パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

世界一の手袋を頂戴した日

2008年7月15日 (火曜日)

10年度の新卒採用にむけて、いちはやく職サークル協賛企業としてご参画いただいた会社が、すでに30社ほどある。

最近すっかり営業現場から遠ざかってしまっていた僕なのだが、それじゃやっぱりいかん。お客様とのコミュニケーションや接点はいつも幅広く、近く持っておかないと、現場で起きている問題点や、せっかく目の前に現れつつあるチャンスに気づかずに過ごしてしまう。

そこで、(営業マンは嫌がるかもしれないのだが)1日に1社のペースで、職サークルにいちはやく協賛してくださった企業の皆さんのところに訪問させていただくことにした。

きょう訪問させていただいたのは、皇居に程近いところに東京本社があるショーワグローブ株式会社だ。

一般にはあまり知られていないかもしれないが、手袋の開発・製造においては圧倒的なシェアを有する世界的に有名な会社だ(姫路本社と東京本社の2本社制である)。

ショーワグローブさんとは、約2年前、パフの企業向けセミナーにご参画いただき、パフの新卒採用事業に対する考え方に共感いただいたことをきっかけにして、本格的なお取り引きが始まった。

僕はたいへん失礼なことに、まだ一度も東京本社にお邪魔したことがなかったのだが、きょう訪問させていただいてビックリした。とってもオフィスが清々しいのだ。なんていうんだろう。曇りや濁りや淀みといったものが微塵もない。透き通るような空気が流れているのだ。さらに、通された会議室にまたビックリ。すぐ目の前には、皇居(清水門)のお堀が、さーっと広がっている。気持ちが洗われる思いだった。

小一時間ほど、ショーワグローブさんが抱える採用の課題と、パフへの期待と、パフが課題とすべき点をお聞かせいただいた。途中「えー!そうだったんですかあ」という話題も出てきたりで、とても楽しく有意義な時間だった。

やはりお客様のところに訪問するのは、とても勉強になる。緊張もするが、身も引き締まる。現場の営業マンの頑張り具合も(可愛がられ具合も含めて)よくわかる。自分の会社(パフのことですよ)が将来進まねばならぬ方向性も見えてくるし、あらためて自社の存在価値も実感できる。そして、自分自身の世界観が広がる。

#協賛企業の皆様、突然訪問のお願いをさせていただくことがあると思いますが、どうか煙たがらずに、少しのお時間をいただけると嬉しいです。

 

ところで、本日の帰りに、ショーワグローブさんの代表的な商品である、何種類かの手袋をプレゼントにいただいた。 「ぜひ使用感をブログに載せてくださいよ」と言われているのだが、僕はまだ残念ながら使用できていない。

そこで、インターンのクボタに、代わりに使ってもらった上で、感想を聞いてみた。

 

フィット感がすばらしい。

ゴムのグリップ力も適度でよい。

はめやすい。

トイレ掃除などで使ってみたいです。

 

さすが世界の手袋。ものぐさな僕も、この手袋を使うと、荷物を運んだり、家事をしたりするのが好きになるのかもしれない。クボタの明日からの仕事もこれでひとつ追加されたな(笑)。

本日お時間をいただいた、執行役員のKさん、課長のKさん、温かくお迎えいただいたIさん、本当にありがとうございました。これからも目に見えるOUTPUTを目指して頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします!

 

<追伸>

ところで本日は午後、怒涛の企業向けセミナーVol.6も開催された。このことについては、また明日の日記で触れることにしよう。

この夏、パフでは4名のインターンシップの学生を受け入れる。その第一号のクボタが、きょうから勤務を開始した。

きょうと明日は、基礎教育。

精神修養を僕が。基本動作の教育を社長室のスギヒラが担当する。

僕のきょうの受け持ち時間は、午前10時から午後1時までの3時間。

僕は、部屋の中でイジイジ教育するのが、どうも苦手だ。

そこで、 『おいクボタ、これから青空教室だ。外に行くぞ!』と、外に飛び出してしまった。

外は真夏日。じっとしてても汗が噴き出るような陽気なのに、なんでまた青空教室だなんて……。

僕がクボタを連れて行きたかったのが、パフ創業の地、新富町の「新富町一丁目ビル」(1997年12月から2000年5月までの2年半を過ごしたビル)と、佃の「JS月島ビル」(2000年6月から2004年5月までの4年間を過ごしたビル)。

パフで営業活動を行う前に、パフの歴史や足取りを、自分の目で見て、自分の足で確かめてほしいと思ったのだ。そして、道々、営業として、社会人として、パフの社員として大切なことを伝えたかった。

が、ここまで暑いとは思わなかった。

月島に着いたころには、もうヘトヘト。昼時にはまだ早かったが、月島の定食屋で一休み。焼き魚定食でエネルギー補給。さらにお冷を何杯もお代わりして水分補給した。

さて、あとは築地の事務所に戻るのみ。しかし、外の日差しは益々強くなっている。

勝鬨橋を前にして、意識がもうろうとしてきた。

「ク、クボタ、なんか飲んで行こう」と、橋のたもとにあるデニーズに入った。

ここでまた、お冷とアイスコーヒーを、たっぷり補給。

生き返った。

いやはや、真夏日の東京を甘く見てはいけない。

今度から青空教室を行うときは、水のペットボトルを必ず片手には持つことにしよう。

ジムで大物俳優と一緒だった日

2008年7月13日 (日曜日)

きょうは日曜日。関口宏のサンデーモーニング(大沢親分や張本が“喝っ”とやってる番組)を観終わったあと、勝どきにあるジムへと出かけた。

更衣室に入るとき、見覚えのある渋い男性とすれ違った。

「あれ、誰だっけなあ?」

と思ったが、すぐに思い出した。3週間ほど前に観た映画「マジックアワー」にも出ていた。いや、それ以上に有名なのはTVドラマの「水戸黄門」だ。

葵の御紋の印籠を片手に「控えよろう~」というセリフで有名な俳優といえば、もうおわかりであろう。

そう、俳優のIGさんである。

へぇ~、もう結構いい年だったと思うんだけど、こんなところでトレーニングやってるんだなぁ…と思いながら、僕も着替えを終えて、マシンのある部屋に入った。

そんなに大きなジムではないので、いやでもIGさんの姿が目に入る。腹筋を鍛えるマシンで、体をクルクル回している。

気になりながらも、あまりジロジロ見ていては失礼なので、僕は僕で、他のマシンでトレーニングを続行していた。

ひと通りの筋トレのあと、文庫本を読みながら自転車を漕いでいたのだが、気がつけばIGさんも僕の隣にやってきて、自転車を漕ぎはじめていた。

チラチラと横目で見ていたのだが、年はとったといえども、やっぱり俳優の風格があるし、立派な体躯である。

話しかける絶好のチャンスだったのだが、適当な話題がみつからない。「きょうは暑いですねぇ」というのも、あまりにも間抜けだし……。

30分ほど経ったろうか。僕が文庫本に見入っている間に、IGさんは先に引き上げてしまっていた。とうとう声をかけることができなかったが、またそのうちお会いすることもあるだろう。

帰宅後、ミーハーな僕は、wikiでIGさんのことを調べてみた。現在、年齢は62歳だとのこと。その年齢で、あの体格はやっぱり立派だ。僕は62歳まであと14年。ジムに通う張り合いができたってもんだ。

 

そういえば数週間前、体重削減宣言をこの日記で行った。以来、週末はいつもジムに通っており、毎回体重を計っている。トレーニング開始前と終了後の体重差はいつも1Kgほど。間違いなくトレーニングで体重は削減されている。少なくとも、その日一日だけは……。

3歩進んで2歩下がるのならまだいいのだが、3歩進んで3歩下がっているのが現実なのだ。

カーボンオフセットならぬ、体脂肪オフセットの対策でも講じなければ削減目標の達成は厳しいかもしれぬ(苦笑)。

クライマーズ・ハイを観た日

2008年7月12日 (土曜日)

盟友、shimozono社長のブログに触発されて、映画クライマーズ・ハイを観てきた。場所はおなじみ、豊洲のユナイテッドシネマである。

約2時間半の長い映画だったのだが、あっという間に終わったという感じだ。とても面白かったし、感動もしたのだが、反面、ちょっと物足りない気がした。

NHKのドラマにもなっているらしい(DVD化されているらしい)ので、そちらも今度観てみることにしよう。また、原作本(横山秀夫著)も読んでみることにしよう。

1985年8月12日は、僕もよく覚えている。社会人になって2年目(リクルート時代を入れると3年目)の夏で、やっとSEの仕事に慣れてきた頃だった。夜、テレビで第一報を見て「えっ?」と、ちょっと信じられなかった。その後の、新聞、テレビ、写真週刊誌などの凄まじい取材合戦も、記憶に新しい。

あれから、もう23年も経ってしまったのか。

映画のラストのほうで、乗客が必死に機内で書いた、息子あての手紙を(記者役の堺雅人が)読んでいた。感極まった。事故の悲惨さを語り継ぐためには、一人ひとりの生き様や死に様を、マスコミが執拗に追いかけるのも必要なのかもしれないと感じたりもした。

そういえば、同じく堺雅人扮する記者が書いた、現場の状況を描写する原稿も秀逸だった。死に物狂いで現場を這いずりまわって、一本の記事を締め切りまでに書きあげようとする記者の執念も、よく表現できていたと思う。

映画を観終わった後の「物足りなさ」は、この映画の良さの裏返しかもしれない。久々に東映の映画を鑑賞したが、東映っぽい、東映ならではの、社会派・硬派映画だった。

東映さん、いい映画をありがとうございました!!

この秋から正式にWeb上に開校する、 「職学校web」 。校長先生は、この僕である。

この「職学校」には、校訓がちゃんとある。以下、貼り付けてみよう。 

 

校 訓  「職業に貴賎なし」

君が就いた職業が何であったとしても、
君自身が一生懸命に取り組むことによって、
その職業を、かけがえのない貴い職業にすることができる。
しかし、君がひとたび君の職業に一生懸命でなくなったとき、
君の職業は賤しいものとなっていく。
いや、その前に君自身が賎しい人間となっていくのである。
職業に貴賎があるのではない。
君自身の心に貴賎があるだけだ。
職学校ではそのことに気づき、貴い心を養ってほしい。

 

 

「どうしてこの校訓が出来たのか」とか、「そもそも校長先生ってどんな人なのか」といったことを明らかにするための取材記事を、Webに載せようということになり、その取材を本日受けた。

インタビュアーは、昨年から今年にかけてパフを利用しながら就職活動を行った、獨協大学のIさん。「うまれよ塾」にも「月見塾」にも参加したことのある学生だ。

#このIさん、もし僕に息子がいたとしたなら、ぜったいお嫁さんにしてほしい女性だ。こんなお嫁さんに、「お父さん、今夜のご飯はどうしますか?」なんて言われたら、泣いて喜んでしまうと思う(と、前世代的な問題発言?)。

本日の取材記事は、月末くらいにはUPされる予定だ。インタビュアーであるIさんの姿も掲載されるはずだ。「釘さん日記」の読者の皆さんも楽しみにしていてください。

きょうは、怒涛のセミナーシリーズ第5回目だった日。テーマは、 「経営者で魅せる! 中堅企業の採用術」

本日のゲストスピーカーは、先日(7月4日)の日記でも書いたD社のS専務。差し支えないと思うので実名を明かすと、 株式会社ダイワコーポレーションの曽根専務である。

同社は曽根専務のお爺様が創業した会社。曽根専務は3代目の経営者なのだ。

きょうのセミナーのメインイベントは、この曽根専務と僕との対談。そして後半は、中小企業への入社を決意した大学4年生にも入ってもらい、中小企業の採用について、さまざまな意見を交わした。

それにしても、曽根専務は格好いい。外見だけではない。ハートがこのうえなく格好よいのだ。甘いマスクから繰り出される言葉は、実はとても熱く、柔和さの中にも激しさがある。

売り手市場となり、大企業と比べて圧倒的に不利な状況におかれている中小企業の新卒採用。単にお金や労力をかけるだけでは、なかなか優秀な人材の採用は難しい。

中小企業の採用を成功させるには、経営者自身が採用の前面に出て行き、学生に対して熱いメッセージを送ることが必要だ。そのメッセージに共感した学生が、企業の大小や有名無名などという(働くうえでは無意味な)枠組みを超えた会社選択を行うのである。

そういう意味で、そのことを実践している曽根専務のお話は、説得力にあふれていた。

ご参加いただいた中小企業の人事担当者のみなさんにとっても、大きな励みになったのではないだろうか。

曽根専務、本日はお忙しい中、ホントにありがとうございました!!

それから勇気をもって、自分自身の就職活動を語ってくれたHくんとツッチー。ご苦労さんでした。乗り越えなければならない壁はまだまだあるかもしれないけど、社会に巣立つための試練。もう一息、頑張っていこう!!

本日も夕方から企業向けセミナー。これで4回目。怒涛のシリーズも、やっと折り返し地点まできた。

本日のセミナーは、パートナー企業である株式会社イー・ファルコンさんと共同で、「適性検査活用の現場から」というテーマを設定して行った。

ゲストスピーカーは、小糸工業株式会社様。知る人ぞ知る、長い歴史をもった産業用電気機械器具メーカーである。

適性検査を、ありがちな「足切り」や「選抜」のために使っているのではない。スピーカーを引き受けてくださった採用担当の課長Aさんの言葉を借りるなら、『 Side by Side 』。“ ともに歩もう! ”の精神で活用している。

僕も適性検査の世界は素人ではないのだが、この小糸工業さんの活用法はとても勉強になった。

Aさん、ホントにありがとうございました。

 

と、本日の日記のタイトルの出来事が起きたのは、実はこのセミナーのあとのこと。

席に戻り、メルマガの原稿執筆の仕事をしていた。書き終えて、きょうは早めに帰ろうかなと思っていたら、『エレベータの点検が始まります。しばらくのあいだエレベータは使えません!』の社内アナウンス。

げっ!そうだった。

まあ、しょうがない。落ち着いて原稿を書くとするか…と思っていたら、携帯に一本の電話。

旧友からの「これからちょっと一杯どう?」の誘いだった。本当にタイミングのいい奴だ。

「じゃ、30分後に昭和通りの交差点で」という約束をした。

原稿も書き終えて、約束の時間が近づいたので、執務室を出た。が!まだエレベーターは点検中。

結局、非常階段を9Fから1Fまで歩いて降りる羽目になった。当ビルの階段は、勾配がとても急で、とても怖い。実は数か月前、9Fから8Fに降りる際、転倒して、危うく大けがをするところだった。

いやあ、怖かった。

結局、無事転ぶこともなく、1Fまで降りることができたのだが、あらためて普段「当然のようにあるもの」が「突然なくなった」ときの不便さを思い知った出来事だった。

・・・後半、どうでもいいことで、日記のスペースを埋めてしまいました。失礼しました!