1999年のインターン生
2018年10月11日 (木曜日)
1999年といえば、多くの人がノストラダムスの大予言が現実のものとなるかどうかが気になっていた年。だけど、僕にとっては、ノストラダムスなんかどうでもよくて、未熟児として生まれたパフが死んじゃわないように日々必死に戦っていたころだ。
このころのパフには従業員は誰もおらず(払える給料がなくて辞めてもらっていた)、僕はまさに孤軍奮闘。おかげで少しずつ光明が見え始めてきた時期でもあった。しかし、一人だけで頑張っても限界がある。とはいえ、社員はおろかアルバイトすら雇える財務状況ではない。
そこで思いついたのが「インターン生」の採用だ。何をやらせるかというと「どぶ板営業」。交通費だけは支給するものの報酬はゼロ。ただし、卒業後すぐに活躍できるだけの実力がパフで働くことで身に着く、という触れ込みで募集を開始した。
不思議なもので多くのインターン生が集まった。その数、全7名。大学4年生が6名で3年生が1名。7月中旬から9月中旬までの約2か月間、(途中で逃げ出した連中もいたが)みっちりと働いてもらった。
当時、彼らは21~22歳。僕は38歳。「こら!お前ら何やってんだ、ふざけんな、バカタレが!」という怒号が毎日のように飛び交っていた。若かったんですよね(笑)。
それが今はこれだ。☟
うわっ。腹の出た中年のおっさんたちではないか(笑)。
これ、一昨日の夜の写真。1999年に働いていたインターン生のウエスギ(当時中央大学3年生)とノグチ(当時東洋大学4年生)。1999年、最後の最後まで逃げずにインターンをやり切った根性ある(当時の)学生たちである。
二人ともすでに40代なのだが、ウエスギ(真ん中のオッサン)がこのたび長らく勤めた大手証券会社を辞めて起業することになった。その相談で、彼がいま住んでいる北海道からわざわざ飯田橋までやってきたのだった。
僕の中では、いつまでたってもアマちゃんなインターン生なのだが、20年近く経った今でも、こうやって頼ってくれるのは嬉しいものだ。
起業は傍から見るほど易しいものではないのだけれど、昔のパフのどぶ板営業よりも楽かもしれない。がんばってほしいな。
さてと。お、本日は起業して10年以上がたち大成功を収めている経営者との会食だった。飲みすぎ食べ過ぎに注意しましょう。
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!