なかなかいいね宮沢りえ
2017年3月21日 (火曜日)
愚か者名古屋本部長のこの(↓)ブログを読んで興味をもった。
映画「湯を沸かすほどの熱い愛」
一昨日、お墓参りの帰り道、計画を変更して急きょ有楽町のミニシアターまで観に行った。定員60席ほどの小さな小さな劇場だ。
そうか、そうきたか。
いろんな批判もある映画のようだが、僕としては近年のどの映画よりも高い評点を与えたい。
その理由は言うまでもない。宮沢りえの演技力だ(プラス杉崎花の演技にも痺れた)。
いや、演技力という言葉を使うことすら躊躇させるほどの、迫力溢れる主人公と一体化した姿だった。
そして偶然だが、昨夜のTBSドラマ『LEADERS 特別編 ディレクターズカット』を観た。ちょうど3年前に2夜連続で放映された『LEADERS リーダーズ』の総集編のような番組だ。
その中で、宮沢りえが演じていた重要な役柄と、一昨日の映画が思わずシンクロしてしまった。
時代も主題もコンセプトもまったく違う、何の関係もない二つの作品なのだが、宮沢りえを通して「女の強さ」というものを強烈に感じた。
宮沢りえ。すごい女優だ。
少女時代は天衣無縫な可愛いだけの女優(モデル)だった。しかし後に、大関、横綱へと上り詰めていく貴乃花と婚約した直後に(大人たちの勝手な都合で)破局させられたあたりから、彼女のスケールは格段に大きくなっていった。
「北の国から ’95 -秘密-」の宮沢りえは、実にせつなく、可愛く、哀しく、美しかった。嗚呼、シュウちゃん(*´Д`*)。
僕は、この「北の国から」を境にして、宮沢りえの見方が全くと言っていいほど異なってきた。貴乃花との破局と言うのは、おそらく彼女にとってとても辛く厳しく理不尽な出来事だったと思うのだが、それが彼女を余人をもって代えがたい名女優へと導いていったんだと思う。
まさに塞翁が馬。プランドハップンスタンスなんだろうな。
関係ないけど昨夜の『LEADERS リーダーズ』。倒産が目の前に迫ったアイチ自動車を馬鹿にして見捨てようとした西国銀行の名古屋支店長( 吹越満)が、日銀の支店長(香川照之)から追い出されて恥をかいたシーンは痛快だった。
・・・と、脈絡のない連休明けの日記、失礼しました。
さて、本日は寒い。冬に逆戻りだ。足早なウォーキングで行ってきます!
明後日の仕事
2017年3月17日 (金曜日)
採用シーズン真っ盛り。
社員たちは今とても忙しい毎日を過ごしている。
パフのこの3月の売上は、(年間で最も低かった)昨年の10月の売上の約20倍。2倍じゃなくて20倍。どんだけイビツなんじゃい!というくらいに偏った売上構造だ。
毎月が3月だったら真面目にビルくらい建ちそうだけど、その前に社員たちが倒れるな(苦笑)。
そんな忙しい3月だけど、僕は現場の仕事にはほとんど携わっていない。現場の仕事が「今日の仕事」とするならば、僕の仕事はいわば「明後日の仕事」である。
今日と明日の食い扶持は社員たちが懸命に稼いでくれている。その間に僕は明後日のために土を耕し、種を蒔いている。すべての種から芽が出ることはないだろうし無駄もたくさんあるだろうけど、蒔いた種にはせっせと水をやっている。たまに酒をやることもあるけど(笑)。
今日の仕事は大変だけど、目の前に仕事がたくさんあるっていうことは幸せだ。さらに明日の仕事が用意されていると、精神的にも安定・安心する。
でも、社員全員が今日と明日の仕事だけやってると、会社はくるくる回るだけで先に進まないハツカネズミになってしまう。
そんなわけで今日の仕事を懸命にやってる社員に支えてもらいながら、僕は明後日の仕事を今日もやるのでありました。
・・・と、分かったような分からないようなことを書いたところで、行ってきます!
自分のランニングを振り返る(東京マラソン写真集)
2017年3月16日 (木曜日)
昨夜、帰宅したらこんなものが届いていた。
そうだ、そうだった!
東京マラソンのオリジナル写真集を勢いで申し込んでいたのだ。
自分が写っている写真が数十枚CDに収録されている。
写真だけではない。スタート地点、10km地点、20km地点、ゴール地点での動画も収録されている。
早速見てみた。
いやあ、笑えるやら情けないやら、なんだか自分が可哀想になってきた(笑)。
何点かピックアップして、本日の日記にも収録しておきましょう。
そして、ゴールの写真がこれ。
さて、僕はどこにいるのでしょうか。暇な人は拡大して見つけてみてください。当たったら生ビール一杯おごりましょう(笑)。
おっと写真のアップに時間がかかってしまった。本日はここまで!
では、ウォーキングで行ってきます!
ホワイトデーの贈り物
2017年3月15日 (水曜日)
昨日はホワイトデーだった。
朝、パフ随一のお姉キャラとして有名なコバやんが、手作りのお菓子を女性メンバーに配っているのを見て思い出した。僕もおこぼれを頂戴したのだが、これがなかなかイケる味。さすがコバやん。
僕がたまに机の隅っこを間借りしている経理担当者から「あなたはちゃんと買ったの?お返ししなきゃダメでしょ!」と詰められて、そうだよなあとしばし反省。
ということで、昼休みになるや否や、会社を飛び出した。
向かった先が、銀座コージーコーナー。
で、買ったのがこれ!
合計20個のシュークリームをデカい化粧箱に詰めてもらって会社に持ち帰った。
現在パフの女性スタッフは、新卒採用シーズンに合わせてアウトソーシング業務をテキパキこなしてくださる主婦の方々が過半を占める。ボやっとした男性社員の何倍ものパフォーマンスを発揮している。
そんな女性スタッフの皆さん(プラスお菓子を朝くれたコバやん)に感謝の意を込めたシュークリーム。喜んでいただけたようでよかった(*^^)v
バレンタインデーだとかホワイトデーだとか、正直めんどくさいと思うこともあるが、こういうちょっとした贈り物を、恥ずかしがりやの僕でも堂々とできる機会だと捉えれば悪くない。
年に1回だけとはいわず、たまには外からお土産を買ってきましょうかね。忘れたころに(笑)。
さて、今朝も寒い。冬に戻った感じだ。でも雨は止んだようなので、いつものウォーキングで行ってきます!
日記ネタがみっつあった日
2017年3月14日 (火曜日)
昨日は日記ネタにしたいことが三つあった。どれを書こうか迷ったが、あとで読み返したときのために三つとも書き留めておこう。
①社員と元社員の子供たちが遊びに来てくれた日
ここのところ、社員&元社員たちの出産ラッシュである。
昨日は、室蘭で蕎麦屋さんを経営している元社員オオノが遥々子連れで遊びに来てくれた。昨年の11月に生まれたばかりでまだ4か月。
ちょうど同じタイミングで4月から育休を終えて復職するヒラハラも子連れで(復職後の仕事の打ち合わせで)来ていた。こちらは昨年の6月生まれなので9か月かな。
いわば僕にとっては孫みたいなもの。いやあ、可愛かったな。
②昔、のろで働いていた人から突然電話がかかってきた日
釘さん日記読者にはおなじみの「のろ」。パフ創業時からずっとお世話になってきた新富町の昭和情緒たっぷりの小さなスナックである。
ちょうど昨年の今ごろ、僕らのことをとても大事に想ってくださっているママが交通事故に遭ってしまった。そのときの日記がこれ。⇒ のろママ、早く元気になってね!(2016年3月18日)
ネットで「新富町のろ」で検索すると、この記事が最初に出てくるらしい。
昨日、昔(1980年ころ)のろで働いていたという男性の方から僕宛に電話がかかってきた。昔が懐かしくなって「新富町のろ」で検索したところ僕のこの記事が出てきて、ママが交通事故に遭ったことを知ったのだそうだ。安否を気遣うあまり僕のところに電話をかけてくれたという。聞けば、この男性の方は僕と同い年。岩手が実家の方なのだが、20歳前後の若いころは築地市場で働いており、夜は、のろでも働いていたのだそうだ。
岩手の〇〇さん、ママはすっかり元気ですよ~(^^♪ つい2週間ほど前、日記に載せた写真を再掲しますね(*^^)v
③大分で知り合ったオヤジたちとの採用&教育談義
4年ほど前、大分県からUIターンを促進させるための仕事を請け負ったことがある。この日の日記に書いてある。⇒ どぶ板営業in大分が始まる日(2013年7月23日 )
この仕事がきっかけで親しくなった地元大分県の有力企業オーイーシーの採用責任者と、九州大学のキャリアサポートの職員の方にお誘いいただき、銀座であれやこれやのオヤジ同士の語り場が繰り広げられた。
三人ともほぼ同年代。三人とも音楽好き。三人とも若者の育成に一家言を持っている。そりゃあ話も盛り上がるというものだ。昨日は美味しいお酒で締めくくることができたのだった(*^^)v
さて、本日は朝から雨。日記ネタはあるのだろうか……。
では、きょろきょろとネタを探しながら行ってきます!
自分のランニングを振り返る(7)
2017年3月13日 (月曜日)
富士山マラソン以降も、いろんなマラソン大会に出場した。
手元に残っている完走証・記録証を貼り付けてみよう。
2013年12月の袋井クラウンメロンマラソンの35㎞地点くらいじゃないかと思う。へばってた山田さんを励ましながら走っていたのだ(笑)。
いま手元にはないが、上の大会のほかにも毎年5月に多摩川沿いで開催されるチャリティーマラソン(パラカップ)にも、ほぼ毎年出場している。
皇居をリレーで5周するマラソン大会を自分たちで企画したこともあった。あれは楽しかった。あ、あった。これだ⇒「第一回大人たちの・・・駅伝大会」無事終了!
ナゴヤドームで名大社チームとディスコチームとパフチームの3社対抗のリレーマラソンをやったのが一昨年。パフの圧勝だったな、たしか(*^^)v 見つけた。これだ⇒ 勝てば官軍(アクトス42.195kmリレーマラソン詳報)
こうしてみると、いろんなランをやってきたんだなあ。それぞれにそれぞれの思い出がある。
・・・と、今回はぜんぜん総括にならなかったので、最終回はまたあらためて書こうかな。
では、またそのうちに!
自分のランニングを振り返る(6)
2017年3月10日 (金曜日)
2011年2月に神奈川マラソンでデビュー。そして、いびがわマラソンに出場したのが2011年11月。
デビュー戦のときは苦しみでしかなかったマラソンが、2回目のいびがわマラソンでは完走後なんだかとても爽やかな気分になっているのが分かった。
本大会のときだけでなく、日頃の練習の後も爽やかな気分で、ご飯やお酒がとても美味しくなった。よく食べよく飲むのだが、日ごろ走っているので太ることを気にすることもなくなった。
いや、太るどころか腹回りもずいぶんと小さくなった。中性脂肪やコレステロールの値も、一年前と比べびっくりするくらい改善していた。久々に会う方々からも「あれ?釘さんずいぶんとスッキリしたねー」と言われるようになった。
こりゃあいいぞ。
ランニング効用を実感できるようになっていた。
でも、僕の体力では、まあせいぜいハーフマラソンまでが限界だろうと思っていた。フルマラソンなんて絶対に無理だと思っていた。
なのに、なぜかわずか一年後、フルマラソンに挑戦することになってしまった。
なぜだったかよく覚えていない。
名大社の山ちゃんにそそのかされたのか?
キーカンパニーの下さんに巻き込まれたのか?
いや、なんか違う気がする。
中性脂肪やコレステロール値の低下とともに、僕の記憶力もこのころから低下してしまったようだ(笑)。
ともあれ、一年後の2012年11月25日、僕は富士山マラソンに出場した。
出場前は自分でも感心するくらいよく走り込んでいた。
そして見事、完走することができた。
タイムも5時間47分で、初フルマラソンとしては(いま考えれば)上出来だった。
なにより間近に見える富士山がとても美しかった。ハーフマラソン以上の達成感があった。
この日のことは日記にも書いてあった。⇒ 富士山マラソンを完走した日 2012年11月26日 (月曜日)
でも、ラン後の体はボロボロで、一週間くらいはまともな歩行ができなかったのにはマイッタ(^_^;)。
(このシリーズも飽きられてきたので、そろそろ終わることにしましょうかね…)