パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

年頭のメッセージを考えた日

2009年1月4日 (日曜日)

明日は、いよいよ2009年の仕事始め。

朝9時にセミナールームに全員集合してもらい、今年最初の全体朝礼を行う。

朝礼といっても、仕事始めであるわけだから、僕の年頭のメッセージを伝えることが中心である。

僕はパフを作って、新卒一期生が内定者だったころから、毎年、新年のメッセージを伝えることにしている。いつもスピーチの時には原稿など作らないのだが、新年のメッセージだけは、予めきちんと原稿を作る。長すぎて顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあるのだが、それでも、やはり社長として新年に伝えたいことは、きちんと一言一句考えた上で、伝えたいと考えている。

ということで、きょうは、新年のメッセージ作りのために、かなりの時間を割いた。

「かなりの時間を割いた」なんて書くと、どんなに長い話を聞かされるんだろう……と、眉をひそめる社員もいるかもしれないが心配することなかれ。A4サイズの用紙で2枚だけである。

ゆっくり読んだとしても、せいぜい5分程度だろう。

じゃあ、なぜ作るのにそんなに時間がかかったのかというと、短くするのに時間がかかったのである(苦笑)。

僕の悪い癖で、書きはじめると、どんどん興が乗ってきて、余分なことを書いてしまう。それで、結局伝えたいことの中心がボヤけてしまって、聞いてる社員の側も、話の内容をすぐに忘れてしまう。

ということで、明日の年頭メッセージ、伝えたいことが伝わるメッセージになったかどうか……。

明日の日記では、(社外秘の部分を除いて)この日記にその内容をアップすることにしようかな。

東洋大学おめでとう!の日

2009年1月3日 (土曜日)

午前中から箱根駅伝をテレビで見ていた。

早稲田大学と東洋大学がデッドヒートを繰り広げている。

いままで僕は、東洋大学とはあまり縁がなかった。しかし、今年の4月に入社するオオノは東洋大学出身である。そして盟友のS社のS社長も東洋大学の出身である。そういえば、パフのインターンシップ一期生で昨年久々に再会を果たしたN口も東洋大学のOBだった。

こりゃ、東洋大学を応援せずにはおられない。

ゴールに程近い京橋や日本橋に出向いて行って応援しようかとも思ったのだが、今回は、テレビを観ながら、そして一緒に走りながら応援しようと考えた。

つまりジムに行き、ランニングマシーンのテレビを観て応援しながら、走ろうと思ったのだ。

いやあ、興奮した。

いつもは30分も走ると息があがって辞めてしまうのだが、きょうばかりは、アンカーたちがゴールのテープを切るまで、ずっと一緒に走り続けた。

駅伝ランナーのスピードは時速20km。僕のスピードは時速10km。

速さは半分なれど、一緒に走ることで気持ちは(一方的に)通じたような気がする。

 

ともかくも……。 

東洋大学おめでとう!!

オオノおめでとう! S社長おめでとう! N口おめでとう!

この勝利が、今年パフにも強運をもたらしてくれることであろう。

きょうは家族で明治神宮に行った。すごく混み合うのは覚悟の上で行ったつもりなのだが、それでも予想以上の混み具合だった。

果てしなく行列が続いているのだが、ぜんぜん前に進まない。

一瞬引き返したくなったのだが、すでに自分たちの後ろにも長い行列ができてしまったので、そういう訳にもいかない。

しかし、しばらく並んでいると、どっ、どっ、と、5分に1回くらいの割合で、前に進めるのが分かった。

前方で、お巡りさんたちが、交通整理をしてくれているのだ。交差点の信号待ちのように、参拝客をあるタイミングで止めたり進めたりしているのだ。

結局並ぶこと1時間ちょっとで、拝殿まで辿りつくことができた。

考えてみたら、明治神宮に来たのは14年ぶり。娘の七五三(三歳の時)のお参り以来だ。あのとき僕の股下くらいの背丈しかなかった娘なのに、いまや僕の身長とそんなに変わらない。そんな娘と並んで手を合わせていることが、また不思議な時間でもあった。

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いやあ、それにしてもすごい人だった。神様は世の中が不況だと商売繁盛になるものなんだな、きっと(笑)。

ただいま2009年1月1日午後1時。

元旦である。珍しく、日中に日記を書いている。

1月1日になって初めて行ったことは、東京タワーを海越しに拝んだこと。

僕が紅白歌合戦に夢中になっているとき、娘とかみさんが、東京タワーを見てみたいと言いだしたので、「じゃ、行こうか」と気軽に答えた。

東京タワーが正月特別バージョンで、午前零時から数時間、レインボー色になるとのことだった。

午前12時過ぎに月島の自宅を出た。外は風が冷たくて寒い。でも、心地の良い寒さでもある。酒でぼんやりしていたアタマがきりっと引き締まった。

勝鬨橋まで歩き、そこから隅田川沿いの道をひたすら海に向かって歩くと、川の向こうにライトアップされた東京タワーがきれいに見える。

おお、なかなかの景色だ。

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帰宅後、12月31日の日記(一年の振り返りの日記)をまとめる。書いている時間はわずかだったのだが、 振り返りで、一年分の日記を読んでいたら明け方になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

いったん仮眠をとり、朝起きてすぐ、佃にある住吉神社に初詣。月並みではあるが、「家内安全」と「商売繁盛」を強くお願いしてきた。

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帰りに神社の社務所で「だるま付きおみくじ」を引いた。おみくじは「末吉」。「次第しだいに運がひらけて盛んになります」とのこと。なかなか素敵なメッセージだ。

だるまには、 「株式配当!!」と背面に書いて、左目に墨を入れた。配当できるくらいの業績になれば、株主さんはもちろんのこと、お客様も、社員と社員の家族も、みんな幸せになれるからだ。

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自宅に戻って朝食後、ポストに年賀状を取りに行く。最近はメール年賀が増えたので、紙の年賀状は年々減少気味。ちょっと味気ない気もするが、我がパフも、基本はメール年賀なので偉そうなことは言えない。でも、パフのメールの年賀状、なかなかいい味が出ていると思う。(読者の皆さんもどうぞご覧ください ⇒ パフ2009年公式年賀状)

 

ということで、皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

最後に、(会社関係を除く)個人でのお付き合いの方々にお送りした年賀状のデザイン(KUZEさん作)を貼り付けて、元旦の日記の締めくくりとさせていただきます。

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さて、きょうの予定は、このあと「ジム始め」を行い、夜は自宅で、「仕事始め」をしなきゃな(たっぷりと宿題があるんです)。

2008年がとうとう終わってしまう。

社員たちとも、「一年経つのが本当に早いよなあ」と最近よく話す。

昨年の会社創立10周年のときには、 「もう10年かあ、あっというまだったねぇ」なんて言っていたのに、またたきもしないうちにさらに一年。もう11周年が過ぎてしまった。

あっというまに月日が過ぎている一方で、半年くらいまえの出来事でも、 「えー? あれって今年の出来事だったの? もうずいぶんと昔のことだったような気がするんだけど…」なんていう、矛盾した感覚もある。

短い期間にいろんなことが起きるからなんだろう。一カ月の間に半年分くらいのことが凝縮して詰まっている。つまり1年で6歳くらいの年をとっているわけだ。

なるほど。「あっというま」と「半年前が大昔」というのが同時に成り立つわけだな。

ということで本日は、この一年間を振り返って「釘さん重大ニュース」として、過去の日記をピックアップしてみよう。1月から順に、印象に残っている日記をひとつずつピックアップしてみる。

 

【1月】

・15日(火) 日記の画面が新しくなった日

そう、この日から日記を毎日書く羽目になったんだよな。うえの日記を読むと、面倒臭がっている当時の僕の心境がよく表れていて面白い(笑)。

それにしても、以来、よくぞ毎日続いたものだ。

 

【2月】

・4日(月) 『かもめ』の取材を受けた日

リクルートの社内報の取材を受けたのがこの日だった。「家族の肖像」という特集で、兄貴と僕のふたりのことを取り上げてもらった。

この社内報が発行された(3月上旬発行だった)数ヵ月後に知ったのだが、同じ特集に、今年の紅白にも出場した(homeという歌で大ヒットした)木山裕策さんも家族で掲載されていた。発行されたときは、まだ曲がヒットする前だったので気にもとめなかったのだが……。

僕も来年の紅白でも狙ってみようか?(笑)。

 

【3月】

・29日(土) 桜の中の結婚式だった日

3月はいろんなことがあった月なので、ひとつに絞るのがたいへんだったのだが、やっぱりこれだな。盟友、S社のシモさんの結婚式である。

この結婚披露宴で知り合ったヤナさんと、シモさんと、僕との3人で、後日「三九会」を結成することになり、それが年末の九州イベントに発展したわけだから、やっぱり大きな出来事だったんだよな。

 

【4月】

・1日(火) パフを志望する学生に伝えているメッセージを掲載する日

パフ自身の新卒者採用を行ったのが4月だった。説明会や選考試験に先立って、日記にメッセージを載せた。我ながら、心動くメッセージだ。

・26日(土) 充実のロングミーティングだった日

4月はもうひとつ取り上げよう。4月の上旬から、Gaiax社との提携交渉を水面下で進めていた。最初のうちは社員にも内緒で進めており、財務や法務の専門家たちと日々打ち合わせを行っていた。「うちの社長はコソコソ何やってんだ?」と社員は思っていたに違いない(苦笑)。

 

【5月】

・15日(木) G社との事業提携を発表した日

・10日(土) G社との合同キックオフミーティングだった日

そして、この提携交渉を発表したのが5月15日。それに先立って、社員に全貌をお披露目したのが5月10日だった。この事業提携は、今年の最大級の出来事だったなあ。その後のG社とのコラボ活動がうまく運んでいるのは、この4月から5月にかけての、集中的かつ綿密な話し合いがあったからだと思う。

・14日(水) 「ふるさと就職応援ネットワーク」幹事会の日

5月は、もうひとつ。ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)が正式に走りだしたのがこの日だった。振り返ってみれば、5月はたくさんの会社とのコラボが生まれた月だった。

 

【6月】

・27日(金) とても充実した二日目の新潟の日

Fネットのつながりで新潟に2泊3日の出張。日中はもちろんだが、夜は特に楽しかった。たしかこの日は猛暑だったなあ。

 

【7月】

・26日(土) 今朝まで大人俱楽部だった日

朝まで会社で宴会やるなんて、久々だったなあ。しかも懐かしいお客様やパートナーの方々が勢ぞろい。我ながらよくやったもんだ。

・31日(木) アポ取り初成功とはるちゃんと名精神科医&ピアノの日

今年、「長期ド営業インターンシップ」を復活させたのも大きな出来事だ。4人のインターン生をみっちり、ビシバシ、しつこく指導した。

それと、12月の「釘さんコンサート」を開催するきっかけとなったのが、この日の菊地南里のコンサートだった。

 

【8月】

・15日(金) 大男たちと過ごしたお盆の日

今年は夏休みを取らなかったのだが、この日はお盆ということもあり、酒をたくさん飲んだ。たぶん、2008年でいちばん飲んで、いちばん酔っぱらった日だったと思う。

 

【9月】

・16日(火) リーマンの倒産にびっくりした日

そうか。この日が世界同時不況の直接の引き金となった日だった。まさかこんなに急速におかしくなるとは。しかも、自動車産業がここまで苦境に追いやられるとは。

まだ3ヵ月しか経ってないんだなあ。

・27日(土) ふるさとイベントをやりきった日

この日のイベントのプログラム、なかなかだったと思う。特に寸劇は、優れもの(と、自画自賛)。松山では、3つのテレビ局が取り上げたんだから。

 

【10月】

・14日(火) 念願の松下村塾を訪ねた日

一週間にわたる長期出張(半分は私用)。充実した日々だった。と同時に、一週間会社を留守にしていても仕事にまったく支障がないことも実証できた。よかった、よかった。

・24日(金) 夜を、救命救急センターで過ごした日

うん。これはほんとうに生きた心地がしなかった。一瞬は覚悟したもんなあ。

 

【11月】

・16日(日) 史上まれにみる結婚式と披露宴が挙行された日

これまでも、これからも、もっとも記憶に残る結婚式と披露宴になるだろう。主賓なのにギター抱えて歌っちゃったし。

 

【12月】

・11日(木) 歌手デビューコンサートが終わった日

そしてついに歌手デビュー。まさか本当にやってしまうとは……。味をしめて、来年の5月には新しいユニットのデビューコンサートも計画された。その名は、“M・S・P”(写真参照)。

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と、まあ、ホントにいろんなことがたくさん詰まった2008年だった。

ここには書けなかった出来事も、山ほどあるわけだし。

ところで、本日の日記を書くために、350日分の日記に全部目を通したわけだが、こりゃすごい大作だ。手抜きの日もたくさんある日記だが、「そんな肩の力の抜け具合が読んでいてほっとします」という意見もあるので、来年も、こんな感じで書き続けていこうかと思う。

 

読者の皆様、この一年、本当にありがとうございました。

また来年も、どうぞよろしくお願いいたします!!!

僕の血液型はA型なのだが、それを疑う人がやたらと多い。なぜならば僕は、かなりの面倒くさがり屋で、身の回りの整理がぜんぜんできないから。細かいことが大きっらいで、いい加減極まりない性格なのだ。

 

・・・というのは、世を忍ぶ仮の姿。

ほんとうの僕は、とてもキレイ好きで、細かいところまで気配りをしてしまう性格なのである。

しかし、そんな自分の性格が嫌いで、高校生くらいから強制的に“反A型”の方向へ自分を持っていった。

でも、いつからかそれが行き過ぎてしまい、こんな自分になってしまったのだ(苦笑)。

 

と、また余計なことをグダグダと書いてしまった。

ここから本題。

きょうは、「やっぱり自分はA型だったんだあ」と、思い出させるような出来事があった。

なんと、朝っぱらから自分の部屋の大掃除を徹底的にやったのだ。

まずは机の上の大整理。うず高く積み上げられていた古新聞、古雑誌、古資料を全部捨てた。

そして掃除機で床、壁、天井の埃を吸い尽くす。ハタキで本の上や書棚の隙間を払う。そして仕上げはマイペットの登場だ。床、机、書棚、タンス、テレビ、パソコン、すべてをキュッキュッと磨き上げた。

我が部屋が見違えるようにきれいになった。

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午後からは会社に行き、8Fと9Fのエントランスに、正月用のしめ縄を飾った。小さな飾りなれど、なかなかにお正月の気分になってきた。

そして自分のデスクに行き、年賀状の仕上げ。会社用の年賀状は昨日までにすべて出し切ったのだが、個人用の年賀状がまだだった。

会社のPCに、KUZEさんが作ってくれていたとっときのデザインがあったので、それを使って個人の年賀状を作ることにした。

なかなかの出来栄えであるのだが、これは正月明けに公開することにしよう。

 

で、帰宅して夕食後。本日のメインイベントが始まった。

さる12月11日に行った、僕のコンサートの模様を収録したビデオをチェックしたのだ。

実はコンサートが終わってから今日まで、怖くて(忙しかったというのもあるのだが)このビデオを観ていなかった。

が、そろそろホトボリも冷めてきたので、勇気をもって観てみることにした。

いやあ、なかなかいいじゃないですか(笑)。

正直言って、相当に酷いと思っていたのだが、あのド緊張の中、あれだけ歌えて喋りができたんなら、まあ及第点だろう(と自分に甘いのが僕の良いところ、爆)。

それにもましてASUKAちゃんやWAKANAちゃんの可愛いこと上手いこと。

おもわず2回(計4時間!)も観てしまった。

いろいろとあった2008年だったが、このコンサートは、間違いなく今年の僕の重大ニュースに入選するだろうな。

あ、そうだ。

あすは、今年の日記を振り返って、『今年の釘さん重大ニュース』でもまとめてみることにしよう。

築地でまぐろを買った日

2008年12月29日 (月曜日)

きょうは田町にある行きつけの床屋に行き、頭髪をすっきりと刈った。その後、有楽町と銀座でお買い物。

その帰り道、築地の場外市場までふらふらと歩いていった。

特に目的があったわけではない。いつもそばで仕事をしているくせに、あまりゆっくり築地の場外を歩いたことがなかった。きょうは余裕があるので、年末の築地を散歩しようと思ったのだ。

案の定、築地は買い物客で賑わっていた。でも、こういう賑わいがいい。生活を感じさせる。

お店のおじさんやおばさんの威勢のいい掛け声がいい。思わず、買って行こうかなという気にさせられる。

いくら、数の子、鮭、まぐろ、鰹節、干物、かまぼこ、昆布、豆などなど。お正月の料理の材料がたくさん並んでいた。

僕の耳元で魚屋のおばさんが囁いた。

「お兄さん、これ、2千円でいいよ」

「え、ほんと? んじゃ、買うよ」

二つ返事で、財布から千円札を2枚取り出した。

買ったのは、まぐろの赤身と中トロ

金の延べ棒みたいなのが3本もある。これで2千円というのだから驚異的に安い。たぶん銀座のデパートの地下で買ったらば、5千円以上は取られるだろう。

ということで、今宵の酒のつまみは、まぐろのお刺身。

菊政宗をちびちびやりながら、新鮮なまぐろをつまむ。

いやあ、旨い!

高級店のまぐろよりも旨いんじゃないかな。

僕は普段はあまり家ではお酒は飲まないのだが、年末年始は例外だ。

なんとも幸せな年の瀬である。