、これから皆で頑張って行こう。

 

さてさて、今日も寒いなあ。

あ、今夜は企業の人事担当者の皆さんに、あらためて「人事とはなんぞや?」を真剣に考えてもらうためのセミナーを開催するのだ。自分でいうのもなんだが、これは凄い内容になるぞ、きっと。

では、今夕を楽しみにしながら行って来ます!

昨日は51回目の誕生日。人生の半分を完全に折り返しているわけだが、ゴールが何歳だかわからないので、現在が、(100歳まで生きたとして)51%地点なのか、70%地点なのか、90%地点なのか、99%地点(!)なのかは、よくわからない。

まあ、歳をとるのは切ない部分もあるが、こうして元気に誕生日を迎えられているということには、感謝しなきゃなあと思う。

パフのメンバーたちからもプレゼントをもらった。

(※なぜか写真をアップロードできなくなったのでFacebookにアップしておきます)

健康に配慮して、「飲む酢」と「ユンケル」をもらった。ちょっと見えにくいかもしれないが、その周りにあるベルトみたいなものは、「SPIBELT」という、ランニングのときに小物を携帯するために腰に巻くベルト(ポシェット?みたいなやつ)だ。地味なプレゼントのようにみえるが、これがなかなかどうして、嬉しいものなのだ。

 

そして極めつけは、Facebookでの「おめでとうメッセージ」のオンパレード。ウォールとダイレクトのメッセージを合わせると100人以上の方々からメッセージをいただいた。「いいね!」というより「すごいね!」である。年に1回のコミュニケーションとして考えると、印刷されただけの無機質な年賀状よりも、こちらのほうがいいかも。

 

さて、本日から12月。2011年終了、そして2012年の幕開けまで、いよいよカウントダウンだ。

外は雨模様。かなり寒そうだ。コートを出すのは面倒なので、ランニングのときのウィンドブレーカーを羽織って行こうかな。

では、行って来ます!

昨日の夜は、「釘さんの部屋」。ゲストは、ケミカルグラウト株式会社の代表取締役社長 伊地正博さんだった。

伊地社長は僕より18歳年上。現在69歳。人生の大先輩である。

昭和38年、地盤処理技術確立のために設立された鹿島建設の戦略的子会社がケミカルグラウトである。かの(日本経済界の重鎮であった)石川六郎氏が初代社長に就任し、育ててきた会社としても有名だ。

その石川六郎氏の指名を受けて2005年に社長に就任したのが伊地さん。石川六郎氏は伊地さんに社長を託した年の暮にお亡くなりになっている。そういう意味では、偉大なる経営者、石川六郎氏の遺志を継いでいるのが伊地社長なのである。

そんな伊地社長との対談。最初は少し緊張したのだが、伊地社長の謙虚で優しいお人柄のおかげで、とても楽しく、リラックスしながら行うことができた。

いやー、なんというか、本当に(僕が言うのは生意気だが)素晴らしい社長なのだ。ぜひ昨日の対談、多くの方々に観ていただきたいな。

僕自身が対談を終えた後、とても温かな気持になったのだ。

下の写真は、対談後、いっしょに行った九州料理の居酒屋での写真。この写真からも伊地社長の温かさが伝わってくるんじゃないかな。

伊地社長

伊地社長、昨日は本当にありがとうございました!

 

さて、本日は…。あ、そうか。僕の51歳の誕生日だった。ではでは、ハッピーバースディでも口ずさみながら行ってきます!

 

パソコンに泣かされた日

2011年11月29日 (火曜日)

昨日は一週間ぶりの事務所。月曜日だったので、朝は全員参加の情報共有会議。その後、パソコンを立ち上げ、溜まったメールの整理をし、返信すべきメールへの返事を書き始めたのだが……。

いやあ、まいったまいった。

メールを書いて、さあ、送信!という瞬間に、画面がスッと暗くなったのだ。

あれ?

一瞬、何が起きたか分からなかった。

しばらくすると、Windowsの起動時の画面になった。

つまり、自動リブートされてしまったのだ。

くー。作りかけの文書が他にもいろいろあったのに…。

昨日は、平均すると一時間に1回は、パソコンが自動リブートされてしまった。ひどいときには10分もしないうちに落ちてしまったり……。

いったい原因は何なのか。

まる一週間も使っていなかったから、拗ねてしまったのか?

何にしてもパソコンが使えないと、仕事が進まない。

文明社会とは、実は不便なものなのである。

仕方ないので、本日は自宅のパソコン(いまこうやって日記を書いているノートパソコン)を会社に持っていくとするかな。

 

さて、本日の夜は、久々の「釘さんの部屋」だ。

今夜のゲストはスペシャルだ。土木・建設業界関係者では知らない人はいないと思われる、ケミカルグラウト株式会社の伊地正博社長である。

伊地社長は、僕よりも一回り以上年上の大先輩。

実は先日(11月11日)の日記、「人間いたる処青山あり」は、この伊地社長のところにお邪魔した時のことを書いた日記だったのである。

いやあ、楽しみだけど緊張するな。どんな展開になるのかな。

放送は今夜7時半から。ぜひ日記読者のみなさんも、ご覧くださいね。

では、朝ごはんを食べて、重いノートPCをぶらさげて、行って来ます!

 

一週間ぶりの日記

2011年11月28日 (月曜日)

タイムトラベルを終え、一週間ぶりの日記である。

気がつけば、もう11月も最終週。木曜日からは12月である。2011年があっという間に過ぎていく。

注目の大阪市長選と大阪府知事選は、橋下氏率いる維新の会の圧勝に終わった。大阪の人々の選択が正しかったかどうかは、あと何年(何十年?)も経たないと分からないと思うのだが、大阪や日本に大きな変化が訪れるのは間違いない。今後、注目していきたい。

タイムトラベル中、立川談志師匠が亡くなった。子供の頃、師匠の落語はよく聴いた(というかテレビでよく観た)。幼心に、他の落語家とはぜんぜん違う、強烈な個性をもった噺家だと感じていた。

それにしても、師匠が自分で付けたという戒名「…うんこくさい…」には笑わされた。また、「俺が死んだら新聞は、『だんしがしんだ』っていう見出しだな」という遺言(?)の通りにしてくれたスポーツ各紙もあっぱれだった。昨夜の「情熱大陸」に出ていた談志師匠は極めて魅力的だったし、TBSもあっぱれだった。

25日には、(阪急ブレーブスや近鉄バッファローズなどの監督を務めた)西本幸雄氏も亡くなった。ジャイアンツを中心とするセ・リーグ全盛の時代にあって、さほど野球に詳しくなかった僕でも西本監督のことは鮮明に記憶にある。

最近、僕らが若い頃に活躍していた芸能人やスポーツ選手が次々と死んでいく。しょうがないことだが、やっぱり寂しいものだな。

 

とりとめのないことを書いてしまった。

一週間留守にしていただけで、ずいぶんと世の中が変わった気がする。普通に過ごしていたら、そんなこと感じなかっただろうに。

世の中の変化は、世の中から少し距離を置くことによって見えてくるものなのかもしれない。東京のことは東京から少し距離を置くことで。日本のことは海外に出てみることでよく見えてくる。

ということは、グローバルのこと、世界全体のことを本当に考えるのならば、地球を離れなければならないといけないということか。政治家の皆さんには全員、先日帰還した古川さんみたいに、しばらくの間、宇宙に滞在してもらうのがいいのかもね。

 

さて、では一週間ぶりに、茅場町の事務所への徒歩通勤。行って来ましょう。まさかとは思うけど、道を忘れていないだろうな(笑)。

 

と、タイトルを書いてから思い出したが、昔NHKで、『タイム・トラベラー』っていうドラマをやっていたな。

ネットでちょっと調べてみた。

なるほどね。

1972年1月1日から2月5日まで。毎週土曜日の夕方6時から放映されていたらしい。

筒井康隆の『時をかける少女』が原作だった。

僕が小学6年生になる前のころだ。

そうだ、札幌オリンピックのころだ。トワ・エ・モアの、『虹と雪のバラード』が、毎日のようにラジオやテレビから流れていたころだ。

懐かしいなあ……。

それから10年くらい後(いまから30年くらい前)に、原田知世が主演で、『時をかける少女』という映画もやっていたが、僕は断然NHKの『タイム・トラベラー』のファンだった。

いま調べて初めて知ったのだが、このドラマの主人公の少女役をやっていた女優さん(浅野真弓さん)って、先日亡くなった柳ジョージの奥さんだったんだ。

へー、そうだったのかあ。

あの可憐な少女(女子中学生役)、いまでもよく覚えている。好きだったんだよなあ……。

 

と、どうでもいいことを書いてしまった。

書こうと思ったのは、僕もあすからしばらくの間、タイム・トラベラーになるということ。

時間旅行に出かけてくる。

詳細はナイショ。

150年くらい前から35年くらい前の時代を旅してくる。

パソコンもネットもない時代だ。

よって、ブログを書きたくても書けない(FacebookやTwitterくらいなら、一瞬、現代に戻ってきて書くかもしれないけど)。

ということで、最低一週間、「釘さん日記」をお休みすることにする。

病気になったわけでも、夜逃げしたわけでも、蒸発したわけでもないので、読者のみなさん、どうぞご心配なく。

ということで、明朝より、時間旅行に行って来ます!

 

昨日は、親世代の縁が、子供世代の新しい縁を生みだすという出来事があった。まさに世代交代だな。オヤジたちは若者たちに知識、経験、志をつないでいくのだ。

ということで、僕が7月から毎週書いてきたオヤジコラムも、そろそろ終わりが近づいている。先日書いたのを含めてあと3回。

ラスト3回。何を書こうかなあと考えたのだが、やっぱり締めは「うまれよ」だろう、ということで、以下のようなコラムを書いてみた。

日記読者の皆さんもどうぞご覧くださいませ^^

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┣★┫≪7≫ 職学校校長・釘崎のコラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」

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 うまれよ!(前編)

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 おい、みんな元気か? 頑固オヤジの釘さんだ。

 今週からこのメルマガが届き始めた奴。俺が誰だか分からんだろうから、まずはこれを読んでくれ。

  ⇒ http://puff.weblogs.jp/message04/2011/07/vol3.html

  

 俺がこのメルマガのなかのコラムを書きはじめたのが7月末。早いもので、もう少しで4カ月が経とうとしている。

  これから、就職活動を経て社会に巣立っていくお前たちに伝えたいことを、あえて説教臭い口調で書き連ねてきた。

 そんなオヤジコラムも、あと3回で終了となる。

 そこで、今回から最終回までの3回は、俺が10数年前から、「うまれよ塾」という就職講座で教えていることを。 そのなかでも、俺自身が最も大事にしていることを、お前たちにも伝えたいと思う。

   

 「なに?『うまれよ塾』?? へんな名前の塾だなぁ…」と思った奴。

  

    喝!

 

 と、言いたいところだが、確かに奇妙な名前の就職講座だよな(苦笑)。

 しかし、この『うまれよ塾』の命名には、俺の深い思いが込められているんだ。

 

 ☆☆☆

 

 そもそも『うまれよ』というのは、俺が生み出した言葉ではない。

 俺がこの人材関連の業界で最も尊敬する先輩の一人に、ムライさんという人がいるんだが、俺がパフを創業したばかりのころ、そのムライさんと有楽町のガード下で一緒に飲んでいる時に教えてもらった言葉なんだ。

  俺は、この『うまれよ』の意味を聞いたとき、全身にビビビビと、電気が走るほどの衝撃と感動を覚えたんだ。

 それ以来、この『うまれよ』を、俺の就職講座の名前として使わせてもらっている。

 

 ☆☆☆

 

 『うまれよ』とは、いったい何なのか?

 それは、次回(11月23日)のメルマガと、次々回(11月30日。俺のコラムの最終回)のメルマガで明らかにしたいと思う。

 

 う・ま・れ・よ

 

 この四文字には、実に深い意味が込められているんだ。

 お前らがこれから、就職活動を行い、社会に出ていくにあたって、もっとも大事にしなければならないことだ。

 まず次回は、『う』と『ま』の意味を説明する。

 楽しみにしていてくれ。

 じゃ、また来週な!

 

 ‥‥【執筆者紹介】‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 釘崎清秀(くぎさききよひで) 株式会社パフ 代表取締役社長

 

 1960年(昭和35年)、熊本に生まれ、大分に育つ。株式会社リクルート(大

 学在学時)、IT系企業を経たのちの1995年、国内老舗のインターネット求

 人サイトの立ち上げに参画。1997年、本質的な就職・採用ビジネスを行うた

 めに、パフを設立。来年就職活動生の娘がおり、就職活動生のことをわが息

 子・娘のように思っている。著書『キミは就職できるか?』(彩図社刊)

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