パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

事務所移転を計画してます。

2017年10月12日 (木曜日)

パフは20年間で4つの本社事務所で仕事をしてきた。

最初の事務所は新富町。1997年12月~2000年4月までの2年半近くを過ごした。

10坪程度の小さな古い(2Fには怪しい雀荘が入っていた)ビルで、机6つと小さな打ち合わせテーブルひとつしかなかった。それでも僕にとっては初の事務所。一国一城の主となった地である。内装が終わってはじめて部屋に入ったとき、とても感動したものだ。この事務所がなければ(その後20年間通い詰めることになる)スナックのろさんと知り合うこともなかっただろう。

 

次の事務所は月島(正確な住所は佃)。2000年5月~2004年4月までのちょうど4年間を過ごした。

1フロア30坪で、4F~5Fの2フロアを借りていた。4Fは執務室で5F(最上階)はセミナールーム。このセミナールームでは毎日のように学生向けの少人数イベントを開催していた。「うまれよ塾」は毎土曜日やっていたし、「つきしま村塾」は毎金曜日やってたんじゃないかな。新卒一期生から三期生までの社員を迎え入れたのもこの事務所。いろんな意味でパフの礎を築いた地となった。あ、そうそう。たまに屋上で月や星を見ながらの社内飲み会を開いていたこともあった。のどかな時代だった(笑)。

 

三番目の事務所は東銀座(正確な住所は築地)。2004年5月~2011年8月までの7年間を過ごした。10周年を迎えたのはこの事務所だった。

1フロア約60坪で、当初最上階(9F)の1フロアのみだったが、後に8Fを借り増してセミナールームとして使っていた。が、おぞましきリーマンショックの襲来によって経費圧縮を余儀なくされ2010年には8Fを解約している。東銀座の事務所時代は、社員が急に増えたり減ったり。業績が上がったり下がったり。内紛が起きたり社内結婚が生まれたり。システムが長期ダウンしたり。最後の年は東日本大震災に襲われて執務室のパソコンがなぎ倒されたり・・・・・・と、波乱万丈な時代だった。

 

四番目の事務所が現在の茅場町となる。2011年9月~現在に至る。早いもので、すでに丸6年を超えた。

1フロア約70坪で東銀座の執務室よりも広くなった。セミナールームは九段下に分かれているものの、使い勝手のいい事務所だ。なんたって茅場町の駅出口を出てすぐそばというのがいい。移転したきっかけは経費削減。リーマンショックでどん底に沈んだ財務を復活させるための、ひとつの有効な策だった。部屋が広くなったのに家賃が安くなって、しかも駅のすぐそば。不満はほとんどないのだが・・・・・・。

 

そう、この茅場町の事務所そのものには不満はないのだが、このたび五番目の事務所を探すことにした。移転は来年の夏が来る前に完了させる予定だ。

なぜか。

まあ、その理由はまた今度。

さて、どこになるのだろうか。(この20年間はずっと中央区内の事務所だったのだが)中央区にこのままとどまるのか。他所の区に出ていくのか。いや、それ以前に東京都内なのか。まさか「奥茨城村に移転する!」なんて言い出したりはしないだろうかと社員は心配しているかも(笑)。

実は本日そのために、業者さんとの打合せや内覧に出かけてくる。

さあ、どうなるんでしょうね。

暑い日も今日までという。では、今年最後の半袖シャツを着て行ってきます!