『うまれよ塾』OBの新入社員からメールをもらった日
2008年6月16日 (月曜日)
きょうのネタは、実は一週間ほど前の出来事なのですが、本人が、「釘さん日記」での実名紹介を快諾してくれたので、あたかも本日の出来事であるかのごとく書くことにします。
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明治大学をこの春卒業して、関西の超大手メーカーM社に入社した鄭(てい)くんという、(元)学生がいる。
僕との出会いは、僕が自ら講義をしている「うまれよ塾」だった。その後、パフの少人数イベントである「社長対談」にも参加してくれたりしていた。
昨年の春先、次のようなメールをもらって、さらに付き合いが深まった。
こんにちは。ご無沙汰をしております。
(中略)
先日、就職活動を終了させることが出来ました。
T株式会社
M株式会社
F株式会社
から内々定を頂くことが出来ました。
現段階で企業に順位をつけることが出来ず、決断には非常に苦心しております。
私の就職活動は「うまれよ塾」から、本格的に始まりました。
「うまれよ塾」から学んだことは就職活動中も常に心の中にあり、私の支えになりました。
本当に有難うございました!
そこで、就職についての講演会として、明治大学でお話をして頂きたく、ご連絡致しました。
5月中に、講演会について、お話をさせて頂くお時間を頂けませんでしょうか。
(後略)
ゼミナール協議会の責任者だった鄭くんの依頼で、僕が明治大学で講演をしたのが、ちょうど一年前だった。
この講演のおかげで、他の明大生たちとも広い接点をもてるようになった。鄭くんには感謝されたが、むしろ僕らも、鄭くんに大感謝だった。
そして、鄭くんはこの3月に卒業した。
元気にしてるかなあ……と、思っていた矢先の、つい一週間前にもらったメールが次の内容だ。
株式会社 パフ
代表取締役社長 釘崎 清秀様
ご無沙汰をしております。
明治大学ゼミ協でお世話になりました、鄭です。
2008年度が明けてから2ヵ月が過ぎましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
新人研修も残り一カ月を切り、少しですが生活リズムが整ってきましたのでご連絡致しました。
■■近況■■
僕はこの2カ月で、生活環境が大きく変わりました。
・初めての一人暮らし(会社寮ですが)
・朝5時半起床生活
・日経新聞購読
・環境(社会)変化のスピードを知る
等、挙げ切れないほどです。
入社2カ月で、分からないことばかりかもしれませんが、毎日が本当に楽しく充実しています!
■■配属■■
5月9日付で○○○(勤務地:○○)という部署への配属が決定致しました。
4月1日より大阪の本社にて全社研修をしており、大阪生活は3ヶ月目を迎えています。
現在は座学研修中ですが、7月には前線へ行く予定で、今から非常に楽しみです。
僕は主に△△と□□等を担当し、営業で扱う商品数は10万品番を超えるそうです!
こんなに多くの商材を扱えるメーカー営業はそうはいないらしく、驚きました!
釘崎さんから教えて頂いた「うまれよ」や、誠実さ、心の持ち方等は今でも大切にしています。
また、何かの機会でお会いできることを本当に楽しみにしております。
僕は3年は大阪にいる見込みです。
お近くにいらした際には是非お声掛けください!
図々しいながら東京へ帰った際はお邪魔させて頂きたい程です。
今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。
いやあ、嬉しい。こういう若者が、まだまだ世の中にいるということが、とても嬉しい。
そして、 「うまれよ」を今でも大切にしてくれているということも、嬉しい。
さらに、 「『釘さん日記』に載せてもらえるなんて光栄です! 実名でお願いします!」と言ってくれたことも嬉しい。
こんな素晴らしい若者たちと接点を持つことができ、彼らの巣立ちに関わることができている自分は幸せ者である。
ということで、鄭くん、ちゃんと載せましたよ^^。東京に出てきたら、ぜひ築地に寄って下さいね。寿司でも食べに行こうぜ!
世の中的には「父の日」だった日
2008年6月15日 (日曜日)
6月の第三日曜日は、「父の日」ということになっているらしい。今年は、きょう6月15日が、その日。
さて、ここで問題です。
17年前。西暦1991年の父の日は、何月何日だったでしょうか?
答えは、 6月16日 です。
ほとんど意味のないクイズで失礼しました。
一般の人には意味がないが、僕には意味が大ありの日である。この日は、僕の娘の誕生日だからである。17年前の父の日に、彼女は生まれたのである。
そもそも生まれてくるだけで親孝行なのに、父の日に生まれるとは、なんとまあ、親孝行極まりない娘なことか。
子供は3歳までに一生の親孝行のほとんどを済ませる、ということを聞いたことがあるが、うちの娘の場合は、生まれたその日に90%くらいを済ませたのかもしれない(笑)。
ということで、以来、17年間。僕にとっての「父の日」は、娘の誕生に感謝する日となっているのである。
東北の地震を心配した日
2008年6月14日 (土曜日)
昨夜、遅くまで飲んでしまったこともあり(結局、床に就いたのは明け方だったこともあり)、今朝は朝食の時間に起きることができなかった。
朝9時少し前、カミさんが僕の部屋にきて、「東北で大きな地震があったみたいだよ!」と教えてくれた。
「なに!」といっぺんに目が覚め、テレビのスイッチを入れた。震度6強で被害が各地で出ているであろうと報道している。仙台もかなり揺れた様子だ。
心配だ。慌てて、仙台に本社とお住まいのあるS社のS社長の携帯にメールを打ってみた。
他にも仙台には何人か知人、友人が住んでいるのだが、携帯メールが分るのは、S社のS社長だけだ。
ほどなくS社長から返事があった。たしかに揺れは激しかったようだが、幸い、大きな被害は出ていない様子だった。まずはホッとした。
しかし、テレビでは詳細な報道が続いている。道路が寸断されたり、新幹線や高速道路がSTOPしたり、土砂崩れや落石などで被害に遭われた方々も多いようだ。
先日の日記で『地震、カミナリ、火事、オヤジ』と書いたばかりだった。
特に地震は突然、なんの前触れもなく襲ってくる。自然には逆らうことができないのだが、せめて地震が襲ってきたときに、冷静に判断し、行動できるような自分でありたいものだ。
S社長の行動は冷静そのもので、まずは仙台の本社事務所や工場、それから東北各地の営業所の無事を確認した。そして、全国(一部海外)の営業マンに連絡をとり、取引先に対して、一斉に会社や工場はすべて無事であるという速報を流したそうである。それらすべて、午前中の行動である。すごい。さすがである。やはり人間の真価というのは、有事になってはじめてわかるものなんだなと感じた次第である。
ともかくも、今回の地震で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
昼も夜も深夜も、求人情報誌業界一色だった日
2008年6月13日 (金曜日)
パフが加盟している求人情報メディアの業界団体に、社団法人全国求人情報協会という団体がある。
ホームページから以下抜粋。
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(社)全国求人情報協会は、求人情報媒体が読者の職業の選択と安定した職業生活に役立つことなどを目的に、昭和60年2月、労働大臣の許可を得て、公益法人として設立されました。 これらの目的を実現するために、自主規制のための掲載基準を作成したり、読者からのさまざまなご相談に応じたり、また、求人情報のあり方についての調査・研究などを行っています。
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きょうはこの団体の、年に1回の総会だった。全国から約50社の加盟会社の代表者が集まった。
会計報告や各種決議や役員の選出などなど。発足から23年にもなる団体なので、きちんと真面目に厳かに行われた。
総会後は、沖縄の加盟会社、冒険王の佐和田社長の講演と、リクルートの中村副社長の講演が行われた。
冒険王の佐和田社長は、もともと僕をこの団体に誘ってくださった方だ。6年程前に沖縄から(当時月島にあった)パフの事務所を訪ねてくださり、一緒にもんじゃを食べたこともある。僕よりも少し若いのだが、すごくできた方である。講演の内容も、佐和田社長の人柄がにじみ出るような講演で、とても温かい気持ちになった。
リクルートの中村副社長とは、25年ほど前から面識がある。ずいぶん昔だが、僕が大学生でありながらもリクルートで働いていた頃の、若手(入社3年目だったと思う)最優秀営業マンだった。当時から、隙のない「デキル」人だった。講演内容は、さすが業界のリーダーとしての風格があり、為になるデータが満載だった。
その後は、場所を宴会場に移しての懇親会。ここからは加盟各社の代表者だけではなく、各社の社員や行政の関係者も参加していたので、かなりの人数だった。全部で150~200人近くいたかもしれない。
冒険王の佐和田さんやリクルートの中村さんとも久々にお話しできたし、その他にも多くの同業者の代表の方々とお話できた。中途採用の求人情報メディアを運営している方々が多いのだが、皆さん、昨年の夏くらいからの景気の減速感を切実に語っておられた。この業界は、もともと景気動向に左右されやすく、しかもネットの出現によって、メディアのあり方や、カスタマー(求職者)の行動様式も変化してきている。今後、業界の大きな動き(変化)は、避けられないだろう。
宴たけなわながら、懇親会を中座して、夜、会社に戻った。
会社では、大手就職ナビの勉強会が、Mナビを運営しているM社のH部長と、入社4年目のTさん(とっても可愛い!)をお招きして行われていたからだ。
勉強会のあとは、皆で歌舞伎座のすぐそばにある居酒屋で懇親会を行った。H部長もTさんも愉快、愉快。とても楽しい懇親会だった。
その後、ちょっと飲み足らず、H部長とTさんを「のろ」にご招待。静かに情報交換しながら一献傾けるつもりだったのだが、30分もしないうちに、パフの女性軍団5名も合流してきて、賑やかなカラオケ合戦になってしまった(苦笑)。
が、これはこれで楽しいひととき。気がつけば、深夜2時を回っていた。
ということで本日は、昼も夜も深夜も、求人情報誌の同業の方々と、まじめに楽しく過ごした一日(1.5日?)だった。
(写真左は、パフの野獣ヒラハラとナガサキに囲まれて悲鳴をあげるM社のTさん。写真右は、壊れるまえのM社のH部長とパフのムラカミです)
内定者が宣誓した日
2008年6月12日 (木曜日)
パフには来春入社予定の内定者が(現在のところ)3名いる。その3名が今夕、築地の事務所に集合し、全社員の前で宣誓した。なにを宣誓したかっていうと、パフで覚悟して働く ということ。
オオノアヤ、コンヤスハル、ツチダアユムの3名。
#現在応募してくれている学生の中から、さらに1~2名が加わる可能性もある。
入社は来年の4月からなのだが、すでに出社して営業の仕事をしながら世の中の洗礼を浴びているものもいる。就職活動をしているときとは全然違う、世の中の厳しさを身にしみていることだろう。
また、彼らには入社までの間、大きなミッションを与えている。そのミッションが達成されたなら、大きなご褒美も用意されている。
残された学生生活を有意義に過ごしながらも、社会人としての心の準備と体の準備を、着々とすすめてほしいと思う。
<追伸>
盟友、就職エージェントの下薗社長のブログでも、この内定者の宣誓のことが書かれていました。あわせてどうぞご覧下さい。⇒ ~風は南から~
『いちゃもん』をつけられて迷惑した日
2008年6月11日 (水曜日)
『いちゃもん』というのは、どうやら関西弁らしい。いま辞書を引いて初めて知った。僕の出身地である九州ではごく普通に使っていたし、いまでも日常会話で使っているので標準語(いや九州弁か?)だと思っていたが、実は違ったようだ。標準語だと、「いいがかり」とか「難癖(なんくせ)」とか言うらしい。
・・・と、そんなことはどうでもいいのだけれど、きょうの僕の身に起きたことでいうならば、 『まったく筋の通らない理解不能な要求』というふうに訳すのが適切かな。
世の中には、モンスターペアレントとか、モンスターカスタマーというような、自分の権利ばかりを振りかざす自己中心的な人たちが増えている。誠意を持って対応しようとしても、あるいは常識で議論しようと思っても、相手はモンスターなので、どこまでいっても気持ちが通じることがない。
ビジネスをやっていると、たまにこういった人種と出くわすことがある。お金を出す側に回ったとたん、偉くなったと錯覚してしまい、ムチャクチャなことを言い出したりする。挙句の果ては「お金を払わない」と言い出す。おいおい、お金を払わないと、「お客さん」ではなく、無銭飲食と同じ、 「ドロボー」になっちゃうんですよ、という簡単な理屈すら通じない。
僕は幸いなことに、パフを創業したあと、こういう人種にはほとんどぶつかってこなかった。10年も商売をやってきて、とてもラッキーなことだと思う。
が、本日、久々にそういう人種とぶつかってしまった。おかげで、3時間くらいは、その対応のために時間を費やしてしまった。
やれやれ、という感じであるが、筋だけは通さなければなるまい。売られた喧嘩を買うのは、あんまり好きじゃないけれど、 「屁理屈をこねれば何でも通ると思ったら大間違いだよ」 っていうことを示さなきゃ男じゃないね。
と、本日は、分かる人にしか分からない日記で失礼しました!!
2日連続で、大分舞鶴高校出身者が登場した日
2008年6月10日 (火曜日)
きょうは夕方から、パフ自身のインターンシップ受け入れ説明会 兼 選考会を実施した。
まず第一回目ということで、本日の参加は6名。男性3名、女性3名の、バランスのいい参加人数だった。
ひととおりの説明会と選考会のあと、小一時間、軽食をつまみながらの懇親会を行なったのだが、そのとき、あっと驚く偶然の事実が発覚。
なんと! 6名のうち2名が、僕と同じ大分県出身だったのだ!!
(しーん)
あれ……。 あまりビックリしませんか?
なんと!! その2名のうち1名が、僕と同じ高校(大分舞鶴高校)出身だったのだ!!!
(しーん)
これもイマイチですか。
もうひとつ。
昨日に続いて(日記を読んだ方はお分かりでしょうが)、2日連続の大分舞鶴高校Dayだったのだ!!!!
(しーん)
誰がなんと思おうと関係ない。
母校出身者が(昨日は26回生。本日は50回生)、2日連続でパフに足を運んでくれる。僕にとっては、なんだかとても嬉しいことなのだ。
やっぱり人の縁ってあるものなのだ。
それにしても、劣等生で、高校への愛着などなかったはずの僕が、これだけ母校のことで嬉しくなるとは……。
やっぱりどんなに悪ガキであっても、大人になれば、育ててくれた母には感謝するものなんだなあ。