仙台のS社長のメール(被災地レポート)を転載します
2011年3月20日 (日曜日)
先日の日記でご紹介した仙台のS社S社長からいただいたメール。感動的な内容だったので「釘さん日記」への転載をお願いしたら、(個人名や社名がイニシャルであれば、ということで)快諾をもらった。
かなり長いメールだけど「311」のドキュメントとして貴重な内容なので、ぜひ読者の皆さんと共有したいと思います。
※文中「大人倶楽部」とあるのは、僕やS社長らオヤジメンバー(マダムも若干名)で構成している宴会倶楽部の名称です。
———– 以下、S社長のメール(一部編集) ————-
大人倶楽部の皆々様
S社 Sです!
このたびは皆様からの温かいお言葉の剛速球、たくさんいただきました!受けとめました(ラブ・注入)心から感謝いっぱいです。本当に力がみなぎってきました。
以下、少々長くなりますが、地震当日からの私と仙台です。
311のあの瞬間、私は東京 芝公園付近でタクシーを降り、30階建ての顧客のビルに到着。 そのエレベーターに乗り込もうとした直前に揺れ始めました。
危機一髪!
乗らなかったエレベーターはストップし、しばらくの状況確認の後に、我々4人は階段で24階まで上がり打ち合わせ開始。(汗だく・・)
何回も余震を感じ、ヘリコプターの多い空、お台場の黒煙と東京タワーの先っぽが曲がるのを話題にしながら顧客との打ち合わせ終了。
その後、人人人であふれる歩道を神田(S社東京営業所)まで歩きました。
東北新幹線はストップ、ホテルも満室、営業所でエアー包装材に包まれながら、社員たちと眠りにつきました。(エアー包装材、ナイスな使い方!)
翌12日土曜日、問い合わせの電話を営業所で対応し、テレビから情報を集め、この日の東北新幹線の復旧が絶望的と知る。
社員の車を借りて神田を午後3時に仙台に出発。乗員は当社営業部長と、昨年春に東京の会社に就職したその息子さんと三人で。
「仙台の実家に帰ってきていいぞ!」と息子さんに言ってくれたその会社の上司は素晴らしい。
放射能を浴びたくないので、新潟経由を検討するも、タイヤは夏タイヤ。新潟の雪道では心配なので、4号線をひたすら北上することにする。この季節、風向きは確か西から東が多かったかな。被曝なんかするもんか!(すでに原子力発電所の異変は友人からのメールで知らされていた)
途中で食糧・水・カセットガスコンロ・車用携帯電話充電器、ウエットタオル等をしっかり購入。仙台は間違いなく売り切れだろう。
スーパーのレジで老夫婦と買占めの話題で盛り上がり、「今から仙台に車で帰るのだ、」と話すと驚いていた、明るく励まされた。なぜかふだん感じることのない暖かさを老夫婦の笑顔に感じた瞬間だった。
途中、豚カツ屋でカツカレーを、これから待ち受ける大勝負のためにしっかり食らう!
問題はガソリンだ。
福島付近以北のGSは間違いなく販売量の規制をしているだろう。ぎりぎり北上し、GSの行列に並ぶも、1台ガソリン2,000円分までしか購入できない。しかし、乗ってる車はスズキの好燃費車。ガソリンは充分だ。大量の食糧等を満載し、重量級の3人が乗ってもこの燃費と加速。日本製造業に携わる一人として誇りに思う瞬間。
夜中に東北地域に入ったせいか、予想以上に渋滞が少ない。東京を出た時にはラジオで、「宮城県庁まで100kmの渋滞」と言っていた。
福島付近を通過すると、自衛隊の緊急車両が目立ちはじめる。進めば進むほどその台数は増えてゆく。
ある交差点にさしかかる時、その隊列は一斉に右折して消えていった。彼らの頭には「被曝の危険」はないのだろうか?
そんなことを一瞬考えて、彼らを見送っている自分が恥ずかしくなった。
宮城県南に入ったところで朝日が昇ってきた。13日、日曜日の朝日。鮮やかな、本当に赤い、大きな朝焼けだ。
明るくなってきて気がついた。たくさんの自衛隊のヘリコプターの編隊が北に向かっている。そう、海のある変わり果てた北へ、だ。
急にテレビの津波の映像が蘇ってきた。
仙台近郊、岩沼を過ぎて息子さん曰く「歴史的な惨事を目に焼きつけておきたい」。
ハンドルを右に回し、名取ショッピングモール「エアリ」を通過する。「エアリまで津波が来ている」この情報が間違いだと知る。
・・・ここからだ、津波の被害は。
数年前にできたお洒落な住宅地の景色が一気にテレビの映像と重なる。波だけではないのだ、船、車、古タイヤ、木々含め、あらゆるものが波の力を借りながら破壊を続けたのだろう。
真っ黒いドスグロイ世界。
あっ! 牛がいる、二頭。元気に二頭が、泥だらけ住宅街のフェンスに繋がれている。
なぜ?
流された牛二頭を誰かがここに繋いだのだろうか?
そしてその先は、さらに悲惨な景色。
私たち三人は車から降りて、橋の上に上る。わざとらしく、格好よく言っているのではありません。本当に真っ赤な大きな朝日が昇って輝いているのです。
砕け散った景色、人一人もいない水浸し泥だらけ破壊だらけの、この朝日の昇る景色を、私たち三人はきっと忘れないと思う。
Uターンし、街中を通過しながら思う。仙台近辺、街中も、本当にダメージが少ない。倒れた塀、崩れた家、割れたガラスも見ることはできる。
しかし、本当に少ない。
だからマスコミは、災害対策本部のある宮城県庁を上空から一度映したきりで、あとはひたすら海側の悲惨な状況を取材しているのか。
県外から戻りたい我々は実は、被害が少ない、その中心部への交通状況、インフラ、食糧事情等、これから被災地の真っただ中ではあるけれど、確かに生活が営まれている地域の情報もたくさん欲しいのだ。
海側のことを考えると本当に辛くなるが、しかし、地震翌日の東京の朝、いつもの普通の朝に見れた景色も確かにここにもある。
仙台に無事に到着。
二人と別れてから自宅に戻り、大切な車を貸してくれた東京の社員に連絡し、感謝しつつ車を降りると、車の下周りにはあの地域の泥と草がびっしりこびり付いていた。一刻も早くきれいに洗車をしようと強く思った。
13日、日曜日 朝6:00。東京 神田を出発してから15時間経っていた。
前置きが長くなりました。
当社の状況です。
全社員は怪我ひとつなく皆、元気です。被害調査で二階倉庫を見ました!!重量物の荷崩れがありました。
運が良かったです。
当社の倉庫内担当者はトラックへの積み込みのため、現場を離れていて無事。
真下にいたら即死でした。
本社と工場も外観のダメージは最少。工場の機械は多少動いてしまっていますが、機械オペレータの検査では、電気が復活すれば生産は可能ではないかと。
ひと安心。
本日午前に本社の電気系が復活!(恥ずかしながら発電システムは自前ではない)。
社内神経系に当り前の電気が通い、瞬間女性社員の喜びの声が事務所にあふれる。情報システム系が息を吹き返すと同時に問い合わせ多数。
一気に社内に活気が戻る。元気に明るく、時折冗談も交えて状況説明をし始める。我々自身の努力が作り出す体制は整いつつある。
あとは、この地域への各物流会社の自由な早期乗り入れ体制と、(各社この地域一帯の集荷・配送業務ストップ中。物が全く動かせない)ガソリンスタンドでの燃料通常販売再開(1台につきガソリン2,000円~4,000円分しか販売してもらえない、緊急車両優先。しかもどのGSも大行列、6時間並んだあと、在庫が尽きて断られることも。灯油も同様)
そしてなくてはならない食料品の販売を量と種類の両面。
友人曰く。
「本日ダイエーにて買い物をしてきました。朝7時から並び、前には1000人位(徹夜組あり)いました。店は9時30分オープンでしたが私の入店は11時過ぎでした。米5キログラム、切り餅、牛乳、缶詰3Pなどは1個まで、カップラーメンは2個まで、ガスボンベ3個入り1P、ホッカイロ5個入り1Pまで、などと制限は有りましたがその他は買い放題でした(カード可)」
「入店したてはかなりの食料がありましたが、1時頃には、肉、パスタ類の乾麺、小麦粉、米、はなくなってました。米、小麦粉、乾麺は僕が入店した時はすでになくなってました。同じ4時間待つのであれば早い時間に待ったほうが良いかと思います。」
「ちょっと辛いけど5時頃から並んででも買える物を考えると、違いがあります。物資的には毎日今のところ入庫するとのことなので、欲しい方々は行ってみてください」
「ちなみに立町のドンキホーテは7時から並び、前には300人位、10時頃買い物が出来ましたが、水2リットル1本まで、カップラーメン5個まで、インスタントラーメン5個1P1個まで、ガスボンベ3個1Pまで、傘、寝袋の6品しかなかったそうです。仙台朝市も7時頃から行けばけっこう並べば買えました。」
当り前の毎日に最速で進むことを願っています。
私の家族も皆ぴんぴんしています。
春休みで東京から帰ってきていた娘は、地震当日の夜の新幹線で帰る予定でしたが、もちろん今も自宅待機です。
日曜日の朝、線路上で立ち往生している東北新幹線を見かけましたが、いつ動くのだろう。
新幹線の電柱を見ると、仙台から北の電柱の曲がりが大きいように見えます。
仙台駅の新幹線ホームの破損も気になる。地震当日夜、JR仙台駅は閉め切って帰宅難民の休み処を奪ったかのように見えた。しかし、ホームの破壊状況も含め、きっと安全のためであったと信じている。
今朝の仙台。
明るくなると、明らかに通常のヘリコプターとは違い、大きな音の救助用のヘリコプターの一団が空をどんどん北へ向かって行く。
今日もあの海へ行くのだろう。
その直後に消防車?緊急車両のサイレンが多数。大きい大きい音、長過ぎる。すごく長過ぎる。サイレンの音は、数台一緒に走って行っても、長くても十数秒ではないか?
長い長い、長い長いまだ長い。
今朝は1分30秒は続いたのではないか?
サイレンの聞こえる場所も、私の家をはさんで数か所の道路から、次から次へと聞こえ続ける。
こんなサイレン、生まれて初めてだ。消えてしまう命の数に比例するものなのか。気持ちが急に無口になった。
マイカーのガソリンが残り少ない今朝。
「ダイエットのために自転車で通勤したら、」と妻に何年も言われ続けて今日、初めて自転車のタイヤに空気を入れた。
S.K