パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうは日記で公開できるネタがないので(ずっと面接に立ち会っていたのだが、さすがにそのことを書くわけにもいかないので)、つい先日あった出来事を書く。

先日、午後1時のアポイントがあり、会社を12時過ぎに出発した。

昼食をカンタンに済まそうと思い、途中、新富町駅(有楽町線)のそばにある、某外食チェーン店に入って、すぐに出てきそうなカレーライスを注文した。

カレーライスを待っているとき、目の前のおばちゃん(たぶんこの店の店主と思われる)が、突然怒り出した。

僕にではない。隣にいた従業員に対してである。

どうやら間違ったオーダーを厨房に通していたようなのだが、それにしても、尋常ではない怒り方だった。「キーッ!!」という感じだ。

他にも3人ほどの従業員が働いていたのだが、名札を見ると、全員外国の人たちで、皆、「あぁ、またか…」という顔をしている。暗い険悪な雰囲気が漂っているのだ。

怒られていた従業員は、どうやらうまく日本語が聞き取れなくて、オーダーを間違えたようだ。おばちゃんとの会話もうまくできず、それがまた、おばちゃんのイライラ感を増幅させているように見えた。

ほどなく僕のカレーライスは出てきた。味は特段悪くない。いたって普通のカレーライスだ。時間もあまりないので、パクパク食べ始めた。

一方、目の前のおばちゃんのイライラはおさまらず、今度は他の従業員にその矛先は向かっていた。 「ほら、ちがうでしょ、そこ。早くしなさいよ!!みたいな、ヒステリックな声の指示が飛んでいる。従業員達が、すっかりやる気を失っているのが分る。あれじゃ奴隷と同じだ。

 

こういう態度はいくらなんでも良くない。目の前に客がいることを、すっかり忘れてしまっている。なんだか、せっかくのカレーライスが不味く思えてきた

そういえば、お昼時真っ盛りだというのに、この店はあまり混みあっていない。僕はこの店を普段は利用しないから分らないのだが、ひょっとしたら、この おばちゃんが原因かも…と思えてきた。

おそらく僕も、もう二度とこのお店で昼食をとることはないだろう。殺伐とした雰囲気のなかで働かされている従業員には可哀想だが、このような店で調理される食べ物には信頼がおけないし、第一、こんな雰囲気の中で、食事をしたいとは思えない。

従業員が、楽しく和気藹々と働いているお店の食事は美味しい。間違いない。

これは外食のお店だけに限ったことはない。従業員が元気なく、暗い雰囲気で働いている会社の商品を買いたいとは思わないきっと商品もサービスも粗悪に決まっている(というイメージを受ける)。

他人事ではない。

うちの従業員は楽しく和気藹々と働いているだろうか。目の前のお客様の存在を忘れて、内輪のことに対してパワーを使っていないだろうか。理不尽に、ヒステリックに怒りまくっているおばちゃんはいないだろうか。なにより自分自身が、そんなヒステリックなおばちゃんになってしまっていないだろうか。従業員の士気を落としてしまっていないだろうか。

カレーライスを食べながら、そんなことを考えたお昼の10分間だった。

ちょっと喋りすぎた日

2008年2月26日 (火曜日)

きょうの夕方、2名の学生がパフを訪れてくれた。両名とも、パフを就職先候補として考えている学生だ。

パフの社員に様々な質問をし、疑問を払拭したうえで、本選考に臨むのだと言う。

僕も時間があったので、この2名の学生の質問に立ち会った。

 

「なぜ、釘崎さんは会社を作ったんですか?」

まあ、ありがちな質問だ。

しかし、この質問にきちんと答えようとするならば、僕の生い立ちから、小学生、中学生、高校生、大学生、若僧社会人として過ごした、数十年もの半生を語らねばならない。

やめときゃいいものを、ビールを飲みながらだったこともあり、ついつい喋り始めた。

幼稚園中退のエピソードを話すだけでも5分間ほど要した。

延々30分ほど喋ったところで、やっと36歳のころの、創業を決意する歴史的シーンがやってきた。

でも、肝心の会社を作った理由の部分は、「まあ、行きがかり上かなあ……」というひと言だけ。

つまり会社を作った理由は、36年間の半生の中にこそ隠されているし、蓄積されているんだ……と、いうことなのである。

#それにしては、ちょっと喋りすぎたかな(苦笑)。

 

きょうわざわざ足を運んでくれた二人の学生君。質問をたくさんしてもらうはずが、こっちからの話ばかりでゴメンナサイ!

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この『釘さん日記』をお読みの方の中で、パフを志望する人がいたら、ぜひ、『パフの創業物語』『パフの自転車操業物語』『素晴らしき100の出会い』の三つのコラムを読んできてくださいい。

きっと、

パフはなぜ生まれたのか、

どうやって続いてきたのか、

誰が支えてくれている会社なのか、

何を大事にしている会社なのか、

どういう仲間が働いている会社なのか、

社長はいったいどんな奴なのか……。

といったことが、よく理解できるのではないかと思いますよ。

#画面右側(⇒)の、カテゴリー2の『パフの創業物語』のメニューからご覧いただけますので、みなさんどうぞご覧ください。

 

多額の負債を抱えあえいでいた総合商社、伊藤忠商事を、みごと復活させた名社長、丹羽宇一郎さん(現在は同社の会長)。その丹羽さんが、本日の日経新聞夕刊の「あすへの話題」というコラムに、寄稿されていた。

タイトルが、 『遁辞(とんじ)を弄する』。

最近の、行政や政治に対して、“喝”のメッセージを書いている。

「遁辞」とは、つまり、 「言い逃れ」「言い訳」ということ。

丹羽さんはコラムのなかで、 「最近ではどうやら行政や政治に、外からみると首をかしげるが、中にいたら何とも思わないという深刻な事例が多いようだ」と語っている。

行政や政治だけではない。自分たちの組織の中にも、そういったことはきっとあるはずだ。

「言い訳をしない」、「人のせいにしない」、一人ひとりが主体性と責任をもった組織にしていかなければ、その組織は、世の中にとってお荷物になるだけだ。

丹羽さんのコラムを読んで、「遁辞」ということを、あらためて考えさせられた。

靴を磨いた休みの日

2008年2月24日 (日曜日)

僕は案外、物持ちがよい。貧乏性だということもあるのだが、買ったものは長いあいだ使っている。

例えばスーツ

会社を立ち上げようと思った10年前。安定した収入のあてがなく、当面はスーツを買うことすらままならないと思い、会社員時代の最後のサラリーで、2着のスーツを買った。

なんとそのスーツは10年たった今でも着ている。腹回りは2度ほど服の仕立て屋さんで広げてもらったが、今でも十分着られる。

先日の10周年記念式典では、あえてその10年前に買ったスーツを着て臨んだ。肘や膝は、ややツルツルしてはいるのだが、あまり気にならないし、わからない。

そろそろ買い換えたら…と言われることもあるのだが、創業時の思い出のスーツでもあるので処分することができない。きっと、ずっと、ボロボロになるまで、着続けるんじゃないかな。

 

例えばノートPC

会社のPCはよく壊れてしまうので、数年に1回のペースで代替わりしているのだが、自宅で使っているノートPCは、すでに7年間使い続けている。

特に大事に使っているわけでもないのだが、なぜか壊れない。出張の時はいつも持ち歩いているノートPC。

自宅で作業をすることが多いので、使用時間は会社のPCよりも、だんぜん長い。いまブログを書いているのも、このノートPCだ。

 

例えば腕時計

物持ちがいい、というより、僕はそもそも高価なものを身に着けたいと思わない。時間さえわかればいいものなので、ブランド品の腕時計を自慢している連中の気持ちがよくわからない。

ちょっと前まで使っていた腕時計は、6、7年ほど前に、家電量販店で1万円くらいで買ったものだった。が、その時計を、昨年の秋、五反田で飲んでいたときに失くしてしまった。

それ以来、腕時計なしで過ごしていたら、カミさんが不憫に思ったのか(苦笑)、誕生日プレゼントに買ってくれた。いまはその時計を大事に使っている。丈夫そうな時計なので、失くしさえしなければ、きっと死ぬまで使うんじゃないかな。

 

それから最後に

僕は仕事用では、黒と茶色の革靴をそれぞれ一足ずつしか持たないことにしている。我が家の下駄箱が小さいのでそれ以上収容できないという理由もあるのだが、必要最低限の靴だけで済ませている。

なので当然、消耗も早い。少しでも長持ちするように、たまの休日には、靴墨をたっぷりつけて磨いてやることにしている。

きょうも午前中、自宅でせっせと靴磨きを行った。

まずはブラシで表面の埃をはらって、アルコールで古い墨をふき取ってから新しい靴墨を塗る。そして古い下着をぐるぐるまきにした布で、丹念に磨き上げる。15分も磨き続けると、新品の靴とは違った、風味のあるツヤになる。

茶色の靴は、もう履き始めて2年を超える。黒い靴はまだ3ヶ月程度だが、その前の黒い靴は、4年間履いていた。

僕は毎日、徒歩通勤をしているので、踵(かかと)の減りは早い。さすがに社長という立場上、踵(かかと)が磨り減った靴をいつまでも履いているわけにもいかないのだが…。それでも、靴屋さんで(踵の交換の)修理をしてもらいながら、履き続けている。

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僕は何かと飽きっぽい性格なのだが、このように案外、いったん買ったものは大事に、長く使う人間なのだ。

しかし一方で、この2年間に、財布を2度も失くしている。物持ちがいいのは、買いたくても買えない財布の事情があったりするのかもしれない(苦笑)。

就活フェア特別編だった日

2008年2月23日 (土曜日)

昨日の学生主催のイベントに参加した学生には、静岡から来ていた学生が30名近く含まれていた。

本日は、この静岡の学生たち(昨夜一泊してくれた)と、パフの会員学生とを集めた、 『就活フェア』というイベントを行った。

 

学生は、朝9時半から続々と、パフのセミナールームに集合し始めた。

なんと全員で50名。パフのセミナールームのキャパシティの限界ギリギリだった。「うぉーっ」というくらいにギッシリと学生諸君が着席してくれていた(学生の皆さん、窮屈でゴメンナサイね)。

しかし残念なことに、この日のスポンサー企業は1社のみ。これだけの学生数がいるのであれば、4社程度の参画が理想的なのだが、実にもったいない。学生にとっても企業にとっても、絶好の出会いのチャンスだったのになぁ……(これはパフの営業力の問題だけどね!)。

社会人側の人数が少なかったので、パフの社員4名(プラス僕)が加わって、学生の対応を行った。

実施したのは、模擬グループディスカッション。6名一組で30分のディスカッションを行ってもらい、その後、その評価(フィードバック)を僕ら社会人が行った。

社会人不足だったので、僕はニ組12名の評価を行った。僕ひとりで12名全員を見るには、ちょっと大変だなあと思っていたが、やってみるとそうでもなかった。12名一人ひとりの個性がちゃんと見えてきた。

なぜかというと、グループディスカッションにおける一人ひとりの役割が明確で、皆、それぞれにディスカッションに集中してくれたからだと思う。つまり、とてもレベルが高かったということだ。

その後、行ったのは参画スポンサー企業のプレゼンテーション。今回のただ1社のスポンサー企業は、古くからのパフ協賛企業である マースエンジニアリング さん。短い時間のプレゼンだったが、あらためてこの会社のスゴさが、十分伝わってくる内容だった。

今回の就活フェアでは、パフ自身も新卒採用をやる会社としてプレゼンが行われた。パフのイトーとタカタが説明してくれたが、興味を持ってくれたかな?惹かれたのではなく、ちょっと引かれてしまったのではないかと心配である(笑)。

その後は、 「マースコーナー」「パフコーナー」「就職相談コーナー」の3つに別れての、質問会。僕は就職相談コーナーを引き受けたのだが、(少なくとも僕は)とても盛り上がった。

そしてすべてのプログラムが終了したのが午後1時。最後は毎度おなじみの 末広がりの5本締め。音頭をとったのは、イベントプロジェクト長のヒラハラ。彼女の5本締めを見たのは初めてだったが、なかなか新鮮だった。

終わってみればあっという間の3時間。学生が引き上げたあとは、セミナールームがガラ-ンとしており、まさに嵐がいっぺんに過ぎ去ったという感じだった。

 

今回のイベントは、昨日に続き、シンゴウという学生団体とのタイアップで実現したものだ。この団体の静岡方面の責任者O君は、一昨年(O君が大学3年生のとき)、パフのイベントに来場してくれ、そのことがキッカケで、今回のイベントを共同で行うことになったのだ。

ほんとに一生懸命な学生が集まった団体で、時間を追うごとに、大人度が増していき、「成長してるなあ」と感じさせてくれる連中だった。

あらためてシンゴウの皆さん(特に東京方面責任者のO君、と静岡のこれまたO君)に感謝である。どうもありがとう&お疲れ様でした!

#ちなみに静岡のO君は、4月からパフのご近所の会社に就職することが決まっている。今後も近くから彼の成長を見守ることができそうだ。(O君、がんばれよ!)

きょうは、静岡の学生と東京の学生(ともに四年生)が、後輩達のために企画した就職イベントに参加した。

午後1時。パフとともに、この学生たちを支援している就職エージェントの、C-Squareというセミナールーム(新宿)に学生達が集合した。

静岡の学生と東京の学生。合計で50名弱。セミナールームは熱気に包まれていた。

協力している社会人は、(我々を含めて)10名。社会人1名を、学生が4名~5名で囲んで、模擬面接を行い、その後、その面接のフィードバックを行った。これを2回繰り返したのだが、あっという間に時間が過ぎた。

真剣で、素直で、明るく、元気な学生達に、感動してしまった。なんといっても、ノリがいいのだ。

就職業者が主催するものではなく、学生が自分たちのために企画したイベントなので、ひとりひとりに当事者意識があるのであろう。全員が前のめりであり、お互いがお互いに、いい刺激を与え合っているのであろう。

18時からは場所を移しての、大懇親会。

これがまたすごい。狭~い会場(PRONT)に社会人をいれて50名以上がすし詰めの状態。ここでビールを飲みながら、学生の相談に応じた。一段と熱気でムンムン。日本の将来について熱く語ったり、若者への教育論、子育て論などを戦わせる学生もいたりで、とても楽しかった。

やはり若い連中は、もともと素晴らしいものを持っているのだ。つくづく、型にはまった就職活動で、彼らの個性を奪ってしまってはいけないと思った。

エントリーシート対策、自己分析対策、面接対策、適性検査対策……。

こんなテクニックに走らされてしまう就職活動の現状は、学生の個性を奪う以外の何者でもない。

元気ある学生たちと一緒に過ごして、あらためてそう感じた1日だった。

つきしま村塾(つきしまそんじゅく)という、パフらしいイベントがある。

学生数は多くても20名。それに社会人が3~5名ほど加わる。

皆で、ひとつのテーマをもとに、自分の意見を言い、相手の意見を聞き、それぞれの考えを交わらせ、さらに新しい考えを発見する。

人間の、人間ならではのベーシックな力を、自分の価値観や自分らしさとともに、誰もが発揮できるイベント。それが『つきしま村塾』である。

『つきしま村塾』のネーミングは、幕末の時代、吉田松陰が山口県で開いていた 『松下村塾』 (しょうかそんじゅく)にちなんでいる。

松下村塾からは、明治維新を成し遂げていった偉人達が、数多く生まれている。

当時、20歳前後だった塾生たちは、何かを「教えてもらう」のではなく、自ら学んだことやそこから生まれた自分自身の考えを「皆で議論しあう」ことで、お互いを高めていった。

目の前のことではなく、将来の日本のために、「いま自分たちは何をなすべきか」、ということを、真剣に考え、議論していたのである。

 

今夜、この「つきしま村塾」が、パフのセミナールームで開かれた。ただし、ネーミングは、 「月見塾」という名前に昨年より変更されている。

今夜のテーマは、 『私たちが働く意味』 。「人は、どうして一生懸命、働くのか?」ということを、学生、社会人、あわせて20名弱の参加者たちで議論した。ビールを飲みながら、3つのチームに分かれて議論した。

そこで出てきたワードは、 「存在意義」、「自己実現」、「生きる」、「恩返し」、「次代につなぐため」などなど。とても熱く、深い議論が出来た。夜6時から始まったイベント。いったんは9時に終わったのだが、結局、全員が帰ったのは、すでに夜10時を回っていた。これだけ学生が帰りたがらないイベントも珍しいのではないか。

 

僕自身、この塾に参加したのは、一年ぶりくらいになるのだが、参加したことで、大きな学びを得た。もっとたくさん、定期的に参加すべきだと思った。

若者たちから学ぶことはたくさんある。自分が忘れかけたことを思い出させてもくれる

次からは、パフの社員にも、もっとたくさん参加してもらおう。目の前のことでいっぱいになってしまっているパフの社員たちにも、いや、いっぱいになっている社員たちにこそ、無理にでも参加させなきゃいかんと思った。

おまえら、次はぜったい参加しろよ!!