第13期が始まった日
2008年7月1日 (火曜日)
昨日の日記は「第12期が終了した日」だった。だから、きょうの日記が「第13期が始まった日」だとあまりに能がない。しかしながら、もともと、たいして能がある男でもないので、やっぱり本日のタイトルは、「第13期が始まった日」だ(こういうくだらないことばかり書くから、釘さんはお気楽な奴だと勘違いされる、笑)。
パフ恒例なのだが、毎期、毎クォーターの初日には、キックオフミーティングという丸1日の会議を会議室に缶詰になって行なっている。
本日のキックオフは、朝10時から始まった。
二部構成になっており、第一部は、会社全体の業績速報(概算値の報告)や、各グループと個人の営業成績報告、プロジェクトや委員会も含めた各グループの活動振り返り、13期の方針の発表、ベクトル合わせ、などなど、真面目な会議をみっちりと18時半まで行なった。
そして第二部は、各種表彰と乾杯&打ち上げパーティー(というほどお洒落なものではないが)を夜の10時まで行なった。
表彰は、「これでもか!」というくらいたくさんある。
主だったものとして、
・パフ流行語大賞、・パフものまね大賞、・最優秀経営者賞、・最優秀新人賞、・オリジナルサービス創造賞、・プロジェクトMVP、・委員会MVP、・P1グランプリ、・月間Peace!賞、・月間MVP・・・といったものがある。
中には「決定は先送り」なんていうものもあったが、それでも相当数のメンバーが表彰され、これだけで一時間近くの時間を使ってしまった。
第12期は、いろいろとあった期ではあるが、最終的にはいい終わり方をした期だった。
この流れをそのまま、13期につなげていきたい。
僕の掲げた方針は、いたってシンプルなもの。
●パフの第二創業TakeOffにむけての基礎を固める期として位置づける。
●理念、ミッション、ビジョンの浸透のための施策をさらに行なっていく。
●重要テーマは次の3点。
①社員の育成
②若者育成コンテンツ(職学校)の充実
③事業提携のもう一段の推進
要するに、将来の飛躍に向けて、いま一度しっかりと足腰を鍛え、基盤を整えていこうということである。
「世界で、たったひとりのあなたのために」、世の中を変え、世の中に大きな価値をもたらす会社へと成長していきたい。
第12期が終了した日
2008年6月30日 (月曜日)
本日でパフの営業年度「第12期」が終了した。
「え?設立から10年半の会社なのに、なぜ12期なの?」
という疑問が湧いてくるんじゃないかと思う。
ふたつの理由がある。
ひとつめは、 「会社設立直後に1期目の決算を終えたから」である。
会社設立が1997年12月12日。1期目の決算を行ったのが、そのわずか19日後の1997年12月31日。なんと売上0円の決算を敢行したのである(なぜこんなことをしたのか。内容があまりに専門的になりすぎるので、省略します)。
ふたつめは、 「第10期の決算は、決算月を12月から6月に変更し、6か月で締めたから」である。
パフの新卒採用(就職)支援ビジネスの年間サイクルは、6月でちょうど一区切りとなる。たとえば、09年度採用(就職)と10年度採用(就職)の端境期となるのが、この6月の時期なのである。このタイミングを決算期とするのが、事業計画を作る上でも、年間の業績を見通すうえでもわかりやすいため、決算期を変更したのである。
以上ふたつの理由で、パフは今月で「12期が終了」ということになったのである。
・・・うーん、わかりにくかったかな。ま、そもそも難しい話題が苦手な「釘さん日記」だからしょうがないかな(苦笑)。
で、話をもとに戻すと、本日で終了した第12期。一週間前の日記で僕はこう書いた。
・・・・・
パフの決算期は6月。あと1週間で、第12期が終了する。
気になる業績はというと……。ここではまだ詳しく書けないが、決して楽観できるような状況ではない。
でも、この2週間のメンバーの追い上げはすごい。営業メンバーはもちろんのこと、営業をサポートするメンバーたちも含めて、その意識の高さは脱帽ものだ。
あと一週間。ゴールは目の前まで来ている。
なんとか意地を見せてほしい。そうすれば天もきっと味方するはずだ。
・・・・・
全員、最後の最後に意地を見せてくれた。しかし、味方してくれたのは「天」ではなかった。
最後の最後に味方をしてくれたのは、「お客様」であった。
なんて幸せなメンバーたちであろう。そして、なんて幸せな会社であろう。
あらためて、すべてのお客様に感謝をしたい。このご恩を、これからの仕事で精一杯お返ししたいと思う。
みなさま、本当に、ありがとうございました!!
ふるさとネットのことを書く日
2008年6月29日 (日曜日)
6月25日の日記で、「ふるさと就職応援ネットワーク」 の設立総会がパフのセミナールームで開催されたということを書いたが、時間の関係で(飲みすぎの関係で?)あまり詳しく書けなかった。
きょうはちょっと補足で、このことについて触れておこうと思う。
「ふるさと…」については、僕の過去のブログでも触れてきたが、昨年の夏ころから何回か地方同業者の皆さんとの会合に同席させていただいていた。
皆さん、現在の就職・採用業界に危機感を持っておられる。
中央の大手同業者の地方進出や、Uターン率の低下、地元の若者の県外流出などなど、憂える問題が数多くある。
これはどこか特定の地域だけの問題ではなく、日本全国の各地方が共通して抱えている悩みなのである。
僕らは東京でずっと仕事をしてきたので、地方の切実な問題を知らずに過ごしていたが、地方の同業の皆さんと接するようになって、これは地方だけの問題ではなく、日本全体の問題だと感じるようになった。
なんでもそうだが、一極集中というのは効率がいいようで、その反面、とても怖いことだ。一極が健康・健全・良心を保っているうちはよい。しかし、権力でも経済でも商品でもサービスでも、独占が続くと必ず腐敗が生じる。
この就職と採用の業界もそうだ。たとえば新卒採用のための情報メディアも、かつては様々な選択肢があった。それが今は2,3のメディアに集中し、全国規模で独占化が進んできている。学生の就職が、 「みんな同じ、横並びの活動」になってしまった原因のひとつでもあるだろう。
独占化を進めている大手メディアが悪いわけではない。ネットの情報メディアというのは、そもそもそういう特性をもったものなのだから。
しかし世の中全体のことを考えると、この状態は健全ではない。特徴をもったメディアが多数登場し、個性を有したサービスが多くの学生や企業に提供されていかなければならないと思う。
ちょっと脱線気味になったが、その解決策のひとつとして、「ふるさと…」の同業者連合は、この業界の健全化に向けて、うまく機能するのではないかと思っている。
初代会長となった新潟の山岸さんが、設立総会でこう仰った。
「今回『ふるさと就職応援ネットワーク』が発足したということは、皆さんの会社の支社が、いっぺんに全国に生まれたということなんじゃないでしょうか」
なあるほど。うまいことを言う。そう、皆、同じ志をもって集った仲間たちなのだから、会社の枠組みを超えて、協力し合っていかなきゃと思う。
また、副会長となった金沢の夏至さんは、こう仰った。
「我々は、広告業(媒体会社)であってはいけない。サービス業にならなきゃいけない。広告で何人エントリーしたとか集まったとかじゃなくて、企業の本当の採用の成功や、求職者の本当の幸せな就職にコミットしなきゃならないんじゃないでしょうか」
「ふるさと就職応援ネットワーク」。まだ発足したばかりで、すべてはこれからなのだが、きっと新しい価値を生み出すことができるのではないかと思う。我がパフも幹事企業として、これから頑張っていきたい。
テレビっこに戻った土曜の夜の日
2008年6月28日 (土曜日)
朝の新幹線で新潟から東京に戻ってきた。
連日連夜の疲れもあり、そのまま自宅に帰ろうかと思ったのだが、そこは貧乏社長の性(さが)。つい、ふらふらと会社に立ち寄ってしまった。
僕の席の決裁箱には、たくさんのお客様から頂いた申込書の控えが入っていた。そう、6月は期末であり、受注&納品活動の最後の追い込みなのである。僕が出張しているあいだに、社員たちが奮闘してくれ、信じられないくらいの受注をお客様からいただいていたのだ。
これら申込書に顔をほころばせながら目を通し、二日間の出張中に溜まりに溜まったメールをチェックし、返信し、もろもろの雑務をしていたら、あっというまに夕方になった。
重い出張カバンをゴロゴロと引きずりながら自宅に帰った(いつもは徒歩20分なのだが、ゴロゴロカバンのおかげで30分近くかかってしまった)。
久々の自宅での食事を済ませたのち、早めに寝ようと思ったのだが、ここからテレビにハマってしまうことになる。
何気なくテレビをつけると、小椋佳と堀内孝雄と坂崎幸之助の3人が歌っている。「おぉー!」と見入ってしまう。
しかし夜9時からは「監査法人」というNHKのドラマを見なければならない。やむなく小椋佳のほうは録画することにした。
「監査法人」を見終えたあと、あらためてじっくり小椋佳たちの歌に聴きいった。僕の中学生のころからのファンなのである。また石川鷹彦(むちゃすごいギタリスト)と坂崎幸之助との競演も見モノだった。思わず僕もギターを取り出していっしょに弾きながら歌いながらテレビの前にかじりついた。
さて、そろそろ寝るかと思ったのがすでに午前零時過ぎ。
しかし、ここでまた思い出した。「8時だよ、全員集合!」の特番が数日前にあり、録画予約をしていたのだった。
これを見ながら寝ようと思った。いやあ、面白い。やっぱりドリフは最高だ。視聴率が50%を超えていたというのも頷ける。よくこんなすごい番組を毎週やっていたものだと感心させられる。いまの芸人やテレビ関係者からみても、奇跡に近いのではないだろうか。
ということで、夜の8時から深夜まで、ずーっとテレビの前にかじりつき。久々にテレビっこに戻った週末でした。
とても充実した二日目の新潟の日
2008年6月27日 (金曜日)
新潟は梅雨とは思えない快晴。とても気持ちのいい朝だった。
昨日の日記でも書いたが、本日は新潟の同業者、広報しえん さんの企業向けのセミナーの日だ。
タイトルが、 『売り手市場で勝つ! 採用戦略強化セミナー』という名のセミナー。広報しえんさんは、毎年この時期、新潟県内の企業を集めて、大規模なセミナーを開いている。一昨年も講師として参加させていただいたのだが、今年もまた光栄にも呼んでいただいた。
ただ今年の僕の役目は、「講演の講師」ではなく、「パネルディスカッションのコーディネーター」としての役目。しかもパネリストの方々は、首都圏の大手企業の人事担当者の皆さんだ。しかもしかも!この首都圏企業は、皆さんともにパフのお取引き先。担当営業マンの無理なお願いを、快く引き受けていただいていた。感謝×2である。
自分の会社のセミナーならば、ある程度いい加減にもできる(??)のだが、他社のセミナーなので、そうもいかない(あたりまえか)。またパフのお得意様をはるばる新潟まで引っ張って来て、グダグダの内容で終わらせるわけにもいかない。
そんなわけで、実は結構なプレッシャーのもと、本日のセミナーに臨んでいたのだった(まわりの皆さんには、いつもながらのノー天気な釘さんに見えていたと思うが、笑)。
朝11時。新潟駅の出口で、パネリストのみなさん(B社のYさん、K社のIさん、D社のYさん)と、主催者である広報しえんの山岸社長と待ち合わせをした。
打ち合わせ(といっても99%が雑談)兼、昼食を済ませたあと会場に入った。
会場は300名定員の、ホール形式のところだった。ギターさえあればコンサートができそうなところだ。
プレッシャーが、ちょっとした緊張に変わってきた。
午後1時半。セミナーが始まった。
まずは広報しえんの常務からのご挨拶とスピーチ。舞台の裏側から聞いていたのだが、緊張感がビンビンに伝わってくる。
そして1時40分。いよいよ僕らの出番だ。
まずは僕ひとりが登場して、ごあいさつを済ませたのち、3社のパネリストの皆さんを舞台上にお呼びするという段取りだった。
不思議なことに、3社の皆さんをお呼びしたくらいから、すっかり緊張感やプレッシャーが消えていた。目の前には約200社の企業の人事担当者がいるにもかかわらず、だ。
3社の皆さんともに、とっても頼りにできる方々なので、壇上の顔を見ただけで、ホッとしたのかもしれない。
実際パネルディスカッションが始まってからも、とても楽しく会話ができた。事前の打ち合わせをあまり(いや、ほとんど)していなかったのも良かったのかもしれない。初めてお聞きする内容ばかりで、僕自身が皆さんのお話に、引き込まれていった。
気がつけば持ち時間の90分が、あっという間に終了していた。いやあ楽しかった。3社の皆さん(B社のYさん、K社のIさん、D社のYさん)にあらためて感謝である。
その後、地元の某実力派メーカーの名物人事担当者Mさんと広報しえんの山岸社長とのトークライブ。続けて、広報しえんの山田営業部長の採用戦略立案に関しての講演が行われた。そして最後は、山岸社長の熱いスピーチで締めくくられた。
僕らは最後列の席から拝見していたのだが、Mさんと山岸社長のトークライブも、山田営業部長の講演も、実にすばらしく、為になる内容だった。
パネルディスカッションも含めて共通していた内容は、売り手市場といえども、いや、売り手市場だからこそ必要なのは、母集団の拡大ではなく、地道な「顔の見える採用活動を行う」ということ。まさに我々パフの主張とぴったりのものだった。
D社のYさんの上司であるI部長(パネルディスカッションの途中から、わざわざ東京から駆けつけてくれた)がセミナーのあと、「これはいい。大手媒体会社のセミナーなんかより、断然優っている」と仰っていた。いつもは辛口のコメントしか言わないI部長が大絶賛するくらい、本当にこのセミナーは素晴らしかったと思う。
株式会社広報しえん は、(大昔の僕の日記でも書いたことがあるのだが)僕と同年代の土田一(つちだはじめ)さんが起業して創った会社だ。創業の時期はパフよりちょっと先輩で、土田さんには創業時、ずいぶんとお世話になったし、刺激もたくさんいただいていた。新潟の飲み屋で、いっしょにギターを弾きながら明け方まで歌ったこともある。
その土田さんが2年前に急逝されたときは、とてもショックを受けたし、広報しえんさんの今後を心配したものだが、土田さんの遺志を受け継いだ山岸社長をはじめとする役員・社員の皆さんが、この2年間で、さらに立派な会社に育て上げている。名実ともに新潟県でナンバーワンの人材企業になっている。そのことが我がことのように嬉しい。
セミナー後、広報しえんの皆さんと、B社のYさんやD社のI部長も交えて大宴会が繰り広げられた。
10年前、いっしょに朝までギターを弾いて歌っていたS専務(当時とても可愛かった女性。あ、失礼!いまでも変わらずに可愛いです)とも、久々にたっぷりお話ができた。昔話や今後の話で盛り上がり、二次会、三次会と進んでいった。
#なぜか終盤は、昨夜いっしょに飲んでいた大学時代の後輩も合流していた気がする(ちょっと意識が朦朧としており定かではないが…)。
長々と書いてしまったが、それだけ充実したということだ。
新潟の景色や空気や人々やお酒が、あらためて大好きになった日であった。
<下の写真は翌朝、ホテルの部屋から撮影した新潟の町と彼方に見える水平線(かな?)>
新潟の夜は更けて・・・の日
2008年6月26日 (木曜日)
あすは新潟での企業向けセミナー。
・・・といってもパフの主催ではない。
新潟の同業者であり、「ふるさと就職応援ネットワーク」の幹事会社でもある、株式会社広報しえんさんが主催するセミナーなのだ。
企業が200社以上参加するという、かなり大規模なセミナーだ。
僕はそのセミナーで、パネルディスカッションのお手伝いをすることになった。
ということで、そのセミナーに参加するため、前日の今夜から新潟に入ったのであるが、今夜は仕事ではなく、プライベートで、新潟で働いている大学時代の友人と久々に会って飲むことになった。
一人は一学年下の後輩(男)。現在、某大手メーカーの、新潟の工場で、人事総務を担当している。
一人は二学年下の後輩(女)。現在、主婦でありながら、新潟の大学で、准教授(英語)になっている。
一人は一学年上の先輩(女)。現在、嫁ぎ先の書店を切り盛りするかたわら、社会福祉関係の仕事をしている。
みなもう40代後半になっているというのに、大学生の頃と、あまり変わらない。久々に会っても、変わったという実感がない。昔のままだ。
しかし……。
懐かしさのあまり、少々夜更かしが過ぎたようだ。
翌日のセミナー(実はもうすぐなんですけど)に支障がないように、冷たいシャワーでも浴びて、目を覚ますことにしよう。
ということで、行ってきます!!
ふるさとネットと職学校Webがスタートした日
2008年6月25日 (水曜日)
本日は、新しいことがふたつスタートしたおめでたい日だ。
ひとつめは「ふるさと就職応援ネットワーク」 。本日、パフのセミナールームで設立総会とパーティーが開催された。
ふたつめは、昨日の日記でも書いた「職学校Webプレサイト」が、本日オープンした。
本当は詳しく書きたいのだが、ふるさとの人たちとの祝いの酒が過ぎてしまい、いま頭の中をぐるぐるとアルコールが駆け巡っている。これ以上書くと、あらぬことを書いてしまいそうだ(苦笑)。
したがって、週末の日記のスペースを使って、詳しく書くことにしよう。
本日はこれにて御免!!