パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

正直に言おう。本日は寝坊して日記を書く時間がなくなってしまった。

そこで本日は昔書いたの日記の再掲。いまから3年前。2013年9月17日に書いた日記である。

タイトルは「海賊とよばれた男を助けた男たち」。

そう、明日公開の映画「海賊とよばれた男」の原作本のことを書いた記事である。

たまたま昨日、職サークル協賛企業エーアンドエスの執行役員木津さん(僕と同じ大分出身の変な人w)から、この記事が大分県人のあいだで出回っていることを耳にした(厳密にいうと耳じゃなくてFacebookのメッセージだけどw)。

僕も3年ぶりに自分が書いた記事を読んでみた。「すごい!」と自分で自分の記事を読んで感動してしまったのだ。

僕がこれだけ熱をもって長い日記を書くのは珍しいこと。年に一回あるかないかだ(笑)。

ということで、ぜひ最近の読者の皆さんも含めて以下、お読みくださいませ(^◇^)。

ーー

 海賊とよばれた男を助けた男たち  2013年9月17日 (火曜日)

この3連休の後半(日曜日の夜から昨日いっぱい)、なんと不覚にも寝込んでいた。

治りかけていた風邪がぶりかえしたのか、別の菌が侵入してきたのか、扁桃腺が腫れてしまい39度近い熱が出てしまった。

幸か不幸か、台風が関東を直撃したことで、昨日の予定がすべてキャンセルとなり、丸一日、家の中で休むことができた。

で、床で横になりながら、最近読んで感動した小説を二度読みすることにした。出張中に読んで、新幹線や飛行機のなかで涙を流してしまった小説だ。

その小説とはこれ。

海賊

マラソンのライバルだった(最近の僕は戦線離脱気味なので過去形です苦笑)名大社の山田社長が、以前(5月中ごろ)、ブログに書いているのを見かけて「へー読んでみようかな…」と思っていたが、なかなか買うまでにはいたらなかった。

ところが8月中旬、山田さんのブログ記事も忘れかけたころ、ある人物から、「クギサキ、この本読んでみろ!」と、わざわざ僕に読ませるために書店から買ってきたというこの本を、手渡されたのだった。

この本の書評はいろんなところで書かれているので、僕なんぞが駄文を連ねる必要はないのだが、それでもやっぱり書いておきたいことがある。

小説の主人公である国岡鐵造(出光興産創業者の出光佐三)が、けた外れにスゴイ人物であることは言うまでもない。

が、この国岡鐵造の周りにいた男たちの存在が、国岡鐵造をして、スゴイ人物に成長させていくのだ。

僕は読んでいて、そこに感銘を受け、感動した。

いちばんは、国岡鐵造に、財産を売り払って作った六千円という大金(いまの貨幣価値で約1億円)を、独立資金として惜しげもなく差し出した日田重太郎。融資でも投資でもない。本当に「あげた」のである。

「国岡はん、六千円は君の志にあげるんや。そやから返す必要はない。当然、利子なども無用。事業報告なんかも無用」

「ただし、条件が三つある。家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと。ほんで、このことは誰にも言わんこと」

重太郎は、家に戻ってそのこと(財産を売った金を鐵造にやると約束したこと)を妻に告げた。

妻は、「はい」とだけ答える。

拍子抜けした重太郎は、妻に「怒らないのか?」と聞く。

妻「あなたがそれほどの人と見込んでのことでしょう」

重太郎「国岡はいずれ立派なことを為す男だ」

妻「はい。それはいつごろですか?」

重太郎「そうやなあ。何十年も後のことかもしれんなあ。もしかしたら、そのときは、わしはもうこの世にはおらんかもしれん」

妻は「それでもいいではありませんか」と言って、おかしそうに笑う。重太郎もそんな妻を見てにっこりとほほ笑む。

う……。このくだりを書き写すだけでも涙が出てくる。自分の創業のときに、何も言わずに出資してくれた知人・友人たちの顔が浮かぶ。しかも、まだなんの恩返しもできていない自分を恥じる。

のちに国岡商店(出光商会、のちの出光興産)を日本を代表する大企業に育て上げた鐵造は、重太郎の晩年の生活を手厚く保護する。亡くなった際には重太郎の故郷の淡路島で、大きな社葬を執り行っている。まちがいなく鐵造の大恩人であり、日田重太郎なくしては、国岡鐵造(出光佐三)が世に出ることはなかった。

 そしてもう一人(というか一社)。あまり書評にも出てこないのだが、二十三銀行(現在の大分銀行)の支店長と頭取である。国岡商店(出光商会)は、大正十二年の関東大震災のときと、昭和二年の金融恐慌のときに倒産の危機に瀕した。それを救ったのが、二十三銀行の気骨溢れるバンカーたちだったのだ。

関東大震災の折。多くのメガバンクが取引先からの融資を引きあげていた。国岡商店も第一銀行(現在のみずほ銀行)から突然25万円(現在の数十億円)の返済を迫られていた。二十三銀行の支店長は「国岡鐵造という男は立派な男です。国岡商店もまた立派な店です。できれば、われわれが支えてあげたいと思います」と、第一銀行が引きあげようとした金額と同額の莫大な融資を肩代わりしたいと頭取に申し出た。

頭取は、「君がそこまで言うのなら、そのとおりにすればいい」と言った。支店長はびっくりして「本当によろしいのですか」と確認した。支店長は「銀行家は立派な商人を援助することが使命です。話は終わりです」と言った。支店長はまるで自分が融資を受けたように喜びを感じ、「ありがとうございます!」と頭取に頭をさげた。

う……。泣ける。

金融恐慌の折にも(そのとき二十三銀行は合併によって新体制になっており、支店長も頭取も交代していたのだが)、やはりそのときの支店長と頭取が、国岡商店を体を張って助けた。

新体制となった二十三銀行の審査部は国岡商店への過大な貸付金を不良債権と見なし、融資引きあげの指示を当時の支店長に命じた。しかし、支店長は引きあげを拒んだ。「まことの銀行家ならば、国岡商店のような会社にこそ、援助すべきと私は考えます」と頭取に直訴。支店長のことばを受け、頭取は国岡鐵造と二人だけで会談する。そして翌日の重役会議で「国岡商店への融資回収の方針は撤回する。いや、さらに融資の枠を広げても良い」と発言し、重役たちを唖然とさせた。

もし、震災や金融恐慌の際、鐵造がこのような真の銀行家と巡り合っていなければ、国岡商店(出光興産)は今ないはずだ。一説には、震災の折の融資引きあげに際して、鐵造は憔悴しきっており、「自殺も考えていたのではないか」と言われているくらいだ。

ということで、ずいぶん長く書いてしまったけど、かくのごとく、英雄と言われる人物の陰には、その人物を支えた傑物たちが大勢いるものなのだ。

日田重太郎や銀行家のことだけ書いたが、さらにスゴイ魅力的な人物がこの小説にはたくさん登場する。

経営者、投資家、バンカーはもちろんのこと、21世紀を支える多くの若者たちにも読んでもらいたい本なのである。

国岡鐵造と重ねるにはあまりに器の違いすぎる僕だが、やはり日田重太郎のような人物に支えられながら生きてきた。この本を、「クギサキ、読んでみろ!」とプレゼントしてくれた人物は、さしづめ僕にとっての「日田重太郎」なのである。

 おっと、ちょっと時間をかけすぎた。そろそろ出なければ。

熱は下がってきたようたが、まだ扁桃腺は腫れている。早目に出かけて会社の裏のクリニックで診てもらうことにしよう。情けないけど、本日はタクシーを使って行ってきます!

ーー 【再掲以上】

ちなみに、「クギサキ、読んでみろ!」とプレゼントしてくれた人物は、Jリーグチェアマンに就任する前の村井満さんである。村井さんはいちいち僕の人生に影響を与える男なのである(‘_’)。

さて、実はちょっと風邪気味。暖かくして行ってきます!

かやばトークナイト番外編

2016年12月8日 (木曜日)

昨夜は、12月度のキックオフミーティング。18時半~20時過ぎまではマジメな会議。各グループの11月度の振り返りと12月以降の取組みについての報告がなされた。

そして20時半からは懇親会。毎回ファシリテーターを決めて、皆が楽しめるちょっとした催しを行うことになっている。

昨日のファシリテーターの当番は僕。実施したのは「かやばトークナイト番外編」。

「くだんトークナイト」は九段下のセミナールームで開催している学生と社会人との座談会企画だが、それを茅場町のパフ本社事務所で。しかも、パフの社員のみでやるっていうパロディー企画である。

「くだんトークナイト」では、毎回正解のないことを「お題」に設定したうえで熱い討論を繰り広げているのだが、昨夜の番外編の「お題」は?

【パフが30周年を楽しく盛大に迎えるために今、私たちが為すべきこと】

これが大テーマで、トークセッション1、2、3に分けて議論を行った。

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トークセッション1は、

「楽しく盛大に」とは、どういった状態のことを言うのか?

トークセッション2は、

そのとき(30周年のとき)の従業員数、売上、利益、社長(どんな特徴を持った人間なのか)を述べよ。

トークセッション3は、

そうなるために明日からできることを3つ挙げよ。

というもの。

いやいや、なかなか盛り上がった。

盛り上げの秘訣は、一回戦(セッション)ごとに勝敗を決めてポイントを与え、最終的にはそのポイントに応じた金額の晩飯をご馳走する、というルールを設けたことだろうか。

皆、負けず嫌いなのかご馳走するのが嫌なのか、かなり白熱した議論が展開された。

で、どうなったのか?

ここでは書かないので(というか忘れてしまったのでw)、上の写真に写っている社員たちに会うことのある方は直接聞いてやってください(笑)。

では11年後、楽しく盛大な30周年に、創業者として招待されることを願いながら行ってきます!

 

来年以降のことを考える。

2016年12月7日 (水曜日)

調べたいことがあってネットサーフィン(死語?)をしていたら、もうこんな時間(ただいま7時15分)。日記を書く時間(この日記はいつも6時45分~7時15分の間に書いている)を過ぎてしまった。

本日は夕方から今年最後の月次キックオフミーティングがある。パフの第21期上半期もあと3週間で終了する。そして年末の休暇を終えると2017年がやってくる。パフ設立20周年の節目の年だ。

さて、どうするか。懸案事項はてんこ盛り。

来年のことを考えるのはもちろんだが、5年後くらいまでのことは考えておきたい。いや、できれば10年先まで考えておきたい。その通りにはならないだろうし、10年先まで僕が社長でいる可能性はまずないのだけど。

いま少し妄想&瞑想してみよう。迷走しなくて済むように(笑)。

では瞑想後、行ってきます!

「とと姉ちゃん」というのは、今年の4月から9月まで放映されていたNHK朝の連ドラ。

ヒロインは高畑充希という女優だった。

好きなドラマだった。出勤前、ほぼ毎朝見ていた。

しかし、高畑充希のファンだったわけではない。ごく普通の若手女優さんだな、という程度の感想だった。

が、最近(ほんとこの一週間くらいで)大ファンになってしまった。番組が終了して2か月以上も経つのに。

なぜか?

この唄のせいである。

https://www.youtube.com/watch?v=XuI5k6GT_vo

 

「ホームにて」。

中島みゆき作詞作曲の初期作品なのだが、中島みゆきとはまた違った情感で歌い上げる高畑充希に感動してしまったのだ。

唄が上手な女優さんだとは聞いたことがあったが、これほどスゴイとは思わなかった。

また、あらためてこの曲を聴くと歌詞の深さに感動してしまう。

編曲(フルートやチェロやバイオリンによる演奏)も素晴らしい。

高畑充希の歌声と相まって、独特の世界を創り上げている。

あ、そうそう。この歌詞の解釈としては、このブログの執筆者の考察が秀逸である。

⇒ ジャパニーズポップス&歌謡曲を考察してみる ( http://tokyo-panda.seesaa.net/article/392841486.html )

僕もこの方の解釈に深く共感する。

この数日は、朝晩の帰りにはこの曲をスマホにダウンロードしてずっと聴いている。

ふるさとに帰ろうとして帰ることのできなかった若いころの自分を思い出して切なくなる。

一日に10回くらいはリピートしてるかな。

で、急きょ来年2月3日のライブのセットリストに加えることにした。アンコールのアンコールあたりで(笑)。

これほど新しい曲(原曲は40年前の曲だけどw)に夢中になったことはない。

ぜひ読者の皆さんにも聴いていただければと。

とと姉ちゃん、すごいぞ(^◇^)

では、今朝も「ホームにて」を聴きながら行ってきます!

先週末の土曜日(12月3日)100×10チャレンジ秋の第四クールが終了した。

第四クールのトレーナーを務めてくれた田村隼人さんが、最後に学生から一言ずつ感想をもらっていたのだが、後ろで聞いていた僕までも感動してしまった。

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事務局の杉平が概要を記録してくれたので、一部だけコピペしてみよう。

●今まで就活であった人たちとは違い、多様性を感じた。1dayではどんな人かは分からない。1週間過ぎたくらいからわかるようになってきて、自分の考えを振り返ったり、みんなにわかってもらうにはどうしたらいいかと考えられたことがよかった。

●就活、ほんとにイヤだった。でもやらなきゃと思っていた。いままで1dayのインターンシップに参加しただけだが「とりあえず行った」という自己満足だけだった。ちょこちょこ色んなところ行くより2週間ガッツリやろうと思って参加。大学はやらされている感があるが、ここはみんな目的があって来ていて積極的だったから全力でやれた。今まで考えることを放棄していたことに気付けた。ありがとうございました。

●ぶっちゃけOBOG訪問は一人でもできる。でもあえて100×10でやった意味はやっぱりHR(ホームルーム)にあったと思う。同じ訪問や経験でも、そこから得ていることが人によって全部違う。それが勉強に繋がる。座学はきらいらけど、こういうのはすごく好きだなと思った。自分は社会不適合者だとおもっていたが、社会に出たらもっとこんな風に周りから得るものが多いのかも、と思えた。

●大変だった。睡眠時間も減った。参加してよかったのは、一緒にがんばる仲間がいたこと。周りの頑張りが自分を奮い立たせてくれた。訪問するだけじゃなくHRでの振り返りで自分というものが何なのかがわかった。今までは「企業に自分が選ばれる」と思っていたが、「自分が企業を選ぶんだ」という意識に変わった。

●100×10に参加して「考えが広がった」のが一番の収穫。同じ学部の仲間とつるんでいると、似たような考え方の人が多い。でも社会人は自分の価値観を根本からつき崩してくる。それを受けて、本当に自分の考えはそれでよかったのかという問い直しができて、自分でまたそれを整理することでより深く理解できた。いま考えすぎで脳が悲鳴をあげています。おつかれさまでした。

●就職に対しては特に不安はなかったけど「仕事」をなめくさっていた。働くのはいや、お金は適当にあればいい、楽に仕事をして生きていければいい。成長なんて別にいらない、と思っていた。100×10に参加して、みんなの意見を聞いているうちに、ちゃんとまともな人間になりたいと思った。いつも決まった友達としか一緒にいなくて世界が狭かったので、全然違う感覚を知って、そういうのもあるのか!とか、そんな考え方いいんだ?という発見があった。どこを向いても誰かと目が合うのがうれしくて、楽しいという感覚が持てた。このクラスで本当によかった。

●人前に立つことや話すのが苦手。自分の大学に対して劣等感がある。これではまずいのではないかと思って5月から就活を始めたが、100×10に参加して初めて今までPDCAサイクルを全く回していなかったことに気付けた。何かをした時のメモは残っているけど、やった、というだけで意味がない。100×10がなかったらこんなこと学べなかった。


この気づきと感想、嬉しいではないか。文字にしただけでは伝わらないかもしれないけど、この学生の変化と成長を、読者の皆さんにもぜひ感じてほしい。

 

で、翌日の12月4日(つまり昨日ですね)、今年の締めくくりである秋の第五クールが始まった。

最終クールの有終の美を飾るのは、我らがパフ入社四年目の大器、清水真理である。

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いままでのクール(夏の1~5クールと秋の1~4クール)はすべてキャリアフラッグのプロの講師陣に引き受けてもらっていたのだが、この最終クールだけは清水が担当させてもらうことにした。

清水にとってはデビュー戦である。デビュー戦であるにもかかわらず、いちばん学生の数が多い。他のクールは20名を上限にしていたのだが、本クールは25名の学生に参加してもらうことになった。

大丈夫かな…と、内心ヒヤヒヤしながら後ろから見ていたのだが、なんのなんの堂々としたものだった。情熱を持ちながらも、極めて丁寧に冷静に、ホームルームを運営していた。

 

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うん、これなら大丈夫。

学生のみんなも初日から、活発な議論を繰り広げてくれた。今日からの社会人訪問がとても楽しみだ。

最終日は12月17日(土)。有終の美を飾って今年の素敵な仕事納めにしたい。

僕の、月月火水木金金の日々も、そろそろ終わりが見えてきた。

では、もうひと頑張り、行ってきます!

 

脳の退化は正常範囲?

2016年12月2日 (金曜日)

気持ちは若くともカラダの方はなかなかトシを誤魔化すことができない。老眼や五十肩には日々悩まされているし、人間ドックでの内臓の値の変化にも毎年一喜一憂したり。

今年の人間ドックでは胃のポリープが見つかって、年明け早々、内視鏡検査(その場で切除するのかな?)を受けるように指導されたり……。

もうひとつ、最近気になっていることがあった。

それは「アタマ」である。

とっさの言葉が出てこなかったり、「ぱぴぷぺぽらりるれろ」の発音ができにくくなったり。それと、アルコールが多めに入ると記憶が飛んでしまう。

先日の宴席でも、お開きになったのは夜9時だったはずなのに、自宅に着いたのは(家内と娘の証言によると)それから2時間後の11時過ぎだったらしい。高田馬場での宴席だったのだが、自宅から1時間もかからない距離だ。2時間も何をやっていたのか、さっぱり思い出せない。

自分でも怖くなったので、「脳ドック」を受診することにした。いわゆるMRI、MRA検査という奴だ。

先週末、銀座の専門クリニックで受診したのだが、昨日その結果が送られてきた。

結果はこれ。

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結論から言うと、「正常範囲」だとのこと。「点状の大脳白色病変が見られますが、正常範囲の加齢性変化と思われます」という説明文。そうか加齢性変化ってことなんだな(苦笑)。まあ、表現はちょっと気にくわないが、正常範囲だとのことで一安心。

やれやれ。

これから年末に向けて宴席が増えていくのだが、記憶を飛ばさないように気を付けましょう。来年の2月3日のライブ本番までに、10曲の歌詞と楽譜も暗記しなきゃいけないしね(*^^)v

では、頭をスッキリさせるウォーキングで行ってきます!

 

やはり嬉しいものです。

2016年12月1日 (木曜日)

生まれながらのシャイな性格である。

人から褒められたり、祝われたりすると、恥ずかしくて挙動不審になってしまう。

5年ほど前からFacebookを使っているのだが、うっかり生年月日を登録していたら誕生日に「おめでとう!」の嵐で戸惑ってしまった。

もちろん「おめでとう」と言われて嬉しくないわけはないのだが、シャイな性格が災いするのか、なんだか居心地が悪くて、この数年は非公開設定にしている。

そんなわけで昨日も、比較的静かな誕生日の朝を迎えた。

が、朝いちばんで、会社にこんな贈り物が届いた。

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送り主は、なんとマングローブの今野社長だった。

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もうひとつ。今野さんからいただいた贈り物。

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なんだと思います?

ピアノ・・・ではなく、羊羹(ようかん)なのだ。

僕が最近ピアノを習っていて来年のライブで弾き語りするということを聞きつけて、こんなオシャレなプレゼントを選んでくれた。

さすが今野さん、なかなかやるな(*’ω’*)。

 

しかし昨日は直行の社員が多く、この今野さんからのプレゼントのことを知っている者はごくわずか。僕が誕生日だということも、知れ渡ることなく済んだ。

 

昨夜は、九段下で夕方から100×10チャレンジのAfterセッション、そして夜はイベント「くだんトークナイト」。イベント終了後は学生の個人面談と、いつもどおりのサービス残業(?)が淡々と続くはずだった。

が、ここでまたサプライズのプレゼント。

職サークル運営事務局(最終クールではトレーナーの大役も務める予定の)清水真理から、イベントが始まる直前にこんなプレゼント。

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二日酔い防止のためのドリンク剤。宴席の多い僕を気遣ってのプレゼントだ(‘_’)。

そして、イベント終了後は、社員一同からこんなプレゼント。

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「遠慮せずにもっと飲め!」という社員からのメッセージと受けとった(笑)。

そして締めくくりは、キーカンパニーの下薗さんから焼き鳥と酎ハイを帰り道でご馳走してもらった。

こんな写真しか残ってないが(笑)。

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まあ、そんなこんなで、結局たくさんの人たちに僕の誕生日がバレてしまったわけだが、やっぱり「おめでとう」と言われるのは嬉しいものだ。

これからは照れずに「ありがとう!」と素直に答えなきゃ、と思った56歳初日の夜だった。

ということで、プレゼントやメッセージをくださった皆様、ありがとうございました!!

では、56歳と2日目は雨だけど、元気に行ってきます!