オフィスレイアウトを変更します。
2020年2月6日 (木曜日)
茅場町から九段下の現オフィスに移転したのが2年前。2018年の5月アタマでした。
以来ずっと同じレイアウトで仕事をしてきましたが、新しい社員が増え(これからもちょこちょこと増えるでしょうし)、新体制となる第25期がスタートするのを前に、大規模なレイアウト変更を実施することにしました。
僕は今でも窓際族ですが、さらに窓際に(ひょっとしたら窓の外に?)席を移そうかと思っています。
とはいえ、僕は自分でレイアウトを決めることができません。
今回のレイアウト変更は「レイ変プロジェクト」を立ち上げ、そのメンバーたちに全権委任することにしたからです。任せたからには、社長とはいえ、無用な口出しは禁物です。わがままなんてもってのほかです。
予算の上限も決めました。移転するわけではないので、これだけあれば十分だろうという金額です。仮眠室を作ったりマッサージチェアを買ったりするのでしょうか……。
👇これは茅場町時代に実施したレイ変時の完成イメージ図の一部
ともあれ、出来上がりを楽しみにしていましょう。
早ければ5月上旬、遅くても6月末までには完了する予定です。
お取引先の皆さん、出来上がったらぜひ(パフへの大型発注を大義名分にしてw)遊びにお越しください。
さて、本日は真冬の気候のようです。冷たい北風が吹きまくっているみたい。昨夜も帰り道、寒くて凍え死にそうになりましたが、今朝はさらに寒いみたいです。ダウンコートを着ていくことにしましょう。
では、朝食&スカーレットwith筋肉体操後、行ってきます!
出張だらけのシーズン到来
2020年2月5日 (水曜日)
学生が春休みを迎え、企業の(呼び名はいろいろですが)会社説明会のシーズンが始まりました。
パフも何社かのお客様の説明会現場に乗り込んで支援しています。
現場仕事はやらない主義の僕でも、この時期ばかりは助っ人役を引き受けています。
そんなわけで来週以降は出張だらけ。平日の半分以上は東京にいません。
困ったことに「春よ来いライブ」の直前にも、3日連続で地方出張を入れられてしまいました。
新幹線や飛行機に乗ってあちこち移動するわけですが、インフルエンザや新型肺炎で大騒ぎしているこのご時世、ウィルスや菌に引っかかるわけにはいきません。
連日ホテルに宿泊することも多く、乾燥で喉をやられるリスクも高まります。
そこで、これを携行しようと思います。
はい、イソジンうがい薬です。
効能を疑う声もあるようですが、僕は効くと思っています。つい先日(確か緊急地震警報で深夜たたき起こされたとき)えらく喉が痛くなっていて、こいつでうがいをして寝たらば、翌日にはすっかり痛みが取れていましたし。
ということで、出張カバンにはこれを詰め込んで、これからの出張シーズンを乗り切りましょう。
さて、本日は2月度のキックオフ会議。ちょっとした楽しい発表もあります。
ではまずは、朝食&スカーレットwith筋肉体操後、行ってきます!
ヘンな夢を見た朝
2020年2月4日 (火曜日)
僕はわりと夢を見るほうですが、だいたいは朝起きると忘れてしまいます。思い出せたとしても、支離滅裂で筋が通らず荒唐無稽なものがほとんどで、記憶には残りません。
でもたまに面白い(というかリアルでドキドキする)夢を見ることもあって、それは何回も反芻するのでずっと覚えています。
たとえば空を飛ぶ夢などは定期的に(数か月に1回くらい)見ており、それがまた結構リアルなので、朝起きた時には空を飛んだ時の不思議な気持ちが持続しています。
今朝もリアルな夢を見てしまいました。あんまりいい夢ではありません。
「えー、そんなー、勘弁してよ~」という自分の言葉で目が覚めました。それで夢だということに気が付きました。あー、夢でよかった、と、胸をなでおろしたくらいです。
どんな夢かというと、2月21日のライブを他のミュージシャンに乗っ取られてしまった、という夢です。
他のミュージシャンというのは僕の知り合い。地方の同業経営者Eさんです。
僕が本番当日ライブ会場に行くと、そのEさんがステージでリハーサルをしています。しかも、ほかのメンバー(鼓と葉と素敵な仲間たち)も当たり前のように、そのEさんと一緒に演奏しています。
そしていよいよ開演時間になりました。Eさんは「今夜は僕のために来てくれてありがとう!」と、僕が苦労して集客した観客にギターを抱えながら気持ちよさそうに叫んでいます。
僕は観客席からその様子を歯ぎしりしながらずっと眺めています。隙あらば奪われたステージを取り戻そうと試みますが、身体が思うように動きません。
そうこうするうちに、終演時間が来てしまいました。観客たちは「よかったねー、Eさんの歌、素敵ねー」とか言いながら帰っていきます。
まだ続きがあるんですが、ちょっと悲しくなってくるので、このへんで。正夢にならないことを祈るばかりです😿。
ライブ本番まで3週間を切ったことで焦ってしまっているのでしょうか。
ということで皆さん、正夢にならないことを願いつつ「春よ来いライブ2020」へのご来場をお待ちしています。万一、僕以外の人がステージの真ん中で歌っていたらすぐに帰ってくださいね(-_-;)
👆50歳記念ライブの時の写真です
今夜はボイトレの先生のところに行って特訓を受ける予定です。不安を払しょくするために頑張ります。
ではまずは、パフの仕事をするために朝食&スカーレットwith筋肉体操後、行ってきます!
やっと2月になりました。
2020年2月3日 (月曜日)
やっと2月です。2020年の1月はホント長かったです。
正月休みがあったり連休があったりで、いつもであればあっという間に終わるはずの1月なのに、今年はなぜかすごく長く感じました。
「楽しい時間はあっという間に過ぎ、退屈な時間は長く感じる」と言いますが、決して退屈だったわけではありません。むしろいつもの1月とは違って、アレコレいろんなことに追いかけられまくりました。
「年をとると時間は早く過ぎる」とも言います。
確かに小学生の頃の1年と、いまの1年とを比べると、圧倒的に小学生の頃の1年は長かったと思う同年代の人は多いのではないかと思います。
ググってみたら、ここになるほどと思われることが書いてありました。
年をとると時間が早く過ぎる理由が判明!?「時間の感じ方」を変えて人生の生産性を高める5つの方法(リクナビ薬剤師)
ちょっとこのサイトから引用してみましょうか。
●時間を長く感じる要因
1.身体の代謝が高い
2.興奮状態にある
3.時間を常に気にしている
4.広い空間で仕事をしている
5.短い時間にまとまりのない多様な刺激を得ている
なるほど。
子供は確かに代謝が高いですよね。どんな興奮か分かりませんが、少年時代は毎日が興奮でした(笑)。
学校では時間割というものがあって、毎日朝から夕方までビッシリと授業が詰まっており、ひとつひとつの授業に一喜一憂していたし。
放課後には、広い空間(広場や運動場や田んぼ)で毎日のように遊んでいました。
日中は短い時間に、国語、算数、理科、社会、図工、体育、家庭科、道徳、学活などなど、まとまりのない多様な授業を受けていましたし、クラブ活動にも精を出していました。
・・・って考えると、今年の1月もこのような感じだったのでしょうか。
確かに、出版間近の書籍の校正に追われていて常に締め切りを気にしていたし、それなりに走ったり筋肉体操をしていたので代謝も高かったかもしれません。
校正紙や書籍を並べるために机を広く使っていました。
Fネットの研修や委員会や、MAPプロジェクトや、社員の昇給計算や、採用力検定の問題作成や、ライブの練習などなど、まとまりようのない多様なことに追いかけられていました。興奮は……秘密です(笑)。
なるほどね。この日記を書くことで、今年の1月が長かった理由が少しわかってきた気がします。
さて、2月はどうなるでしょうか。
「2月は逃げる」って言いますからね。あっという間に終わってしまうかもしれません。
もっと代謝をあげて(筋肉体操を頑張って)、興奮する状態をつくらねばですね(笑)。
では、朝食&スカーレットwith筋肉体操後、行ってきます!
トップの交代
2020年1月31日 (金曜日)
僕の周りでも事業承継に悩む経営者は多くいます。
「早いところ後進に道を譲ればいいのに」と思うのですが、なかなかできずにいる現実があります。
とくに創業経営者の場合、相続や株式の問題などもあって一筋縄ではいかないのも分かります。
まだ後進が育っていない、社長をやれるのは自分しかいない、まだまだ自分は元気だ、と思っている人たちもいます。
でも人の命は有限です。「適任者がいないから」と言っているうちに自分の寿命が来てしまってはシャレになりません。
会社は、需要者からNOを突き付けられない限り存続させなければなりません。
トップはトップになった瞬間から自分の後任を探し育てる。これが最も重要な仕事なんですよね。
・・・そんなことを考えながらの昨夜の帰り道でした。
そんなことを考えたのは(上の話とは直接の関係はありませんが)こういうニュースが流れてきたせいかもしれません。
村井満チェアマンの4期目内定「次の2年は恩返し」
國貞さんと副社長とのしっぽり飲み会のあとだったからかもしれません。
ヘンな顔(笑)
さて、本日は久々に会社の定款を見直したり登記の準備をする予定です。
考えてみれば、パフ創業時は僕自身がちょくちょく法務局に行って手続きをしていました。20数年前を思い出しながら、たまには自分で登記してこようかなと思っています。
ではまずは、朝食&スカーレット後、行ってきます!
28歳のころを思い出していました。
2020年1月30日 (木曜日)
昨日の夕方、僕は大手町の経団連会館にいました。この人の講演を聴くためです。
富士通の田中会長(前社長)の講演です。
東京経営者協会の事務局の方にお誘いを受けて行ってきました。
富士通は僕のキャリアに大きな影響を与えた会社のひとつです。
1989年の春から約1年間、僕は出向社員として富士通の営業部門で働いていました。28歳~29歳のころです。
田中会長は1980年に富士通に入社して、しばらくは東京本社の営業本部で働いていたとのことですから、ひょっとしたらすれ違ったことくらいあったかもしれません。
昨日は田中会長の話を聴きながら、当時のことを(もう31年も前になるわけですが)懐かしく思い出していました。講演を聴いていなかったわけじゃないですよw。
そういえば「釘さんの素晴らしき100の出会い」の中でも富士通のことを書いていました。しかも3話連続で長々と。最後のところだけ引用してみましょう。
F社は、昭和30年代以降、日本国家が国内の情報産業を発展させるべく推進した政策とも相まって、国産大型コンピュータメーカーの盟主として驚くべき急成長を遂げた会社である。
しかし、僕が席を置いていたころのF社は、それまでの大型コンピュータ一本槍の戦略では立ち行かなくなっていた時代であり、コンピュータのダウンサイジングやオープンネットワーク(いま僕らが普通に利用しているパソコンを中心としたコンピュータ環境のこと)の時代の流れに、明らかに乗り遅れていた。
そんななか、現場の若い社員は皆必死に頑張っていた。F社のビルは『不夜城』であると言われていたのだが、ホントに24時間働く社員も珍しくなかった。
僕のいたSプロジェクトも、皆本当によく働いていた。それ以上働いたら死ぬんじゃないか?っていうくらいに働いていた。たいへんな問題意識と危機感と使命感に支えられた若き戦士たちだった。
僕はF社に来るまで、大企業で働く社員に対して『どうせ単なる歯車じゃないか』という、ちょっと馬鹿にした意識を持っていた。しかし歯を食いしばって頑張っている彼らを見るにつけ、日本の産業を支えているのは、紛れもなく彼らなんだな、と考えを新にしたものだった。
Sプロジェクトは1年後解散となり、僕もF社を後にすることになった。僕は以後、コンピュータ業界から足を洗い人材業界に戻ることになるのだが、この1年間のプロジェクト経験は、僕にとっての大きな財産となっている。
20代最後の年に出会ったF社の優秀な社員たち。井戸の中の蛙だった僕に、日本の大企業の凄さを実感させてくれた40番目の出会いでした。
当時いっしょに働いていたプロジェクトメンバーとは今でも年賀状のやりとりをしています。仲が良かったんですよね。当時はバブル全盛の時代でしたから、週末はみんなで何軒も梯子したり生保レディを誘って合コンしたりw。
ということで、28歳の自分に会ってみたいなあと思った、59歳の昨日の僕でした(^_^;)。
では思いで迷子にならないうちに、朝食&スカーレット後、行ってきます!
経団連から届いた冊子に感心した日
2020年1月29日 (水曜日)
昨日、僕のところに経団連の下部組織にあたる東京経営者協会(パフは正会員になっています)から分厚い冊子が届きました。
これです。
編集者は経団連です。
経団連からは頻繁に印刷物が送られてくるのですが、大企業のおじいちゃんたちの自慢話みたいなものがギッシリ載っているものが多く、あんまり真面目に読んだことがありません。
しかし、昨日送られてきたこの冊子のつくりはいつものものと違って明らかに力が入っているのが分かります。
紙質はいいし、コーティング加工されているし、色も4色です。
表紙に書かれているタイトル(Society5.0時代を切り拓くエンゲージメントと価値創造力の向上)も今まさに関心を寄せているものでした。
ということで、冊子をパラパラめくってみてびっくり。
字が大きいのです。感動するくらいに( ゚Д゚)。
これです。
よく分からないですね。
校正中の採用力検定結果票サンプルと比較してみましょう。
ね、大きいでしょ?
横2倍、縦2倍、つまり4倍くらいの大きなフォントを使っているのです。
そうか、なるほど。
この冊子は、大企業のおじいちゃんたち(といっても僕と同年代の方々も多いですねw)にしっかりと読んでもらいたいと考えて作ったものなんでしょうね。だから読みやすい冊子デザインと字の大きさにしているわけなんですね。
そういえば一昨日、経団連の中西会長は、日本型雇用システムの抜本的な見直しを訴えかけていました。Society5.0、エンゲージメント。そのためのキーワードであることは間違いないですね。
空き時間に僕もきちんと読むことにしましょう。メガネを頭に乗せなくても読めそうです。
それに今日は、経団連会館で富士通の田中会長の話を聞きに行くことになっています。田中会長は僕の4歳だけ先輩。約30年前、僕が同社に出向していたころ(同じ営業本部だったので)すれ違ったことくらいあるかもしれません。どんな話を聞かせてくれるのか、楽しみにしましょう。
ではまずは、朝食&スカーレット後、行ってきます!