パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

今朝は休日だというのに、5時45分にバチッと目が覚めた。休みの日は、たとえ早く目が覚めたとしても、蒲団の上でしばらくうだうだとしているのだが、きょうは違った。

「よし、走ろう!」と思ったのだ。

昨夜のラーメンのことがあったからかもしれないが、カラダが走りたがっていたのだ。

ランニング用のウェアにさっと着替え、タオルを首に巻きつけて、外に飛び出した。早朝の隅田川沿いは実に気持ち良かった。

以下、要所要所で立ち止まって撮った、月島、佃、湊、勝どき界隈の写真である。時系列で並べるので、この辺の地理に詳しい方は、「ほほう、この辺を走ったのかあ」と想像しながら見ていただけると嬉しいな。

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そして、午後は月島から、遥か、多摩川の河川敷まで遠出。

パフの歴代会員のOB、OGたちを中心とするメンバーが40名近く集合するBBQ大会に参加するためだ。もちろん現役の学生諸君もいたし、パフでのインターンシップを終了したばかりの、クボタとスハラとモリヤマもいた。

この集まりの良さ。たいしたもんだ。

それから、ガイアックス社のサベちゃんとアサノさんも来てくれた。サベちゃんの呼び出しで、あとからマルちゃんとヤマグチくんまで集まってきた。さっすが提携関係の強さを表してるね。

そうそう、9年前の元祖インターン生(つまりパフの一期生より先輩)であり、現在某証券会社のトップ営業マンとして活躍しているウエスギも、終盤に奥さんを連れて来てくれたらしい。あいにく一足先に帰ってしまった僕とはすれ違いだったのだが、わざわざ顔を出してくれたこと、嬉しい限りだ。

でも、この日のいちばんの収穫は、昨年パフでインターンをしていたショージさん(現在、某シンクタンクのエンジニア)と、ツーショットの写真を撮れたことだ(↓ちょっとニヤケ過ぎですかね、照笑)。

年に1回のこのBBQ大会。世代の壁を越えて皆が集うひととき。なかなかいいもんですね。

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今夜は2か月ほど前から約束していたお食事会(というか飲み会)。協賛企業P社の人事担当者Eさんと、歌舞伎座前で待ち合わせをした。

きっかけは7月末に開催されたPuffStudy(パフスタディ)というインターンシップ型のイベント。P社は、このイベントのスポンサーとして参加してくださっており、Eさんは、僕とのパネルディスカッションに登場してくださった。

2003年に新卒としてP社に入社したEさんは、学生時代パフの会員だった。そして、僕が執筆していたメルマガ(当時はメンバーメールと呼んでいた)を毎週読んでくださっていたという。そんなこともあり、パネルディスカッションでは、かつての教え子みたいな感覚で、Eさんのことを(失礼なことに)いじってしまった。

その罪滅ぼし(?)ということでもないが、「今度飲みに行きましょう!」ということになっていたのだ。

 

Eさんは上司のSさんも連れてきてくださっており、僕と3人で、歌舞伎座のそばの、おなじみ球磨川で飲みはじめた。EさんもSさんも、球磨川の美味しいビール、刺身、馬刺し、焼酎を喜んでくださった。

 

ほどなくして、会社で月見塾(座談会型のイベント)を終えたばかりのイトーが、参加していた協賛企業のJ社・UさんとM社・Iさんを伴いやってきた。

連休の谷間ということもあり、普段は混み合っている球磨川も席に余裕がある。隣のテーブルをくっつけて、合計6人の宴会とあいなった。

異なる企業3社の方々の話も盛り上がり、終電の時間が近づいたところで、お開き。皆おとなしく、それぞれの帰路についた。

 

が、問題はここから。

話があまりに楽しかったもので、終盤、ツマミをほとんど食べていなかった。小腹が減ってしまっている。

しかし、時間はもう深夜11時を過ぎている。この時間から食べてしまうと、せっかくの毎週のジムが台無しだ。というか、先週末はジムに行けなかったので、腹まわりの肉が余剰気味だ。

東銀座から月島の自宅まで歩いて帰るのだが、途中、魔の誘惑地点が3か所ある。

1)中華蕎麦屋、2)博多ラーメン屋(ふくちゃん)、3)吉野家である。

いずれも深夜遅くまで営業している。

中華蕎麦屋は、なんとか通り過ぎた。

しかし、ほっとしたのも束の間。次の瞬間、気がつけば、ふくちゃんのカウンターに座っていた。そして目の前には、豚骨スープたっぷりの博多ラーメンが……。

食べ終わったときには、空腹を満たした充足感よりも、誘惑に負けてしまった悔悟の念が勝っていた(あ、いかん! しかも、あさっては、人間ドックだった…)。

「飲んだあとのラーメン」。今後は一切禁止することを、ここに誓おう。

親父の墓参りに行った日

2008年9月21日 (日曜日)

きょうはお彼岸と命日を兼ねて、親父の墓参りに出かけた。

ほんとうはあさって(23日)が命日でありお彼岸であるのだが、諸般の事情で、急きょ前倒しして出かけることになった。

親父が亡くなったのは17年前。もう17年も経ったのかあ…というのが正直な感想だ。

考えてみれば、現在、高校2年生になる娘が生まれたばかりのころだったのだから、確かにそれだけの歳月が経つんだよなあ。

親父が亡くなったのは62歳のとき。僕が31歳になる年だった。僕と僕の親父との年齢差は31。僕と僕の娘との年齢差も31。偶然にもまったく同じである。

ということは高校2年生の娘が見ているいまの僕と、高校2年生の頃の僕が見ていた親父とは、同い年ということになる。

うーん、そうか。なんだか複雑である。

でも、当時の(僕が高校の頃の)親父は、ずいぶんと(人間の器が)大きく見えたものだ。いや、きっと大きかったに違いない。

職人(板前)だった親父は、自分の腕ひとつで家族を養ってきた。貧乏だったけど、僕ら子どもに、ひもじい思いをさせたことは一度もなかった。

親父はこれからもずっと62歳のままだが、僕はこれから、着実に親父の歳に近づいていく。そして、あと14年で追いついてしまうことになる。

器の大きさで親父を上回るのは厳しそうだが、さて、年齢では親父を上回ることができるであろうか。

一部の方々には発表したが、ついに歌手デビュー(?)を果たすことになった。

記念すべきデビューコンサートは、東京駅八重洲口を出てすぐのところにある地下のホールで行われる。

日時は、12月11日(木)。18時半開場、19時開演だ。

え、マジ???

と思われる方もいるかもしれないが、7割方は本当である。

下の写真は、僕が高校三年生の時に、文化祭のステージで歌っている写真だ。チューリップの「青春の影」を熱唱している。

Photo_3この写真には写っていないのだが、向って右側でピアノを弾いているキクチ君というピアノの天才がいる。

僕はこの天才ピアニスト、キクチ君のおかげで文化祭に出場できたようなものだ。

実は、12月11日のコンサートは、このキクチ君と一緒にやることになっている。

キクチ君は、いまでもプロとしてピアノをやっており、先日、再会したときに、「30年ぶりに青春の影をやろう!  」ということになったのだ(実は以前の日記にも、予感させることを書いている)。

 

で、そのコンサートの準備も兼ねて、銀座の山野楽器に買い物に行った。

ギターを弾くための細かな備品を買うつもりだったのだが、展示されているギターにふと目が行った。

 

スリムで上品なボディ。深みのある木目。ハワイアンコアウッドを使用しているという。

思わずしゃがみ込んで、じーっと見ていた。

すると店員さんがやってきて、 「ちょっと弾いてみますか?」と優しく声をかけてくださった。

棚から取り出し、チューニングをし、僕に手渡してくれた。

ボロ~ンと弾いてみる。うん、いい音色だ。しかもすごく弾きやすい。

この時点で、もう心は決まっていた

 

・・・久々の衝動買いである。しかも自分のギターを買ったのは、なんと26年ぶり。12月11日のコンサートで、お披露目することにしよう。・・・といいつつ、下に写真を載せちゃいます(僕の会社の社長の椅子に座らせてしまいました、笑)。

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ジョン・デンバー(John Denver)という歌手をご存知だろうか。

1970年代を代表するアメリカのフォークシンガーである。僕が中学生のころは、よく日本のテレビにも登場していた。

軽やかであり、爽やかであり、かつ情緒的な歌声は、日本のフォークとは一線を画しており、「やっぱりフォークの元祖はアメリカだよなあ」なんて思ったものである。

 

#余談だが、パフの社名でもあるPuff(the magic dragon)も、1960年代に流行したアメリカのフォークソングである。さらにとても皮肉な話だが、僕がパフを設立する決心をした日(1997年10月12日)に、ジョン・デンバーは飛行機事故でその若い生涯に幕を下ろしている。

 

ジョン・デンバーを世界的に有名にしたヒット曲が「 Take me home,Country loads(故郷に帰りたい)」である。

来週の土曜日(9月27日)、ふるさと就職応援ネットワークのイベントを行なうのであるが、そのイベントのテーマソングを、この曲にしようと思っている。

この曲は、ジョン・デンバー以外にも、何人かの歌手がカバーしている。日本人にとっていちばん有名なのは、オリビア・ニュートン=ジョンであろう。

というよりも、オリビアが「カントリーロード」という曲名で出したおかげで、日本人に広くこの歌が浸透したのかもしれない。

スタジオジブリのアニメ「耳を澄ませば」でも、オリビアの「カントリーロード」が使われていたので、いまの若い世代にも、この歌は馴染みがあるのではないだろうか。

 

ということで、本日はこの二つの「 Take me home,Country loads 」を聞き比べてみた。

オリビアの透き通るような歌声もいい。ジョン・デンバーの素朴な歌声もいい。

イベント当日は、どちらを使おうかなあ……。迷うなあ……。

いっそのこと、僕がギターで弾き語りをするという選択肢もある(笑)。

昼も夜も沖縄だった日

2008年9月18日 (木曜日)

お昼前、沖縄の同業者、冒険王の佐和田社長が訪ねてきてくださった。同業者の集まりで春先にお会いした以来だったので、懐かしく、かつ嬉しかった。お忙しい合間をぬってのご来社、大いに感謝!である。

 

夜、京橋の沖縄料理のお店で、顧客企業の執行役員を務める方とのザックバランな形式での情報交換会が行われた。ここでは、かつてこの企業の採用担当者だった方も、参加してくださった。約1年ぶりの再会。とても嬉しかった。

 

ということで、奇しくも、沖縄の文化が押し寄せた、1日であった。

 

#え!きょうの日記はこれだけ? 

#はい、そうです。眠くて眠くて、これ以上は無理です(苦笑)。

僕は、田舎出身のため、何歳になっても人混みというものに慣れない。

会社勤めをしていたころ、京王線沿線(駅名は芦花公園)に住んでいたことがあったのだが、殺人的な通勤ラッシュで、本当に死んでしまうかも(汗)と思ったものだ。

京王線沿線のアパートは仕事の都合で(というより家賃を払えずに)、半年ほどで東武東上線沿線(駅名は鶴瀬)に引っ越した。そして、アパートから路線バスで20分の勤務地(得意先の研究センター)に半出向することになったので、殺人的な通勤電車からは解放されることになった。

その後、都心に程近い(当時独身だった)兄貴のマンションに居候したりしていたので、なんとか殺人的な通勤ラッシュからは逃れながら若い頃の社会人生活を送っていた。

結婚後も、運よく中央区の区営住宅を抽選で当てたおかげで、職住接近の都心生活を送ることが出来た。

そして会社を作ってからというもの、自宅のそばに事務所を置いているので、ほぼ徒歩通勤(かつて自転車通勤が混じることもあったが)である。

毎日、満員電車で通っている社員には申し訳ないが、徒歩通勤を一度やりはじめると、もう二度と電車通勤はしたくなくなる。大雨の日や、猛暑、極寒の日を除けば、実に快適なのである。

 

・・・と、なんでまた、きょうの日記でそんなことを書いたのか。

きょうは、通勤ラッシュのような人混みのなかに長時間ずっといたので、ふとそんなことを思い出したのだった。

ビッグサイトで開催されていた、マイナビの仕事発見EXPOというイベントに出展企業の1社として参加していたのだ。

朝はそれほどでもなかったのだが、午後からスゴイ人の波。僕は会場内をブラブラしていただけだったのだが、時間帯によっては立ち止まっていられないほどだった。

しかし、ブラブラしているとありがたいもので、マイナビの編集長をはじめとする主催者の方々や、たまたま出展していた何社ものお客様が、(こちらが気がつく前に)声をかけてくださった。

昨年までパフの社員だったタカノリ氏(現某大手企業の採用担当者)にも、不意に声をかけられて、びっくりした(いや嬉しかった、笑)。

ああいう場面で知り合いから声をかけられると、人波にさらわれて溺れかけているところを、救命ブイで、ぐっと引き寄せていただいた気分だ。とてもホっとする。

 

ビッグサイトの視察を終えて会社に戻ると、パフオリジナルの少人数イベントが開催されていた。こちらは10数名。超満員電車から、いきなり廃線寸前のローカル線に乗り換えたような感覚だ。いや、というよりも、やっと人間が人間らしく住めるふるさとに帰ってきたという表現の方が適切かな(笑)。

大勢の場所であっても、少人数の場所であっても、人間一人ひとりは何も変わらない。大事なのは、どんな環境のなかに置かれても、自分自身を見失わず、流されず、溺れずにいることなんだよね。

・・・と、無理やりまとめてみました(苦笑)。