パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

寒いっ!

2014年2月6日 (木曜日)

いやー、ほんと寒い。

僕のこの日記は、書きはじめるその瞬間まで何を書くか決まっていない。そのとき感じたこと。前日の出来事で印象的だったこと、記録にとどめておきたいことを短時間で書きなぐっているわけだが、本日の書きはじめは「寒いっ!」ということ。

どうやら日本全国寒いようだ。昨日の名古屋も寒かったし、夜東京に戻ってきたらさらに寒くてビックリ。トシをとってくると寒さは身に染みるのだ。

さて、これ以上書いても発展することのない本日の日記なので、手抜きの非難覚悟で終わりにしよう。

寒い日らしく、ソチ冬季オリンピックのニュースでも読んでから行ってきます!

 

ということを、あらためて思った日だった。

僕が直接学生たちと深く広く交流していたのが、パフ創業期の2000年前後。いろんな学生たちと、ホンネでぶつかり合うような付き合い方をしていた。

なかでもパフの仕事を手伝ってもらっていたアルバイトやインターン生たちとは、仲間・同志といった付き合いだった。

当時の学生たちも、いまでは皆30代半ば。バリバリの社会人として各方面で活躍している。

いまでも付き合いのある連中も多い。同業者として、お取引先として、お世話になっている連中もいる。

昨日は、そんな「元学生」が主役を務める会社説明会を2件、ハシゴで見学させてもらった。

 

一件目は浜松町。

パフの大手クライアントが開催するイベント(技術者と理系学生との座談会)。この進行役を務めていたのが、西暦2000年当時学生団体の幹部だったクマだ。

クマは現在、学生向けキャリア教育の支援をする会社(キャリアフラッグ株式会社)の代表者。昔から暑苦しいほどに熱いのが玉に瑕の男なのだが、イベントの仕切りは天下一品。本当はこの仕事、パフの社員が行う予定だった。しかし、パフは折からの人手不足。そこで信頼できる助っ人として、急きょクマの会社に引き受けてもらうことになった。そして昨日のイベントでは、代表のクマ自身が進行役を引き受けてくれたのだった。

クマにお願いしてよかった。さすがキャリア教育のプロ。ひとつのコトバや小さな動作にも深い意味と目的があったのだ。とても勉強になった。

 

二件目はキャリぷら東京のセミナールーム。

今シーズンから職サークルとキャリぷらの協賛企業になってくださった株式会社AZ(アーズ)の会社説明会。AZはモバイルツールを開発するIT企業で設立6年目の若い会社なのだが、新卒者を来春から初めて採用することになった。

この会社を創業したのが、10年前までパフの仕事を手伝ってくれていた元学生の奥山くん。奥山くんは当時から、仕事に向き合う姿勢がほかの学生とは全く異なっていた。甘えたところが一切ない。愚痴や文句や弱音などまったく吐かない。「プロ意識」というものを持っていた。

当時からいずれ起業したいといっていた奥山くん。いまではパフをはるか凌ぐ売り上げを有する会社の経営者だ。新卒一期生を採用することになって、真っ先にパフに問い合わせの電話をくれた。嬉しいじゃあないですか。

 

あ、想いで迷子になっていたら、そろそろ出かける時間になってしまった。

本日は、実はクマの助っ人として名古屋に出かける。

クマの会社にお願いした一連の仕事なのだが、本日だけはどうしてもスケジュール調整ができずに、僕がクマからバトンを受けて代役を務めることになった。クマほどのパフォーマンスを発揮できる自信はないが、50代のオッサンならではの進行を心掛けようと思う。

ではでは、大量の資料をゴロゴロ引っ張りながら東京駅まで行ってきます!

「昔のコラムをコピペしてるだけ。そんなの単なる手抜きじゃん!」という誹(そし)りなどまったく気にせず(笑)、3回シリーズの最終回をコピペします。

ちなみに第一回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(1)

第二回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(2)

を、それぞれご参照ください。

(このコラムは、2005年10月に執筆したものです。文中の年数や役職などは、すべて当時の内容です)

  <第48話> 「M井ミツルとの運命の出会い (後編) 」  2005/10/24  

「なんだクギサキ。じゃぁおまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」

M井さんからいきなり出てきた言葉だった。

会社を創る……。出来ることならいつかは独立したい。いつもぼんやりと考えていたことだった。

このとき、突然この言葉を目のあたりにし、僕は自分の気持ちが抑えられず、次第に高揚していくのがわかった。

それから一時間くらいの時間だったろうか。M井さんは、僕の背中をこれでもかというくらい押しまくってくれた。

「クギサキ、お前は今までの人生を振り返って、『結果オーライ』でたまたまうまくやってこれたって言ってたけど、そうじゃない」

「お前が自分で、すべての結果をオーライにしてきたんだ。お前は結果をオーライにできる奴なんだよ」

「やってみろよ。これから起こることを、いままでみたいにオーライにしてみろよ」

何かが僕のなかで吹っ切れた瞬間だった。

結局僕は、翌日から会社設立に向けて、信じられないくらいのスピードとパワーで動き出すことになったのだ。

この日のM井さんとの酒席がなければ、僕が会社設立に向けて動き出すことはなかったかもしれない。

M井さんはふだん茫洋としているようで、その実、人間の器の大きさを感じさせる人物だ。難しいことを喋るわけではない。偉そうなことを言うわけでもない。むしろ僕らが日ごろ難しく考えがちなことを、ひたすら単純化しながら話してくれる。

世の中、なんにも難しいことはないんだ。難しくしているのは、自分の視野の狭さだったり、気の弱さだったり、プライドだったり……。そんな、ちっぽけでくだらないことが原因なんだって、M井さんと会って話をするたびに気付く。

何度も繰り返すが、23年前のこの出会いがなければ、間違いなくいまの僕とパフはなかった。「いまの僕とパフがない」ということは、パフの社員たちの人生もまったく違うものになっていたということだ。パフを使って進路を決めてくれた数多くの(元)学生たちも、まったく違う人生の選択をしたはずだ。

つくづく人の縁の不思議さと偉大さを感じる。

ちなみに、このM井さん。今はなんと、リクルートグループの中核某社の社長を務めている。23年前の、売れない屁こきの新人営業マンだったあの日がウソのようだ。

ということで、3話連続でご紹介した今回の出会いは、僕の100の出会いの中でも五本指に入るくらいの大きな出会い。M井さんとの出会いの話でした。

ムライミツルという人物がいなければ、パフという会社が生まれることはなかった。これだけは誰が何といおうと、間違いのない事実だ。

同様に、「ムライミツルという人物がいなければ、日本のサッカーがこれほどまでに発展することはなかった」と、10年後20年後の人々に言わせたい。

ムライさん、がんばってね。僕もこれから贔屓のチームを無理にでもつくって、スタジアムまで観戦しに行こうと思います。

さて、本日は昨日と打って変わって寒いらしい。雪の予報も出ている。

マフラーをぐるぐる巻いて、行ってきます!

密度が濃かった2014年1月

2014年2月3日 (月曜日)

気が付けば先週末で2014年の1月が終わっていた。

早いといえば早いのだが、ボリューム満点の(とてもたくさんの出来事のあった)一ヶ月だったという印象だ。

まずは正月。今年はカレンダーの関係でいつもより長めの正月休み。1月5日までは自宅で過ごしていた。休みではあるのだけれど、なかなかに密度は濃かった。

仕事が始まると、第一週目からイベントがあったり、出張があったり、宴会があったり。

それから鹿児島県指宿市での「いぶすき菜の花マラソン」。2泊3日の珍道中だったのだが、なんだかもうずいぶん昔の出来事のようだ。

その後、怒涛のイベントシリーズ。複数のイベントと掛け持ちの日もあったり。

そして思い出すのも忌まわしい、胃腸炎(ノロウィルス疑惑)と尿管結石の波状攻撃にさらされたのも、まだ1週間前の出来事だ。

先週は、火、水、木、金と、4日連続の宴席。病み上がりだったので、アルコールは控えめにしていた(アルコールと同量の水を同時に飲んでいた)のだが、なかなかハードな毎日だった。あ、木曜の夜は仙台で4軒もハシゴしたんだった。愚か者だな(汗)。

と、まあ、これらのことが1か月の間に凝縮されていたわけだが、最近物忘れがひどいので、こうやって日記に記録しておくのは案外役に立つ。「なんの?」って聞かれても困るのだが(苦笑)。

さて、2月も1月に負けないくらい、公私ともにいろんなことが詰まり気味だ。土日含めて自分の自由になる日がほとんどない。今月こそは病気できない。インフルエンザに襲われないように気を付けなきゃ。

と、自分のスケジュール表を眺めながらの内容のない日記で失礼しました。

さて、本日の夜は2月度のキックオフミーティング(全社会議)。いよいよ新卒採用も佳境を迎える。

では、きょうはいつもより少し早目に行ってきます!

 

昨日の午後から仙台に来ている。

目的は、「一般社団法人きゃりぽーと仙台.」の設立披露会に、ゲストスピーカー&学生パネルディスカッションのファシリテーターとして参加するためだ。

ゲストスピーカーは、僕とキーカンパニーの下薗社長。なぜこの二人がゲストなのかというと、きゃりぽーと仙台.は、「職サークル」や「キャリぷら」を参考にしながら(マネしながら?)今後の運営を行なっていくからなのだ。

昨日の設立披露会では、たくさんの地元(といっても宮城県だけではなく、岩手、青森、北海道までも)の企業のみなさん、大学職員のみなさん、学生のみなさんが参加されていた。

きゃりぽ

代表の伊深さんは、昨年の初めまで某就職情報会社で勤務していたのだが、準備期間を経てこの社団法人を設立した。バックアップしているのは僕の20年来の盟友であるエムジョイの菅原社長だ。

きゃりぽーと仙台。今後、職サークルやキャリぷらとも、がっちり連携していくことになるだろう。

学生と企業との出会いを通じて、東北の地をますます盛り上げていってほしい。

あ、昨夜の設立披露会が終わった後の盛り上がりは、地元企業のS社長に固く口止めされているのでここには書きません(笑)。

さて、では少し遅めの朝食をとって仙台市内を少し散策したのちに、東京に帰ります!

 

きょうはムライさんのJリーグチェアマン就任記念(昔のコラムを転載するだけなんだけど)の第二回目。

そういえば、昨日のお昼ころ「おう、クギサキ、いまシンガポールで昼間っからビール飲んでるんだよ♪」という能天気な電話がかかってきたのだった。31年前とまったく変わらない(笑)。

 

<第47話> 「M井ミツルとの運命の出会い (中編) 」  2005/10/17  
 

M井さんが紹介してくれたK社への営業訪問。僕とM井さんは、K社の人事担当者に一生懸命リクルートブックの売込みを行った。

しかし、最後にK社の人事担当者から出た言葉は……。

「いやー、新卒採用の予算なんですが、実はもうほとんど残ってないんですよ」

まったくM井さんのやつ。「一千万円は軽いな」なんて軽口たたくもんだから…。期待して損しちゃったよ。

と、僕はやや憤慨していた。

K社から神田営業所への帰り道。M井さんがポツンと一言漏らした。

「クギサキさぁ。なんで俺たちこんなに売れないのかナァ…」

日ごろノー天気に屁をこいていたM井さんでも、実は売上げがあがらないことを気にしていたのだ。

「M井さん、元気だしましょうよ…。あ、M井さん、まずい。僕たちの歩いているこっち側の歩道は日陰ですよ。向こうに渡りましょう、向こうに。せめて日の当たる道を歩いて帰りましょう!」 

「そ、そうだなクギサキ。日の当たる道を歩いて頑張ろうな!(涙)」 

この『日の当たる道を歩いた』エピソードは、僕とM井さんとの関係を説明するときによく使う話なのだが、何度書いても切なくて面白い。

M井さん23歳、僕が22歳。バカをやりながらも頑張っていた、若かりし2人の営業マンだった。

・・・・・

そして1997年10月。日の当たる道を歩いたときから14年の歳月が流れていた。

M井さんと何年ぶりかで再会し、久々に一献傾けることになった。

M井さんは、リクルートの人事責任者。僕はとある人材系企業で、当時はまだ珍しい存在だった就職サイトの運営責任者をやっていた。

ダメダメだった2人が「責任者」という立場。しかもM井さんは、もっとも似合わないと思われる人事の仕事をしていた。世の中何が起こるか分からないものだ。

ふたりで酒を酌み交わしながら、辛くも楽しかった14年前の数々のエピソードを振り返り懐かしんでいた。

かなり酒も進んだときだった。僕はM井さんに、いまの仕事の面白さと今後の可能性。そして、だからこそ感じている限界について話をしていた。

「なんだクギサキ。じゃぁ、おまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」

M井さんは、事もなげにそういった。

このM井さんの一言をきっかけとし、僕の運命が大きく回転することになった。

そして「パフ」という会社が約2ヵ月後、世の中に誕生することになったのだ。

(後編につづく)

本日はここまで。

さて、本日はお昼前の新幹線で仙台に向かう。久しぶりの仙台。楽しみだ。何しに行くのかはまた明日の日記で。

では、そろそろ出張の準備をして行ってきます!

昨夜は楽しみにしていた方との久しぶりの会食。

お会いしたのは、創業時のパフの基礎をいっしょに築いてくださった「謎のコンサルタント寺さん」である。

寺さんと最初にお会いしたのは僕がパフを創業して間もないころ。

当時、僕は37歳。寺さんは49歳だった。

うーっ若い!

それが今は、僕が53歳。寺さんは65歳。

うーん。。。

でも昨夜お会いした寺さんは、16年前に初めてお会いしたころと変わらず(いや、それ以上に)元気ハツラツだった。

もちろん、いまでも多くのクライアント(特に中小企業の経営者)から信頼されている現役の経営コンサルタントだ。

活躍の場は日本だけにとどまらず、アジア各国にも及んでいる。

いやー、まさにスーパーオヤジである。

寺さんと同年代(いわゆる団塊の世代)の方々って、僕も何人か親しくさせていただいているが、本当に皆さん元気で若い。

そういえば、僕が中学、高校のころ活躍していたミュージシャンは皆この世代である。

財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)、谷村新司(アリス)、武田鉄矢(海援隊)、南こうせつ(かぐや姫)などなど。

皆ほぼ同学年。そして皆、昔と変わらず今でも大活躍している。

僕らの世代から見ると、そのシブトさ、野太さ、反骨心、変化を存分に受け入れながら楽しんでいるところ等々、羨ましくも見習うべき生き方をしている世代だなあと思う。

昨夜、寺さんと久々に昔話やバカ話を含めて大いに語り合い、そんなふうに感じたのだった。

あ、「寺さんって誰だ?」とお思いの方、関心のある方がいらっしゃれば、以下のリンクをぜひ参照してください。いまから8年前に書いたコラム(釘さんの100の出会い)で3話連続で寺さんのことを紹介しています。

  【釘さんの素晴らしき100の出会い】 「なぞのコンサルタント寺さん(その1)」

 

さて、本日は早朝会議。内定者時代に寺さんの研修を受けたことのある執行役員のヨシカワさんたちとの会議なのだ。

当時、たしか寺さんは51歳。ヨシカワさんは22歳。

すごい(;^ω^)

では、団塊の世代に負けないように元気に行ってきます!