パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

先日の日記でも少し書いたが、我がパフでは、12月1日から本日までの3日間、知的障害者の方を2名、インターンシップ(職業体験生)として受け入れた。

名まえをY君とS君という。

Y君は軽度の障害、S君は重度の障害を持っている。

Y君の3日間の目標は、「上司の指示にきちんと従う」ということ。S君の目標は、「相手の目を見てコミュニケーションできるようになる」ということだった。

 

やってもらったのは、学生向けに郵送する封筒にラベルシールを貼る仕事と、イベントで配布する資料を作成する仕事(今度の日曜日に、パフLiveという大型のイベントが開催されるのだが、そこで配布する資料がたくさんあるのだ)。

普段は学生アルバイト諸君を中心にやってもらっている仕事なのだが、今回は、このインターン生2名にお願いすることにした。

サービスマネジメントグループ長であるホサカの指示に従って、この3日間、二人とも実によく働いてくれた。

 

Y君の目標である「上司の指示にきちんと従う」は、完璧だった。とても素直に、そして明るく元気に、ホサカから指示された仕事に取り組んでくれた。

僕は一緒に仕事をしていないのだが、3日間ともY君といっしょに昼休みにお弁当を食べた。Y君の質問力には驚いた。趣味や、好きな映画や芸能人、それから出身地の話などなど、話題は尽きなかった。僕自身、すごく会話を楽しめたし、とても心が癒された昼休みだった。Y君の底抜けに明るい表情と態度。それから周囲への細やかな気配りは、うちの社員にも見習ってほしいと思ったくらいだ。

 

S君の目標である「相手の目を見てコミュニケーションできるようになる」も、本日ついに完璧に到達した。最初の2日間は、いっしょにお昼ご飯を食べることに難色を示していたS君だったのだが、最終日のきょうは、僕の誘いに素直に応じてくれた。

もともと言葉を発することの少ないS君だったのだが、僕の質問にはきちんと目を見て相槌をしてくれた。そして初日にはほとんど出ていなかった声も、 「はい」と聞こえるように返してくれることが多くなった。

一緒にトイレに入ったときに、手の乾燥機から「ぶぉーっ」と風が噴き出すのを見て、二人で目を見合わせながら驚いたり喜んだりもした。 

 

そして何より感動的だったのは、すべての仕事が終了したあとに行った修了式でのこと。

まずはY君への修了証書の授与。

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なんと、Y君は授与のあと、僕に抱きついてきてくれた。Y君なりの、僕への茶目っ気を込めた思いやりなのだ。

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そしてS君への 授与。

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S君はこのあと、僕と握手をしてくれた。人とのコミュニケーションが苦手だったS君が、僕の目をきちんと見ながら、しかも満面の笑顔で、かたい握手をしてくれたのだ。心が本当に通い合った気がして、思わずジーンと来てしまった。

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知的障害者の雇用に、二の足を踏む大企業が(特にホワイトカラー中心の事務所では)多いと聞く。 でもそれは、先入観や偏見が邪魔をしているだけのことが多いのではないかと思う。

パフのような(知的障害者に関する知識もなく専門スタッフもいない)零細企業であっても、きちんと彼らに日常業務をお願いすることができるのだ。しかも全体の生産性をあげるカタチで。慈善でも偽善でもなく、極めて経済合理性にかなった、民間企業としての雇用が成立するのだ。

 

いやあ、ほんとに素晴らしい経験をさせてもらった。

この機会を提供してくださった、福祉ベンチャーパートナーズ(FVP)大塚社長をはじめとするスタッフの皆さんに大感謝である。

そしてなにより、明るく楽しく真面目に、パフの仕事に一所懸命取り組んでくれたY君とS君に、心から「ありがとう」と言いたい

Y君、S君。またいつでも遊びに来てくれよ!ついでに仕事もしてくれると嬉しいね。

仮想空間に可能性を感じた日

2009年12月2日 (水曜日)

ちょっと前に、セカンドライフというWeb上の仮想空間のことが新聞紙上などでも、よく話題になっていた。

最近あまり聞かなくなったなぁと思っていたのだが、意外にも身近なところで、その存在感と価値の大きさを確認することになった。

現在の就職と採用を、この仮想空間を利用することで、学生にとっても企業にとっても、よりよいカタチにしていくことができる。そのことをビジネスとして展開しようとしている某社のS社長と、本日打ち合わせを行った。

S社長と僕がお会いするのは2回目。本日は、協業をより具体的なものにするために、商品企画と販促を担当しているホサカとナガサキも同席させた。

あらためてデモを見せてもらったのが、我々は皆、目がランランとしてしまった。これは面白い。いろんな応用が考えられる。まさに就職と採用のあり方を変えるための、大きな武器になるかもしれない。

来週早々、まずはパフのお取引先企業様にだけは、先にご案内しようということになった。きっと喜んでいただけるはずだ。

他にも新しい企画がいくつかある。いずれも新しい発想での企画だ。

・・・でも、引き合いがたくさん来すぎて、対応できなかったらどうしよう。

なぁんて、楽天的な心配をしている僕なのであった。

2009年の最後の月が始まった日

2009年12月1日 (火曜日)

きょうは12月1日。2009年も残すところ1ケ月。いやあ早い。実に早い。すごく早い。ホントに一年なんて、あっという間だ。

一方で今年は、1ケ月前の出来事が、数年前の出来事であるかのような錯覚に陥ってしまうほど、高密度にいろんなことが起きた一年だった。

なあんて書き始めると、まるで大晦日の日記のようになってしまいそうなので、一年を振り返る話題はまた今度。

 

きょうは、パフとして初めての試みがひとつ始まった日でもある。

それは、障害者雇用。

僕は今年、知的障害者雇用勉強会(バスツアー)を、某大手商社と一緒に企画・開催した(ということは、この日記にも何回か書いてきた)。

この勉強会がきっかけとなって、パフでも知的障害者の雇用を試みてみようということになった。

まずは2名の知的障害者の方を本日から3日間、インターンシップとして迎え入れることになった。

きょうはその初日なのだが、とってもいい感じで受け入れが行われた。

この話の詳細は、3日間が終わった段階で、また書こうと思う。

 

夕方、とある教育・研修会社の営業部長Tさんがご来社。少し前までは自らも営業プレーヤーとして動いていたということなのだが、なんと一人で全社売り上げの半分以上を稼いでいたというから驚きだ(営業メンバーは10人もいるのに…である)。

このTさんのお話を1時間以上かけて、じっくりとお聞かせいただいた。

ぬあるほど。さすが!である。まさに真理である。やっぱり圧倒的に優れた人の発想と努力と実行力は違う。

年齢を聞いてさらにビックリ。なんとまだ29歳なのだという。やっぱりデキル人というのは、年齢なんて関係ないのだ。

このTさんとの協業も、今後考えていきたいと思う。

 

そして夜は12月度のキックオフミーティング。まだまだ厳しい事業環境は続く。が、なんとか来年に繋ぐべく打ち手の議論を、短い時間ではあるが高密度&高速度で行った。もはや悩んだり、立ち止まったり、拘ったりしている暇はないのだ。与えられた制約条件のもと、最適なアウトプットを生みだすために、全社員がタッグを組んで、知恵を使いながら無理と無駄のない動きをするしかないのだ。

ミーティング後は、定例の乾杯。

本日は、お客様からいただいた、ボージョレーヌーボーで乾杯を行った。

しばし歓談をおこなっていたら、ローソク付きのチーズケーキが登場した。サプライズ企画である。

昨日誕生日を迎えた僕と、本日誕生日を迎えたヨシダを祝してのものだった。たしか一昨年もツーショットの写真を日記に載せたような気がするが、本日も載せておこう。

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一部の方々から、日銀の白川総裁に似ていると言われている僕であるが、なるほど、確かに似ているような気がするな(笑)。

 

ということで、あと一ケ月。明るい2010年を迎えるために、走りきろうと思う。

50歳まで、あと365日となった日

2009年11月30日 (月曜日)

50歳なんて、まだまだ先のずーっと先のことだと思っていた。そもそも中学生のころは、ノストラダムスの大予言を半分信じていたので、40歳を迎えることすら出来ないのではないかと思っていた。

ところが本日、50歳までいよいよあと一年となってしまったのだ。

まあ、だからといって特別、感慨深いわけでもないのだが……。

ただ、「そうかあ。もうそんなに生きてきたかあ。そんな感じはしないんだけどなあ」と思うくらいだ。

そんなことを考えていたら、今朝、中学校の時の友人(もちろん女の子です)から、「まだまだいろんなことに挑戦!頑張ってね(笑顔)」というハッピーバースディのメールをもらった。

うん。単純な僕はとても嬉しくなった。「ガンバロ」と思ったのだ。でも、15歳のときに同じことを言われても、同じように嬉しかったと思うし、同じように「ガンバロ」と思ったことだろう。

そういう意味では、人間なんて(いや、男なんて…かな?)、15歳だろうが50歳だろうが大差はないのだ。

そんなわけで、きょうは(正確には昨夜から)、いろんな人からメールや電話をもらった。嬉しいことだ。何が嬉しいって、僕なんぞの誕生日を覚えてもらえていることが、とても嬉しいのだ。

「このトシになって、オメデトウでもないだろ?」なんて、照れて言うこともあるのだが、やっぱり何歳になっても祝福してもらえるというのは素直に嬉しいことなのだ。きっと80歳になっても100歳になっても同じことだと思う「おいおい、そんなに長生きする気かよ?」と言われそうだが、苦笑)。

さて、来年の50歳の誕生日には、記念ライブでも開いてみようかな。だって 「まだまだいろんなことに挑戦!頑張ってね(笑顔)」って言われたからには、そのとおり頑張るのが男ってもんですからね。

日曜日恒例の映画に行った。松本清張生誕100周年記念の『ゼロの焦点』。事前にYahoo!の掲示板を見てみたら酷評だらけ。そんなに酷い映画ってどんなんだろう?と、逆に興味がわいて朝一番の回を観に行った。

なんだ。どこが酷いんだ?秀作じゃないか。いい映画だよ、これは。

中川淳一郎さんが言っていたように、ウェブに匿名で無責任な書き込みをする奴らのバカさ加減を確信した。

酷いっていえば、先週観た、誰もが行列をつくっている映画○○のほうが、よっぽど酷いんじゃないか?と思ったが、まあこれは、人それぞれの考え方・感じ方次第。自分の価値観を他人に押し売りするっていうのは最低だと思っているので、この話題はこのへんで。

で、本日書きたかったのは映画の話題ではない。

帰り道に遭遇した月島の公園の銀杏の木。

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日頃、気付かなかったのだが、こりゃキレイだ。この公園は、うちの娘がまだ幼稚園に通い始める前の小さなころ(15~16年前)、よく連れて行った場所だ。

あの頃は、こんなキレイな銀杏の木があるなんて気がつかなかったよなあ。

僕らの周りには、日ごろ急ぎすぎて気づいていない景色がたくさんあるんだ。たまの休日には、自分の家の周囲をゆっくり歩いてみることも必要だ。そんなことを銀杏の木を眺めながら思った休日だった。

映画「ALWAYS三丁目の夕日」では、昭和33年の鈴木一平君(当時小学4年生)の家に、白黒テレビや冷蔵庫がやってくるシーンが描かれていた。僕の子供のころの思い出と重なりあう、とても懐かしく大好きなシーンだ。

僕がもの心ついた時(4歳くらい)、すでに我が家には白黒テレビはあった。でも、貧乏だった我が家が初めて冷蔵庫を買ったのは、僕が小学校3年生のころ。そして白黒テレビからカラーテレビに買い替えたのは、小学校4年生のころ。洗濯機と電話が導入されたのは、なんと僕が中学に入ってからだった。

そのときどきのことは、いまでもよく覚えている。感動と興奮だった。冷蔵庫が来たときは、嬉しくて氷を何度も作っては食べた。カラーテレビは、崇め奉るべき神聖なるものだった。電話では、目的もなく、時報(117)や天気予報(177)を聞きまくった(親にバレて叱られまくった)。

子供にとって新品の電化製品というのは、かくも大きな存在だったのだ。

 

そして本日。あれから40年近く経って独立した生計を営む僕のところに、新しい電化製品がやってきた。全自動洗濯機である。

もちろん今までも洗濯機はあったのだが、それが壊れてしまって、急きょ新しい洗濯機を今朝、有楽町のビックカメラで買った。これを即日配送で、夕方すぐに届けてもらったのだ。

配送と据え付けを担当するお兄ちゃんが二人で、洗濯機を運んできた。手際良く据え付けて試運転を行うお兄ちゃんの姿を眺めていたら、上記のような、40年前の僕の子供のころを思い出したというわけだ。

やっぱり何歳になっても、新しい電化製品が我が家にやってくるというのは嬉しい。感動する。ウキウキする。

でも最近の子供たちって、新しい電化製品が家にやってきたときに感動したりするんだろうか……。

こういう素朴なことに感動したり、喜んだり、感謝したりする気持ちを、これからの時代は、もういちど育まなきゃいけないような気がする。

突然の嬉しい来客が続いた日

2009年11月27日 (金曜日)

きょうは朝礼前に会社を出発。入社一年目のオオノの同行で、横浜に向かった。

横浜には、オオノが春先から新規の営業訪問をしている某社がある。某社は数年前東証一部に上場した会社。そして上場の際、主幹事を務めた証券会社の証券マンは、パフとも古くから付き合いのあるNさん。Nさんは某社の会長、社長をはじめとする幹部の方々とツーカーの仲だという。

というわけで、きょうはNさんの仲介で、あらためて某社の人事担当役員をご紹介いただいた。とても誠実な役員の方で、しばし若者論、人材採用論をお聞かせいただいた。僕からは、パフの成り立ち、事業スタンスなどを、あらためてご説明した。これでオオノの商談がこれから円滑に進むといいな。

Nさん、本日は、お引き合わせいただき、ありがとうございました!

 

横浜のあとは新宿に向かう。パートナー企業である就職エージェントの下薗社長と打ち合わせをするためだ。本日のお題は、地方同業者とのコラボ事業のスキームの詰め。まだまだ調整が必要だが、来春にはカタチにしていきたいと思う。

 

その後やっと、築地のパフ事務所に戻る。もう午後3時を回っていた。サーバールーム(兼、社長パソコン室)に籠ってメールチェックをしていたら、神戸芸術工科大学のHさんから電話が入る。Hさんは数年前、キャリアセンターから別の部門に異動になっていたので、2年半ぶりくらい。懐かしいなあと思って電話に出たら、「いやあ、釘崎さん久しぶりです。実は今年、キャリアセンターに戻って来たんです。で、いま実は、パフの事務所の下まで来てるんですが、お寄りしてもいいですか?」と仰るではないか。

びっくりしたが、とても嬉しかった。

Hさんはパフが創業して間もないころから、とても懇意にしてくださっていた。僕をキャリア論の授業の講師として、しばしば神戸まで呼んでくださったりもしていたのだ。二年半前、キャリアセンターを離れられて寂しいなあと思っていたのだが、戻ってこられたことで、またお付き合いする機会も増える。さらに、わざわざパフを訪ねてきてくださるなんて、とても光栄なことだ。

そういえば昨日も、僕の「どげえするんか」(メルマガのコラム)のファンだという九州の某大学の職員の方が突然お見えになった。なんでも大分県のご出身だとのことで、僕の大分弁でのコラムが気になっており、以前からいちどパフに足を運びたかったのだという。

こういう突然の来訪なら大歓迎である。突然でも、僕がタイミングよく社内にいるということ自体やっぱり運がいいし、縁があるということなんだろう。

いま大学は、企業の大幅な採用抑制に強い危機感を抱いている。パフも、もっと大学との連携を深めていかないといかんなぁ…と思うのであった。