創業のころを語り合った日
2017年5月25日 (木曜日)
4年半前に、こんな日記を書いていた。
創業時メンバーの菊ちゃんが帰ってきた!(2012年12月28日 の日記)
この日記の主人公である「菊ちゃん」が、また4年半ぶりにパフ創業の地に帰ってきた。しかも、かつてのボスであり、パフ創業時の取締役でもあったオプト(現在はオプトホールディング)の鉢嶺さんと一緒に。
上の日記を少し引用してみる。
---
パフ創業時。大学を卒業したばかりの、ひとりのペーペー営業マンがいた。
パフの社員ではない(そもそも新卒を採用する余裕なんて創業時のパフにはなかった)。
名前を菊ちゃんという。
菊ちゃんは、(ネット広告代理店の大手企業である)オプトの新入社員。いまは大企業のオプトだが、当時は社員が10人しかいなかった。
そんな零細ベンチャー企業に夢と野望を抱きながら入社した菊ちゃん。
ところが創業社長の鉢嶺さん(当時パフの非常勤役員を務めてもらっていた)から、「キミはパフに行って釘崎さんの下で働きなさい」と言われて、訳の分からないまま、以降1年間、社会人としての第一歩をパフのどぶ板営業マンとして過ごすことになったのだ。
---
そういうことなのだ(^^♪
菊ちゃんは現在では独立して、全アジアでのビジネスを展開している。普段はフィリピンで暮らしているのだが(日本の学校に進学するために帰国した)息子さんの運動会に参加するために日本に一週間ほど戻ってくることになった。
「だったら久々に飲もうぜ!」ということになり、かつての菊ちゃんのボスだった鉢嶺さんも「ぜひ一緒に!」ということになったのだった。
あ、そうそう。鉢嶺さんと僕との関係を知らない人も多くなってしまった。11年前に書いたこのコラムに、鉢嶺さんとの出会いを書いている⇒「釘さんの素晴らしき100の出会い」第78話(2006年6月12日執筆)
少しだけ引用してみよう。
---
鉢嶺さんとのお付き合いは、「登龍門のプロモーション」や「オプトの新卒採用」を大義名分としながら、より深いものとなっていった。
しかし、大企業を何の未練もなく辞め、学生の頃からの目標だった「起業」を果たし、苦労しながらも楽しそうに社長業を実践している鉢嶺さんの姿が、僕にはとても眩しかった。
そういえば、自分もかつては独立・起業を考えたことがあった。リクルートを辞め、小さなベンチャー企業に入ったばかりの頃は、「いつかは俺だって……」と考えていた。そんなことを鉢嶺さんと会うたびに思い出していた。
(中略)
「釘崎さんが独立するんなら、力になりますよ。エンジェルといって、出資をしてくれる人を紹介することもできますよ。大丈夫ですよ、釘崎さん。会社はその気になれば、いつでも作ることはできますよ」
こんなことを鉢嶺さんは僕に話してくれた。そしてこの話が実は、それから半年後に訪れる僕の大胆な行動の、大きな後ろ盾になっていたのだった。
(中略)
1997年12月12日、僕はパフを設立した。知識も資金も経験もまったくなかった僕が、れっきとした資本金1千万円の株式会社を作ったのである。まさに鉢嶺さんのおかげだった。
鉢嶺さんには会社設立時から4年間、パフの取締役を兼務してもらいながら、いろんな経営の相談に乗ってもらっていた。僕にとって、もっとも頼りになる「7歳年下の先輩経営者」だった。
---
昨夜は、この菊ちゃん&鉢嶺さんという、創業したばかりのパフに深く関わってくれた両名との会食。楽しくないわけはない。
3人だけで酒を飲んだのは創業のころ以来。当時、菊ちゃんは23歳、鉢嶺さんは30歳、僕は37歳。当たり前だけど、皆あの頃は若かった(笑)。
菊ちゃんは「あの頃のパフの営業が、僕の今までの仕事の中でいちばん辛かったです…」と漏らしていたけれど、今やいくつものビッグビジネスをアジアで手掛けている辣腕ビジネスマンである。鉢嶺さんは、言わずと知れたネット広告業界の雄だし。いやー、パフって実はスゴイんじゃないかって思うのだ(笑)。
半年後に創業20周年を迎えるこのタイミングに、正真正銘の創業メンバー3人で飲めたことを実にうれしく感じた夜だった。
ついでに、帰り道に撮った怪しい自撮り写真も載せておきましょうかね(^◇^)
さあ、今日も明日も、面白いことが起きそうな予感。まずは向島電機・乙女寮の少女たちの笑顔を拝んでから行ってきます!