パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

2日(日曜日)の日記を書こうと思ったが、2日は朝起きて夜寝ただけなので(笑)、金曜日の夜の出来事を書く。

 

パフで丸9年前、インターンシップをしていた(当時の大学3年生)Uスギ。現在は、某大手証券会社の営業マンである。

9年前ということは、いまのパフのどの社員よりも古株ということになる。新卒一期生のヨシカワたちがパフで働き始めるちょうど一年前の夏に働いていた。

当時のインターンシップの報酬は交通費のみ。「社会経験=勉強」という大義名分のもと、朝から晩まで、ただ働きをさせていた。

しかも、当時の事務所には、机と椅子とパソコンが人数分なく、立って仕事をしていた。クーラーも効かなかった。インターン生たちは、とんでもない環境で働いていた。

そのとんでもない環境で一番長く働いていたUスギが、久々にパフを訪ねてくれた。

現在Uスギは、起業を考えているという。そのプランについて僕に相談しにきたのだ。

いまや大手証券会社のトップ営業マンになっているUスギなので、少しはまともな事業計画を考えているかと思いきや、まだまだ甘ちゃんだったので、歯に衣着せずに問題点を指摘してあげた。

もっとも僕の起業の時も、事業計画なんて、あってないようなものだったので、「そもそも事業計画云々よりも、独立する覚悟があるかどうかのほうが大事なんだ」ということを、なかばお説教してあげた。

Uスギも30歳で、会社では立派な中堅社員なのだが、相談する相手がよくなかった。僕から見たら、Uスギはいつまでたっても、大学3年生なのだ。

相談後は、(夕方、病院で飲酒の許可が出たので)久しぶりに飲みに行った。

Uスギは、飲む飲む。昔は華奢な体型だったのだが、いまや横綱級の体格なのだ。たぶん、学生の頃の2倍くらいあるんじゃないだろうか。

12時くらいまで飲んで、 「そろそろ帰ろうか」と言ったら、 「もう一軒行きたい」という。さすがに僕も病み上がりでもあるので、いきなり不摂生もできない。

「おまえ、明日は何もないの?」と聞くと、 「明日は朝6時半から接待ゴルフ。しかも千葉なので朝4時起きです」という。

「じゃ、おまえ、もう帰れよ」というと、 「クギサキさんが付き合ってくれないんだったら、新宿で後輩が飲んでるんで、そこに合流してから帰ります」という。

すごい……。さすが最優秀営業マンである。体重も倍増するわけだ。

これだけの体力と気力と豪胆さがあれば、ひょっとしたら起業しても、なんとかやっていけるかもしれないなぁと思い直した。

 

それにしても、9年経っても、こうしてわざわざ相談しに来てくれるなんて、やっぱり嬉しいものだ。

さんざんベランメエで、好き放題説教したにもかかわらず、 「クギサキさんも昔と比べたら丸くなりましたねぇ…」と言われるような始末(苦笑)。

こういう関係はずっと大事にしたいものだ。

今年初のパフLiveだった日

2008年11月1日 (土曜日)

いわゆるゴウセツ=合同企業説明会というのは、いまや学生にとっても企業にとっても、就職&採用活動において定番のイベントである。

しかし僕は、このゴウセツというものが、どうも好きになれずに、パフを作ってから6年間は、ずっとやらずにきた。

出展企業の数と来場学生の数を競うような大規模なゴウセツは、結局、(就職ナビと同じで)顔が見えず、寒々しさと寂しさを感じてしまうからだ。

でも4年前に、「じゃあ、パフらしいゴウセツをやってみようか?」ということで、“アンチゴウセツ”のゴウセツを企画することにした。

それが『パフLive』なのである。

出展企業数はMAX10社。来場学生数はMAX200人。有名企業であっても無名企業であってもブースの大きさは同じ。学生は立ち見禁止。出入り不自由。受け身禁止。対話重視。

『顔の見える就職と採用』というパフの永遠のテーマを、このパフLiveでは実現させようとしている。

本日は、そのパフLiveの今年の第一回目の開催日。午前11時から、青山一丁目で行われた。

Hi380070_2

企業9社に対して、199名の学生が集まった。ちょうどいいバランスの会となった。

僕はきょうは何もしないはずだったのだが、急きょ「就職相談コーナー」を受け持つことになり、別室で学生の個別の相談会を行っていた。

不況の影が忍び寄っているせいか、多くの学生諸君は、例年になく顔が引き締まっているように感じる。真剣に自分の将来と向き合っているように思う。不況もまんざら悪いことばかりではない。

このパフLive、来年の2月まで全5回開催されるのだが、毎回大きな満足を提供できるものにしていきたい。

Hi380072

晴れて無罪放免となった日

2008年10月31日 (金曜日)

#このところ「尿管結石」の話題ばかりで恐縮です。でも、それも今日で終わりですよ♪

突然の激痛に襲われ、救命救急センターに担ぎ込まれたのがちょうど一週間前。以来、禁酒、禁美食、禁大食いを、どうにかこうにか守りながら(ちょっと守れなかった日もあるが)過ごしてきた。

が、僕を苦しめたはずの「石」が、なかなか排出されずにいる。

「週末までに出ないようならレントゲンで詳しく診てみましょう」と、医者からは言われていた。

きょうは外出の予定も早急にやらねばならぬ仕事もなかったので、午前中に、歌舞伎座の隣のレトロな泌尿器科の病院に行ってきた。

「あ、クギサキさん。どう出た? え、出ない? あ、そう。じゃあ、レントゲンで細かく調べてみますか」

「は、はい。お願いします」

「じゃあレントゲン検査をやってくれる知り合いの病院を紹介するんで、ちょっと待っててね」

「え?別の病院に行くんですか?」

「うん。造影剤の点滴打ちながらのレントゲンだからね、うちじゃできないのよ。2時間くらいかかるんだけど大丈夫?」

ということで、別の大きめの病院で検査を受けることになったのだ。

血管から造影剤をぶち込まれる。2週連続の点滴だ。体中を造影剤が駆け巡っていることを想像すると、なんだか気持悪くなった。

2時間後、検査は無事終了。

何枚もの大きなレントゲン写真をお土産にもらい(?)、検査してくれた病院をあとにし、レトロ泌尿器科(勝手に命名)に舞い戻った。

「あれ、なくなってるね。腎臓も尿管もとてもキレイだよ。知らないあいだに出ちゃったのかもしれないね」

「そんなことってあるんですか?」

「ふつうは出るとき痛いんで、分かるんだけどね。まあ、石が小さかったりすると、まれに気づかないこともありますよ。でもまあ、良かったじゃない。手術なんてことになったら大変だからね」

なんだか拍子抜けしたが、石がないと聞いて、どっと肩の荷が降りた。

「っていうことは先生、もう薬も飲まなくて大丈夫ですね?」

「痛みが出ない限りは大丈夫でしょう」

「っていうことは先生、お酒はもう飲んで大丈夫ですよね?」

「ほどほどにしといてよ。お酒が原因かもしれないんだから」

「やった♪」

「再発しやすい病気なんだから、不摂生はダメだよ。お酒も食事もほどほどにね。水は日頃からよく飲んだほうがいいね。運動もちゃんとしてね」

「はい♪」

「痛み止めの座薬は大事にとっておいてね」

「はい♪」

ということで、きょうは、一週間の「石騒動」にピリオドを打つことができた、めでたい日なのであった。やった。

 
#心配していただいた多くの皆様、メールやコメント書き込みやお電話などでの激励、どうもありがとうございました。おかげさまで、無事、無罪放免されました。忘年会シーズンも近づきました。どうぞ遠慮なくお誘いくださいませ^^。

蒲田に行った日

2008年10月30日 (木曜日)

きょうは久々(といっても半年ぶりくらいかな)に蒲田に足を運んだ。

蒲田には、僕の大昔の会社の先輩であり、パフの監査役を務めているキムラさんが経営する会社がある。そこで打ち合わせを行うためだ。

蒲田って、不思議な雰囲気を醸し出した町だと、いつも思う。

なんというか、『人間くさい』のだ。

『お洒落』とか『上品』とかいう言葉がもっとも相応しくない町である。

駅を降りると、パチンコ屋さんや、居酒屋や、ちょっといかがわしいお店などが立ち並んでいる。

道行く人々も、他のターミナル駅周辺の人たちとは明らかに違う。表現は難しいが、 「にんげん」を感じる人々だ。

駅は改装され、周辺のビルも新しくなっているのだが、なんだか垢抜けない。レトロな雰囲気が染みついている。

けなしたり、馬鹿にしたりしているわけではない。

僕は、そんな蒲田の雰囲気になんだか惹かれてしまう。

東京の最南端の町、蒲田。ずっとこの不思議な雰囲気を保ち続けていってほしいと思う。

先日の日記にも書いたように、我が母校(明治学院大)でのセミナーを、大学と共同で開催している。

パフの人手不足ということもあり、全18コマ中、僕が6コマを行なっている。

このセミナー運営って、体力的にも、精神的にも、そうとうにタフネスさが要求される仕事なのだが、僕の担当分が、本日の2コマ(ダブルヘッダー)ですべて終了した。

先週末、尿管結石が発症したのは、実はこのセミナーで司会をやっている最中だった。

現在、症状はすっかり落ち着いているとはいえ、いつ再発するかわからない。

きょうはダブルヘッダーなので、まるまる3時間、司会を務めなければならない。

「また、あの痛みが襲ってきたらどうしよう…」と、内心ビクビクしながら(そしてポケットには鎮痛剤を忍ばせながら)本日の司会に臨んだ。

 

結果。

あーーーーよかった(ほっ)。

ナニゴトも起きずに、無事終了した。

 

本来であれば、今夜あたり、打ち上げのビールで乾杯し、大好きな焼酎のロックをちびちびやり、好物の馬刺をパクパクしているはずなのだが……。

いや。めめしくなるので、これ以上書くまい(悲)。

あぁ…。それにしても、いつになったら、お酒を飲めるのであろうか…(嘆)。

お、おっと、やっぱりめめしくなった。

まあ、まずは母校での大仕事が終わったことを、喜ぼうではないか。

ウーロン茶で乾杯!

飲食できない懇親会の日

2008年10月28日 (火曜日)

きょうは、提携先のガイアックス社との共同セミナーの日。約200名の人事担当者をお迎えして開催した。

場所は新宿NSビル。高層の30Fにある、なかなかお洒落で立派なホールだ。

Hi380067

 

 セミナーでは、リクルートエージェントの人材開発部長であり、アイカンパニーの校長である小畑さんに基調講演を引き受けていただいた。

小畑さんと僕とは、間接的な(?)、お友達。というのも、小畑さんの所属するリクルートエージェントの社長と僕とは、直接的な、お友達。そんな関係もあり、講演を引き受けていただいたというわけだ。やっぱり何歳になっても、お友達は大事である。

 

で、(ずいぶんと端折りますが)セミナーは盛況のうちに終了した。

問題は、そのあとの懇親会。

ワンフロア下の29Fにあるレストラン貸切で行ったのだが……。

いや、トラブルがあったわけではない。みなさん活発な情報交換をしており、会そのものは円滑に推移していた。

 

問題というのは僕個人のこと。

例の病気のせいである(ここ数日の日記を参照されたし)。

● アルコール禁止

● 肉禁止

● 脂っぽい食べ物禁止

要するに、 「飲むな!食べるな!」ということである。

せっかくの懇親会なのに、ビールを飲むことができない。

美味しそうな食事が目の前にあるのに、(そのほとんどは肉や脂っこい料理のため)食べることができないのである。

なんとも悲しいものである。

しかも、僕は懇親会の冒頭の乾杯を担当している。 「かんぱーい!」と元気よくやったはいいものの、発声をした本人は、ごくっと一口飲んだだけで、あとはコップを置いて、ただただ指を口にくわえて御馳走を眺めるだけだった(いや、実際にはお客様とお話をしていましたが、苦笑)。

まあ、ポジティブにとらえれば、体重と腹囲を減らす絶好のチャンスかもしれないのだが……。

でもその前に、禁酒のストレスでぶっ倒れないように気をつけなければ(苦笑)。

レトロな病院に行った日

2008年10月27日 (月曜日)

先週末は、救命救急センターでの慌ただしい診察と応急治療のみだったので、本日は専門医にきちんと診察してもらうことにした。

できる限り会社のそばにある診療所にしようと探していたら・・・あった、あった。歌舞伎座のすぐ脇。パフの事務所から歩いて3分程度のところに、泌尿器科と皮膚科だけの専門クリニックがあった。

予約の電話を入れてみると、「昼休みを避けてもらえれば、いつきてもらってもいいですよー」と、ゆるい対応だった。

行ってみてびっくり。ビルが相当に古い。築40年~50年くらい経っているのではないだろうか。

階段を上がっていった2階にその診療所はあったのだが、これまたレトロな空気が流れている。フーテンの寅さんでも出てきそうな雰囲気だ。

受付周辺には、50歳~60歳くらいのおじさんやおばさん(事務員なのか看護師なのかは不明)が忙しそうに(でも動作はゆったりと)動き回っていた。

待合室の患者さんたちも60歳以上の方々が中心。診療所全体を、昭和30年代の空気が支配していた。

僕はもともとレトロな雰囲気が好きなので、最初こそ少しびびったが、そのうち心地よくなってきた。

受付を済ませ15分ほど経つと、僕の名前が呼ばれた。

どんな高齢の先生が出てくるのかと思ったら、僕と同年代くらいの先生で、ちょっと拍子抜けした。

でも、この先生、なかなかできると見た。診察がとても手際よく、説明がむちゃくちゃ分かりやすい。しゃべりは「べらんめー」なのだが、思いやりを感じるべらんめーだ。この診療所の古さからいって、きっとこの先生は2代目なのだろう。お年寄りから、いかにも信頼されそうな若先生だ。

 

東銀座界隈の情緒ある風情に溶け込んだレトロな診療所。これから何回か通うことになるのだが、なんだかファンになってしまいそうだ。

すぐ隣の歌舞伎座は、老朽化のため再来年で取り壊されてしまうらしいが、この診療所のビルは、ずっとこのレトロな佇まいを残したままにしてほしいな。