同世代の仲間たち
2011年6月29日 (水曜日)
僕は昭和35年(1960年)生まれ。同い年の日本人は150万人ほどいる。昔はあまり意識したことがなかったのだが、最近は、同い年の人たちが頑張っているのをみると嬉しくなってくる。
昨日、震災で被害を受けた東北に本社があるS社のS社長から、うちの社員たちに素敵なプレゼントが届いた。2カ月ほど前、S社長を励ますために、社員たちが寄せ書きを送ったことがあったのだが、そのお返しとして、S社長からうちの社員たち一人ひとりに向けてのメッセージを書いたシートが送られてきたのだ。
うちの社員たちが送ったメッセージは、S社長一人に向けたものだったので、時間にすれば10分程度で書けたであろう。しかし、S社長のお返しのメッセージは、20名近くいる社員たち一人ひとりに向けたもの。たくさんの漫画やイラストまで書いてあり、相当な時間を費やして書いてくださったのがわかる。感激である。事実、社員たちは大歓声をあげていた。S社長、すごい!
このS社長も僕と同い年。困難などものともせずに頑張っている、元気ハツラツの50歳だ。
もうひとつ。
先週末デビュー36周年のLIVEを行なっていた双子のアイドル歌手、ザ・リリーズ(Lilies)。一昨日の日記でも、写真を載せたりして紹介したのだが、なんと、昨日その日記に、次のような素敵なコメントをいただいた。
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釘崎さま
先日はライブにお越し頂いてありがとうございました!50代になって更に「今」という瞬間瞬間を、精一杯生きることの大切さを感じています。
私達世代が、何時までも夢を持ち続けて情熱を傾けて生きることの必要性も感じています。
LILIESはこれからも新しい挑戦を続けていきます!
釘崎さんも頑張って下さい!また同世代の仲間達と私達のライブに是非、お越し下さいね!
LILIES mayumi
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mayumi(真由美)さんというのは妹さんのほう。いつも向かって右側で歌っている。5月14日に僕らが行ったチャリティーライブがきっかけで親しくなったのだが、ホントに可愛くて素敵。
リリーズも、僕と同い年の50歳。「私達世代が、何時までも夢を持ち続けて情熱を傾けて生きることの必要性も感じています」という言葉には、自分たちのことがどうのこうのではなく、後に続く世代のために、自分たちこそがキチンとした後ろ姿をみせていかなければならないのだ、という清々しい使命感のようなものを感じる。
S社長とmayumiさん。似ても似つかぬ(笑)二人であるが、まぎれもなく同世代の仲間たち。昨日は、この二人に大きな勇気と元気をもらったのであった。
さて、きょうは朝から暑いな。元気を出し過ぎて熱中症でバッタリ倒れるわけにもいかない。水分補給をしながら、そろそろ行って来ます!
水天宮で取締役会を開いた日
2011年6月28日 (火曜日)
昨夜は水天宮の某所でパフの取締役会。
パフには現在、僕以外に二人の取締役がいる。二人とも非常勤なので、ふだんはパフの事務所にはいない。だから重要事項を決定する際は、社外で話し合うことが多い。三人が同じ場所で同じ時間に集まることも難しいので、僕がそれぞれの取締役にその都度議案を持ちこんで承認を得るスタイルだ。
先週、創業時からの取締役であり大株主でもある金澤さんに承認をもらった議案。きょうはもう一人の取締役である國さんに持ちこんだ。
國さんに取締役を引き受けてもらったのは二年前だが、この二年間で我々人材ビジネス関連事業者を取り巻く環境は大きく変化した。
昨夜は、そんな環境変化に対応するための、今後のパフのシナリオ作りについて話し合ったのだ。
國さんは、財務三表に関するヒット作(書籍等)を連発する一方で、ドラッカーの大家としても知られる。ドラッカーの原書を隅から隅まで読み込んでおり、ドラッカー思想の根本を会得している人でもある。
昨夜のミーティングでも、ドラッカーが語る経営の要諦がふんだんに出てきた。
いやー、ドラッカーは深い。でも(大企業であっても、パフのような零細企業であっても)経営者にとっては痛いほど理解できる。本質論で完膚無きまでに打ちのめしてくれる。グーの根も出ない。
最近はドラッカーがブームのようになっており(もしドラの影響?)、いろんな書籍が出ているが、ドラッカーの本質を理解したうえで書かれているものは、どれほどあるんだろうか。
昨夜は、ドラッカーの根本思想といくつかの言葉(たぶん日本のどの訳書にも今までなかったようなコトバ)を國さんに教えてもらいながら、これからの会社のあり方に思いを馳せたのだった。
ところで、昨夜の議案は、もちろんすべて承認可決。新しいものを生みだすことを決めた場所が(安産の神様がいる)水天宮だというのも縁起が良い。あとは実行するのみである。本日から、いよいよ秒読み態勢だ。
では、安産に向けて、本日も行って来ます!
不易流行
2011年6月27日 (月曜日)
ふと、「不易流行」という言葉が浮かんできた。
goo辞書から不易流行の意味をコピペしてみる。
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いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧しょうふうはいかいの理念の一つ。解釈には諸説ある。▽「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」は時代々々に応じて変化すること。
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世の中の経営者は「変化」という言葉が好きだ。変化を恐れていては、会社や組織を永続させることなどできないと思っている。僕もその一人だ。
しかし、なんでもかんでも変化すればいいっていう話でもない。
変えてはならない本質。回帰しなければならない原点といったものもある。いままで大切にしてきたこと。そして、これからも大切にすべきこと。
だからこそ、捨てなければ(止めなければ)ならないこと。改めなければならないこと。新しく生み出さなければならないことがある。
このバランス(絶妙な匙加減のとりかた)によって、それぞれの組織の価値観や文化といったものが醸成されていくんだろうな。
この数週間、複数の金融機関の担当者と難しい話をする機会が多かったのだが、同じ目的で同じテーマについて話し合っているにもかかわらず、それぞれの金融機関で対応がまったく異なる。それぞれの金融機関の担当者に対して、がっかりすること、頭にくること、呆れることは確かに多いのだが(あれ?なぜかネガティブな感情ばかりだな、笑)、そのポイントがまったく違うのだ。同じ金融業界であっても、こうも違うというのは、「担当者の個性」というレベルの問題ではあるまい。おそらく個々の企業文化・価値観の違いであろう。
金融機関がどんな価値観や文化を持っていようと、そんなの普段は知ったことではないのだが、いざ相手にリスクを伴う判断を求めるような交渉をすると、その根底にある考え方(価値観や文化)がオモテに出てくるから面白い。
よく経営者仲間で、「○○銀行は、○○の血をひいていてエゲツナイから気をつけろ」なんて囁かれることが多いのだが、まんざら根も葉もないことではないと思えてくる。
おっと、少し脱線してしまったが、「不易流行」の話である。
ちょっと前にも書いた、「中庸」の考え方にも通じるような気がする。普遍(不変)なものと変えるべきこととのバランスが崩れると、世の中に不徳をもたらす存在となってしまう。
「会社の仕事は慈善活動(世のため人のため)ではない」と言いきる人にも強い違和感をもつ。慈善でも偽善でもよいのだが、会社の仕事のベクトルが、世の中に向かなくなることの罪の大きさを考える必要がある。近江商人の「三方よし」の商売の原点を取り戻す必要がある。さしづめ我々の商売における三方は、「学生(学校)」「企業」「世の中」だな。
土曜日に、かつてのアイドル歌手ザ・リリーズ(現在はLiliesと改名)のデビュー36周年記念ライブに招待されて行ってきたのだが、まさに「不易流行」。15歳のころの可愛らしさや清純さは、50歳を迎えたいまでも変わっていない。しかし、円熟した大人の女性としての(かつてはあるはずもなかった)魅力が今はある。36年間の人生を経て、変わったもの、捨てたもの、築いたものが、存分に感じられたのだ。
・・・とりとめもなく、そして脈絡もなく、ぐだぐだと書いてしまった。
あ、そうだ。お口直しに、そのLiliesさんのライブで撮った写真を貼り付けておきましょう。
さて、いよいよ、今期最後の週である。
「不易流行」と「中庸」を念頭に、新しい期へのバトンを渡していこうと思う。
神田東洋ビルに侵入した日
2011年6月24日 (金曜日)
下の写真は、神田鍛冶町にある神田東洋ビルというオフィスビル。
いまから28年前。日本リクルートセンター(いまのリクルート)の神田営業所が、このビルの10階にあった。
当時大学4年生だった僕は、大学には一切行かずに、毎日この神田東洋ビルに通っていた。そしてこのビルを拠点として、神田界隈の中小企業にリクルートブック(リクナビを分厚い情報誌にしたようなもの)を両脇に抱えながら、飛び込み営業を繰り返していた。
実は、パフの大株主で非常勤役員を務めてくださっている金澤さんの事務所が、この神田東洋ビルのすぐそばにある。昨日、その金澤さんとの打ち合わせが終わったのち、ついふらふらとビルに侵入してしまったのだ。
僕の(実質的な)社会人デビューの地。あの頃のことが一瞬、蘇ってきた。3分間くらい、思いで迷子になってしまったのだった。
そういえば、昨日の夕方は突然の来訪者。
この神田東洋ビルで一年近く一緒に働いていた、当時の新入社員Mさんだ。
Mさんはいま香港にいると思っていた僕は、昨日、「じゃ、詳しくは、こんど日本に帰国したときにでも。いつ戻ります?」という短いメールをFacebook経由で送っていた。
すると、すぐに僕の携帯にMさんから電話がかかってきた。
「俺、実は今、日本にいるんだよ。明日の夜だったら空いてるぜ」
なんと!
Mさんは、僕の人生の節目に、必ずといっていいほど僕の前に登場する人だ。
僕が社会人デビューしたとき。転職したとき。パフを創業するとき。うまれよ塾や、つきしま村塾(いまの月見塾)を立ち上げたとき。このMさんが(直接的にせよ間接的にせよ)なぜか絡んでいる。
不思議な人である。
昨日の夜も、かなりインパクトのある話を僕にしてくれた。僕にとっては(これからやろうとしていることへの)大きな自信につながった。キーワードは「静脈」と「ライブ」である。
Mさんは、パフが今年の夏以降にシリーズで開催する学生向けのリレー講座や、協賛企業人事担当者向けの勉強会にも講師として登場する予定なのだが、ぜひ、「静脈」と「ライブ」の話をしてもらいたいな。
それにしても、神田東洋ビルで汗をかきながら働いていた22~23歳の若者たちが、50歳を超えたいまも、こうやって繋がっていることが嬉しい。
さて、本日はあっというまの金曜日。今期も本当に大詰め。あと一週間になってしまった。新しい時代の扉を開けるために、もうひと働きしようと思う。
では、行って来ます!
嗚呼、舞鶴魂
2011年6月23日 (木曜日)
昨日は夕方より、教育・研修の会社であるJ社の社長K氏との打ち合わせ。
実はKは、僕の高校3年生のときのクラスメイト。高校を卒業して以来25年ほど会っていなかったのだが、いまから8年前の2003年に偶然再会した奴だ。
Kは8年前に、自分が起こしたJ社とは別の、R社の社長を兼務していた。パフは商材のひとつとして、R社のコンテンツを利用することが多かったこともあり、かなり密なコラボをしていた。
ところがKは、オーナーとの方針の違いから、翌年R社の社長を退任することになる。と同時に、パフもR社とは疎遠になっていった。
しかし、Kとは高校時代の同級生というよしみもあり、その後も(密接とはいかないまでも)ゆるやかな付き合いが続いている。
昨日は、そのKと「久々に一杯行こうよ」ということになった。
この数週間は超過密で緊張感のある日々を過ごしていたこともあり、「忙中閑あり」といった趣だった。
Kと飲むのは本当に久々。
故郷の話、高校時代の話、子供の話などで盛り上がった。そして仕事の話でも、久々にカッコつけずに、ありのままのことを語り合うことができた。やっぱり、(出来の悪かった)少年時代を互いに知っている同級生だからだろうか。何も飾る必要がないのだ。
僕らの通っていた高校は、大分舞鶴高校。
大分舞鶴には、「舞鶴魂」というのがある。
ねばれ、がんばれ、しまれ、おしきれ!
という掛け声だ。
ラグビーの試合の応援をするときなどは、必ずこの舞鶴魂を大声で叫んでいた。
僕は劣等生だったくせに、この舞鶴魂だけは卒業から33年経ったいまでも大切にしている。
ねばれ、がんばれ、しまれ、おしきれ。
うん、いいね!
昨夜Kと飲んでいて、久々にこの舞鶴魂が蘇ってきた。
本日も、過密なくらいにいろんな勝負事がある。
この舞鶴魂で、きょうも最後まで、ねばって、がんばって、しまって、おしきることにしよう!
職サークルのFacebookページがオープンした日
2011年6月22日 (水曜日)
昨日のお昼頃、パフのツチダが僕の席に“のそのそ”とやってきて、「クギサキさん、ちょっといいですか。いいねを押してもらいたいんですけど」と、僕のPCを奪った。そして画面に表示させたのが、職サークルのFacebookページである。
おお、やっとできたんだ。
春先から、作ろう、作れ、と言っていたのだが、なかなか進んでいなかった。作ろうと思えば難しいことではないのだが、なかなかそのための時間を割くことができていなかったのだ。
しかし、救世主あらわる、である。
5月からインターンとして勤務しているタカハシコウヘイが中心となって、立ち上げ作業を進めてくれた。
やった、やった、よかった、よかった。
Facebookページの機能をいろいろと使うためには、25人の「いいね!」を集める必要があるらしいのだが、オープン後、数時間でその数は突破した。
その後も徐々に、「いいね!」の数が増えており、この日記を書いている今現在、56人の方々から「いいね!」を頂いている。
このペースなら、本日中には100人を突破するかな?
今後は、このFacebookページを通じて、職サークルの広報活動を進めていきたいと考えている。人と人のつながりが、さらに大きなつながりを生みだしていく。一人でも多くの方々に、職サークルの存在を知っていただけたらと思う。
ぜひ日記読者の皆さんにも、こちらのURLからページを開いて、「いいね!」を、ぽちっと押していただけたらと思う。⇒ http://www.facebook.com/shokucircle
さて、本日は最高気温が32℃まで上昇するらしい。ついに夏だな。いろんなことがあるけど、暑さでバテないように朝食をしっかりとって、本日も行って来ます!
中庸の徳たるや、それ至れるかな
2011年6月21日 (火曜日)
毎週、月曜日の朝礼(全体会議)で論語の話をしているのだが、先々週から、あらためて「中庸」と「礼」についての話をしている。
礼というのは、形式だけで終わってはいけないということ。中庸というのは、平凡だったり、たんに真ん中をとったりすることではない、ということを伝えている。
特に孔子は中庸を重んじており、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とまで言っている。孔子の思想のベースにあるものだ。
恐れながら僕も、様々な価値観や考え方を、交わらせたり対立させたりしている世の中で、人々がもっとも大切にしなければいけないのは、中庸だと思っている。ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、いわゆる「バランス感覚」に通ずるものであると解釈している。
人には、その人が属する組織や集団のなかで、それぞれの立場や役割といったものがある。その立場や役割に立脚した価値観・考え方もあるし、その人が元来有している価値観・考え方もある。
複数の組織ではもちろんのこと、同じ組織内であっても、人々が共同で、ひとつの物事を進めるとき、この価値観や考え方の違いが、物事の進捗を阻むことがよくある。あるいは自分の組織や立場を守ることに重きを置くあまり、本質を見失うこともよくある。だから不毛な対立や、独りよがりの主張や、玉虫色の決着や、結論の先送りが行なわれたりする。いま国会で起きていることなんかは、その典型的な例なんじゃないかな。
ここで大事になってくるのは、「中庸」である。
より高い次元で遠くを見る目。相手の立場や気持ちで近くの物事を見る目。世の中にとって(特に後世の人々にとって)大切なことは何なのかを見る目。
僕らは組織人であると同時に、日本人であり、地球人である。地球あってこその日本であり、日本あってこその我が組織である。
中庸っていうのは、そういう視点でものごとを捉えることなんじゃないかと思うのである。決して、足して二で割ったり、真ん中をとったり、衝突を恐れたりすることではない。
・・・あれ?なんでこんなことを長々と書いたんだろう。
なんだか偏狭な議論や、人の批判や中傷ばかりを目にすることが多い昨今。書きたい気分だったんだろうな。
さて、本日は雨模様。梅雨真っ盛りだ。日中は蒸し暑くなるそうだが、アタマは冷静に、ハートは熱く、行動はテキパキを、心がけていきましょう!