パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

今日で22歳を迎えました

2019年12月12日 (木曜日)

パフは本日で満22歳を迎えました。パチパチパチパチ。

22年前(1997年)の今日、パフは生まれたのです。

毎年12月12日は来るわけだし、2年前には盛大な20周年記念式典を実施したので今日は特に何かをやる予定はありません。

それでも特別な日ですから、この日記には懐かしい設立日のことを書いた「パフの創業物語」の最終回を転載しちゃいましょう。

はい、得意の手抜きです(笑)。


1997年12月12日。

この日がパフの設立日、すなわちパフが生まれた日です。

「生まれた!」といっても、「おぎゃ~」と産声をあげるでもなく、ただ無表情な法務局のお兄ちゃんが、会社設立登記申請の書類を受け取ってくれただけのことなんですけどね…。

この日、クギサキくん、37才と0ヶ月12日。お世辞にも「青年社長」とは言えない年齢になっていましたが、それでも、これから始まる未知の世界に、まるで少年のように心をウキウキさせていました。

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この「パフ創業物語」を書き始めたのが、昨年の7月30日。第1話のタイトルが「清秀誕生」(ボクの下の名前です)。

まさに丸1年間の歳月をかけて、クギサキキヨヒデという人間が生まれて過ごしてきた37年間を綴ってきました。

執筆当初は、単に就職シーズン端境期の、「苦し紛れのネタ」に過ぎなかったのですが、連載を続ければ続けるほど、読者の皆さんから励ましメールがたくさん届くようになり、『こりゃー、まじめに書かなきゃ!』という思いに変わってきたのです。

この物語の中でも明らかになっている通り、ボクは幼いときから優等生でも、ガキ大将でも何でもなく、どちらかというと(否大いに!)劣等生であり、いじめられっ子でした。

それでも育った時代や土地や仲間が良かったのか、「正義」や「志」や「意気」といった言葉には敏感に反応し、

「後世に名を残すとまでは行かなくても、平凡な人生は送りたくない」という人生観(というほど大袈裟なものではないが)が生まれたような気がします。

そうそう、ボクは「創業物語」の執筆を通じて、図らずも遅ればせながら「自己分析」をしていたのかもしれません。しかも、物語の主人公である「クギサキ少年」を客観的に見つめながら、

『こいつは、将来どんな社会人になっていくんだろう。どんな職業が似合っているんだろう。果たして、こんな奴に、会社なんて作れるんだろうか…』

なんてことを、まるで他人のことのように心配したものです。

物語を書き進めるうちに、当時は自分でも気づいていなかったことに気づかされたり、反省したり、恥ずかしくなったり、ということも日常でした。

どーしても、その時の自分をうまく表現できずに、徹夜するなんてことも実は何回かありました。

でも、そうやって苦労しながらも、自分が送ってきた人生や、とってきた行動を振り返り考えることの大切さに、今更ながら気づいたんですね。

この物語に、ずーっと付き合ってくださった読者の皆さん、皆さんの多くは来年、社会に飛び出す方たちですね。

「クギサキ少年」という決してエリートでも何でもない極フツーの奴が、脱線気味の学生生活を送り、脱線気味の就職をして、それで、いくつかの偶然や苦境や出会いを経て、「パフ」という会社を創った。

これがみなさんの参考になるのか、勇気になるのか、励ましになるのか、(あるいは全く何の役にも立たないのか)分かりませんが、少なくともこんな生き方をしてきた人間が運営しているのが「パフの就職応援ページ」であることを、ご納得いただけたらなー、と思っています。

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1997年12月12日深夜。

身内だけのささやかな「設立記念パーティー」で、日本酒をしたたか飲んでしまったクギサキくん。明日から始まる「パフ」という会社の物語を、どう造りあげていくのか…。

きっとノラリクラリと、「あー、めんどくせーなー…」と言いながら、でも、結構真面目に過ごしていくんでしょうね!

お・し・ま・い


この物語を書き始めたのが西暦2000年7月末でした。

新卒一期生のヨシカワさんたちが内定者として働き始める直前ですね。創業までのことを振り返っておこうと週イチのメルマガで連載していたものでした。

いま読むと稚拙な文章で赤面してしまいますが、これも若さゆえですね。今にして思えば自分が可愛いです(苦笑)。

あれから随分と月日が過ぎてしまいました。

22歳といえばもう大学も卒業して社会人になる年齢です。立派な社会人になれるように頑張りましょう(^^)v

 

さて、本日はもう出かけなければなりません。

昨日に引き続き、出版社で打ち合わせなのであります。なんと朝8時から!

では早飯食べて(朝ドラは録画したうえで)行ってきます!