新・パフの創業物語<第15話> 「売れない営業マンが初めて売れた日」
2020年6月29日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第15話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年3月中旬のある日。
リクルート神田営業所の事務所内。僕は朝から電話と睨めっこ状態。営業先のアポリストも枯渇してしまい、働くフリさえできずにいました。
受注が全然なかった僕は、事務所にただじっと座っていることに耐えられず、『営業に行って来ますー!』とカラ元気を出しながら、アポもないのに外に飛び出していきました。
自転車を漕ぎながら、営業所のあった神田多町から小川町~神保町を通り抜け、気がつけば水道橋駅にほど近い三崎町まで来ていました。歩くと30分以上かかる距離です。
当時、神田営業所には営業マン用に自転車が用意されており、アポの取れない日は、こうやって神田界隈をチャリンコで放浪していたものでした。
ふと見上げると、「○○建築設計事務所」と書かれた看板が目に入りました。
(あー、この会社、このあいだ電話した会社だ・・・。たしか、印象はあまり悪くなかったよな。よし、いっちょ飛び込んでみるか!)
先方の人事課長Aさんは、突然訪問した僕に少し驚いた様子でしたが、それでも自分の机の脇の小さな打ち合わせテーブルに通してくれました。
A課長:「うちは大学の先生からの紹介で、学生さんが結構来てくれますからねえ、わざわざリクルートブックに載せなくても大丈夫なんですよ……」
焦っていた僕は、「いや、リクルートブックだけじゃなくて、例えばDMをやらせてもらうとか、入社案内をつくらせてもらうとか、いろいろお手伝いできることはあります!是非、何でもいいですからやらせて下さい!!!」と執拗に粘っていました。
そこへ現れたのが、恰幅の良い50才くらいの男性。「なかなか頑張ってますなあ。どういうお話ですか?」と人事課長の隣に腰をおろしてきました。
僕:「あっ、は初めまして、私、リクルートのクギサキと申します」
その男性も名刺を出してくださったのですが、その名刺にはなんと「代表取締役社長」と書かれていたのでした。
社長:「私が改めてお話をお聞きしましょう」
僕は無我夢中で、自分が売ることのできるありとあらゆる商品・サービスを延々1時間くらい説明したのでした。
社長:「分かりました。じゃあ、お付き合いさせていただきましょう」
僕:「へっ?」
社長:「まずは、当社の会社案内を作ってもらえますか?そうですね、予算は200万円でどうですか?」
釘崎:「に、にひゃふまんーーー!?」
(つづく)
懐かしいですねー。この日の情景がありありとよみがえってきます。
初受注の瞬間は何の前触れもなく訪れたのですが、もしこの日、このお客さんのところに飛び込んでいなければ、その後の僕の人生はどうなっていたか分かりません。パフもなかったかもしれません。大げさかもしれませんが、その後の人生を変えた日だったのかもしれませんね。
さて、きょうは梅雨の晴れ間。朝からよく晴れています。今日の午後は打ち合わせがあるんですが、レイアウト変更工事が完了したというので朝ちょっと散歩がてら出社することにしましょう。
では朝食&エール後、行ってきます!
あれ?エールは今日から再放送だったかな・・・