パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

久々に豊洲で映画を観た日

2008年10月26日 (日曜日)

ここしばらく映画を観にいっていなかった。

きょうも特に予定していたわけではなかったのだが、カミさんと娘が観に行くというので、ついていくことにした。

観たのは『容疑者Xの献身』。そう、テレビドラマ『ガリレオ』の映画化だ。

僕は、テレビドラマは一回も観たことがなかったのだが、それでもずいぶんと楽しめた。面白い映画だったと思う。

主人公の天才物理学者・福山雅治の大学時代の親友で、天才的数学者を、堤真一が演じていた。

堤真一といえば、『Always三丁目の夕日』の鈴木オートである。そして最近では、さまざまな映画、舞台、ドラマで大活躍の俳優だ。

今回も、なかなかの好演だった。

考えてみたら、俳優っていうのは凄い仕事だ。いや羨ましい仕事だ。

さまざまな役柄を演じ、さまざまな人格になってしまうのだ。ジキル&ハイドどころではない。たったひとりで、何十人もの人格を、演じ分けているのだ。

今回の堤真一は、鈴木オートでありながらも、天才数学者なのである。天才数学者を演じる堤真一には、(あたりまえかもしれないが)鈴木オートの面影は一切見当たらない。

 

ところで、この映画、実に切ない。

堤真一も切ないのだが、松雪泰子の切ない演技がとてもイケてる。

あんな美人が、貧乏で薄幸な役を演じると、逆にリアリティがある。

トリックも「なるほど、うまい!」と、唸らせる内容だった。

観に行っても損にはならない映画だと思う。

あまり引っ張るほどのネタではないので、結論を書く。

病名は、『尿管結石』。つまり腎臓で作られた石が、尿管に詰まったっていうことだ。

だから背中から脇腹に激痛が走ったのだ。

帰宅してすぐにネットで調べてみると、この尿管結石というのは、一般的に深刻な病気ではないものの、痛みは相当に激しいらしい。なので、発症した人の多くが、救急車で担ぎ込まれるとのことだ。

そうだよなあ。あの状態では歩くことなどできないよなあ……。と、ネットの情報を読んで深く納得する。

『尿管結石』だと分かっていれば、さほど慌てなかったかもしれないが、原因不明のまま突然のあの激痛。本当に死ぬかと思った。痛みに苦しみながらも、タクシーのなかでは、最悪の事態を想定してあれこれと考えていた。

会社のこと、仕事のこと、保険金のこと、娘のこと、自分の葬式の手配のこと(!)…etc.何の準備もないままだと、方々に迷惑をかけてしまうことに気づき、やっぱり簡単に死ぬわけにはいかないと思った(苦笑)。

 

さて、病院での過ごし方。

鎮痛剤を投与されてからは痛みも和らぎ、医師とも冷静に会話できるようになった。そこで、「尿管結石」にほぼ間違いないことを告げられたわけだ。

そして、腎臓に水分を送り込むために点滴を打つことになった。水を血管から入れるのって不思議な感覚だ。

500CCの点滴を2パック。計1リットルの水分を体内に送り込むことになった。所要時間が約2時間。時間が経過するごとに、どんどん痛みは和らいでいった。

救命救急センターなので、周囲にも多数の急患が横たわっている。カーテンで仕切られているので、中の様子をうかがうことはできないが、重篤な患者さんも何人かいたようだ。

切迫した医師の声が、あちこちから聞こえてくる。

人間の生死と向き合わなければならない医者という仕事は、ほんとうに大変な仕事だ。特に救命救急センターで働く医師たちは、いつ重篤な患者が担ぎ込まれてくるかわからない。気の休まる暇などないだろう。

もっともっと医師が尊敬される世の中にし、子供たちの憧れの職業にし、頭脳、人格ともに優秀な若者が医師を志すようにしていかないとなあ…と思う。

 

夜10時30分。

点滴も終了し、痛みもすっかりなくなった。まだ石は体内に残っているようだが、水分摂取を続け、薬を飲み続ければ、そのうちポロっと出てくるらしい。最終的な診察を受け、無事帰宅できることになった。

痛みは激しかったものの、難解な病気でなくて良かった。

それにしても、診察してくれた聖路加病院の若い医師と、病院に担ぎ込んでくれたタクシーの運転手さんには最大限の感謝である。ホントにありがとうございました。

あらためて健康の大切さと、医師の仕事の大切さ、人の親切のありがたさを身に沁みて感じた秋の夜長であった。

 

#下の写真は、点滴中、あまりにも暇だったので、寝ながら撮った写真です。

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夕方6時から、(先日の日記でも書いた)明治学院大学での『職学校セミナー』の本番。僕は、パネルディスカッションの司会を務めていた。

始まった直後から、体に異状を感じていた。左わき腹から腰にかけて、鈍い痛みがあったのだ。実はお昼ころから、腰のあたりに軽い痛みと、なんとなくの違和感は感じていた。

時間が経つに従って、その鈍い痛みが鋭い痛みに変わってきた。脂汗が流れてきた。

今だから書けるが、実は司会どころではなかった。パネリストの話が頭に入ってこないし、司会としての喋りもつっかえつっかえ。機転の利いた突っ込みなど一切できない状態だった。

が、そんなことを見ている学生に悟られてはいけないと、90分間、なんとか作り笑顔を保ちながら耐えた。

そして終了後、こりゃまずいということで、国道に面した大学の通用門から外に出て、タクシーを拾った。まだこのときには、一人で歩ける状態だった。

大学から預かった荷物もあったので、まずは会社に戻って、少し様子を見ようと思った。なので、行く先を「東銀座まで」と、タクシーの運転手さんに告げた。

走って5分も経たないうちに、痛みがさらに増してきた。いまだかつて経験したことのない痛みだ。たとえて言うなら、包丁で、背中から腹を突き刺されたような痛みで(実際にはそんな体験ないので分かりませんが)、何が起きているのか自分でも分からなかった。

さすがに戦慄が走った。会社に戻って様子を見るなんて悠長なことを言っている場合ではない。運転手さんに、築地にある聖路加国際病院に向かうよう伝えた。

その後、痛みは激烈を極め、後部座席で体を丸め、うんうん、唸りはじめてしまった。僕の尋常ではない様子に、運転手さんもびびっていたようだ。

聖路加国際病院には、救急救命センターがある。普通なら救急車が停車するところにタクシーを停めてもらった。運転手さんが気を利かせて、救急担当の医師を呼びに行った。

ほどなくして医師が車イスとともに現れた。僕は、車イスに乗せられて、救急センターの中に運ばれ、ベッドの上にに寝かされた。

「ズボンを脱いで、お尻をだしてください」

医師の言葉に従うと、次の瞬間、お尻に座薬が注入されたのが分かった。

「強い鎮痛剤ですから、すぐに効くと思いますよ」

なるほど。その言葉の通り、次第に痛みが和らいでいき、なんとか会話ができる状態に戻っていった。

いったいぜんたい、僕の身に何が起きたのか……。

続きは明日の日記で書くことにしよう。

 

#読者のみなさんへ:

いまこの日記を書いているということは、一夜にして、元気な状態に戻っているということでありますので、心配ご無用にてお願いしますね。

きょう夜9時半ころ、疲労困ぱいして事務所に戻ってきた。

「ふーっ」とため息をついて、自虐的な言葉を、ふたこと、みこと。

「こりゃクギサキさんヤバイ」と思ったのか、残業をしていた社員たちが数名集まってきて、励ましの言葉を、あれこれ僕に向かって投げ始めた。

最初のうちはよかったのだが、だんだん励ましの言葉が、慰めの言葉に変っていく。歯の浮くような「ヨイショ」の言葉も飛び出してくる。次第にミジメな感覚に追い込まれていく。

「あのさ。なんだかオレ、ぜんっぜんっ、テンションが上がんないんだけど……」

と、機嫌が悪くなってしまった。

すると、社員たちも慣れたものだ。

「今度、○○社の××さんが、クギサキさんと一緒に飲みに行きたがってましたよ♪」

とか、

「△△社の□□さんが、クギサキさんとカラオケに行きたがってましたよ♪」

という、僕の嗜好に合わせた、お誘いネタを振ってきた。

 

とまあ、声のかけ方や、内容はともかくとして、社長思いの可愛い社員たちである。

いや、ただ単に、社長をいじくりまわして、楽しんでいるだけか?

まあ、どちらでもよい。かまってくれる社員がいる会社の社長って、案外、幸せ者なのである。

#本日は、絵文字をふんだんに使ってみました。どんな感じでしょうか?

チカラ仕事で汗をかいた日

2008年10月22日 (水曜日)

パフは、いくつかの大学と共同で学生向けのセミナーやイベントを運営している。

僕の母校である明治学院大学(明学)も、そのひとつだ。会社を創業した直後からずっと、最低年に1回は、講演やセミナーのコーディネートを引き受けている。

特に昨年からは、この関係がさらに強くなり、この10月から11月にかけての業界講座を、パフのブランドである「職学校」という名前をつけて、全18回実施している。1回につき同業4社の現場の社員の方々をお呼びし、パネルディスカッションを通して、さまざまな働く姿を浮き彫りにしている。僕らパフは、そのファシリテーター役を務めているわけだ。

1回あたり200名前後の学生が参加するので、延べ4000名近くの学生との接点が生まれる。パフの認知度向上にもつながる、とてもありがたく大事なセミナーなのだ。

ほとんどの回は、イトーが運営しているのだが、きょうと明日と明後日は、僕が引き受けることになった。今週は、いろんなイベントが目白押しのため、社内は人手不足。アルバイトの女性2名プラス僕の3名だけで、切り盛りすることになった。

ということで、本日の日記のタイトルである。

キャリアセンターに置かれている段ボール10箱以上にものぼる資料を、会場である大教室まで運ばなければならない。台車で2往復である。さらに、机や椅子を、階下の倉庫から運び込まなければならない。

けっこうなチカラ仕事である。汗をタラタラかいてしまった。おまけに重いダンボールを抱え上げたことで、腰に鈍痛が走っている。

もともと汗を流す仕事はキライではないのだが、最近はあまりそういう機会がなかったので、かなりヘバった(苦笑)。

明学の学生諸君には、こういう苦労の末に成り立っているセミナーであるということを分かってもらえると嬉しいかな^^;

さて、あすと明後日も、僕の登板だ。腰を痛めないように気をつけながら、もうひとがんばりすることにしよう。

久々の「うまれよ塾」だった日

2008年10月21日 (火曜日)

パフの創業2年目から、ずーっとやりつづけている就職講座『うまれよ塾』 。もう、まる10年近くやっていることになる。

2010年度の入社を目指す学生諸君向けに行なうのは、本日が第一回目。これから毎月2回程度、コンスタントにやっていくことになる。

きょうは8名の学生が参加してくれたのだが、大きな問題がひとつあった。

それは、つい3日前のキックオフイベントに参加してくれた学生が5名もいたことだ。

なぜ問題かって?

実は、キックオフイベントの講演のときに、この「うまれよ塾」の肝である、“う・ま・れ・よ”の意味を、来場者全員にばらしてしまっていたし、話の結構な部分がかぶっていたのだ。

いつもは、最後に「うまれよ」の説明をして、「なあるほどぉ!」という反応をもらうことを楽しみにしているのに、きょうはそれが(5名に対しては)叶わなかった。

ま、しょうがないか(苦笑)。

 

でも、先日の話とかぶってしまったとはいえ、皆(かぶった5名も含め)、真剣に最後の話まで聞いてくれた。

「いままでのどの就職講座の話よりも、共感したし、為になった」なんていう感想を聞くと、涙がちょちょぎれるくらいに嬉しい。

こういった感想をもらえるからこそ、9年間も続けてこられたんだろうな。老体に鞭打ちながら(っていうほどのトシではありませんが)、しばらくは続けていこうと思う。

 

#とはいえ最近は、学生が自己紹介のときに話してくれる、趣味や、好きな歌手や、タレントのことが分からなくて困っている。「へぇー」とは反応しているが、あきらかに知ったかぶり。これは“う・ま・れ・よ”の精神に反することなので反省しなければ!(笑)。

金融関係者に高い志を望む日

2008年10月20日 (月曜日)

アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融不安。ここまで全世界を巻き込んだ金融市場の混乱に発展するなんて、一年前は誰も思わなかったのではないかな。

超エリートが、超高収入で、超ハードに働いている外資の金融機関。特に投資関連事業には、賢い連中が集まっているという印象がある。その連中が中心になって、今回の混乱を引き起こしたのは、実に皮肉だ。

そしてその混乱が、ついに日本にも押し寄せてきた。

日本の金融関係者も(政治家や官僚や日銀も含んで)、大きな投融資をジャッジしたり、金融商品を生み出している連中には、ずば抜けて賢い連中が多いはずだ。

賢いならば賢いなりに、自分たちのミッションをぜひ果たしてほしい。というより、いま一度、自分たちのミッションが何であるかを考えてほしい。

汗をかかない虚業が、汗をかきながら地道に実業を行なっている会社を、倒産に追い込んだりしてはいけない。

特に中小企業はたいへんだ。大きな仕事を大企業から受注したのはいいが、その大手企業から、突然代金の支払いを引き延ばされている。それじゃ予定していた材料費やら外注費やら人件費が払えない。そんなときのために資金を融資するはずの銀行なのに、そっぽを向く。いや、そっぽ向くどころか、貸し剥がしまで行なう。手形が決済できない。不渡りだ。

結局、「お金」という輸血さえあれば潰れなくても済んだはずの中小企業の多くがいま、見殺しになってしまっている。

 

行政は、中小企業向け金融対策を打ち出し始めたが、ぜひ手遅れにならないようにしてもらいたい。

金融機関は、とにかく、真面目にこつこつと実業を行なっている会社を潰してはいけない。潰すべき虚業の会社と、潰すべきではない実業の会社を、真剣に区別してほしい。決して表面的な数字だけの(コンピューターにインプットして、コンピューターがアウトプットする指示に従うだけの)判断はしないようにしてほしい。人間なんだからね。高い志を持ってほしい。

・・・と、自分の会社の金融対策が一服した日に、中小企業の社長でもある僕は、冷静に思うのでした。