パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日はパフの仕事始め。朝は通常通り、8時45分からの朝礼で始まった。朝礼では年末に入手した縁起のいい「勝とう酒」で今期の勝ちを願いながら乾杯。

 

そして午前中の仕事を終えてお昼からは、会社から徒歩5分のところにある日本橋日枝神社に社員全員で出向き、ご祈祷を受けた。

年の初めの日記なので、このへんのことをじっくりと写真入りで紹介したいところだが、昨日の夕方、パフの某取締役から突然「クギサキさん、明日の朝までに【あえて○○】をテーマにしたコラムを書いてください!」という無茶な指令を受けたため、朝の貴重な日記執筆タイムを使って書くことにした。

そりゃ、僕はキミらに比べたらヒマかもしれませんが、いくらなんでもコラム一本を明日の朝までに書けって、そりゃナイでしょ?・・・なんていう反論は通用しそうもなかったので、無駄な抵抗はせず、おとなしく書きます( ;∀;)。

 

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「あえて、だらけの人生」

根っからのヘソ曲がりだ。親や教師の言うことを素直に聞くことの出来ない捻くれた子供だった。「勉強しなさい」と言われれば、「誰が勉強なんかするもんか」と遊んでばかりいた。人が見てないところでコッソリ勉強したけど(笑)。

高校に入学早々(親元離れての一人暮らしだったこともあり)寝坊して遅刻を連発。担任の教師が親に密告したことに腹を立てて、その教師の授業(数学)はほぼ寝て過ごした。進路面談で「お前には理系はムリ」と言われたことに反発して「あえて理系コース」を選んだり、偏差値至上の教育方針に反発して「あえて大学には行かない!」という宣言をしたり(結局、浪人までして文系の大学に行っちゃったけどw)、下宿屋のおばさんに盾突いて2度も部屋を追い出されたり。かなりの問題児だった。

大学進学後も、誰も入らなそうな超マイナーなサークル(人形劇団ですw)に入って、柄にもなく団長をやって活動に熱中して昔からの友人に「おまえが?」と不思議がられた。

アルバイトも人がやらなそうなことを好んでやっていた。

子供のころからバスが苦手で社会科見学や修学旅行ではいつも酔ってゲーゲーしていた。なのに「あえてバスの車掌」のバイトを2年間やった。おかげで乗り物酔いは完全に克服した。お客さんだった宝塚の有名女優と仲良くなれたのはいい思い出だ。

学生時代最後のアルバイトは、リクルートの営業マン。社員に混じって大学には殆ど行かず、よく働いた。ゼミの先生に「仕事が忙しすぎてしばらく欠席します。論文はちゃんと書きますので許してください」なんていう手紙を書いた。よく卒業させてくれたものだ。数年前その先生と古希の祝いで飲んだとき「あの時はびっくりしたけど、クギサキ君らしいと思ったよ」と笑っていた。

そんなことだから、就職もマトモではなかった。誰もが行きたがる大企業や有名企業には絶対に行くもんかと思っていた。あえて親兄弟が猛反対するような社員が一桁しかいない零細企業に入社した。学生時代は理系失格だったのに、あえてコンピューターのシステム開発の仕事を選んだ。

素人のくせに、上司や先輩の言うことを素直に聞くのがイヤだった。あえて自分独自のやり方を模索していた。おかげで遠回りしたこともあるけれど、画期的な手法を編み出して顧客に褒められることも多かった。

そんな生き方の延長に今がある。いま自分はケッコー幸せだ。もし「あえて」の選択をしてこなかったらツマラナイ人生だったんじゃないかと思う。「人の行く裏に道あり花の山」という格言がある。「人と同じことをやっていても成功は覚束ない。人がやらないことを思い切ってやりなさい」という意味だ。

一度きりの人生。「あえて○○」という選択はまんざらでもなかった。でも、「あえて」を選んだ以上は、それを貫き通す覚悟と頑固さも必要なんだと思う。

危険だから良い子はマネしないほうがいいと思う一方で、「平凡ではなく、波乱万丈の人生を送ることにこそ意味があるんだ!」と思える人にはおススメですよ(笑)。

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うーん、推敲の時間なし。ヨシカワさん、書いたよ( `―´)ノ
あとはヨロシク!

あ、時間がない。

では急いで朝メシ食べて行ってきます!