季節の変わり目、そして節目の3月なのだ
2011年3月6日 (日曜日)
前原外務大臣が辞任した。前原氏のことを僕は良く知らないし、好きでも嫌いでもないのだが、これはなかなか気が滅入る。ショックとか残念とか、そういうことではなく、いまどきの言葉でいうなら「イラッと」する。政治家の仕事は重箱の隅をつついて人の足を引っ張ることなのか。税金泥棒たちに政治を委ねてしまっている現状(というよりも、無力な自分)が腹立たしい。
それはそうと、先週末は刺激的なことがたくさんあった。
そのうち3つだけ書いておこう。
ひとつめ。
金曜日の朝。(ほぼ)新規で大きな取引を開始したいと(僕が勝手に)思っているK社への訪問。僕が最初の段階から営業現場に首を突っ込むのは珍しいのだが、複数の方々からのご紹介によって縁をいただいた会社なので、監督役として現場に入ることにした。K社は、パフと同じ年の創業の若い会社なのだが、すでに東証一部に上場している。いままでは中途の即戦力採用が中心だったのだが、今年から新卒採用に力を入れていくことになった。パフにしかできない提案で、大きな取引を目指していきたい。
ふたつめ。
5月の下旬(20日に決定!)に行なう職サークルシンポジウム。そこで特別講演をお願いしている、海老原嗣生さんと打ち合わせを行なった。海老原さんとは講演会のときに名刺交換をしたことはあったのだが、キチンとお話しするのは初めて。でも僕は海老原さんの本はよく読んでいたし、海老原さんも僕のブログをよく読んでくださっていたし、最近では、メールで何回も意見交換していたので、話はとてもスムーズかつエキサイティング。5月20日は、とても有意義なシンポジウムになりそうだ。いまから楽しみである。人事の皆さん、5月20日(金)の午後は夜まで空けておいてくださいね!
みっつめ。
金曜の夜。12年前の1999年。パフの創業2年目にインターンとして働いていた、Nグチと、Uスギがやってきた。ふたりとも、腹周りは3倍くらい成長しているが、性格はあのころのままだ。冷房の効かない真夏の狭いオフィスで、(しかもイスも机も人数分なかったので)立ったまま仕事をしていた同志である。いっしょに食事をしながらとある打ち合わせを行なったのだが、とても刺激的な中身。実現したら、かなり面白いことになりそうだ。
土曜日も、ある意味エキサイティングな出来事があったのだが、あえて割愛。本日の日曜日は、気合いを入れた久々のジム。約3時間、筋トレとランニングで汗を流した。
きょうはホントは早朝ランニングもやるはずだったのだが、昨夜、夜更かしをしてしまい断念。うーん。早くペースを取り戻さなければ。また何かの大会に申し込もうかな。
さあ、明日から3月も2週目。今後のカギを握る大事な打ち合わせが、いくつか予定されている。3月は季節の変わり目。そして僕の人生にとっても、節目(を考えるため)の3月になりそうな予感なのだ。
カンニングをしたことを思い出した日
2011年3月4日 (金曜日)
ネットを使ってカンニングを行なった予備校生が『逮捕』されたという。カンニング行為そのものは卑怯な行為であるし、何らかのペナルティが必要であるのは確かだが、将来のある19歳の少年を『逮捕』し、それをマスコミが大々的に報道し、大人たちが大騒ぎしているのには、どうも違和感がある。
僕も高校2年生のとき(確かあれは二学期の中間試験だったかな)、カンニングをして、試験官(まさに物理の先生が試験官だった)に見つかったことがある。
そのときのことを、きょうの日記では書こう。
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僕が通っていた高校は進学校ということもあり、勉強のレベルが高く、先生たちの指導もとても厳しかった。おまけに、僕は(何を間違ったか)理数系に進んでおり、苦手科目である物理や化学に苦しめられていた。特に物理の公式が暗記できずに、お手上げの状態だった。
でも、試験で一定の点数を取らないと進級できない。これはヤバイ!とマジメに追い込まれていた。
試験当日。出題されるであろう問題(ヤマを張ったんですね)を解くための長ったらしい公式を、机に鉛筆で書いておいた。
ズバリそのヤマは的中。僕は嬉々として、机に書いておいた公式を使いながら、スラスラと問題を解いていた。
問題を解き終わったとき、人の気配を感じた。
ふと見上げると、そこには、試験官である物理の先生の顔が!!
しかも先生は、(きっと恐怖に満ちていたであろう)僕の顔をみて、ニコッと微笑んでいる。
万事休す。すべてが終わったと思った。停学処分。留年確定。下手をすると退学処分になるかもとさえ思った。
しかし、先生は何事もなかったかのように僕の脇を通り過ぎていった。つまり、見て見ぬふりをしたのだ。カンニングの現場を押さえたのに、なぜ許してくれたのか、訳が分からなかった。
その翌週から、先生の「愛ある指導」が激しく始まった。
理数系のクラスだったので、週に2~3回は物理の授業があったのだが、毎回毎回、先生はニコニコしながら、必ず僕を指すのだ。「はい、クギサキ、この問題を解いてみて」「はい、じゃ、クギサキ、教科書の続き読んでみて」「はい、じゃクギサキ、前に出て、これ証明してみて」という感じで。
先生のニコニコ顔には、 「おい、クギサキ、なんで俺が毎回おまえのことを指してるか、分かってるよな!」 というメッセージが込められていた。そして指された僕は、 「はい、先生分かってます。その節はカンニングをしてしまい、申し訳ありませんでした。これからは、ちゃんと勉強します」 という懺悔と感謝の気持ちを表明するためにも、必死に指された質問に毎回、回答していた。
そして成績は悪かったなりにも、最後には及第点をもらい、無事、進級することが出来たのだった。むろん、以来、カンニングは一度もやったことがない。
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以上が僕のカンニングの思い出話である。
もし、あのとき先生がカンニングを通報していたら、僕は間違いなく停学処分を受けていた。高校を三年で卒業することもできなかったと思う。きっと、いまの僕はなかったのではないかとも思う。物理の先生の偉大さ、寛大さには、30数年経った今でも頭が下がる。
大人が子供の不正や至らなさに遭遇した時、どのように向き合うのか。その子供を処罰することは簡単だ。しかし、その子供を、どのように立ち直らせるのか。どのように育てていくのか。そこまで考えた向き合い方を、大人たちには望みたいものだ。
仙台より突然の来訪があったキックオフの日
2011年3月3日 (木曜日)
昨日は、久々に終日会社にいた。
出張していて溜まっていたメールへの対応や、会議や、数字の確認などを終えて一息した夕方、突然の電話があった。
仙台の協賛企業S社のS社長だ。今年で15年の付き合いになるS社長。パフの非常勤営業部長をも自認する、パフの社員にとっても人気者の社長だ。
いま東京に出張中で、次の予定まで時間が出来たため、築地のパフに寄ってもいいか、という電話だった。
実にタイミングがいい。
僕も夜のキックオフミーティングまで時間があったので、どうぞどうぞとお招きした。
考えてみたら、S社長とお会いするのは今年初めてだった。最後に会ったのは昨年の秋ころだったかな。かなり久しぶりだったのだ。
リーマンショック以来、東奔西走する毎日が続いているS社長なのだが、いたって元気である。僕と同い年で同学年のS社長、価値観と悩みを共有できる経営者仲間なのである。経営のこと、社員のこと、事業のこと、家族のこと、政治のことなど、しばし語り合った。「朋あり遠方より来る。また楽しからずや」なのである。
S社長!次回はぜひ仙台で。一献傾けながら、未来についてじっくり語り合いましょう^^。
そして夜は3月度のキックオフミーティング。今期も残り4カ月となってしまった。あと4カ月、油断できない日が続くな。なんとしてでも高いレベルに上昇し、ハッピーラインを全員でクリアしたいと思う。
桜三月散歩道
2011年3月2日 (水曜日)
福岡に出張している隙に3月になってしまった。
3月というのは季節の変わり目。そして年度末。仕事の変わり目であり、人生の変わり目でもある。なごり雪も降ったりする。そして南の方から桜も咲きだす。
僕は昔から、3月になると口ずさむ唄がある。
それは、「桜三月散歩道」。LP「氷の世界」に収録されている、井上陽水の初期のころの名曲である。
詩も曲も、陽水らしさが彷彿。そして、間奏のとき陽水の「語り」があるのだが、これがまた秀逸。
以下Youtubeを貼り付けておくので、ぜひみなさん聴いてみてください。
「福岡帰りの3月」ということもあり、本日は、福岡が生んだ天才アーティスト井上陽水の曲の紹介でした。
さて、本日の夜は、3月度のキックオフミーティングだ。
「だって人が狂い始めるのは、だって狂った桜が散るのは3月」なのだ。
空港でナイフを取り上げられた日
2011年3月1日 (火曜日)
いま福岡(博多)にいる。このあと9時から、中洲川端の会議室で某社(職サークル協賛企業であるM社)の会社説明会が開催されるのだが、そのファシリテータ役を務めることになっているのだ。
この会社(M社)の説明会。昨日は東京で手伝ったのだが、このところ驚異的な出席率が続いている。
この時期、ドタキャン学生の存在に悩まされる採用担当者が多いのではないかと思うのだが、M社の場合は95%超の出席率が続いている。昨日は席が足らなくて困ったくらいだ。
もちろん高い出席率には、ちゃんとした理由がある。でも、教えられない。これはノウハウなので、知りたい方はパフまで、アウトソーシング&コンサルのご発注を(笑)。
ところで、昨夜の飛行機で羽田から福岡に飛んだわけであるが、羽田でちょっとしたトラブルがあった。
保安検査場で、僕の手荷物をX線検査装置に流した時。ブブーッと大きなブザーが鳴った。
係員が「中を開けさせていただいてよろしいですか?」と僕に聞いてくる。
やましいことも断る理由も何もないので、「どうぞどうぞ」と答えるが、なぜ検査装置で引っ掛かったのか心当たりがない。
係員が「ナイフをお持ちではないですか?」と聞いてくるので、びっくりして「え?そんなもの持ってないですよ」と答える。
係員は、僕の鞄に入っていた小さなポーチを取り出し、「これは何ですか?」とさらに聞いてくる。
あー、これだったか。
つい先日、東京国際フォーラムで開催されていた某N大学の合同企業説明会。僕は「ふるさと就職応援ネットワーク」の関係者(学生のUターン就職の相談役)として参加していたのだが、その際、大学から「お土産」をもらっていた。
お土産としてもらったのは、ヒゲそり、爪切り、小型のハサミ、櫛、ヤスリなどがセットになって入っている出張に便利なポーチだった。そしてなぜか、そのポーチにはソムリエナイフまでもが入っていた。出張先でワインを買って飲む人のためなのかな?
で、保安検査官が問題にしたのが、このソムリエナイフ。
「これは機内に持ち込むことができませんので、もういちど出発カウンターに戻ってお預けください」と、事務的に僕に迫る。
もういちどカウンターに戻れって言われても、離陸まであと20分もない。
「さもなくば没収となりますよ」と、検査官はさらに僕を事務的に追い詰める。
飛行機に乗り遅れるわけにもいかないので、ふてくれされて、「じゃ、没収でいいですよっ(ぷんぷん)」と答えて、泣く泣くソムリエナイフを差しだした。
あーあ、もったいない。
飛行機の安全を守るためなので、厳格な検査ルールはしょうがない。でもなー。ソムリエナイフで、ハイジャックなんてやるわけないんだけど(><)。
会社説明会シーズン。飛行機で全国を飛び回っている採用担当者の皆さんも多いことでしょう。くれぐれもソムリエナイフは、機内に持ちこまないようにお気を付けください(そんな奴はいないか、笑)。
ところで、あの没収されたソムリエナイフの行き先が気になる。チャリティバザーとかに出されるのだろうか。せっかくなら、いい人にもらわれてほしいな^^。
さて、ちょっと早いけど、そろそろ出かけることにするかな。福岡は曇り空だけど雨は降っていない。川沿いを歩いて会場まで行こう。
では、行って来ます!
「職サークル」活動報告イベントの模様がYoutubeにアップされた日
2011年2月27日 (日曜日)
昨年の12月19日(日)に開催された、「職サークル」(NoWorkingNoLifeWeek)の活動報告イベント。職サークル参画企業の人事担当者の皆さんと、学生の皆さんと、パフのスタッフたちとで創りあげたイベントだった。
その、笑いあり涙ありのイベントの模様が、本日Youtubeにアップされた。
「私たち大人には、キミたち若者と正面から向き合い、社会で働くということを伝える義務と責任があるんだ!!」
・・・というメッセージを世の中に発信したイベントです。皆さん、ぜひご覧ください!!
さて、あす月曜日の夕方から、福岡だ。とんぼ返りだけど、せめてラーメンくらいは食べてこよう!
この日記の読者の皆さんの中で、山崎ハコのことをご存じの方はどれくらいいるだろうか。
僕より3歳年上の個性的なフォークシンガーだ。
出身地は僕が育った大分県湯布院町のそば(といっても結構遠いけど)の日田市。僕が中学3年生のころにデビューした。出身地も年齢も近いので注目はしていたのだが、暗い曲が多かったため、それじゃなくても貧乏で孤独で暗かった10代の頃の僕は、ちょっと距離を置いていた。そして最近では、その存在さえも忘れかけていた。
ところが本日、実に久々に(30年ぶりくらい?)、山崎ハコの歌声を聴いた。
先週の土曜日のBS2で放送されていた、「大集合!青春のフォークソング」という番組に出演していたのだ。
南こうせつ、イルカ、泉谷しげるの3人が司会の(僕ら世代にとっては)贅沢すぎる演出。出演者は他に、山本潤子、ばんばひろふみ、杉田二郎、遠藤賢治、そして、まさかの小椋佳など。すごい番組だったのだけれど、先週は途中からしか観ていなかった。
それで、今夜あらためて録画しておいたものを最初から観たのだが、前半に登場した山崎ハコの歌う姿に、思わず身震いしてしまった。
最初は、「あれ?山崎ハコだ。久しぶりだなあ。歳とったけど、なんだか雰囲気あるなあ」と思いながら、司会者とのやりとりを眺めていた。
何を歌うのだろうと思ったら、なんと阿久悠が作詞した「ざんげの値打ちもない」。1970年に流行った唄で、北原ミレイという歌手が歌っていた。ジャンルはフォークではなく、いわゆる歌謡曲である。天才・阿久悠が生みだした詞の中で、僕がもっとも好きな唄なのだ。
山崎ハコがギターを抱えて歌う「ざんげの値打ちもない」は、女の情念と切なさと悲しさとやるせなさみたいなものが、これでもかというくらいに込められており、ほんとうに「凄い」としか形容のしようがない。昔は敬遠していた歌声だったのだが、30年の歳月を経てあらためて聴いてみて、その素晴らしさに初めて気づいた。
歌も素晴らしかったのだが、ギターの音がさらに素晴らしかった。ギターを弾いていたのは安田裕美。小椋佳の昔のレコードは安田裕美が編曲とギターを担当しており、僕は35年前から、いいミュージシャンだなあと思っていた。そして今夜、(wikiで調べて)初めて知ったのだが、安田裕美は、山崎ハコと結婚していたのだ。いやー、びっくりした。
そんなわけで、今夜はyoutubeで、山崎ハコを探しては聴いていた。
お気に入りに登録していたら、知らぬ間にtwitterにも自動ツィートされてしまったようだ。「釘さんって、いつもこんな暗い唄ばかりを聴いているの?」と思われたかな(苦笑)。
著作権の問題でいつか削除されるのだろうが、Youtubeで見つけた以下の2曲を貼り付けておこう。
僕が身震いしてしまった「ざんげの値打ちもない」。そして、オリジナル曲の「ひとり唄」。
夜、部屋を暗くして(あるいは裸電球ひとつで)お聴きください。酒を飲みながらだと、さらによいと思います^^。