商道徳を考えた日
2009年7月17日 (金曜日)
世の中、「競争に勝つためには手段を選ばない」という連中がいる。
「法律に触れていないのだから、自分たちのやっていることは何の問題もない」と嘯(うそぶ)く連中がいる。
競争に勝つためなら何をやっても構わない?
法律に触れていないのだから問題ない?
「ふざけるんじゃない!!」 と、言いたい。
「恥ずかしくないのか!?」 と、問いかけたい。
こう言われて逡巡するようなら、まだ救いがある。
しかし、 「結局、それはお客様が決めることですから」と言い訳するようなら、もはや見捨てるしかない。お客様を悪者にして、「自分はその悪者に従っただけ」という詭弁に正義があるとでも考えているのか?
目の前の競争には勝てたとしても、長いビジネス人生の中で、その輩は、「信用、信頼という大きな財産を失う」ことになる。
自分の行いが、人としての道を踏み外しているということに早く気付いてほしい。
お客様が正義であるとは限らない。お客様が間違っている場合には、「それは違います」と言って差し上げられることが、本当の顧客志向ではないだろうか。
そんなことを考え、憤りを感じた一日だった。
芸術家との対談みたいだった日
2009年7月16日 (木曜日)
大学3年生が読者の中心である、パフの就職活動応援サイト『職学校Web2011』のプレサイトがいまオープンしているのだが、そのなかのコンテンツに【校長が行く】という読み物がある。
これは、僕と、学生や企業のエライ方とが一対一で対談し、その模様をWebに掲載するというもの。わりと昔からのコンテンツで、5、6年前までは、【釘さん対談】とも呼ばれていた。
現在はプレ企画第一弾として、学生代表のヨロズ君(青山学院大4年)が、僕にインタビューしてくれた内容が掲載されている。
なかなか面白いので、ご確認あれ。⇒ 【校長が行く】
そして、本日はこのシリーズの対談の二回目。松竹の人事部長(執行役員)のセキネさんと僕との対談だった。
対談の中身は、Webで公開されるまでは(ネタバレになるので)あまり書けないが、とても愉快なものだった。
セキネさんの中学時代、高校時代、大学時代の話。そして、若手社員時代の話をじっくりと(思いっきり脱線しながら)聞かせていただいた。
なかでも、芸術関連の話は興味深かった。画家の大家、カンディンスキーの話から始まり、哲学者のショーペンハウアーの話まで広がったときには、面白い一方で、どうやって話を畳んでいこうかとヒヤヒヤしながら進めていった(苦笑)。
最長1時間の予定で始まった対談だったが、結局30分延長。全90分の対談となった。
こりゃあ、Webの編集者(ナガサキ)は、この原稿をまとめるのは一苦労だろうなあ。
思わず、机に置かれていたボイスレコーダーに、「ナガサキさん、長くなってごめんなさい」と、セキネさんと僕とで交互に謝ったくらいだ。
Webでの公開は7月末ころになる予定だ。この夏話題の映画、「HACHI 約束の犬」の公開が8月8日なのでちょうどいいかも(実は、HACHIといっしょに写真を撮っており、この写真も公開される予定だ)。
みなさん、乞うご期待です!
決算処理業務が本格化した日
2009年7月15日 (水曜日)
パフは6月が決算月だということは以前も書いた。現在は新しい期(第14期)の一ヶ月目。組織も体制も一新され、みんな、新たな気持ちで仕事に励んでいる。
が、僕のなかでは、まだまだ前期(第13期)は終了していない。これからが決算業務や業績開示業務の本番なのである。
きょうは朝から、顧問会計事務所の方に来ていただき、数字と睨めっこしながら、あれやこれやと細かいすり合わせを行った。
企業会計というのは、家計簿とは違って(当たり前だけど)いろんなルールに則って処理される。そのルールを遵守しながらも、それぞれの数字の意味づけや置き場所や処理方法について検討を重ねていくのだ。
ウハウハに儲かっている(下品な表現ですね)ときには、少しでも税金が安くなる工夫をしたりする(いわゆる節税というやつ)のだが、それが行き過ぎると脱税になって、返ってたくさんの税金を納めなければならなくなってしまう。
おかげさまで(?)現在のパフは、節税の心配も、脱税の心配も一切しなくていいのだが、それはそれで困ったものなのである。
でもまあ、一年間の数字を眺めていると、いろんなことが見えてくる。
プロの会計士や税理士になると、決算書の数字を眺めるだけで、その会社の(儲かっている、儲かっていないだけではなく)強みや、弱みや、ムダや、不足や、理念や、戦略や、思想までもが見えてくるのだという。
若い人たち、特に多くの顧客と接触する営業担当者にはぜひ、決算書に慣れ親しんでもらえたらと思う。
昔、パフが掲げた協賛企業の基準を記す日
2009年7月14日 (火曜日)
パフには昔、新卒採用を行う企業と取引を始める際に、明文化していた基準があった。
「パフの職サークル協賛基準」と銘打って、次の3つの事柄を、商品カタログの冒頭に大きく記載した。
(注)当時は、「パフの協賛企業」と「パフの取引企業」は、同じ意味だった。パフのサービスを利用するためには、パフの協賛企業になる必要があったからだ。
1.世の中に新しい価値を提供すべく努力している会社であること。
2.熱き思いで、自社の理念、ミッション、ビジョンを語ることのできる会社であること。
3.道義を重んじ、ウソのない誠実な採用を行う会社であること。
「この3つの事柄を遵守していただくことが、パフのお客様になっていただくための条件なんです」ということを、企業への営業活動のとき(特に初回訪問のとき)に説明していた。
創業時の社員数名しかいない、吹けば飛ぶようなパフが、こんな青臭くて生意気なことを言いながら営業活動を行っていた。しかも時代は“超就職氷河期”。企業は、さほど苦労せずに新卒採用を行えていた時代の話である。
「それじゃなくても営業が苦しい時代に、そんな条件を取引企業に突き付けるなんて、ちょっとあなた、頭がおかしいんじゃないの?」と、よく言われたものだ。
そんななか、この協賛基準に感動し、お客様になってくださる会社がいた。当時の常識からすれば、相当におかしな会社だったのかもしれない。しかし、いずれも本質を大切にする、人を大切にする、人の道を大事にする、素晴らしい会社ばかりだった。
いや、“会社が素晴らしい”というより、パフとの取引を決断した人事担当者が凄かった。骨太だった。度量が大きかった。
中には上司を騙して、パフへの申込書に判子を押した人もいた。ヘタをすると「クビ」である。しかし、仕事は恐ろしくできる人たちだった。その証拠にかつてのパフ協賛企業の人事担当者の皆さんは、その後、みんな出世していった。社長になった人も一人や二人じゃない。
しかし、その後いろんな事情があって、パフはこの協賛基準を高らかに謳うことをしなくなった。そもそも、取引企業を排除するための基準ではなく、多くの会社に、「そうなってもらいたい」という期待を込めての基準だったのだが、 「そんな基準は排他的だからやめるべきだ」という、一部の意見を受け入れることにしたのだった。
いい面と悪い面があった。
いい面は、取引企業が格段に増えたこと。
悪い面は、「協賛」の価値の低下だ。もっと言うなら、「ちょっとふざけてませんか?」「それって、人の道を踏み外していませんか?」というお客様を、ちらほらと見かけるようになったことだ(そもそも、お客様に向かって「ふざけてませんか?」という僕のほうが、ふざけているのかもしれないですね、苦笑)。
・・・おっとっと。取りとめなく書いてしまった。これ以上書くと、エスカレートしそうなので、このへんで。
なんでまた、きょうの日記でこんなことを書いたのかというと、この道一筋30年以上のキャリアを持った人事マン(現職は某大手人事コンサル会社の社長)と、晩飯を食べながら次のような会話をしたからだ。
「最近は、すごいと思える学生が少なくなってきたけど、同時に、すごいと思える骨太な人事も少なくなってきたよね。そういえば最近さ、こんなふざけたことを言い出す人事担当者がいてねぇ……」と、ちょっと残念なお客様の振る舞いの話を僕がした。
するとその大御所は、
「え? それってパフの協賛基準を守っていないってことじゃないの?」
と、素朴に質問してきた。
僕は思わずドキッとしたのだった。
道義を重んじ、ウソのない誠実な採用を行う会社であること。
こんな時代だからこそ、もう一度、高らかに謳わなきゃならない取引基準なのかもしれない。
アクセス件数が多かった日
2009年7月13日 (月曜日)
この何日間というもの、「釘さん日記」へのアクセス件数がすごい。いつもは1日に200件前後のアクセス件数なのだが、先週の水曜日から、一挙に倍増している。
週が明けたきょうも、相変わらずその勢いは保持されたままだ。
原因は大きくふたつ。
ひとつめ。
先週の水曜日に紹介した常見陽平さんのブログ( 『試みの水平線』 )からのリンクが、ものすごく多いのだ。常見さん、すごい!
ふたつめ。
先週の金曜日に配信されたパフの社会人向けメルマガ、 「 Face to Face ♪ 」。このメルマガの中で僕が書いているコラム「どげえするんか?」から、ある日の日記へのリンクを張った。美浜の小さな旅行会社を宣伝する日というタイトルの日記なのだが、メルマガのコラムと密接に関連する内容だったこともあり、相乗効果が大きかったようだ。釘さん、すごい!
ブログというのは、(これだけたくさんの人たちに毎日読まれているということは)もはやひとつのメディアなのだとあらためて思う。
とはいえ、「釘さん日記」は、あくまで“日記”。公な側面は持ちつつも、いつまでも肩の力の抜けた(「緊張感がない」ともいう)私的なぶっちゃけテイストを大事にしていきたい。
父の血を引いた息子を観た日
2009年7月12日 (日曜日)
ジーパン刑事といえば、僕らの世代が好んで観ていた刑事ドラマ『太陽にほえろ』に出演していた松田優作のこと。あの破天荒な演技と、「なんじゃこりゃー!」の台詞で有名な殉職シーンは、36年経った今でも、僕らの記憶に、しっかりと残っている。
その後も数々のテレビや映画に出演し、器(スケール)の大きさと、スタントマンを使わない豪快なアクションやコミカルな演技で、多くのファンを魅了した。まちがいなく1970年代中盤から1980年代にかけてのカリスマ俳優だった。
しかし、1989年、癌に侵されていた松田優作は40歳という若さで他界する。松田優作の名前を世界に轟かせたハリウッド映画『ブラックレイン』の撮影中には、すでに病状が進行しており、激しい苦痛と闘いながらの演技だったという。完成後の映画を観たが、癌に侵されていたとは思えない、(いや、だからこそかもしれないが)鬼気迫る秀逸な演技だった。
本当に惜しい俳優を亡くしたと、当時、残念に思ったものだ。
その松田優作が亡くなって、早20年となる。
しかし、いまもなお松田優作は姿を変えて活躍している。
松田優作のDNAを受け継いだ俳優、松田龍平のことである。
きょうは偶然にも、松田龍平の演技を、一日に二回、映画とテレビでそれぞれ観た。
『劔岳 点の記』では、血気盛んで、人間的に未熟な若い測量隊員を演じていた。『天地人』では、御存じ冷酷無比な伊達政宗を演じていた。
ともに父親譲りの、個性溢れる演技だった。あの目、あの表情、あの雰囲気は、まさにお父さんの血を引いたものだ。
特に『剱岳 点の記』では、松田優作のことを尊敬してやまなかったという仲村トオルとの共演が興味深かった。映画のラストシーンでの二人の手旗信号での交流。これは見モノである。原作にはないシーンとのことなので、(これは僕の推測だが)二人のことを知る映画制作者が仕組んだ演出だったんじゃないかなと思った。
松田龍平の弟、松田翔太も、まだ若いながらも、兄貴に負けずとも劣らず、独特の世界をもった、将来が楽しみな俳優だ。父親が早世したからこそ、この二人は、役者としての自立や自覚が高まっているのかもしれない。
親から子へ。世代はゆるやかに、しかし確実に受け継がれている。
中島みゆきとピュアモルトウイスキーの日
2009年7月11日 (土曜日)
豊洲のららぽーとに買い物と映画を観るのを目的に出かけた。
目的はふたつとも達成したのだが、副産物も3つあった。
ひとつめ。
屋外のステージで、好みのアーティストがライブ演奏を行っていた。
CDも出しているプロなのだが、初めて見るアーティスト。プロだから当然なのかもしれないけど、歌もギターもすっごく上手だった。心ときめいた。自分も飛び入りしたくなった。
この屋外ステージでは、一般からも(プロ、アマ問わず)ライブミュージシャンを募集しているらしい。
MSPも応募してみようかな(でも、MとSはきっといやがるだろうな、苦笑)。
ふたつめ。
CDショップに入り、衝動的にCDを三枚買った。
サイモン&ガーファンクルの1969年のライブを収録したCDと、中島みゆきの昔のLP復刻版(というのだろうか)の紙ジャケット。「臨月」と「おかえりなさい」だ。
みっつめ。
帰り道。月島の清澄通り沿いにある時代がかった酒屋さんで、ニッカのピュアモルツウイスキーを買った。
ウイスキーを買ったのは衝動買いではない。中島みゆきを買った瞬間に連鎖反応で、ウイスキーを飲みたくなったのだ。中島みゆきを聴くときは、部屋を暗くして、ウイスキーをちびちびロックで飲むのがいちばん。学生の頃はいつもそうだった。
でも考えてみたら、20年以上、家で中島みゆきを聴きながらウイスキーを飲んだことがなかった。
せっかく中島みゆきの紙ジャケットを二枚も買ったんだから、今夜は久々にウイスキーを飲みながら鑑賞してみようと思ったのだ。
いまこの日記、実は鑑賞しながら書いている。いま、「おかえりなさい」の六曲目、“この空を飛べたら”が流れている。やっぱり中島みゆきはいいなあ。ピュアモルトが引き立つ。
ちょっと前の日記でも書いたばかりだけど、この中島みゆきの魅力って、いったいなんなんだろう。
唄がすこぶる巧いわけではない(と思う)。でも、心が揺さぶられるんだよなあ。あの詞と曲には、やっぱりあの歌声しかない。
そういえば、中島みゆきのライブには一度も行ったことがない。
そうだ(!)。中島みゆきの「夜会」が、年末に赤坂ACTシアターで行われるらしい。ダメもとで申し込んでみるとしよう。