パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

あっサザエさんだ!と思った日

2009年11月15日 (日曜日)

サザエさん。毎週、日曜日の夜6時半から放映されている長寿アニメだ。僕が初めてこのアニメをテレビで観たのは、高校を卒業して東京に出てきたとき。1979年のころだった。

東京では1969年からフジテレビで放映が始まったらしいのだが、僕が住んでいた九州では放送はなかったのだ。

だから僕にとってのサザエさんというのは、アニメ版ではないのだ。実写版のサザエさんなのだ。

サザエさんを演じていたのは、江利チエミ。わっかんないだろうけど、あの江利チエミなのだ。高倉健の奥さんだった人だ(余計わからないかな?)。三人娘なのだ。

その、実写版サザエさんを、きょうなぜか知らないが、フジテレビがやっていた。思わず、食い入るように観てしまった。

時代背景は、1970年だという。うわー、懐かしい。

サザエさんを演じていた観月ありさ、なかなかいいじゃないですか。

それ以上に、お舟さんを演じていた、竹下景子。もう、そんな年なんですね。

万博のシーンや、アポロ11号のシーンなんかも出てきた。

なんだか懐かしさと切なさが入り混じった、妙な感覚だ。

でも、こういう番組は、50年経っても100年経っても、どんどんリメイクしてもらいながら語り続けてもらいたいな。

真剣勝負に声援を送った日

2009年11月14日 (土曜日)

先日の日記で、コマツ女子柔道部の練習を見学させてもらったことを書いた(⇒ 「一本柔道」を見学させてもらった日)。

この日の日記でも書いたように、きょうはコマツ女子柔道部の選手も多数出場する、講道館杯(全日本柔道体重別選手権大会)の日。

なんと光栄なことに、僕もこの大会にご招待いただいた。

チケットを2枚頂いたので、社員のなかで、もっとも武道への理解があると思われる、新入社員のオオノを連れていくことにした(実は彼女は、剣道の達人なのである)。

千葉駅でオオノと待ち合わせして、タクシーで会場の千葉ポートマリーナに向かった。

会場に着くと、すでに一回戦の試合が始まっていた。

全部で7面の試合場。48Kg級、52Kg級、57Kg級、63Kg級、70Kg級、78Kg級、78Kg超級の、7つの階級ごとに試合場が分けられているのだ。

なかなか壮観である。

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僕とオオノは、コマツの応援席に座らせてもらい、コマツの社員・家族のみなさんと一緒に、選手たちを応援した。

コマツの選手は、52Kg級を除くすべての階級に出場していたのだ。

応援団の方々の力強いリードのおかげで、応援席の僕たちも、拍手・手拍子・声援を照れることなく送ることが出来た。

いやー、それにしても興奮したなぁ。

先日、目の前で練習していた選手たち、しかも色紙にサインを書いてくれた選手たちが、こんな大きな大会で戦っている。一度会っただけなのだが、なんだか自分の家族が戦っているような気がするから不思議なものだ。

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まさに、手に汗握る試合が、延々と繰り広げられていった。

 

朝10時過ぎから観戦し始めて、すべての試合が終了したのは、午後4時半過ぎ。

なんと5時間以上も、柔道の試合だけを見続けたことになる。

ここまで柔道漬けになったのは、僕が柔道をやっていた中学生の時以来だ。

そして声援の甲斐あって、コマツ女子柔道部の選手の多くが入賞した。

なかでも嬉しかったのが、57Kg級の宇高菜絵選手の優勝

決勝戦で、強敵の松本薫選手(帝京大学4年)を、得意の大外刈りで投げ飛ばし、鮮やかな一本勝ち。

思わず、「うをおぉぉぉぉぉ!!!」っと、声をあげてしまった。

宇高選手の勝利インタビューにも感動した。本人も泣いていた。今まで、いろんな辛いことがあったのだろう。心から“おめでとう”と言いたい。

他にも、優秀な成績を収めた皆さんはもちろんのこと、残念ながら優勝や入賞を逃した皆さんも、本当にお疲れさまでした。皆さんともに凄かったです。さすがです。尊敬します。また練習を見学しに行きますので、よろしくお願いします。

僕も、35年ぶりに柔道着に袖を通してみたくなったなあ……。やってみるかなあ……。

おい、大月(注:パフで働いているインターンで、大学の柔道部員)!! やるか?

半年ほど前までパフの営業支援をしてくれていたC社のコンサルタントでHさんという人がいる。まだ33歳と若いのだが、その実力たるや恐るべきものがあった。

誰もが理解・納得できる分かりやすい言葉とロジックで課題を指摘・整理し、メンバーの思考を改善策へと導く。決して偉ぶっているわけではない(むしろ極めて謙虚だった)のだが、自然と従いたくなるようなオーラを持っていた。

そんなHさんなのだが、所属する会社C社をこのたび退職することになったという。

皮肉なことに、営業支援を行うはずのC社自身の営業が、折からの不況で芳しくない状態が続き、人を大幅に減らし、業態もシフトすることになったそうなのだ。

そして本日、Hさんが僕のところに挨拶しに来てくれた。

「これからどうするんですか?」

と聞くと、

「はい。自分で営業支援の会社を起こそうと思っています」

と、明るく答えてくれた。

うん。Hさんなら、うまくいくんじゃないかなと思った。

驕りがなく、誠実で謙虚で礼儀正しく、しかも抜群に賢い。

こういう人には、サラリーマンではなく、どんどん起業してもらいたい。途中うまくいかないこともあるかもしれないが、こういう人のことは、必ず誰かが助けてくれる。だから、最後には絶対うまくいく。

Hさん、この数年、とてもいい経験しましたね。これからも起業に向けて、ますます頑張ってください。

そしてそのうち、パフの仕事もまたぜひ手伝ってください。きょうは本当に、わざわざありがとうございました!!

社長たちとの出会いの日

2009年11月12日 (木曜日)

このところ同業種、異業種かかわらず、いろんな会社の社長たちと協業の話をする機会がものすごく多い。

昨日と今日だけでも4社の社長と面談した。そのうち3社の社長は(一対一では)初対談。1社の社長も(そもそも超遠方の会社なので)じっくり話をするのは久しぶりだった。

いま新卒採用ビジネスに関わる会社は、企業の採用抑制の煽りをもろに受けて、各社とも深刻な状況。いままでと同じようなやり方(同じ商材やビジネスモデルでの商売)をしていても、景色は変わらない。そこで社長たちが考えるのは「協業」である。自社の強みと他社の強みを組み合わせることによって、新しい価値を創造することができる。僕もそうだが、日夜、協業できる相手を探している。

僕は自分のことを運のいい奴だと思っているのだが、先週から今週にかけて、さらにその思いを強くしている。まさに「縁」としか思えないような出会いが続いているからだ。

具体的に書けないのが残念だが、やっぱり時代は、「競争」から「共生」であることは間違いない。良縁との出会いに感謝である。

 

社長たちとの面談ののち、青山一丁目のセミナー会場に出かけた。本日は今シーズン第一回目の、パフ中型イベント『パフトーク』の開催日だったのである。

企業5社と学生120名のイベント。前半は企業のパネルディスカッション。後半は企業の方々と学生との交流会である。

僕は交流会の途中まで見学していたのだが、なかなか良い雰囲気だった。

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いよいよ我がパフでも11年度に向けたシーズンが始まった。一方で、まだ10年度の就職活動を頑張っている学生もいる。

両者とも頑張ってほしいな。応援してるからね!

まずは、このオヤジ三人の写真をご覧いただこう。

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左から、本田勝裕(通称ポンタ)氏、辻太一朗氏、僕(釘さん)である。

三人は一歳ずつ年がちがう。

辻さん50歳、僕49歳、ポンタさん48歳。

言うなれば、長男(辻さん)、次男(僕)、三男(ポンタさん)の三兄弟なのである。

この三人は(まあ、僕はともかくとして)、就職業界では古くから活躍する有名人。就職活動を行う多くの学生に大きな影響力を有している。

辻さんも、ポンタさんも、独立した直後に知り合っているので、もうかれこれ10年以上の付き合いになる。

西暦2000年に、僕はこの二人を引き合わせた。パフのイベントの司会をお願いするためだ。この二人(僕を入れると三人)が一緒になると、とてつもない化学変化を起こして、面白いイベントになるだろうと考えたからだ。

その狙いはピッタリあたり、史上類を見ないイベントが出来上がった。

辻太一朗、ポンタ、僕の三人が一緒に司会を行うイベントなんて、いま考えてみると、すごいイベントだ。リクルートだって、そんなイベントは行えないだろう。しかもこの三人は、イベントの中で、コントもどきの寸劇までやっていたのだ。いま考えると、よくやってくれた(無理やりやらせた?)ものだ。

三人が一緒にイベントの司会をやったのは2002年が最後だったと記憶している。三人三様に、それぞれの事業がそれぞれのポリシーのもと走り始め、一緒にバカなことをやるのが難しくなってきたからだ。

 

で、この三人が今夜、とっても久々に集まった。

個別にはそれぞれ会っていたのだが、三人がそろって顔を合わせたのは、なんと8年ぶり。いやー、懐かしかったなあ。

僕は、この二人のことを、『釘さんの素晴らしき100の出会い』というコラムのなかで、かなり詳しく紹介している。

●本田勝裕 ⇒ <第91話> 「PONTA・ポンタの、本田勝裕さん(前編)」

●辻太一朗 ⇒ <第122話> 「アイジャスト の辻太一朗さん」

二人がどれだけすごい人物かということは、このコラムを読むことできっと分かるんじゃないかな。

書いたのが、もう2~3年前なので、二人の(もっとスゴイことになっている)現職については触れていないのだが、「釘さん日記」の読者の皆さんにもぜひ読んでいただきたいと思います。

辻さん、ポンタさん、今夜はありがとうございました。 互いの商売の垣根を越えて、また久々に一緒に面白いことをやりましょう。

同業C社の社長と再会した日

2009年11月10日 (火曜日)

広い意味で同業の、C社という会社がある。同業ではあるのだが、パフとは競合関係にならない特定分野に特化した会社だ。

C社は創業約10年の会社で、僕も注目していた会社だ。僕の古くからの知人(Zさん)が、この会社の創業当初のメンバーでもあったのでなおさらだった。

このC社の採用担当者が、先週開催したパフの採用担当者向けのセミナーに参加していた。

「へー、そういえばZさん元気かなー」と思って、数年ぶりにC社のホームページを覗いてみた。

すると、あら、びっくり。

社長あいさつのページに出てきた顔と名前が、僕の知人のZさんだったのだ。いつのまにかZさんが社長になっていたのだ。

しかもZさんには数年前、新橋でお酒をご馳走になって以来、「じゃあ、今度は僕がお返ししますねー」と言っておきながら、僕はお返しができていなかった。

ということで、きょうは久々に、Zさんに会いに行った。

数年前とは比べ物にならないくらいにビルも大きくなり、社員数も増えていた。新卒者の採用も20名近くを計画している。ビジネスのほうも、C社が特化している分野では、おそらく業界トップだ。すごいすごい。

Zさんとの話も、えらく盛り上がった。

「そもそも僕とZさんって、なにがきっかけでお会いしたんでしたっけ?」とか「最後に飲みに行ったのはいつでしたっけ?」とか、この年ならではの“思い出せない過去”を探り当てる会話が楽しい。

ビジネスでも、今後いい関係が築けそうだ。とても楽しみである。

#Zさん、今度こそは数年前のお返し、させていただきますね。よろしくお願いします!

盟友と議論した日

2009年11月9日 (月曜日)

ただいま深夜3時07分。

盟友I社長はまだ自宅に着いていないんだろうなぁ……。

きょうは夜の10時半くらいからつい先ほどまで、盟友I社長と大真面目な議論をしていた。実に久しぶり。普通なら喧嘩になるんだろうけど終盤は心地よさと愛を感じた(って怪しすぎますかね)。

同じ経営者といえども、大事にしたいと思っていることと、その背景にあるものはまったく違う。理解できる・できないはともかくとして、刺激し合うことの意味は大きい。

ともかくも今夜の議論を反芻しながら、そろそろ床につくことにしよう。