パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうはクリスマス・イブ。多くの若者たちは、ロマンティックな夜を過ごしていることだろう(パーッと騒ぐだけの連中も多いと思うけど)。

そんな聖なる日に、なんと「うまれよ塾」を行なうことになった。

通常は、2週に一度の頻度で行なっているのであるが、今月は、歌手デビューコンサートがあったり、出張があったり、忘年会があったり、夜間の会議が組み込まれていたりで、日程調整が困難を極めた。

しょうがないから12月は1回だけにするかなあ…と思っていたのだが、申し込んでくれる学生諸君が大勢いるということで、やむを得ず、このクリスマス・イブの日に、うまれよ塾を開催することになったのである。

そうはいっても、さすがにきょうはドタキャンが多いだろうなぁ…と思っていたのだが、あにはからんや、用意していた席がビッシリと埋まってしまった。しかも、女性が全体の7割を占めた。

冒頭、参加者全員に、「きょう参加した理由や目的」を発表してもらったのだが、とても嬉しい答えをしてくれた女子学生がいた。

「きょうはクギサキさんに会いたくて来ました♪」

単純な僕は、このひと言で大喜び。

また、遠く名古屋からわざわざ来てくれた女子学生もいた。塾が終わったら終電の新幹線で日帰りするとのこと。頭が下がる思いだ。

「クリスマスイブは、なんか予定が入ってないとカッコ悪いと思ったんで、申し込みました」という、体育会所属の男子学生もいた(笑)。

個性あふれる連中が集まったクリスマスイブのうまれよ塾。なんだか妙に一体感が生まれ、終始あたたかーい雰囲気に包まれた展開となった。

きょうの参加者には、いつかきっと季節はずれのサンタが、“縁”という素敵なプレゼントを運んできてくれるんじゃないかな。

娘と40分間歩いた日

2008年12月23日 (火曜日)

きょうは祝日、天皇誕生日。昨夜の会議が深夜遅くまで長引いたこともあり、寝坊してしまった。

昼食時に自宅にいることなど滅多にない僕なのだが、きょうは珍しく自室でボケッとしていた。

娘は朝から四谷方面に外出しており、昼過ぎに戻ってくるという。じゃあ、久々に家族で外で昼飯を食べようかということになった。

入った店が、月島の超庶民的な定食屋。煮魚、焼き魚、刺身、魚介類の丼ものが安くて旨い。

イカの塩辛や昆布やタクアンが、ふりかけと同じような感覚で、テーブルの上に置いてあり、自由に取って食べていいことになっている。これだけでご飯のお代わりができてしまう。ああ、幸せ。

食べ過ぎてしまったため、「ちょっと散歩してから帰るわ」と、娘と奥さんに告げたら、娘が「買いたい本があるから一緒に豊洲ららぽーとの紀伊国屋まで行こう」という。誘われて、ちょっと嬉しかった。“一緒に行こう”=“本を買ってくれ”ということではあるのだが(笑)。

ということで、片道20分。往復40分の道のりを、娘と一緒に歩くことになった。しかも、まるまる40分間、歩きながらの会話が成立した。

来年は娘も高校3年生。受験生となるわけなので、僕の(30年前の)高校3年生のときの話や、浪人生時代の話とかをした。僕は優等生ではなかっただけに、僕の受験生時代の話は、共感してもらえるんじゃないかという自負がある。情けない自負だけど(苦笑)。

案の定、娘はいろいろと質問してくれた。

どうして東京に出てきたのかとか、予備校はどうやって選んだのかとか、どのような貧乏生活だったのかとか、どんなアパートに住んでいたのかとか、どんなアルバイトで生活費を稼いでいたのかとか……。

娘と映画や演劇を観に行くことはこれまでもあったが、一緒に歩きながら、これだけザックバランな昔話をしたことは初めてかもしれない。

なかなか楽しい、午後のひとときであった。

三九+玉2の会だった日

2008年12月22日 (月曜日)

きょうは夜9時から、パートナー会社である就職エージェント(のそば)で三九会議。就職エージェントの下薗社長と就職エージェント九州(株式会社ネオ倶楽部)の柳川社長といっしょに、先週の福岡でのイベント『Live in Kyushu』の振り返りミーティングを行った。

今回のイベントが、この三九会から生まれたことは以前の日記にも書いたが、実は、ネオ倶楽部さんにとっては今回のようなタイプのイベントは初めての経験だった。スタッフの皆さんは、大きなプレッシャーと不安と闘いながらこのイベントの準備を進めてきたそうだ。

我がパフの営業力不足で、企業招致には少し悔いが残った(つまり十分な利益を出すことができなかった)ものの、学生の動員や、運営は見事なものだった。特に、福岡のスタッフ(ネオ倶楽部の社員)の皆さんの、このイベントにかける意気込みは半端じゃなかった。それがひしひしと伝わってくるイベントで、協力している僕らの胸を打つものがあった。

僕らが福岡を発ったあと、スタッフの打ち上げが本格化したらしいのだが、イベント企画運営責任者を務めたコイシさんは、ワンワン泣き出したそうだ。現役の空手家で、一見怖そうに見えるコイシさんの泣いている姿、ぜひ拝見したかったものだ。

「そういえば、スタッフが泣き出してしまうくらいに感動できる就職イベントって、最近はないですよね」

下薗社長がポツンと言った。

たしかにそうだ。特に我がパフのイベントは、スタッフがイベントに慣れてきて、とても安心して見ていられる反面、ドキドキ感が少なくなってきたように思う。いまは司会のプロと言われているあのイトーが、その昔(もう7年も前だなぁ)、イベントの打ち上げで号泣していた姿を懐かしく思い出した。

スタッフが泣き出してしまうくらいの感動的なイベント。もういちど目指してみたくなった。

 

ところで、今宵の振り返りミーティング。下薗、柳川、釘崎の3九メンバーに加えて、特別に埼玉出身のクマちゃん(就職エージェント社員の熊沢氏)を招いた。彼は、福岡のイベントでは、“就活スキルアップ講座”の「先生」を務めた。学生から「クマザワ先生!」と呼ばれるくらいの人気者だった。

で、振り返りミーティングの二次会(?)では、なぜかクマちゃんの弟(やっぱり人材某社の社員)も参戦してきた。三人の九州出身社長と、二人の埼玉出身の若者の会。人呼んで、『三九+玉2の会』の発足である。

この振り返りミーティング二次会では、「渕剛しか歌ってはダメ」というルールを設け、皆で狭い窮屈な部屋でカラオケに勤しんだ。なんとも暑苦しい男5人だけのヘンな会だったが、とてつもなく楽しかった。今般の人材業界全体を覆う重苦しい空気が完全に吹きとんだ夜だった。

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肩こりと戦った日

2008年12月21日 (日曜日)

金曜日に突如として襲ってきた“肩こり”。首をくるくる回したり、腕をぐるぐる回したりしても、なかなか改善しない。こう、なんていうかずっしりとした痛みのため、気持ちが悪い。“不快感”という表現がぴったりだ。

この肩こりの状態からなんとか脱出するために、昨日、今日と連続してジムに通った。ジムでストレッチを入念にやりながら筋力トレーニングを行えば、きっと肩こりも解消されるのではないかと思ったのだ。

結果。

肩だけじゃなく、全身の筋肉が痛くなってしまった(苦笑)。相対的に見れば、肩こりは和らいだと解釈すべきか?

でもやっぱりカラダを動かすのはいいことだ。筋肉は痛いものの、一方で心地よい爽快感がある。なまったカラダが多少は軽くなったような気がする。

“40肩”とか“50肩”とか言われるが、まさに僕の年齢は48歳。一般的に、肩こりとの戦いが始まる年齢なんだろうな。

えーい、負けてなるものか!!

久々の休日である。

この2週間、見たくてみることのできなかったテレビドラマ、『篤姫』と『風のガーデン』。きょうはこの二つのドラマを2週間分、録画しておいたビデオでじっくりと観ることにした。

 

『篤姫』は、NHKの近年の大河ドラマの中でも記録的な視聴率をあげたという。(視聴率が取りにくいと言われる)幕末ものの大河ドラマのなかではトップクラスなのだそうだ。

たしかに面白かった。毎週、日曜日、篤姫の放映が始まるのが楽しみだった。BSハイビジョン、NHK総合、BS2と、一日に3回観ることもあった。こんなに夢中になって観たのは、あの渡辺謙の『独眼竜政宗』以来じゃないかな。

脚本や舞台設定も優れていたと思うのだが、それ以上に優れていたのは、主役である宮崎あおいの演技だったと思う。およそ演技をしているとは思えない、素のままの、無邪気で天衣無縫な「篤姫=宮崎あおい」は秀逸だった。

宮崎あおいは、23歳になったばかり(実は僕と同じ誕生日♪)。今年の大卒新入社員と同じ年齢だ。にもかかわらず、大物俳優たちをも上回るあの存在感には脱帽である。

 

『風のガーデン』は、先日亡くなった緒形拳の遺作となったドラマだ。僕は毎回、緒形拳の演技を見たくて、このドラマをみていた。おそらく緒形拳は、このドラマが自分の遺作となることを分かっていたんじゃないかと思う。ドラマでは癌で息子を失う親の役を演じている。しかも、終末医療を行う医者の役だ。癌で亡くなることになる緒形拳にとって、このドラマは最後を飾るに相応しい作品となった。

このドラマの収録が完成し、披露記者会見が終わって間もなく、緒形拳は本放映を一度も見ることなく息を引き取った。完成披露記者会見では、中井貴一や神木竜之介や黒木メイサといった家族役を演じた俳優たちを思いっきり称えていた。

 

宮崎あおいは、まだまだこれからが楽しみの女優だ。どんな女優に成長していって、どんな演技を見せてくれるのだろう。

かたや、緒形拳の演技は、もう見ることができない。緒形拳の代役を務められる役者など現れるはずもないのだが、緒形拳のような強烈な個性と演技力をもった役者が、もっともっと輩出されるような芸能界、演劇界であってほしい。

先週から始めた大学訪問。きょうで5校めとなる。基本的に就職部(キャリアセンター)の責任者の方にアポイントをいただいたうえで訪問しているのであるが、毎回、「なるほど」という気づきがある。やはり、その立場ならではの悩みやジレンマがあり、だからこそ、「企業の採用と学生の就職は、こうあってほしい」という理想がある。

 

夕方からは「うまれよ塾」。きょうは10名の学生を迎え、楽しくまじめで有意義な3時間を過ごした。学生の若い感性と個性に、近い距離で触れ合えるのは、ホントにありがたいことだ。

 

ところで、実は今日は朝から、肩こりがひどくて辛かった。なんでだろう。この一週間の、怒涛のスケジュールによる疲れが溜まってきたのか、それとも運動不足か、それとも単なるトシなのか。

あすは久しぶりのジムに行き、たっぷりゆっくり汗を流してみることにしよう。

午前中、とあるNPO(特定非営利活動法人)のAさん(上智4年女子)と、Tくん(慶応4年男子)から取材を受けた。

このNPOが発行しているフリーマガジンに、僕のことを取り上げてくれるらしい。

取材されるのは僕のはずなのだが、まずは僕のほうからいろいろと取材させてもらった。立場逆転だ。

Aさんは、卒業したら就職するのではなく、自分で立ち上げた会社(登記はすでに行なっているらしい)を切り盛りしていくらしい。その傍ら、このNPOのサポートもするという。思い切った進路を選んだんだなぁと感心する。

Tくんは、僕も26年ほど前にお世話になっていた人材ガリバーのR社に入社するという。本当は言いたくなかったらしいのだが、僕のツッコミのせいで、隠せなくなったようだ。ただ入社後は、人材部門とは違う部門を希望しているとのこと。

 

AさんはNPOの代表。Tくんはフリーマガジンの編集長。そんな立場の二人から、あれやこれやの鋭い質問をもらった。

いちばん感心したのは、僕のことをトコトン調べ上げてきてくれたこと。

この『釘さん日記』はもちろんのこと、僕が昔書いていた『パフの創業物語』を、隅々まですべて読み込んできていたのだ。

しかも、物語に書かれていたエピソードのほとんどが頭の中に入っていた。たいしたものだ。

つい先日(2週間くらい前だったかな)、やはり雑誌の取材ということで、プロの女性記者が来社したのだが、こちらはまったくなってなかった。パフが何をやっている会社であるかすら、知らずに来ていた(人材紹介業だと思っていた)。会社ホームページを読んだ節もない。思わず説教をしてしまったくらいだ。

やっぱり取材をする人間の最低限のマナーとして、事前に調べられることはキチンと調べるっていうことが大事なのだ。

Tくんの取材姿勢をみて、すっかり気分の良くなった僕は、うっかり余計なおしゃべりをしてしまった。

どのような取材記事が仕上がるのか、いまからとても楽しみである。