パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

今年の初夏あたりから本格化しはじめたスポーツジム通い。どうにかこうにか、週末の1日だけは通い続けてきた。

本当は、もうちょっと(週2~3回くらいは)通ったほうがカラダに良いのだろうが、なかなか難しかった。

とはいえ、体重がかろうじて70Kgを超過せず(現在69.5Kgなり)に、ぎりぎりのところで踏みとどまっているのは、週1回のジムのおかげだと思っている。

きょうは、そのジムの年内最終営業日。午後の2時間あまりを、今年最後のトレーニングで過ごした。

来年は、週末の一日に加えて、平日の一日をジム通いの日として定めようかと思っている。当然、その日は自動的に休肝日となるわけだ。

来年は、僕もいよいよ49歳。40代最後の年を迎えるわけだ。

もうしばらくは健康でい続けなければならないので、ジム通いはやっぱり欠かせない。

健康なからだづくりを目指して、来年も頑張ろう!!

 

#なお、年明けは元日の12時から営業を開始するという。一年の計は元旦にあり。来年は初日からジムに行くことにしよう!!

年末年始休暇の一日目。午後からのんびり出社した。休みのあいだの宿題を行うための資料整理や年賀状を出すためだ。

パソコンを立ち上げてメールをチェックすると昨夜遅くに来ていたメールがあった。人材派遣大手某社の女性営業マネジャーの方(名前はHさん)からだった。

Hさんは知人の紹介で、つい一週間ほど前に打ち合わせをしたばかり。パフで3か月ほど働ける営業スタッフを探していただいている。

Hさんは何回か会社に電話をしてくださっていたのだが、僕はあいにく不在にしていることが多かった。そのときに対応していたうちの社員のことをメールに書いてくださっていたのだ。

以下、転載させていただく。

 

|  釘崎社長様、余談ですが。。。
|  あまりに感動したので、どうしてもお伝え申し上げたく。
|
|  何度か貴社にお電話させていただくたび、
|  電話に出る方がどなたも皆さん対応が素晴らしく、
|  大変感動しております。
|  本日だけでも、女性男性とりまぜ、声から察するに3-4名の方に
|  出ていただきましたが、どなたも明るく気持ちのよい対応をされて
|  いらっしゃいました。
|  どのような教育をされたら、あんなに全員がいい対応ができるのか、
|  今度ご教授願いたいです。
|  私も毎日数多くの業種も様々な企業にお邪魔させていただいておりますし、
|  電話もさせていただいておりますが、こんなに出る方全員が対応がいい
|  企業様は初めてです。

 

いやー、嬉しかった。一年の締めくくりに、こんな嬉しいメールを頂戴するとは、とっても幸せなことだ。

社長にとって、社員のことを評価していただけることほど嬉しいことはない。

特に電話応対の大切さは、新人には口を酸っぱくして教えている。

「はい、パフでございます」。

たったの10文字の言葉だけど、この10文字をどう伝えるかで、会社の良し悪しがすべて決まると言っている。

「明るく、元気に、さわやかに。心の中はいつもブルースカイ!!」

パフの入社時の電話応対教育では、こんなことを徹底している。

ただ慣れてくると、この言葉に心がこもらなくなってくるので要注意だ。

だからこそ、きょうのメールみたいに、ちゃんと評価してくださる外部の方の存在が、とてもありがたく嬉しい。

Hさん、メールありがとうございました!早速、社員全員に転送しておきました。

2008年の仕事納めだった日

2008年12月26日 (金曜日)

パフは本日で、2008年の対外的な営業活動を終了し、年末年始の休暇に突入する。

そんな最終日の本日、僕は分刻みの仕事に追われた。

資料まとめ、来客、大株主への業績報告、役所への手続き、パートナーとの打ち合わせ、不意の来客対応、ミーティング、大掃除(ゴミ出し)などなど。

気がつけば、あっという間に納会の時間になってしまった。

19時ちょうど。執務室中央に全社員集合。僕から13期上期の業績を発表したうえで、年明け早々から3ヶ月間の方針や体制を説明した。

そして19時半より、築地本願寺の裏手にある、こじんまりとしたイタリア料理屋さんを貸し切りにしてもらっての大宴会。美味しい料理を食べながら、2時間半くらいの時間を楽しく愉快に過ごした。

業界全体が、雇用環境の悪化でピンチに陥っている今こそが、我々にとってのチャンス。来年はきっと良い年になるはずだ。社員一丸で頑張っていきたいと思う。

 

さて、明日から始まる年末年始休暇。9日間という長期休暇だ。この休みの間、社員の皆は、それぞれに英気を養ってもらいたい。そして、1月5日から新たな戦いに臨んでほしい。

ともあれ2008年の1年間。みんな本当にお疲れ様でした。また来年もよろしく!!

 

 

ところで、このブログの年末年始の休暇はどうしようかなあぁぁぁ。盟友たちのブログを横にらみしながら気まぐれで更新することにするかな。

そういえばコンサートのレポートもまだ書いてなかったなぁ……。

MSPが結成された日

2008年12月25日 (木曜日)

1970年代のフォークソンググループにNSPというバンドがいた。NSPとは、N(ニュー)S(サディスティック)P(ピンク)という意味である。当初はロックバンドであったのだが、吉田拓郎のコピーをやったことをきかっけに、フォーク路線に変更したという。

1974年に、「夕暮れ時はさびしそう」という曲が大ヒットし、広く知られることになる。

僕ら世代のおじさんたちにとっては、忘れられない歌であり、グループなのだ。

 

で、本日、このNSPをもじって、MSPという3人組のグループを結成した。MとSとPが何の略であるかは、いまは言わない。

#勘の鋭い読者諸兄ならば、きっとわかるかも……。

しっかしまあ、このMSPの3人グループ、たいしたものである。夜7時半くらいから始めた公開練習を深夜1時半まで延々と続けてしまうのだから。

お気づきのとおり、3人のうちの一人は、僕である。

他の二人が、ブログなどで、今夜の出来事を明らかにするのを待ってから、僕も詳細を書こうかな。

MSP。なかなかすごい可能性を秘めたグループである。きょうはそのすごいグループが誕生した歴史的な日なのである(笑)。

きょうはクリスマス・イブ。多くの若者たちは、ロマンティックな夜を過ごしていることだろう(パーッと騒ぐだけの連中も多いと思うけど)。

そんな聖なる日に、なんと「うまれよ塾」を行なうことになった。

通常は、2週に一度の頻度で行なっているのであるが、今月は、歌手デビューコンサートがあったり、出張があったり、忘年会があったり、夜間の会議が組み込まれていたりで、日程調整が困難を極めた。

しょうがないから12月は1回だけにするかなあ…と思っていたのだが、申し込んでくれる学生諸君が大勢いるということで、やむを得ず、このクリスマス・イブの日に、うまれよ塾を開催することになったのである。

そうはいっても、さすがにきょうはドタキャンが多いだろうなぁ…と思っていたのだが、あにはからんや、用意していた席がビッシリと埋まってしまった。しかも、女性が全体の7割を占めた。

冒頭、参加者全員に、「きょう参加した理由や目的」を発表してもらったのだが、とても嬉しい答えをしてくれた女子学生がいた。

「きょうはクギサキさんに会いたくて来ました♪」

単純な僕は、このひと言で大喜び。

また、遠く名古屋からわざわざ来てくれた女子学生もいた。塾が終わったら終電の新幹線で日帰りするとのこと。頭が下がる思いだ。

「クリスマスイブは、なんか予定が入ってないとカッコ悪いと思ったんで、申し込みました」という、体育会所属の男子学生もいた(笑)。

個性あふれる連中が集まったクリスマスイブのうまれよ塾。なんだか妙に一体感が生まれ、終始あたたかーい雰囲気に包まれた展開となった。

きょうの参加者には、いつかきっと季節はずれのサンタが、“縁”という素敵なプレゼントを運んできてくれるんじゃないかな。

娘と40分間歩いた日

2008年12月23日 (火曜日)

きょうは祝日、天皇誕生日。昨夜の会議が深夜遅くまで長引いたこともあり、寝坊してしまった。

昼食時に自宅にいることなど滅多にない僕なのだが、きょうは珍しく自室でボケッとしていた。

娘は朝から四谷方面に外出しており、昼過ぎに戻ってくるという。じゃあ、久々に家族で外で昼飯を食べようかということになった。

入った店が、月島の超庶民的な定食屋。煮魚、焼き魚、刺身、魚介類の丼ものが安くて旨い。

イカの塩辛や昆布やタクアンが、ふりかけと同じような感覚で、テーブルの上に置いてあり、自由に取って食べていいことになっている。これだけでご飯のお代わりができてしまう。ああ、幸せ。

食べ過ぎてしまったため、「ちょっと散歩してから帰るわ」と、娘と奥さんに告げたら、娘が「買いたい本があるから一緒に豊洲ららぽーとの紀伊国屋まで行こう」という。誘われて、ちょっと嬉しかった。“一緒に行こう”=“本を買ってくれ”ということではあるのだが(笑)。

ということで、片道20分。往復40分の道のりを、娘と一緒に歩くことになった。しかも、まるまる40分間、歩きながらの会話が成立した。

来年は娘も高校3年生。受験生となるわけなので、僕の(30年前の)高校3年生のときの話や、浪人生時代の話とかをした。僕は優等生ではなかっただけに、僕の受験生時代の話は、共感してもらえるんじゃないかという自負がある。情けない自負だけど(苦笑)。

案の定、娘はいろいろと質問してくれた。

どうして東京に出てきたのかとか、予備校はどうやって選んだのかとか、どのような貧乏生活だったのかとか、どんなアパートに住んでいたのかとか、どんなアルバイトで生活費を稼いでいたのかとか……。

娘と映画や演劇を観に行くことはこれまでもあったが、一緒に歩きながら、これだけザックバランな昔話をしたことは初めてかもしれない。

なかなか楽しい、午後のひとときであった。

三九+玉2の会だった日

2008年12月22日 (月曜日)

きょうは夜9時から、パートナー会社である就職エージェント(のそば)で三九会議。就職エージェントの下薗社長と就職エージェント九州(株式会社ネオ倶楽部)の柳川社長といっしょに、先週の福岡でのイベント『Live in Kyushu』の振り返りミーティングを行った。

今回のイベントが、この三九会から生まれたことは以前の日記にも書いたが、実は、ネオ倶楽部さんにとっては今回のようなタイプのイベントは初めての経験だった。スタッフの皆さんは、大きなプレッシャーと不安と闘いながらこのイベントの準備を進めてきたそうだ。

我がパフの営業力不足で、企業招致には少し悔いが残った(つまり十分な利益を出すことができなかった)ものの、学生の動員や、運営は見事なものだった。特に、福岡のスタッフ(ネオ倶楽部の社員)の皆さんの、このイベントにかける意気込みは半端じゃなかった。それがひしひしと伝わってくるイベントで、協力している僕らの胸を打つものがあった。

僕らが福岡を発ったあと、スタッフの打ち上げが本格化したらしいのだが、イベント企画運営責任者を務めたコイシさんは、ワンワン泣き出したそうだ。現役の空手家で、一見怖そうに見えるコイシさんの泣いている姿、ぜひ拝見したかったものだ。

「そういえば、スタッフが泣き出してしまうくらいに感動できる就職イベントって、最近はないですよね」

下薗社長がポツンと言った。

たしかにそうだ。特に我がパフのイベントは、スタッフがイベントに慣れてきて、とても安心して見ていられる反面、ドキドキ感が少なくなってきたように思う。いまは司会のプロと言われているあのイトーが、その昔(もう7年も前だなぁ)、イベントの打ち上げで号泣していた姿を懐かしく思い出した。

スタッフが泣き出してしまうくらいの感動的なイベント。もういちど目指してみたくなった。

 

ところで、今宵の振り返りミーティング。下薗、柳川、釘崎の3九メンバーに加えて、特別に埼玉出身のクマちゃん(就職エージェント社員の熊沢氏)を招いた。彼は、福岡のイベントでは、“就活スキルアップ講座”の「先生」を務めた。学生から「クマザワ先生!」と呼ばれるくらいの人気者だった。

で、振り返りミーティングの二次会(?)では、なぜかクマちゃんの弟(やっぱり人材某社の社員)も参戦してきた。三人の九州出身社長と、二人の埼玉出身の若者の会。人呼んで、『三九+玉2の会』の発足である。

この振り返りミーティング二次会では、「渕剛しか歌ってはダメ」というルールを設け、皆で狭い窮屈な部屋でカラオケに勤しんだ。なんとも暑苦しい男5人だけのヘンな会だったが、とてつもなく楽しかった。今般の人材業界全体を覆う重苦しい空気が完全に吹きとんだ夜だった。

Hi380153001