『うまれよ塾』のルーツを発見した
2014年1月16日 (木曜日)
僕がパフを創業して1年が過ぎたころ(いまから15年ほど前)に始めた学生向けの塾が『うまれよ塾』。
この『うまれよ』には、
う・・・うそをつくな
ま・・・まけるな
れ・・・れいぎただしく
よ・・・よのためひとのため(※もともとは「よわいものいじめをするな」)
という意味が込められていた。
これは、僕の30年来の悪友であり、師でもあるムライさんという方から、僕の起業間もないころに教えてもらった言葉。
で、そのルーツは、ムライさん(当時リクルートの人事責任者だった)が面接しているときに、とある学生から聞いた言葉だった。その学生は幼いころから、この「うまれよ」を、お父さんから毎日のように「おまえ、きょうは嘘をつかなかったか?弱い者いじめをしなかったか?」と、確認されていたのだという。
実は、ここから先のルーツがあった。
いや、推測ではあるが、きっとそうだったのではないかと思えるものを発見したのだ。
先日、鹿児島県指宿市での「いぶすき菜の花マラソン」を終えた翌日、帰りの飛行機まで時間があったので、鹿児島市内の「維新ふるさと館」という施設を訪問した。
西郷隆盛、大久保利通、大山巌、村田新八、東郷平八郎、西郷従道などなど、明治維新の傑物たちが生まれ育った場所に、この「維新ふるさと館」はある。
どうして、このような傑物たちが、同じ時、同じ場所で生まれ育ったのか。単なる偶然なはずがない。その理由は、薩摩藩独特の教育にあった。
薩摩藩の武士の子供たちに施されていた『郷中教育』(ごじゅうきょういく)というものが、それだった。僕は恥ずかしながら、そのことを「維新ふるさと館」への訪問で初めて知った。
『郷中教育』の教え(略訳)を、Wikipediaから抜粋・引用してみよう。
・何事も、グループ内でよく相談の上処理することが肝要である
・仲間に無作法など申しかけず、古風を守れ
・グループの誰であっても、他所に行って判らぬ点が出た場合には仲間とよく話し合い、落ち度の無いようにすべきである
・嘘を言わない事は士道の本意である、その旨をよく守るべし
・山坂を歩いて体を鍛えよ
・万事に質実剛健、忠孝の道に背かないことが二才の第一である
・負けるな
・弱いものいじめをするな
・金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと
どうだろう。まさに、『うまれよ』の教えそのものではないか。
しかも鹿児島では、いまでもいろんなところで、①負けるな、②嘘をつくな、③弱い者をいじめるな、という3つの言葉が大きな字で掲示されているのだという。
いやあ、そうだったのかあ…。この「うまれよ」の教えが、維新の傑物たちを輩出する源だったのかあ……。
と、感動しながら、今週の月曜日は鹿児島から東京に帰ってきたのだった。
そういえば本日は、とある週刊誌の取材を受ける予定。就活生の「親」に関する特集を組むのだという。「親には今こそ、『うまれよ』を子供に伝えることが求められます」と言ってやろうかな(笑)。
では、本日もウォーキングで行ってきます!
すみなすものは心なりけり
2014年1月15日 (水曜日)
ふと高杉晋作の、この辞世の句が頭に浮かんだ。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
・・・だよねー。
あと、相田みつをのこのことば。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
・・・だよねー。
それと、僕がよく学生に伝えていることば。
「職業に貴賎なし」
・・・だよねー。
すべて、すみなすものは心なんですよね。
ところで、昨夜(僕にとって)ビッグなニュースが飛び込んできた。
僕の人生に大きな影響を与え続けてきたとある人物のニュース。
今週末の発表だって聞いていたのだけれど、マスコミにリークされちゃったのかな?
高杉晋作の句が浮かんだのも、このニュースが影響しているのかもしれない。
ま、詳しくは正式な発表ののちに日記に書くとしましょう。
さて、本日は経営会議。
足腰の痛みもすっかり取れた。
外はムチャ寒そうだけど、元気にウォーキングで行ってきます!
いぶすき菜の花マラソン完走しました!
2014年1月14日 (火曜日)
走ってきました。
鹿児島県指宿市で開催された「第33回いぶすき菜の花マラソン」。
金曜日。大阪での仕事を終え、翌日の鹿児島入りを控え、伊丹空港近くのホテルに宿泊。
翌、土曜朝の飛行機で鹿児島に飛んだ。
鹿児島空港では、新潟から参戦の変人(?)ミナキさんと合流。路線バスで一路、指宿市に向かった。
指宿駅前では、前日から先乗りしている東京の変人たち(シモさん、クマ、モンドさん、ヨシノちゃん、ユキちゃん)と合流。前日から借りているという8人乗りのワンボックスカーに乗り込んで会場入りした。
ここで受付を完了させて、皆で宿泊所へ。
向かったのはクルマで30分ほどの喜入(会場のそばの宿は予約が取れなかったのだ)。
喜入の宿はホテルというよりも、まるで合宿所のようなところ。でも、晩御飯はなかなか豪華で、前日の栄養補給の場としては申し分なかった。
この日はさすがにアルコールはほどほどに。皆、自分の部屋に戻ってすぐに就寝。僕も風呂に入って21時過ぎには床に就いた。
そして当日。早朝6時にワンボックスカーに乗り込み出発した。
この季節の鹿児島の朝6時というのは、まだ夜明け前で真っ暗。スタート時間は朝9時なのだが、大渋滞が予想されるため念には念を入れて朝早くの出発となったのだ。
でも道路は予想以上にスムーズで、会場には7時過ぎに到着。皆、クルマの中で精神集中。僕は集中しすぎて眠ってしまったが(笑)。
ところで、ここでもう一人、新しい変人が東京から合流してきた。出版社で働くミノさんだ。ミノさんの奥さんはこの日、宮古島で100kmウルトラマラソンに出場しているのだという。そこで旦那のミノさんだけ単身いぶすきに合流することに。まさに変人夫婦である(;’∀’)。
そして朝8時半。スタート地点に並ぶ。申告タイム順に並ぶのだが、僕は謙虚に予想タイム6時間超のところに陣取る。前方には1万人くらいいたのではないだろうか。
号砲が鳴ってから5分くらいはぜんぜん動けず。スタートラインを通過したのはすでに10分ほど過ぎていた。しかもスタートから5kmくらいまでは身動きできないくらいの大渋滞だったのだが、のんびりペースの僕にはちょうど良かったかも。
途中の景色は抜群。
沿道の地元のみなさんの応援も格別。パフのお取引先の幟を持った方(鹿児島営業所の社員かな?)にも遭遇した。僕は怪しさ満点のオヤジだったにもかかわらず、気持ちよく一緒に写真を撮ってくださった。
でも、この快適なレース展開も25kmくらいまで。
覚悟はしていたけど、のこり17kmくらいは苦難の道のりだった。足裏、足首、膝、太腿、腰。それぞれの箇所が悲鳴を上げ始めたのだ。
やっぱりネックは腹回りの贅肉。辛くなる毎に腹回りのプヨプヨが恨めしくなってきた。我ながら情けなかったけど、自業自得だから仕方ない。30km過ぎからは、走ったり歩いたりが続いた。
しかし、ラスト2kmだけは最後の力を振り絞って走った。
そして、ついにゴール!
上の写真は、ヨシノちゃんがゴール付近で撮ってくれたもの(ヨシノちゃん、ありがとう!)。
気になるタイムは、グロスで6時間05分、ネットで(推定)5時間55分前後。
フルマラソンは3回目の挑戦だったが、なんと自己最低記録。
それなりに頑張ったんだけどなあ。途中で、ミカンやバナナやぜんざいやお餅を食べすぎたのがよくなかったのかも(;^ω^)。
他の変人仲間も、全員見事に完走。僕から見ればすごいタイムなのだが、皆案外ストイックで必ずしも満足していなかったようだ。さすが変人なだけある(苦笑)。
そして夜は、鹿児島市街地の南洲館という豚しゃぶの名店で、ランナーと応援者全員での大宴会。
絶品の熊襲鍋を皆でつついた。鍋もビールも焼酎も、史上最高の美味しさだった。
いやー、皆さん、ホントにお疲れ様でした。そしてすべての旅程の段取りをしてくれたシモさん、ありがとうございました。「ミオちゃんプロジェクト」も決まったことだし、よかったですね(笑)。
ところで、僕のフルマラソン。先日の日記でもチラッと漏らしたように、この菜の花マラソンでいったん小休止しようと思っている。
とはいえ、走ることを辞めるわけではなく、これからはハーフマラソンに専念するのだ。
そして次回フルマラソンは、6年後の2020年に走ることに決めた。東京オリンピックの年であり、僕が還暦を迎える年。できれば、東京マラソンに出場したい。抽選に外れたら、(寄付をして出場する)チャリティー枠に申し込もうかな。……お金貯めなきゃ(^^ゞ。
いずれにしても「走る」っていうのは、シンプルだけど、お金もかからない素晴らしいスポーツだ。これからも地味にコツコツと、無理をしない程度に走り続けることにしよう。
さあ、新しい週の始まり。まだ足腰の痛みは取れていないが、がんばってヨタヨタ歩きながら行ってきます!
<追伸>
Facebookでは、多くのみなさんに「いいね!」や「がんばって!」や「おつかれさまでした!」のご声援やねぎらいの言葉をいただきました。どうもありがとうございました<m(__)m>
いざ出陣っ!
2014年1月10日 (金曜日)
本日は、お昼の新幹線で大阪入りする。
これはお仕事が目的。
大阪でのお仕事が終わるのが夜の8時ころ。
そのあと東京には戻らずに、伊丹空港に向かう。
ここからがプライベート。
というか、勝負の始まり。
翌朝の飛行機で、鹿児島まで行くのである。
目的は、これだ。
そう(・_・;
以前の日記でも書いたが、鹿児島県指宿市で開催される「いぶすき菜の花マラソン」に出場するのだ。
この年始のクソ忙しいタイミングに、わざわざ鹿児島まで出向いて42.195kmを走るだなんて、相当な変人である。
でも変人は僕だけではない。
変人仲間の老若男女たち8名が、徒党を組んで鹿児島に集合することになっている。
東京からだけではない。なんと新潟からも変人オヤジが参加する。
一体全体、どんな展開になることやら。
ラン後は大宴会になることだけは間違いなさそうだけど(苦笑)。
僕にとってフルマラソンは、人生3回目の挑戦。でも、実は今回の大会をもって最後の挑戦にしようかと思っている。
その理由はまた今度。
では、3泊4日の出張準備を整えて、いざ出陣だっ!
次長昇進おめでとう!
2014年1月9日 (木曜日)
昨夜は、長年お付き合いいただいている僕の母校のキャリアセンター職員の昇進祝いを行なった。
お名前はSJさん(いちおうイニシャルで書きますよw)。
SJさんとは、僕がパフをつくる前からのお付き合い。もう18年になる。そのときはまだキャリアセンター(当時は就職課だったかな?)に着任されたばかりのときだったと思う。当然ヒラだ。
僕がパフを立ち上げて以降は、SJさんとのお付き合いはより親密になる。僕が学生向けに実施していた「うまれよ塾」もよく見学していただいたし、パフの初期のころの劇場型イベントである「キミは就職できるか」の企画にも携わっていただいたりしていた。
そして僕のほうも、学内のセミナーやイベントを「パフの仕事として」会社設立以来ずーっとお手伝いさせてもらっている。
そんなSJさんがこのたび(1月1日付で)、課長から次長に昇進した。3年前に課長に昇進したばかりだったので、異例のスピード出世である。これは長年付き合っている僕としてもとても嬉しいこと。
SJさんは、あるべきキャリア支援の在り方を日々追求しておられる方。大きな裁量を得たことで、これからますますいろんなことを変革していけるのではないだろうか。
以下の写真は、昨夜お祝いを行なったお店(五反田のUOKINさん)の前で撮ったSJさんとのツーショット。
僕は年相応に老けたけど、SJさんは18年前とあんまり変わってない。紅顔の美少年なのである(笑)。
SJさん、あらためておめでとうございました。これからもよろしくお願いしますね!
さて、今朝はまだ雨が残っている。夜はかなり冷え込むそうだ。雪が降るのかな?
マラソンも近い。雨にも寒さにも負けず、ウォーキングで行ってきます!
優秀な高校生に、劣等生だった元高校生が講演する?
2014年1月8日 (水曜日)
自慢じゃないが、僕は高校時代ダメダメな男だった。
家を出て下宿してたのをいいことに、学校に行くのはいつも2時間目からだし、授業中はずっと寝てるし、下宿では朝まで下手なギターを掻き鳴らすし、お酒は呑むし、タバコは吸うし、挙句の果ては下宿屋のオバサンを怒らせて部屋を追い出されてしまうし……。
もちろん高校時代の成績は最悪。下から数えたら東大に合格するくらいの順番だった(ほんと自慢じゃないですね、苦笑)。
こんな「丸出だめ男クン」の元高校生が、ひょんなことから現役高校生を相手に講演を行うことになった。
とある大手進学塾からの依頼なのだが、大学受験を終えたばかりの生徒さんたちに向けての講演。「大学に入学したとたん目的を見失ってしまいがちな生徒たちに、次なる目標を持たせてあげたい。縁あってうちの塾で学んだ生徒には立派な社会人を目指してほしい。そんな願いを込めて彼らを大学に送り出してあげたい」という塾側の意向だ。
僕はもともと人前で話すのは好きではないし得意でもないのだが、この塾の趣旨には共感するし、せっかくいただいたご縁をお断りするのも忍びない。
ということで引き受けたのはいいのだが、さて困った。高校生向けの講演なんて、いままで経験したことがない。
実はこの正月もネタを探そうと思って、高校生がよく読んでいるという「進撃の巨人」や「ONE PIECE」を手に取ってみるのだが、なかなか辛くて読めない。
困った挙句、開き直って以下のような講演ストーリーを考えて、塾の担当者にぶつけてみた。
●ボクの暗黒の高校時代
・酒とフォークソングに逃げていた劣等生が、片思いの女子大生に勧められて大学受験を決意
・しかし受験の結果は……
●孤独で貧しかった浪人時代
・単身上京。どうせならイチバン難しい大学に入ってやる!
・夏休み前の共通模試で全国4位に♪
・受験料と入学金を稼ぐことに集中した夏休み
・しかし受験の結果は……
●いろんなことに熱中した大学時代
・人形劇、居酒屋、はとバスの車掌、そしてリクルート
●みんなからバカにされたボクの就職
・社員10人の誰も知らない小さな会社
・そこは、チンプンカンのコンピュータの世界だった
●そんなボクが会社を創業。今では企業の採用コンサルタント
・振り返れば、ぜんぶのことが無駄ではなかった
●そんなボクだからこそ、みんなに伝えられること
●最後に贈る言葉。「うまれよ!」
—————————————
てな感じだ。
「いろいろ考えたんですが、偉そうな話は性に合わないので、自分のダメだった高校生の頃を晒したうえで、でも、大学に入って以降は、熱中できるいくつかのチャンスや人に巡り合い、その経験と出会いが、いまの自分の基礎を作り上げてくれたんだっていうこと。あのころの自分がいたからこそ、いまの自分がいるんだっていうことをお話ししようと思います」
とお伝えしたのだが、さて、OKとなるか、「いや、それはさすがに…」となるか。
実際の講演はまだ少し先なので、最近の高校生のことをちょっと研究してみようかな。
さて、本日は早朝会議が終わったら西日暮里のお客様のところに表敬訪問する。西日暮里は「孤独で貧しかった浪人時代」の僕が住んでいた町(根津・千駄木)の隣町でもある。
では18歳の頃を思い出しながら、行ってきます!
やったぜベイビー、カモンベイビー!
2014年1月7日 (火曜日)
昨日は2014年の仕事始め。
社長(って僕なんですが)の年頭の挨拶が終わり、皆、自席に戻りそれぞれの仕事を始めていた。僕と数名は会議室で打ち合わせを行なっていた。
そのとき突然、執務室に飛び込んできたお客様。
たぶん、パフ創業16年間でもっとも若いお客様ではないだろうか。
名まえは伊蕗(イブキ)ちゃん。年齢は0歳2ヶ月。
20年後に成人式を迎える予定のうら若き女の子だ^^。
記念に、写真を撮ってもらった。
イブキちゃんを抱えているのがパパ。その右隣がママ。そして能天気にピースをしているのが、イブキちゃんがこの世に生まれるキッカケ(つまりパパとママが出会うキッカケ)を多少なりともつくった僕(笑)。
仕事始めのオフィスに、超若者の来訪があった昨日。こいつは春から縁起がいいね!
さて、本日は始動2日め。午後からは、キャリぷら東京で会議。そのあと引き続き、NHKの記者の方からのご相談をキャリぷらでお受けすることになっている。
この記者は、昨年の春パフに入社したばかりの新人たちを、夜のNHKニュースで取り上げてくれた人だ。
今度は、職サークルやキャリぷらを取り上げてくれると嬉しいんだけどな。
では、朝食後、寒さに負けず行ってきます!