熊本の皆さんに、心よりお見舞い申し上げます
2016年4月15日 (金曜日)
僕の出身地は熊本県である。熊本(八代市)で生まれ、5歳までを日奈久や人吉で過ごした。その後、熊本の隣、阿蘇山を越えたところにある大分県の湯布院に引っ越した。
なので熊本には今でも親戚が大勢いるし、熊本で暮らしている仲のいい友人たちもいる。
10年ほど前までは、熊本市内の某企業の採用コンサルティングを引き受けていたこともあり、毎月一回は足を運んでいた。
昨年の秋には、仲のいい従兄が暮らす熊本市内の家に遊びに行き、天草などにも行った。熊本大学でセミナーを実施したり、熊本市内の友人たちとミニ同窓会を行ったのは一昨年のことだった。
そんなこともあり、昨夜突然襲った震度7の地震は、他人事ではなかった。
すぐに主だった親戚、知人、友人に連絡を取った。
ネットが普及しているおかげで、メール、SMS、Facebook、Twitter、LINEなどで連絡を取り合ったり、状況を知ることができた。
幸い僕が連絡した方々は、みな無事だった。
無事が確認できて安心はしたのだが、激しい余震が続いており、皆とても怖いと言っていた。まだまだ油断はできない。不安な状況で暮らす友人たちのことを思うと心が痛む。
熊本で暮らす皆さんに、あらためてお見舞い申し上げます。
しばらくは余震が続くようですが、くれぐれもお気を付けて。一日も早く、通常の暮らしに戻れるようになることを願っております。
「てるてる家族」と「とと姉ちゃん」
2016年4月14日 (木曜日)
朝7時15分~7時45分の30分間は、僕にとってのゴールデンタイムである。
NHK BSプレミアム。朝7時15分~30分は昔の朝ドラの再放送をやる時間枠。その直後の朝7時30分~45分は現在の朝ドラを総合テレビに先駆けて放映する時間枠だ。
つい先日までの再放送枠は「どんど晴れ」。その後は、ご存じびっくりぽんの「あさが来た」だった。
で、先日から始まったのが「てるてる家族」と「とと姉ちゃん」。
とと姉ちゃんはまだ、すごく面白い、という段階までは来ていないが、これからの展開に期待している。
で、とと姉ちゃん以上に楽しみにしているのが「てるてる家族」。
2003年秋から2004年春にかけて放送されていたドラマなのだが、僕がNHK朝ドラにはまり始めたのは、この「てるてる家族」からだった。
まあ、なにしろ面白い。ミュージカル仕立ての軽快なテンポで物語が進展していく。毎日、朝が来るのが楽しみだった。
あ、そうそう。石原さとみの実質的なデビュー作でもある。当時彼女は16歳~17歳のあどけなさの残る少女。「きっと将来はすごい女優に成長するだろうな~」と思いながら見ていたものだ。
てるてる家族は多用している音楽の著作権の問題で、DVD化が難しかったと聞く。なので、この13年ぶりの再放送はとても貴重なのだ。録画して永久保存版にしようと思っている。
おっと、そろそろいい時間。視聴態勢に入らなきゃ(^^ゞ。
では、てるてる&朝食&とと後、行ってきます!
出席率の高い説明会
2016年4月13日 (水曜日)
昨日の名古屋出張は、某M社の会社説明会におけるパネルディスカッションのファシリテーター役を務めることが目的だった。
このファシリテーターという仕事、会社設立2年目くらいから数多く引き受けているパフの伝統的&特徴的な仕事だ。独立して専業にしている元社員もいるくらい。
僕も昔は数えきれないくらいやっていたのだけど、最近はめっきっり少なくなった。見せる対象は学生なので、やっぱりファシリテーターは若いほうがいい。
で、話は昨日のM社の説明会。
M社は採用人数300名超の会社で、説明会も全国の主要都市で何十回も開催することになる。そのすべての説明会をパフがお手伝いしているわけなので、ファシリテーター役も人手不足。ということで、僕も何回かの説明会(主に東京以外での開催分)を引き受けている、というわけだ。
今年もすでに、大阪2回、福岡2回を引き受けた。そして昨日の名古屋が午前と午後で2回。総計6回の説明会を担当したことになる。
びっくりなのが、学生の出席率の高さ。M社は大企業ではあるのだが、BtoBの会社なので、有名なわけでも人気が高いわけでもない。にもかかわらず、毎回90%を超える出席率なのだ。
なかでも、福岡での事務系向けの説明会は100%。昨日の名古屋の午後の回(やはり事務系向けの説明会)も100%の出席率だった。
学生の売り手市場と言われる2017年の就職・採用戦線なので、学生のドタキャンや無断欠席が増えても不思議ではないのだが、この高さはいったいどうしてなんだろう。
ファシリテーターが僕だから?
いやいや、それは関係ないね(笑)。
まあ、とても喜ばしいことなのでいいのだが、他のお客様がすべてそういうわけではないので、(もしマネできる出席率向上の施策があるのなら)突き止めてみたい。
来週は仙台、再来週は札幌で、それぞれ2回ずつの開催が予定されている。引き続き、多くの学生諸君が参加してくれることを期待する。
さて、本日は、障がい者雇用支援を専業とするパートナー企業が開催するセミナーに丸一日参加する。参加者の多くは企業の人事担当者。無断欠席やドタキャンがないことを願う(人事担当者って結構平気でブッチするんだよねw)。
では朝食&面白くなってきたNHKの連ドラを観てから行ってきます!
急いで名古屋に行かなくちゃ!
2016年4月12日 (火曜日)
僕の体内時計はかなり正確だ。
就寝時間が早かろうが遅かろうが、毎朝ほぼ同じ時間に目が覚める。
この季節の僕の起床時間は午前5時50分。
前日、飲み過ぎて午前様になっても、目覚まし時計をセットし忘れていても、午前5時50分が近づくと目が覚める。
でも、今朝は午前5時27分に目が覚めた。
本日はこれから、午前6時50分の新幹線に乗って名古屋に行かねばならないのだ。
なので昨夜就寝時に、明日は5時半に起きなきゃ!と思って床に就いたのだった。目覚まし時計も午前5時30分にセットして。
すると僕の体内時計は、その目覚ましよりも3分早く僕を起こしてくれた。これはすごいね。
ということで、今朝は悠長に日記を書いている場合ではない。
きょうの朝ごはんは新幹線の中で。
では、至急着替えて、東京駅まで行ってきます!
釘さん完全復活す。
2016年4月11日 (月曜日)
歩けないくらいの腰痛に見舞われたのが2月上旬。
あれからまる2か月が過ぎたのだが、ついに昨日で完全復活。
マラソン大会に出場できるまでに回復した。
昨日参加したマラソン大会はパラカップ2016。
多摩川の河川敷を走るのどかなチャリティーマラソンで、若者だけでなく、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、そして小さな子供たちも。
まさに老若男女が楽しめる大会だった。
ま、僕も年齢的にはおじいちゃんに近いのだけれど(´・ω・`)。
ところで、ランニングと並行して、最近は週末にミュージックスクールに通っている。
なかなか上達している実感がなかったのだが、一昨日のレッスンでは何かをつかめたような気がする。
次回ライブでは、財津和夫や小田和正を原曲でカバーできるようになった釘さんを披露したいものだ(笑)。
55歳と5か月を迎えた春。ランも歌もまだまだ発展途上なのだ(^O^)/
さて、本日は季節が逆戻りして寒くなるらしいが、気分は春のままウォーキングで行ってきます!
カリスマが去ったあと
2016年4月8日 (金曜日)
昨日の午後、流通業界、いや、世の中全体に衝撃が走ったのではないだろうか。
コンビニを日本に生み出した偉大な経営者である鈴木敏文さんが、セブン&アイ・ホールディングスの会長職他グループの全役職を退任する、と発表したからだ。
僕はよく学生にキャリア論(みたいなこと)をレクチャーする際、鈴木敏文さんのキャリアを例にとって話すことが多い。
鈴木敏文さんは若いころマスコミを志望していた学生だったのだが、結局はどこのマスコミにも入社することができず、書籍流通の会社に入社した。その後、イトーヨーカドー創業者である伊藤雅俊さん(現名誉会長)に見出されて転職。鈴木敏文さん30歳の時だ。そしてイトーヨーカドーの子会社として、(経営幹部の誰もが反対したと言われる)セブンイレブン1号店を豊洲で開店するわけだが、そのとき鈴木敏文さんはすでに40歳だった。
学生のころの鈴木敏文さん自身、まさか自分が数十年後、流通業界のカリスマと呼ばれるようになろうとは露とも思わなかっただろう。まさにキャリアは計画・予測することのできない偶然の産物なのである。
また僕の学生時代の恩師は、セブンイレブンが飛躍するうえでの重要な要因となったポスレジを活用したマーケティング戦略に深く関与していた。そんなこともあって、学生時代のゼミの友人の何人かはイトーヨーカ堂にコネ入社していた。
今でも僕にとってセブンイレブンは身近な存在。朝か昼か夜か。必ず一回はお店に立ち寄る。パフのビジネスとしても、同社の新卒採用を一部お手伝いさせていただいている。
そんなわけで、昨日のニュースには僕自身とてもびっくりしたし、舞台裏ではどのようなことが繰り広げられていたのか気になる。いや、それ以上に今後のセブンイレブンをはじめとするセブングループがどのような変化を遂げるのかとても興味がある。
いろいろと思うこともあるのだけれど、ちょっと書きづらいのでこのくらいで。
今朝は、今後のセブンさんの健闘を祈りつつ茅場町のセブンイレブンに立ち寄って100円コーヒーを買うことにしよう(^.^)。
では、そろそろ朝食後、行ってきます!
キミはプロの仕事をしていますか?
2016年4月7日 (木曜日)
ここ10年くらいのIT音痴の僕しか知らない人は信じないかもしれないが、僕は昔システム設計やプログラミングの仕事をしていたことがある。
大学を卒業したばかりの23歳から34歳くらいまでの10年ちょっと。PC9801とか、FM11とか、FACOM9450とか、IBM5550とか、YHPとかのパソコンを駆使しながら……。
28歳以降は専らシステムの企画や仕様書の作成だけになってしまったが、それまではシコシコ&バリバリと自分でプログラムを組んでいた。
お客様は大手メーカーの技術屋さんが中心で、僕が組んでいたプログラムは、技術者たちが自社製品の開発や品質検査で利用するシステム。2~3人月で組みあがる小規模なものが多かったのだが、なかには半年くらいかけて開発する1千万円超のものもあった。
で、いま考えると恐ろしいことなのだが、入社した2年目から、当時の会社が受注したパソコンのシステム案件に関しては、すべて僕が責任者(プロジェクトリーダー)を務めていた。そして部下(プロジェクトメンバー)は、全員が学生アルバイトまたは新入社員。コンピューターには興味も関心もない素人だった僕が、僕以上に素人のメンバーとプロジェクトを組んでクソ難しいシステムを開発していたのだ。絶体絶命のピンチもたくさんあったけど、よくもまあ逃げ出さずにやったものだと思う。
そしてシステムには不具合がつきもの。だいたい一発では思ったように動かない。
いわゆるバグ(プログラミングミス)の場合もあれば、自分の設計ミスの場合もある。そもそもの、お客様(発注者)の要求仕様が間違っていることもある。
バグの場合はこっち側の問題なので、平謝りに謝ってすぐに修正すれば(そして最終納期に間に合えば)大きなトラブルにはならない。
でも厄介なのは、お客様の要求仕様が間違っていた場合。根本の間違いなので最初からシステムを組みなおさなきゃいけないことだってある。倍の料金を要求しないと採算が取れないこともある。
しかし、だいたいお客様というのは自分のミスは認めたがらない。
「そのくらいの間違い自分で気づいてよ。常識で考えたら分かるでしょ?あなた、アタマ付いてるんでしょ?」なんて開き直られたこともある。
僕も最初のころは、そんなお客様にずいぶんと煮え湯を飲まされていたし、ムカついていたし、殺意を覚えたこともある(冗談ですよw)。
でも、少しして浅はかな自分に気が付いた。
お客様の言うことは絶対ではない。言われたことを言われたまま、何の疑いもなく盲目的に従うのはプロの仕事じゃない。そして、そんな仕事はクソ面白くもない。
(要求されていることは)本当にそうなのか。それがベストなのか。もっといい方法はないのか。このシステムで実現しなきゃいけないことは、そもそも何なのか。
時として喧嘩(というか遠慮のない喧々諤々の議論)をしてでも、お客様の間違いを指摘して、エンドユーザーにとってよりベターなシステムを開発して、結果としてお客様(発注者)に喜んでもらうこと。それこそがプロとしての仕事なんじゃないか。そのためには自分自身がお客様のアタマと気持ちになって、これから開発するシステムのことを深く真剣に考えなきゃいけないんじゃないか、と。
てなことを、プロ気取りで生意気な20代のころの僕は考えていたわけです、はい。
・・・と、ふと自分の昔の自慢話をしたくなった朝でした。でも、少し盛りすぎたかな(笑)。
では、七転八倒&四苦八苦して働いている社員たちへのおやつを(昨夜、珍しく福岡の出張土産として)買ったので、ぶら下げながら行ってきます!